SSブログ
書籍紹介・リスト ブログトップ
前の30件 | 次の30件

明治文學全集46の植村正久 [書籍紹介・リスト]

武田清子、吉田久一編、『明治文學全集46 新島襄 植村正久 清澤滿之 綱島梁川 集』、筑摩書房、1977年。

これに収録されている植村正久の著作。
(旧漢字はパソコンで出すのがめんどくさいので新漢字の部分あり)

-----ここから-----

福音道志流部
真理一斑
今日の宗教論及び徳育論

〔キリスト論論争〕
 福音同盟會と大挙傳道
 海老名弾正君に答ふ
 海老名氏の公開状に就て
 挑戦者の退却
 海老名弾正氏の説を読む
 海老名弾正氏に與ふ
 海老名弾正氏の告白を紹介す
 彼我相違の點を明かにす
 基督教思想の潮流
 基督論を先にすべし
 基督と其の事業
 宮川經輝氏の基督論
 新人記者の答へを読む

〔人物論〕
 カルヴィンの第四百回誕生日
 ジョン ノックスの人物及び其事業
 黒谷の上人
 ジェムス、バラ氏
 眞正なる自由

-----ここまで-----

「黒谷の上人」とは法然の通称。「眞正なる自由」は片岡健吉の追悼会での言葉。



巻末の「研究・解題・年譜・参考文献」の中に、

石原謙「志の宗教」(『植村正久全集』の完成の際の講演を記者が記したもののようだ。『福音新報』第1894号、昭和7年1月14日に収録。)

植村正久の部分の「解題」は武田清子。武田清子『植村正久――その思想史的考察』(教文館、2001)に収録されている。

年譜は武田清子、岡田典夫編。かなり詳しい。

参考文献も武田清子、岡田典夫編で、富士見町教会の月報「路の光」に掲載されたものまで含み、相当網羅されている。



[付記]
筑摩書房の『明治文學全集』(全99巻+別巻総索引)は、2013年初めに「特別限定復刊」された。刊行開始(1965年)から半世紀ぶりとのこと。→筑摩書房の『明治文學全集』のページ
(2015.01.20)


タグ:植村正久

日本現代文學全集・講談社版14 [書籍紹介・リスト]

内村鑑三、『日本現代文學全集・講談社版14 内村鑑三集 附 キリスト教文學』、講談社、1964。

編集は、伊藤整、亀井勝一郎、中村光夫、平野謙、山本健吉。

奥付には著者として内村鑑三しか記されていないが、内村鑑三集、植村正久集、新島襄集の三部から成る。


巻末にあるのは、

亀井勝一郎によるわずか6ページの「作品解説」、

大内三郎による「内村鑑三 キリスト教文學入門」と書いてありつつ、中身は内村鑑三と植村正久と新島襄の紹介(pp.410-419)

三者それぞれの年譜と参考文献。


1980年の増補改訂版があるのか?

なお、「豪華版」の『日本現代文学全集14』(1977年)は別シリーズ(北原白秋他)なので注意。


◆植村正久集の部分の目次

最初に、植村直筆の文字が付されている(p.208)
「主のめぐみ恆々朝の鮮なるごとし」(かなあ?) 「一千百十四年四月六日 植村正久」

以下、全部で52編を収録。


福音道志流部


(文学論)
今の文學
文學上の理想主義に付て一言す
基督教文學と佛教文學
宗教と文學
基督教との新聞雑誌及び其の記者
日本基督教の文學
同情ある基督教文學の必要
文藝界の好傾向

(西洋の文學)
詩人ブラウニング
ブラウニングの詩『カルシヽの書翰』
ブラウニングの宗教
畎畝の詩人ロベルト・ボルンズ
自然界の豫言者ウォルズウォルス
詩宗テニソン
テニソンと其の詩

(時論)
無主義の世界、無信の世界
實際と理想
不敬罪と基督教
宗教上の観察
基督教徒の社会問題
信用は進歩幸福の源なり
『武士道』

(人物評論)
福澤先生の諸行無常
王陽明の「立志」
新島襄
黒谷の上人

(主張)
日本評論の発行
福音週報の発刊に付き一言す
福音週報
福音新報
基督教の日本に對する使命
基督教と武士道
世界の日本
保守的反動と進歩の機縁
日本の文明
三種の愛國心
文明の相違――國家の生存
武士的家庭と基督教的家庭
吾らの社会問題
日本主義(?)
社会問題と基督教徒
日本の教育と基督教
日本人の短所
現代思想の缺點
大學の獨立
日本教育の缺點
他界心
日本に於る基督教の活動

(キリスト教)
基督と其の事業
傳道何の爲ぞ
國民は基督教を要する乎


巻末に、植村の年譜(鵜沼裕子作成、大内三郎閲)、植村の参考文献(鵜沼裕子編集、大内三郎閲)あり。



タグ:植村正久

筑摩書房『現代日本思想大系6 キリスト教』 [書籍紹介・リスト]

武田清子編、『現代日本思想大系6 キリスト教』、筑摩書房、1964、405頁。


奥付の編者略歴には、「武田清子(本姓 長(チョウ)」と記されている。


解説 武田清子「地の塩――キリスト教と近代日本の形成」(pp.7-58)


Ⅰ 日本の精神的伝統とキリスト教

小崎弘道「政教新論」(3~6、9章の抄録)
植村正久「黒谷の上人」
新渡戸稲造「武士道――日本の魂」(矢内原忠雄訳による1~5章と17章の抄録)


Ⅱ 福音の把握・人間の考察

植村正久「われらの信仰」
高倉徳太郎「福音的キリスト教の特質」(『福音的基督教』の第五講)
高倉徳太郎「自己を徹して恩寵へ」
石原謙「キリスト者の自我追求――高倉徳太郎の場合」(『福音と世界』1964年3月号の「高倉徳太郎論――自我追求の姿勢と課題」に加筆改題して収録。後に『石原謙著作集 第10巻』に収録。 →「石原謙著作集第10巻」の目次のページへ
波多野精一「時と永遠」(第7章の一部を抄録)


Ⅲ 社会的現実への対決

村井知至「社会主義とキリスト教」(『社会主義』の第9章)
吉野作造「デモクラシーとキリスト教」
賀川豊彦「労働者の自由」(『自由組合論』の第2編)
矢内原忠雄「マルクス主義とキリスト教」(序論の1~3と本論の1のみの抄録)
矢内原忠雄「国家の理想」(1937年9月。戦後『日本の傷を医す者』に収録)


Ⅳ 文化創造の精神

高倉徳太郎「キリスト教と文明の精神」
吉満義彦「文化と宗教の理念」(前半のみの抄録)
矢内原忠雄「日本精神への反省」(岩波新書『日本精神と平和国家』の中の第一部)
大塚久雄「アジアの文化とキリスト教――ヴェーバーの「儒教とピュウリタニズム」をめぐって」(『思想史の方法と対象』に収録された「東西文化の交流における宗教社会学の意義」を加筆訂正改題して収録)




タグ:植村正久

斎藤勇編『植村正久文集』 [書籍紹介・リスト]

植村正久文集(岩波文庫)第2刷(右)と第3刷(左)斎藤勇編、『植村正久文集』(岩波文庫2069-2070、青(33)-116-1)、岩波書店。

1939年第1刷
1983年第2刷
1995年第3刷(1995年春のリクエスト復刊)。

たぶん、1995年以降、復刊していない。


ちなみに、植村正久は 1858.1.15~1925.1.8 なので、2015年1月8日は植村没後ちょうど90年。


収録されている文章は以下の通り

-----ここから-----

1.宗教思想家評論
重厚の人ルウテル
カルヴィンの第四百囘誕生日
エフ・デヰ・マオリスについて(ヰは小書き)
黒谷の上人

2.時評
愛國、輿論、新聞紙
日本の基督教文學
支那日本の相違なる點
武人たる神學者
福澤先生を弔す
美服せる罪悪
最近死去せる名流
基督に於て死にし實業家

3.西洋文學論
トルストイ伯
トマス・カアライル
自然界の豫言者ウォルズウォルス
テニソンと其の詩
杜鵑一聲――ピッパの歌

4.譯詞
田舎鍛冶
白屋の土曜の夕
み惠ある光よ

5.雑
書翰三通
任職滿三十年記念會に於て
自叙傳(英文から邦譯)

-----ここまで-----

「エフ・デヰ・マオリス」はF.D.モーリスのこと。

「愛國、輿論、新聞紙」の冒頭には、「愛國とは何ぞ。・・・愛國の眞意は、國民を愛するに在り・・・。」とあり、「國民」に強調の傍印が付されている。そして、自国の過去をいたずらに愛重したり、その美粋を保つことではなく・・・というようなことが書かれている。

「武人たる神學者」は世良田亮の死去に寄せた追悼文。

「福澤先生」とはもちろん福澤諭吉

「美服せる罪悪」は星亨(植村の文章では「享」)という政治家の暗殺事件について。

「最近死去せる名流」は板垣退助と和田垣謙三。その次の「實業家」は6代目森村市左衛門(ノリタケカンパニーやTOTO、日本碍子の前身となる日本陶器合名会社を設立)。

「ウォルズウォルス」はもちろんワーズワース(あるいはワーズワスとも表記される)。

「杜鵑」は「ほととぎす」。「杜鵑一聲」の文章は、ブラウニングの『ピッパ通過す』の詩に寄せて。

「田舎鍛冶」には、ロングフェローの詩を「散文に譯して家庭の諭言となす」との添え書きがある。

「白屋の土曜の夕」の「白屋」には「くさのや」のルビ。Burnsの"Cotter's Saturday Night"の大意を訳出したもの。

「み惠ある光よ」は『讃美歌』(1954年版)の288「たえなる道しるべの光よ」の翻訳と解説。ジョン・ヘンリー・ニューマンのこの詞は、故郷を想うとかのロマンチックな内容ではなく、世に大飛躍をなそうと青年が抑えきれぬ志を持って門出をするときのような歌だと語る。

書翰三通は、長女澄江宛、アメリカ留学中の三女環宛、そして船中より季野婦人に宛てたもの。


あとがきの齋藤勇「植村正久先生の文學的寄與」は、『神学と教会』第2巻第1号(長崎書店、1935)に収録されたものに加筆したもの。

表紙や奥付では「斎藤」だが「編者序」とあとがきでは「齋藤」。

さいとう・たけし、1887.2.3-1982.7.4。


イェリネック『人権宣言論』 [書籍紹介・リスト]

ゲオルク・イェリネック、Georg Jellinek, 1851.7.16-1911.1.12。

◆『人権宣言論』の原著
1895年初版。
1904年第2版。ブトミーの批判に対して修正・追加を施し、特に新しく第8章が付加された。
1911年1月12日死去。
1919年第3版。イェリネック自身が残した増補を、子ヴァルター・イェリネックが刊行。
1927年第4版。ヴァルターによる新たな序文があるが、その他は第3版と全く同じ。


◆初版の邦訳
美濃部達吉による邦訳がいくつかある。詳しくは、初宿正典編訳『イェリネック対ブトミー 人権宣言論争』、みすず書房、1995年、p.5の訳者注。

美濃部達吉訳『人権宣言論』1946年。最終的には、ゲオルグ・イェリネック(美濃部達吉訳)、『人権宣言論 外三篇』(法學叢書16)、日本評論社、1946年。

次の4編が収録されている。「人権宣言論」以外は抄訳や紹介など。

人権宣言論(1895初版)
少数者の権利を論ず(1891)(大意の抄訳)
歴史上に於ける国家の種々相(『一般国家學』1900の中の一章から大意を抄訳したもの)
憲法の改正と憲法の変遷(1906)(訳者が学会で行った大意の紹介)



◆その後の邦訳

ゲオルグ・イエリネック(渡辺信英、青山武憲訳)、『人権宣言論――W.イエリネック改訂による』、南窓社、1978年、173+7頁。

 原著第4版からの翻訳。国立国会図書館にはないようだ(2014.10.15検索)。


◆初宿正典訳

訳者の読みは、しやけ・まさのり。

初宿訳は、最初は、
初宿正典編訳、『人権宣言論争』、みすず書房、1981年。

原著第4版からの翻訳。各版の違い・発展が分かるように注が付けられている。
エミール・ブトミーによる反論「人権宣言とイェリネック氏」
及び、それに対するイェリネックの回答「人権宣言論再論――ブトミー氏への回答」
さらに訳者による付録あり。


初宿正典編訳『人権宣言論争』みすず書房、1995年。これに、エルンスト・カッシーラー「共和主義憲法の理念――1928年8月11日の憲法記念日の講演」を加えた新版が、

イェリネック、ブトミー(初宿正典編訳)、『イェリネック対ブトミー 人権宣言論争』、みすず書房、1995年、8+288+6頁。


たぶん2010年からオンデマンド。



◆1995年新版の目次

I 人権宣言論   ゲオルク・イェリネック(ヴァルタ-・イェリネック補訂)

 訳者まえがき
 第1版への序文(ゲオルク・イェリネック)
 第2版への序文(ゲオルク・イェリネック)
 第3版への序文(ヴァルタ-・イェリネック)
 第4版への序文(ヴァルタ-・イェリネック)
 第1章 1789年8月26日のフランスの《権利宣言》とその意義
 第2章 ルソーの『社会契約論』はこの《宣言》の淵源ではないということ
 第3章 《宣言》の模範は北アメリカ諸州の《権利章典》にあるということ
 第4章 ヴァージニアおよびその他の北アメリカ諸州の《宣言》
 第5章 フランスの《宣言》とアメリカの《宣言》との比較
 第6章 アメリカの《権利宣言》とイギリスの《権利宣言》の対照性
 第7章 普遍的な人権を法律によって確定せんとする観念の淵源はアメリカのイギリス人植民地における信教の自由であるということ
 第8章 自然法論だけでは人および市民の権利の体系は産み出されなかったということ
 第9章 人および市民の権利の体系はアメリカ革命中につくり出されたのだということ
 第10章 人権とゲルマン的法観念

II 人権宣言とイェリネック氏  エミール・ブトミー

III 人権宣言論再論――ブトミー氏への回答  ゲオルク・イェリネック

付録として
初宿正典「わが国におけるイェリネック=ブトミー論争の紹介」
初宿正典「マルティン・クリーレの人権宣言史論――イェリネック=ブトミー論争を手掛りとして」

さらに補論として
エルンスト・カッシーラー「共和主義憲法の理念――1928年8月11日の憲法記念日の講演」

あとがき
人名索引


◆まとめ

フランスの人権宣言の主たる淵源は、ルソーにあるというよりも、アメリカ諸州の権利章典にある。また、自然法論だけからは人権宣言は産み出されず、「信教の自由」を獲得する歩みの中に人権獲得への展開も見られる。


◆文献

初宿正典(しやけ・まさのり)、「近代ドイツとデモクラシー――G・イェリネックを中心として」、『聖学院大学総合研究所紀要』、No.6、1995年3月、pp.84-115。
http://serve.seigakuin-univ.ac.jp/reps/modules/xoonips/detail.php?item_id=3383

この中に、イェリネックの生涯と思想の紹介あり。

マックス・ヴェーバーとの関わりも具体的に記されている。

「マックス・ヴェーバーは、終始一貫して非常にイェリネックと親しく、また政治的にも近しい立場にあった。・・・イェリネックが倒れたとき、家族以外で、彼の許に真っ先に駆けつけたのも、ウェーバーであったと言われている・・・。」(p.102-103)


◆おまけ

初宿正典には、次の訳書もある。

ザビーネ・ライプホルツ=ボンヘッファー、ゲルハルト・ライプホルツ(初宿正典訳)、『ボンヘッファー家の運命――その苦難・抵抗・勝利』、新教出版社、1985年。

これは、ボンヘッファーの双子の妹ザビーネによる回想と、ザビーネの夫ゲルハルトによるボンヘッファー論。



キング牧師の重要な演説と手紙 [書籍紹介・リスト]

「これ〔"I have a dream" speech〕はおそらくアメリカ史上最高の名演説として残るだろう。私はこのスピーチと、前に述べた『バーミングハム獄中からの手紙』の二つは、もし機会があったら、ぜひ原文で味わっていただきたいと思う。」

猿谷要『キング牧師とその時代』p.114。

というわけで、"I have a dream" speechと「バーミングハム獄中からの手紙」の公式の原文と信頼できる翻訳について。

なお、キング牧師の伝記について最近書いた記事あり。


■ "I have a dream" speech

1963.8.28 ワシントン大行進の中、リンカーン記念堂前でなされた。

原文と音声
スタンフォード大のKing Papers Projectの中のページ(pdfファイルによる全文と、各国語訳あり。音声も聞ける)

邦 訳
翻訳はたくさんあるが、信頼できるものは、

梶原寿訳がクレイボーン・カーソン編『マーティン・ルーサー・キング自伝』(日本基督教団出版局、2001)に所収。

宮川雄法訳がクレイボーン・カーソン、クリス・シェパード編『私には夢がある――M・L・キング説教・講演集』(新教出版社、2003)に所収。

●さらに、平野克己訳が『ミニストリー』vol.19(2013年秋号)に、「説教鑑賞」18としてスピーチの聞きどころ(読みどころ)の解説付きで、収録されている。



■ "Letter from Birmingham Jail"

1963.4.16付「バーミングハム獄中からの手紙」

原 文
スタンフォード大のKing Papers Projectの中のページに全文あり。

あるいはpdfファイルで。


邦 訳
中島和子・古川博巳訳が『黒人はなぜ待てないか』(みすず書房)に所収。

梶原寿訳がクレイボーン・カーソン編『マーティン・ルーサー・キング自伝』(日本基督教団出版局、2001)に所収。




ドチ・キリ天草版のカラー原寸影印 [書籍紹介・リスト]

なんと、東洋文庫所蔵の1592年天草:天草学院刊のローマ字本の、フルカラー原寸影印が出た。

公益財団法人東洋文庫監修、『重要文化財 ドチリーナ・キリシタン 天草版』(東洋文庫善本叢書2)、勉誠出版、2014年、160頁、14,000円+税。

解説は豊島正之。
ISBN:978-4-585-28202-0
限定300部とのこと。

勉誠出版の紹介ページ


平和の政治思想史 [書籍紹介・リスト]

千葉眞編『平和の政治思想史』千葉眞編、『平和の政治思想史』(おうふう政治ライブラリー)、おうふう、2009年、379頁、3800円+税。


第1章 中世ヨーロッパにおける戦争と平和――ジョン・ウィクリフの正戦論を中心として(将棋面貴巳)
第2章 啓蒙の利害アプローチとヨーロッパの平和建設――サン・ピエールの『永久平和論』(押村高)
第3章 カントの永遠平和論とコスモポリタニズム(千葉眞)
第4章 近代日本における西洋平和思想の受容――カントとトスルトイを中心に(出原政雄)
第5章 内村鑑三の非戦論をめぐる一考察――精神史の視点から(村松晋)
第6章 矢内原忠雄の植民政策論と絶対平和論(眞壁仁)
第7章 ガンディの非暴力思想(田中収)
第8章 権力政治と平和主義――ジョン・デューイとアメリカ合衆国の知識人たち(井上弘貴)
第9章 平和主義とキリスト教現実主義――ラインホルド・ニーバー(植木献)
第10章 マーティン・ルーサー・キング牧師の平和思想(高橋康浩)
第11章 思想としての平和構築(片野淳彦)
第12章 現代政治理論における戦争と平和(萩原能久)
第13章 現代の平和主義(佐々木寛)

事項索引、人名索引あり。


政治思想史や政治理論の分野において、戦争と平和の問題はいつの時代にも喫緊の課題であるにもかかわらず、少数の例外を除いてこれまで十分に掘り下げられてこなかったことから、中世末期から現代に至るまでの平和の政治思想史の展開を辿りつつ、現代の平和について政治理論的に考察する。

全体に統一性をもたせるために、次の三点を念頭に執筆された。
(1)対象の思想家ないし事象において、平和と戦争について定義ないし必須の前提のようなものがあるとしたならば、それらを説明すること。
(2)対象の思想家ないし事象のなかに、現代の世界、東アジア、日本との接点、意義、有意性などがあるとしたらならば、それらを探求し、また明確化すること。
(3)結論部において章全体のメッセージを簡潔に記し、また自分なりの立場や姿勢を明確に浮き彫りにすること。
(千葉眞「序にかえて」、p.11-12、「あとがき」、p.367)



キング牧師の伝記 [書籍紹介・リスト]

『マーティン・ルーサー・キング』(「ひかりをかかげて」シリーズ)梶原壽、『マーティン・ルーサー・キング――共生社会を求めた牧師』(ひかりをかかげて)、日本基督教団出版局、2012、122頁、1260円。

ローティーン向けの伝記シリーズ「ひかりをかかげて」の一つで、写真やイラストも多いが、わずか100頁ほどで簡潔に記されていて、おとなにも良い。

9.11と3.11の経験後から、キング牧師は「この地球という一つの惑星に住むわたしたちが、「人間というひとつの家族として共に生きていくことがはたしてできるのだろうか」という課題」に取り組んだとして意義づける(「読者のみなさんへ」、p.6-8)。


目次

読者のみなさんへ
第1章 平和な明日を求める九・一一犠牲者家族の会
第2章 アフリカ系アメリカ人の先祖たち
第3章 夢見る人・キング牧師の生い立ち
第4章 学生時代に受けた思想的影響
第5章 モンゴメリー・バス・ボイコット運動
第6章 正義の闘いとコーヒーカップの上の祈り
第7章 アメリカのキリスト者へのパウロの手紙
第8章 バーミングハムの獄中からの手紙
第9章 わたしには夢がある
第10章 もう一つのアメリカ
第11章 あなたの敵をも愛しなさい
終わりに ある白人女子高校生からの見舞い状

最後に簡単な年譜付き。


梶原壽は2014.5.6死去。


■読みやすい伝記

キング牧師の読みやすい伝記として、その他のおすすめは、

猿谷要『キング牧師とその時代』.jpg●猿谷要、『キング牧師とその時代』(NHKブックス699)、日本放送出版協会、1994年、237頁。

薄い本だが、うまくまとめてある。巻末に年表と有用な文献表あり。日本語版のある文献を、英語の著者・タイトル・出版社と共に示しているのがよい。


『キング牧師』(岩波ジュニア新書).jpg●辻内鏡人、中條献、『キング牧師――人種の平等と人間愛を求めて』(岩波ジュニア新書221)、1993、213頁。
ジュニア向けだが、読みやすい手頃な伝記。



■より本格的な伝記

マーティン・ルーサー・キング自伝.JPGクレイボーン・カーソン編(梶原寿訳)、『マーティン・ルーサー・キング自伝』、日本基督教団出版局、2001年、486頁、5500円+税。
様々な著作、資料を元にしてキング牧師の「自伝」を構成したもの。分量、値段からして本格派向け。



■その他

R.バロウ(山下慶親訳)、『はじめてのキング牧師』(イラストでよむ神学入門シリーズ)、教文館、2011、250頁、1995円。
見ていないので不明。

リチャード・リシャー(梶原壽訳)、『説教者キング――アメリカを動かした言葉』、日本基督教団出版局、2012、554頁、8400円。
生い立ちから説教や演説の技法、神学を研究した本格的な書。



パネンベルクと「歴史の神学」 [書籍紹介・リスト]

パネンベルクが9月5日に死去した。ちなみに、モルトマンはパネンベルクより2歳ほど年上であるがまだ存命中。


Wolfhart Pannenberg, 1928.10.2-2014.9.5


■歴史の神学

「歴史の神学」はパネンベルクによって代表される神学的立場。パネンベルクのほかに、U.ウィルケンス、R.レントルフ、T.レントルフなど。

パネンベルクは、論文「救済の出来事と歴史」(1959)で広く注目されるようになり、ハイデルベルクの同僚たち(ハイデルベルク・グループと呼ばれる)による共同研究の成果としての論文集『歴史としての啓示』(1961)でその神学主張が明確にされた。


パネンベルク『組織神学の根本問題』「救済史の出来事と歴史」は、近藤勝彦、芳賀力訳、『組織神学の根本問題』、日本基督教団出版局、1984年に収録されている。


『歴史としての啓示』は、大木英夫他訳で、聖学院大学出版会、1994年。


■「救済の出来事と歴史」の冒頭

論文「救済の出来事と歴史」の冒頭部分は、パネンベルクの出発点として有名な個所である。

以下、わたしなりの要約。

キリスト教神学は歴史を前提としている。その歴史とは「神が人類とともに、また人類を通して自らの被造物全体と共有している歴史」であり、「イエス・キリストにおいてすでに啓示されている将来へと向かっている歴史」である。

この立場は、歴史を実存の歴史性へと解消するブルトマンやゴーガルテンの実存の神学とも、本来の信仰内容は超歴史的であるというホフマンやマルティン・ケーラー以来の救済史的神学(「原歴史」を考えるバルトもここに含まれる)とも異なる。両者の立場とも、救済の出来事に場所を与えない歴史的・批評的研究の高潮から避難するあまり、救済の出来事が生起する本来の歴史を無価値にしてしまっている。

「パネンベルクは、・・・客観的な歴史的事実によって構成される歴史的世界の中にこそ救済の出来事は位置づけられるべきものとする。」(佐藤敏夫)

「パネンベルクの言う「歴史」とは「普遍史」であり、この「普遍史」と、すべてを規定する力である「神」とが、彼の組織神学の根本問題とされている・・・。」(近藤勝彦)


■「歴史の神学」の射程の広がりとその後

パネンベルクの神学は、「バルト、ブルトマン以降の第三の神学」、「理性の神学」、「復活の神学」、「下からのキリスト論」など様々な言い方がされている。

たとえば、パネンベルクは歴史の神学の考え方から、人間イエスについての歴史的認識から出発して、イエスの神性の認識へと至るキリスト論(「下からのキリスト論」)を展開した。その鍵は、歴史的事実としての復活こそイエスの神性を基礎づけるものとするところにある。同時に、復活は終末の先取り(prolepsis)として重要な転回点となっているとする(「復活の神学」)。

「「神と普遍史」を根本問題とする神学は、人間と世界の現実全体にかかわる学として普遍的な学となる。」

以上は、『組織神学の根本問題』の巻末の近藤勝彦による「解説」、p.333~334。及び、『キリスト教組織神学事典』増補版(教文館、1983)「歴史の神学」、「パネンベルク」の項。


パネンベルク『組織神学入門』しかしキリスト論について後には、組織神学の三位一体論的な枠組みの中で、イエスが受肉した神の子であることをキリスト論の課題とし、それを父なる神との特別な関わりに求め、さらに御子の受肉を、神の像にしたがって造られた人間の創造の完成と見なしたが、この考え方について、「もはやわたしがずっと以前に「下からのキリスト論」と呼んだものではない。」と語っている。(佐々木勝彦訳『組織神学入門』、p.94)




濱崎雅孝「パネンベルクとポスト基礎づけ主義」(『キリスト教と近代化の諸相』京都大学現代キリスト教思想研究会、2008.3)によると、パネンベルクの『組織神学』以降の特徴からPostfoundationalist(ポスト基礎づけ主義者)と言われるらしい。

「パネンベルク神学の鍵概念を「理性」と考える研究者は、『科学理論と神学』(1973)に依拠しており、「歴史」と考える研究者は、『歴史としての啓示』(1961)に依拠しており、「先取り」と考える研究者は、『キリスト論要綱』(1964)に依拠している。いずれも『組織神学』(1988~1993)よりかなり前に書かれたものである。」
(p.81の注2)


■パネンベルクやその初期の神学を簡潔に紹介している文献

●『キリスト教組織神学事典』増補版(教文館、1983)の佐藤敏夫「歴史の神学」の項、近藤勝彦「パネンベルク」の項。

パネンベルク『現代キリスト教の霊性』●パネンベルク(西谷幸介訳)『現代キリスト教の霊性』(教文館、1987)の巻末にある訳者付論「パネンベルク歴史神学の要点」。


●A.E.マクグラス編『現代キリスト教神学思想事典』(新教出版社、2001)のマクグラス「パネンベルク」の項。



タグ:神学者

石原謙著作集第10巻 [書籍紹介・リスト]

石原謙著作集第十巻「日本キリスト教史」、岩波書店、1979年。石原謙、『石原謙著作集 第十巻 日本キリスト教史』、岩波書店、1979年、6+475頁。

編集:山谷省吾、小嶋潤、松村克己、山本和、中川秀恭。
本巻担当:松村克己、出村彰。

内容は、『日本キリスト教史論』(新教出版社、1967年)と、関連の6論文。

石原謙(いしはら・けん)は、1882.8.1~1976.7.4。


目次は以下の通り。

-----ここから-----

日本キリスト教史論
  序言
  序説 東洋におけるプロテスタント・キリスト教
 第一部 前史
  Ⅰ 中国プロテスタント宣教史概観
  Ⅱ 中国伝道の開拓者
  Ⅲ ハドソン・テイラーと中国内地伝道会
    一 中国伝道者としてのハドソン・テイラー
    二 内地伝道会の幻
    三 内地伝道会の新しい事業
 第二部 日本のキリスト教史から
  Ⅰ 明治初期のキリスト教
  Ⅱ 公会主義とその姿勢
  Ⅲ 植村正久の生涯と路線
  Ⅳ キリスト者の自我追求――高倉徳太郎の場合
  Ⅴ 日本神学の課題
 第三部 日本基督教団
  Ⅰ 日本基督教団の成立とその進展
    一 序説――日本のキリスト教
    二 日本キリスト教の特殊性
    三 日本における教会合同の諸段階
    四 教団再編成の障害
    五 教団の機構改革
    六 信仰告白の制定と教憲改正
    七 宣教
    結語
  Ⅱ 会派問題――日本の教会の教会性について
  Ⅲ 戦後二十年のキリスト教――日本のキリスト教における教派制教会の意義についての一考察

諸論文
 日本キリスト教の歴史的意義と展望
 明治・大正期におけるキリスト教学の歴史について
 思想史上の植村先生――先生の著作に基いて
 教会史と柏井園先生
 志の宗教
 東洋の伝道と日本開教――史的回顧

解説(松村克己)

-----ここまで-----

「日本キリスト教史論」は、戦後20年間に書かれた十数編の論文をまとめたもの。中国伝道史、東洋伝道史から考察することで、17世紀以来のキリスト教史のひとつの到達点として日本の宣教を理解することと、合同と分立の絡み合う日本のプロテスタント教会史の中心的、代表的なものとして日本基督教団の成立と進展を捉えることが主眼とされている。

このうち、「植村正久の生涯と路線」は、『植村正久著作集』第一巻(新教出版社、1966年)の解説として書かれたもの。

「キリスト者の自我追求――高倉徳太郎の場合」は、『福音と世界』(1964.3)を経て、『現代日本思想大系 第6巻キリスト教』(筑摩書房、1964年)に収録されたもの。国立国会図書館などのOPACでは「石黒謙」になっている


諸論文の中で、

「明治・大正期におけるキリスト教学の歴史について」は『日本の神学』16号、1977年6月。

「思想史上の植村先生」は、『神学と教会』第2巻第1号(1935)

「志の宗教」は、『植村正久全集』の完成の際の講演を記者が記したもののようで、『福音新報』第1894号、昭和7年1月14日に収録。『明治文學全集46 新島襄 植村正久 清澤滿之 綱島梁川 集』(筑摩書房、1977年)の巻末にも収録。



船本弘毅編『希望のみなもと』 [書籍紹介・リスト]

希望のみなもと船本弘毅編、『希望のみなもと――わたしを支えた聖書のことば』、燦葉出版社、2012年、399頁、1800円+税。



東日本大震災で人々の想像を絶する悲しみと苦しみが生み出された日本の現実において、しかし、被災された方々に向けて何かを語るのではなく、それぞれがさまざまな経験の中で聖書のことばによって支えられてきた人生を語ることで、愛と希望のメッセージを送る。一つひとつがほんの数ページで短くて読みやすい、キリスト者87人の証言集。教職者も信徒も、カトリックから無教会まで、ただ、やはり日本基督教団関係が多い。

執筆者は、渡辺和子、平山正実、大村栄、渡辺総一、内坂晃、西原由記子、川田殖、荒井仁、齋藤正彦、春名純人、原田博充、北村宗次、佐竹順子、村岡恵理などなど。

なんとなく、阿佐ヶ谷関係者や鎌倉横須賀方面の方々が多いような・・・。


どちりいな・きりしたん関連記事まとめ [書籍紹介・リスト]

どちり(い)な きりしたん [書籍紹介・リスト]

「どちり(い)な きりしたん」のまとめ

「どちりな きりしたん」あるいは「どちりいな きりしたん」は、4種類現存している。

参考文献
・海老沢有道『長崎版 どちりな きりしたん』岩波文庫(1950年)の解題
・海老澤有道『日本の聖書 聖書和訳の歴史』講談社学術文庫(1989年)のp.57
・門脇清、大柴恒、『門脇文庫 日本語聖書翻訳史』新教出版社(1983年)、pp.27-31
・『日本キリスト教歴史大事典』(教文館、1988年)の海老沢有道「『ドチリナ・キリシタン』」の項、海老沢有道「キリシタン版」の項、H.チースリク「天草コレジヨ」の項など。
その他

これらを総合すると、次のようになる。


1.1591年?国字本『どちりいなきりしたん』
刊行年・刊行地未詳(1591?加津佐?)の国字本、ヴァティカン図書館Barberini文庫所蔵

■刊行地、刊行者、刊行年について
当初は1592年、天草と推定されていた(岩波文庫の解題など)が、後に、1591年(天正19)加津佐と推定されるようになった。

刊行は、イエズス会のコレジヨによると推定される。(コレジヨは各地を転々としたが、1590年8月から91年5月まで加津佐にあった。)

Barberiniは、『日本キリスト教歴史大事典』では「バルベリーニ」と伸ばした表記。他は皆「バルベリニ」。

■影 印
小島幸枝、亀井孝解説『どちりいなきりしたん(バチカン本)』(勉誠社文庫55)、勉誠社、1979年。(ただし解説は『どちりなきりしたん(カサナテンセ本)』勉誠社文庫56の方に一括付載。
にある。
ほかに、
海老澤有道編『南欧所在吉利支丹版集録』、雄松堂書店、1978年。
にもあるようだ。

■翻 字
H.チースリク、土井忠生、大塚光信校注で、『日本思想体系25 キリシタン書・排耶書』(岩波書店、1970年)。
および
龜井孝、H.チースリク、小島幸枝『日本イエズス会版キリシタン要理――その翻案および翻訳の実態』 (岩波書店、1983年)
がある。


2.1592年ローマ字本
1592年天草:天草学院刊のローマ字本、東洋文庫所蔵

ヴァティカン図書館Barberini文庫所蔵の国字本(1591年?)とだいたい同一。

■刊行地、刊行者、刊行年について
刊行はイエズス会のコレジヨによる。(コレジヨは各地を転々としたが、1591年5月から97年秋まで天草河内裏にあった。)なお『日本の聖書』では「天草学林」と記されている。

■影 印
影印と翻字が、橋本進吉『文禄元年天草版吉利支丹教義の研究』(東洋文庫論叢、第九)、1928年にあるらしい。この本は、語学の立場から1592年ローマ字本を分析した「劃期の著述」(亀井他『日本イエズス会版キリシタン要理』岩波書店、1983年、p.179)とのこと。

<2014.10.8追記>
なんと、フルカラー原寸影印が出た。
公益財団法人東洋文庫監修、『重要文化財 ドチリーナ・キリシタン 天草版』(東洋文庫善本叢書2)、勉誠出版、2014年、160頁、14,000円+税。
解説は豊島正之。
<以上 追記>

■翻 字
海老澤有道編著『キリシタン教理書』(キリシタン文学双書、キリシタン研究第30輯)、教文館、1993年。


3.1600年ローマ字本
刊行地未詳(長崎?)、1600年刊行のローマ字本、水府明徳会所蔵

1591~92年の版(前期版)の改訂増補版。

章の番号の付け方が、前期版では第八を欠いているのに対し、後期1600年版では第十一が欠けている。そのため、章は第十二まであるが、両者とも実際は11章からなる。前期版で第八を欠く理由についての解明は、亀井孝、H.チースリク、小島幸枝、『日本イエズス会版キリシタン要理』(岩波書店、1983年)、p.42。

■刊行地、刊行者、刊行年について
刊行地は推定で長崎。『日本キリスト教歴史大事典』の「キリシタン版」の項(海老沢有道)によると、「印刷所の移転年度に重なったものなどは刊行地名が掲げられておらず、明確でないものもある」(p.415)。
イエズス会の印刷所は1598年から長崎コレジヨに移転しており、1600年から後藤宗印(霊名が登明(とめ))に印刷が委託された。
したがって刊行者は、長崎コレジヨか後藤宗印か。いずれにしてもイエズス会による。

■所 在
所在は、岩波文庫では徳川圀順氏と記されている。『日本の聖書』では水府明徳会。『歴史大事典』では水府明徳会とアポストリカ文庫(ヴァティカン)が記されている(p.417)。『日本イエズス会版 キリシタン要理』(岩波書店、1983、p.209)では「水戸彰考館」と記されている。上智大学ラウレスキリシタン文庫データベースでは「水府明徳会 彰考館・徳川美術館」と記されている。

■影 印
大阪毎日新聞社編『珍書大観 吉利支丹叢書』毎日新聞社、1928年。この中に『聖教要理』 というタイトルで収録されているらしい。
小島幸枝『どちりなきりしたん総索引』(風間書房、1971)もあるらしい。

■翻 字
海老澤有道編著『キリシタン教理書』(キリシタン文学双書、キリシタン研究第30輯)教文館、1993年。
ほかに、
小島幸枝『どちりなきりしたん総索引』(風間書房、1971)
にもあるらしい。


4.1600年国字本『どちりなきりしたん』
1600年長崎、後藤登明宗印による国字本、ローマのCasanatense文庫所蔵

前期版の改訂増補版で、水府明徳会所蔵の1600年ローマ字本とほぼ同一。

1600年ローマ字本が最後の11章となるはずのところを「第十二」としていたのを、この国字本では「第十一」と訂正し、ようやく章の番号付けが整った。

■刊行地、刊行者、刊行年について
イエズス会から委託された長崎の後藤登明宗印による印刷・刊行。

Casanatenseは、岩波文庫は「カサナテ」、『日本イエズス会版キリシタン要理』(岩波書店、1983年)も「カサナテ」、『日本語聖書翻訳史』が「カサナンゼ」、『日本の聖書』が「カサナテンゼ」、『日本キリスト教歴史大事典』が「カサナテンセ」。

■影 印
小島幸枝、亀井孝解説『どちりなきりしたん(カサナテンセ本)』(勉誠社文庫56)、勉誠社、1979年。
ほかに、
小島幸枝『どちりなきりしたん総索引』(風間書房、1971)
海老澤有道『南欧所在吉利支丹版集録』(雄松堂書店、1978)
などがあるらしい。

■翻 字
海老沢有道校注、1950年岩波文庫。
新村出、柊源一校註、『吉利支丹文学集2』(東洋文庫570)、平凡社、1993年。
(元は、『吉利支丹文学集 下』(日本古典全書)、朝日新聞社、1960年。)にもある。
他に、
小島幸枝『どちりなきりしたん総索引』、風間書房、1971年。
があるらしい。


◆ ◆ ◆


というわけで、

影印については、勉誠社文庫に二つの国字本の影印があるほか、海老澤有道『南欧所在吉利支丹版集録』(雄松堂書店、1978)にも、二つの国字本の影印が収録されているようだし、小島幸枝『どちりなきりしたん総索引』(風間書房、1971)には、1600年のローマ字本3と国字本4の両方の影印と校訂が収録されているようだが、どちらも近くの図書館にはないし、入手も困難そう。


影印を調べるほどではなく、翻字版でよいとして、入手や図書館閲覧がより容易なものとしては、

ローマ字本は、

海老澤有道編著『キリシタン教理書』(キリシタン文学双書、キリシタン研究第30輯)、教文館、1993年。
これに、1592年と1600年の両方のローマ字本が、国字本を参考にかな漢字交じりに校訂して収録されている。

国字本は、

『日本思想体系25 キリシタン書・排耶書』(岩波書店、1970年)に、1591年国字本がある。
1600年国字本は何と言っても海老沢有道校注の岩波文庫で。



平凡社、吉利支丹文学集(東洋文庫) [書籍紹介・リスト]

新村出、柊源一校注、『吉利支丹文学集1』(東洋文庫567)、平凡社、1993年、389頁。
元は、『吉利支丹文学集 上』(日本古典全書)、朝日新聞社、1957年。柊源一が訂正を加えたものが柊の遺族から提供され、これをもとに若干の補訂がなされたとのこと。


新村出、柊源一校注、『吉利支丹文学集2』(東洋文庫570)、平凡社、1993年、373頁。
元は、『吉利支丹文学集 下』(日本古典全書)、朝日新聞社、1960年。



■『吉利支丹文学集1』の内容
柊源一によるキリシタン文学全般にわたっての系統的な「解説」(pp.15-172)

「こんてむつすむん地」(天理図書館蔵、1610年、国字本)(いわゆるイミタチオ・クリスティ)の翻字、頭注付き(pp.173-384)。

「ぢ」だけ漢字で「地」とされていることについて、「ムンヂが『世の」といふ義なので、音と意味との通ずる『地』といふ字を当てたのであらうか」と推測されている。(p.161)



■『吉利支丹文学集2』の内容
柊源一による「どちりなきりしたん」の解説(pp.15-45)

「どちりなきりしたん」(ヴァチカンのBibliotheca Casanatense蔵、1600年国字本)の翻字、頭注付き(pp.47-187)。1600年ローマ字本を参考にして、句読点を付け、漢字や仮名の読み方を註に示している。

「イソポのハブラス」(大英博物館蔵、1593年ローマ字本)(いわゆるイソップ寓話集)の解説と国字への翻字(pp.189-343)。

平凡社からの復刻に当たって記された、米井力也による「解説」(pp.344-361)。

付録として、「どちりなきりしたん」の中でラテン語、ポルトガル語をそのまま仮名書きされている「本語」をローマ字本での表記と現代語訳と対照させた「本語対照表」と、ローマ字と仮名の対応を一覧にした「吉利支丹版ローマ字仮名対照表」がある(pp.362-373)。



新村出(しんむら・いずる)(1876.10.4-1967.8.17)は『広辞苑』の編纂で有名。名前の読みは「しんむら」であるが、『広辞苑』を引くことを「にいむらをひく」みたいに言われている。


柊源一(ひらぎ・げんいち)(「ひいらぎ」ではない)(1909.2.18-1981.9.30)カトリック信者。略歴と著作目録は、土田将雄「柊源一教授をしのんで」、『上智大学国文学論集』16、1983年1月、pp.1-4
他に、柊源一、『吉利支丹文学論集』、教文館、2009年、212頁。
がある。


平凡社の「東洋文庫」のシリーズは、アジア諸地域の代表的な古典、知られざる名作、貴重な日記・紀行文など、これまでに850点余りを刊行し、2013年に創刊50周年を迎えた。http://www.heibonsha.co.jp/series/toyo.html
『吉利支丹文学集』1、2は、2008年にワイド版も出た。

朝日新聞社の「日本古典全書」は、国立国会図書館をはじめ「日本古典全集」とデータ入力されていることがあるが、「日本古典全書」が正解。



日本イエズス会版 キリシタン要理 [書籍紹介・リスト]

亀井孝、H.チースリク、小島幸枝、『日本イエズス会版 キリシタン要理――その翻案および翻訳の実態』、岩波書店、1983年、11+300+127頁。

亀井孝の亀の字はシフトJIS:EA9D、Unicode:U+9F9Cの「龜」。

ローマのCasanatense文庫にある1600年国字本に対するこの本での表記は「カサナテ本」。


第一部 研究篇

第一章は、「カテキスモ」の意味や要理書の発展について。宗教改革に対するカトリックでの教理書の歴史など。

第二章は、日本におけるドチリナの最初としてフランシスコ・ザビエルが作った29箇条の小ドチリナの話(現存しない)、ジョルジェが公教要理を作った経緯、1566年版のジョルジェのもの(ポルトガル語)を基礎に日本語に訳され、日本での印刷・出版についてなど。

ポルトガル語の原書が児童を対象としていたのに対し、日本語訳では成人を対象として翻訳された。
また、原書では、幼児洗礼を受けた子供たちがテキストを暗唱していることを前提にして教師の質問に答える形式であったものを、日本語訳では逆に生徒が質問し教師が答える形式に変更された。
その他、日本人向けに省略したり説明を付加したりした部分がある。
「ケレド」(使徒信経)の説明の部分では、ポルトガル語原書では教皇を頭とする教会の教えとして説明されているところを、日本への布教の観点から、使徒の教えとして扱われている。その章立ての違いなど。

第三章は、日本語のドチリナとポルトガル語本(ジョルジェのドチリナ、1602年)を比較し、翻訳できない用語をラテン語の読みで記したところがあるとか、その際に複数形の語尾はどうしたかとか(たとえば「さからめんと」が「さからめんとす」となっている箇所があるとか)。

第四章は「翻訳の文体」として疑問詞の訳し方などの詳細な分析。

第五章では、前期版(1591年ヴァチカン本)と後期版(1600年カサナテ本)の表記を比較して、仮名遣いのちがい、モノグラム(「でうす」とか「きりしと」を記号で書く)の使用の違い、単語の言い換え、語順の変更、てにをはの変更などなどを「翻訳の成長」と題して細かく分析している。


第二部 資料篇

資料篇には、
ヴァチカン図書館蔵の1591年の「どちりいなきりしたん」、すなわち国字本のものの翻刻(p.207-300)

および

M.ジョルジェ(Jorge)のポルトガル語の「ドチリナ・キリシタン」(1602年大英図書館蔵)の影印と翻訳(後ろからp.1-127)

が収められている。


1591年「どちりいなきりしたん」国字本の翻刻には、カサナテ本(1600年の国字本)との相違、東洋文庫蔵本(1592年ローマ字本)、水戸彰考館蔵本(1600年ローマ字本)との相違が注で示されているが、短い語句の相違はその文言が記されているものの、大きな変更については「増補あり」とか「追加説明あり」とか「ほぼ全面かき改め」などと記されている。

また、これら二つの版の対応箇所が分かるように、それぞれの部分ごとに記号が付されている。



BHK、BHS、BHQ [書籍紹介・リスト]

BHK(読み方はべーハーカー)はKittelの"Biblia Hebraica"のことなので、単にBHとも。キッテルの第何版という言い方もある。

Rudolf Kittel、BHK、第1版1906年。
キッテルは、新約におけるネストレのような批評的本文を作ることは意図せず、ヤコブ・べン・ハイームの『第二ラビ聖書』を本文とし、脚注に重要な異読や本文批評家による読み替えの提案などを記した。

Rudolf Kittel、BHK、第2版1913年。
若干の修正がなされた。(ただし、『旧約聖書の本文研究』p.72には「第二版は1909年」とある)

Paul Kahle、BHK、第3版1937年。
キッテルは1929年に死去。その後、Paul Kahle(パウル・カーレ、1875.1.21-1964.9.24。2014年はカーレ死去50年!)が中心的に加わって、本文にレニングラード写本を採用、脚注も著しく増補。

単にBHKと言った場合、この第3版を指す。

『第二ラビ聖書』はベン・アシェル本とベン・ナフタリ本の混合であり、しかも11~14世紀のものであった。これに対して、レニングラード写本は1008年(ないし1009年)のものでマソラ本文全体を含み欠損部分もほとんどなく、質の良い写本である。カーレはこれこそ純粋なベン・アシェル本だと考えて、本文をレニングラード写本に変更した。

(ただし、レニングラード写本もカーレが言うほど純粋なベン・アシェル本ではない。)

※口語訳聖書(旧約は1955年)の底本は、このキッテル第3版。

第3版の後も、若干の訂正と改善が加えられて版が重ねられていった。特に、1951年の版では、Albrecht AltとOtto Eissfeldtによってイザヤ書とハバクク書にクムラン文書の資料を扱う欄が新設された。これはBHKの第7版とされているが、主に異読資料欄を改訂していっただけだから「第7版」は言い過ぎとの批判あり(シェンカー)。


BHS4.JPGKarl Elliger、Wilhelm Rudolph、BHS、1977。
BHS(読み方は「べーハーエス」)は"Biblia Hebraica Stuttgartencia"の略。BHSは、BHK第3版の改訂の意味で第4版という。


BHK第3版では、マソラが無視されていたこと、校訂者の判断で詩型に組まれたところがあった、脚注で古代訳の証拠よりも校訂者の主観的判断の方が優先されていたり、古代訳の評価の不適切さなどがあった。

そこで、BHSでは、本文はメセグなども含めてレニングラード写本を忠実に再現、脚注では古代訳を慎重に評価、小マソラを校訂本の中に印刷、大マソラは別冊で刊行した。

BHSの版は、最初分冊で1967年から出され、1977に合本。その後、1984第2版、1987第3版、1990第4版、1997第5版。(私が持っている第5版ISBN:3-438-05219-9には、この版歴が記されていない。)


※新共同訳聖書(1987年)の底本とされたBHSは、初版あるいは第2版であろう。



BHQ、2004~。
Biblia Hebraica Quinta(ビブリア・ヘブライカ・クインタ)は、Kittel, "Biblia Hebraica, " 1906から数えて第5版(クインタは「第五の」という意味)。2004年から分冊で刊行が開始された。

本文はキッテル第三版以降と同様に、レニングラード写本。

いつこのプロジェクトが完了するかは、「神の導きに委ねられるべきことであり、この幸いなる出来事が近い将来に実現するようにという熱心なとりなしの祈りに託されるべきこと」だ(シェンカー、p.39)


もっとも、この言い方は、ヘブライ大学のHUB(The Hebrew University Bible) のプロジェクト(アレッポ写本を底本にして膨大な本文批評的脚注を伏したもの。1965年~)について、全体がいつ完成するかは「祈るしかない」と記されていることが元になっている。(『旧約新約聖書大事典』教文館の「本文」の項で紹介されている)


参考文献

●エルンスト・ヴュルトヴァイン(鍋谷堯爾、本間敏雄訳)、『旧約聖書の本文研究――『ビブリア・ヘブライカ』入門』、日本基督教団出版局、1997年。

●左近淑、『旧約聖書緒論講義』、教文館、1998年。
(特に112~113ページあたり)

●『国際聖書フォーラム2006講義録』(日本聖書協会、2006)の中のアドリアン・シェンカー、『ビブリア・ヘブライカ・クインタ――ヘブライ語聖書の新しい校訂本の主要な特徴』。
(BHQの簡潔な紹介として有用)

●『旧約新約聖書大事典』(教文館)の「本文」の項(よみがなが「ほんぶん」となっているが、「ほんもん」とすべき)

●BHSのforwordはゆっくり読んでいられない。

●総説旧約聖書の新版は持っていない。

●『旧約聖書を学ぶ人のために』世界思想社、2012年には、こういう話はまったく載っていない。


(2014/04/09加筆)

The New Jerusalem Bibleの選び方 [書籍紹介・リスト]

以前、ある程度学問的な注が付いていて、かつ、なんとか手頃なサイズの聖書としてThe New Oxford Annotated Bibleの選び方を記した。

 →The New Oxford Annotated Bibleの選び方


英語圏でもっとも学問的な注が付いた聖書は、The New Jerusalem Bibleだろう。

これは、フランスで独自に翻訳されたものの英語版。一応原典から訳していることになっているようだが、フランス語の翻訳の姿勢にのっとっている。

最初に出たフランス語版1956年に対する英語版が1966年にNewのつかない"Jerusalem Bible"として出た。

フランス語版は1973年に改訂された。それに伴い英語版も改訂され、1985年に"The New Jerusalem Bible"として出た。

カトリックの学者による翻訳だが、学問的な注が付いているということで、カトリックかプロテスタントかなんてことは関係ない。


しかし、ネットで調べるといろんな種類があってどれを買ったらいいか分からないー。

しかも、日本のアマゾンでは「なか見!検索」で<注付きではないもの>が表示される
アメリカのアマゾンでのこの書のページならLookInside!でちゃんと確認できる)

非常に詳しい注が付いていることが売りなのだが、ほとんど注なしのものもある。田川建三も『書物としての新約聖書』で「英語訳には註をほとんど省略した簡略版も出ているから、気をつけた方がいい。」と言っている(p.535ページ)。

その田川建三は「註など省略せずにのっているのはStandard Editionである」と書いている(同ページ)が、現在Standard Editionと記されているものは、注が省略されたものであるので、ややこしい。


結論としては、ハードカバーのISBN13:978-0-385-14264-9を買う。注付きはこれのみ。

他に、
 Standard Edition(ISBN13:978-0-385-49320-8)や
 そのレザータイプ(ISBN13:978-0-385-49658-2)や
 Reader's Edition, Paperback(ISBN13:978-038524833-4)や
 Pocket Edition(ISBN13:978-0-385-46986-9)や
その他にも新約だけのものやStudy Editionというのもあるようだが、
どれも注は省略されたものである。



Kindle版はいまのところない。


P.S. 日本のアマゾンのカスタマレビューに、ちゃんとISBN13:978-0-385-14264-9を買えと書いている人がいました。amazon.comならLookInsideできることも指摘されています。



タグ:聖書翻訳

勉誠社文庫 どちり(い)なきりしたん [書籍紹介・リスト]

どちりいなきりしたん(バチカン本)小島幸枝、亀井孝解説『どちりいな きりしたん(バチカン本)』(勉誠社文庫55)、勉誠社、1979年、A5判163頁。



どちりなきりしたん(カサナテンセ本)小島幸枝、亀井孝解説『どちりな きりしたん(カサナテンセ本)』(勉誠社文庫56)、勉誠社、1979年、A5判128頁。



勉誠社は現在、勉誠出版。http://bensei.jp/

勉誠社文庫は、伊曽保物語とか徒然草といった日本文学の古い木版本などを写真撮影して複製したもの、すなわち影印のシリーズのようだ。

第一期(1976~1977)20冊、第二期(1977~1978)20冊、そして第三期(1978~)の中で『どちりいなきりしたん(バチカン本)』、『どちりなきりしたん(カサナテンセ本)』が刊行された。


小島幸枝と亀井孝による解説は、勉誠社文庫55の方にはなく、勉誠社文庫56の方に一括して掲載されている。

どちらも、原本の大きさと縮小率が明記されている。

55の方は、バチカン図書館蔵の、1591年と推定されている国字本の影印。原本の天地25.1cm×左右19.2cmを縮小率76%で収めている。

56の方は、ローマのCasanatense文庫所蔵の、1600年の国字本の影印。原本の25.9cm×18.9cmを縮小率73%で収めている。p.113までが影印で、pp.117-128が解説。正誤表あり。



ハンス・ヴァルター・ヴォルフ [書籍紹介・リスト]

Hans Walter Wolff, 1911.12.17-1993.10.22。


■経 歴

ドイツのヴッパータール・バルメン生まれ
ベーテル神学校、ゲッティンゲン大学、ボン大学で学ぶ。
特にフォン・ラートの影響を強く受ける。
1935-45 ラインラントの告白教会で伝道師、牧師
1946-49 ゾーリンゲン・ヴァルトで牧会
1949-59 ヴッパータール神学校の旧約聖書学の講師、教授
1959-67 マインツ大学旧約聖書学教授
1967-78 ハイデルベルク大学旧約聖書学教授

(大串元亮訳『旧約聖書』の訳者あとがきによる)


■邦訳書

●柏井宣夫訳、『終りなき平和――イザヤの「メシア」預言研究』、日本基督教団出版局、1972年、158頁。
 原著:"Frieden ohne Ende, Eine Auslegung von Jes. 7,1-7 und 9,1-6." "Biblische Studien"の35号、1962年。
 イザヤ7:1~17のインマヌエル預言と9:2~7のメシア預言の釈義的研究。

●大串元亮訳、『旧約聖書の人間論』、日本基督教団出版局、1983年、502頁。
 原著:"Anthropologie des Alten Testaments," 1973初版、1977第3版。旧約聖書において、人間は自己自身をどのようにして知るのかが大きなテーマ。

●大串元亮訳、『旧約聖書』(現代神学の焦点12)、新教出版社、1991年、267+11頁。
 原著:"Bibel. Das Alte Testament, Eine Einführung in seine Schriften und in die Methoden ihrer Erforschung," 1970初版、1975第2版、1980年にボルンカム『新約聖書概説』と合本でペーパーバック版。
 第一部「歴史――歴史としての旧約聖書」、第二部「将来――預言」、第三部「現在――教訓書」、最後に結びとして「神学・教会・社会と旧約聖書」。随所に旧約学の方法論に関する入門的な付論が全部で12置かれている。

他に、
●C. ヴェスターマン編(時田光彦訳)、『旧約聖書解釈学の諸問題――旧約聖書理解のための論文集』、日本基督教団出版局、1975(1960)、300頁。
 この中に「旧約聖書の解釈学について」あり。


■その他の情報

Hermeneiaのシリーズのホセア、ヨエル・アモスがBKのシリーズの英訳のようだ。

ハイデルベルクの大学教会で、「炎の説教者」と呼ばれたらしい。



タグ:神学者

The New Oxford Annotated Bibleの選び方 [書籍紹介・リスト]

ある程度学問的な注が付いていて、かつ、なんとか手頃なサイズの聖書としては、

岩波訳の聖書

がある。

日本聖書協会が「新共同訳」の次の翻訳として進めているものには、どの程度のものであるか分からないが、注が付くようだ。


しかし、現在のところ、フランシスコ会訳と岩波訳の他にまともな注付きの聖書を探すとしたら、英語圏のものとなる。(っていうか、他の言語は読めない。)

そして、英語圏でのそのようなものとしては、Oxford University Pressから出ているOxford Annotated Bibleが、定評あるものの一つだろう。

しかし、ネットで調べるといろんな種類があってどれを買ったらいいか分からないー。

そこで、The New Oxford Annotated Bibleの種類について、Oxford University Pressのサイトやアマゾンのカスタマーレビューなどを参考に、調べてみた。

なお、Amazonはアメリカのサイトを見た方が、Look_Insideできたりして、いろいろ便利。


基本的なところとして、採用している聖書がRSVのものとNRSVのものがある。NRSVに注を付けたものの方が新しい。

現在のところの最新は、"The New Oxford Annotated Bible: New Revised Standard Version," Fully Revised 4th Edition, 2010


種類として大きく分けて、

Apocryphaが付いているものと付いていないもの
革装か、ハードカバーか、ペーパーバックか

他に、college Editionというのがあり、どうやら、コンコルダンスなしのハードカバーのようだ。
(ということは、通常版はとても簡易なものだろうがコンコルダンスが付いている)


Apocrypha 装 丁ISBN-13
なし革装978-0-19-528952-7
なしハードカバー978-0-19-528950-3
なしCollege Edition978-0-19-528954-1
   
あり革装978-0-19-528957-2
ありハードカバー978-0-19-528955-8
ありペーパーバック978-0-19-528960-2
ありCollege Edition978-0-19-528959-6
ありハードカバーインデックス付978-0-19-528956-5


さてどれを選ぶか。

プロテスタントだからApocryphaはいらないやと思っても、Apocrypha付きの方が安かったりする。

革装やインデックス付きは高いし、ペーパーバックはすぐ表紙が折れたりする。

中途半端なコンコルダンスはいらないので、結局College EditionのApocryphaなしが、ハードカバーのようだし、割と安そうなので、これを選ぶとよいだろう。


・・・っと、いろいろ調べたが、やっぱりKindle版が一番安い。



タグ:聖書翻訳

岩波文庫・岩波新書 最近の復刊 [書籍紹介・リスト]

(2013.3~2014.2)

■2014年<春>の岩波文庫リクエスト復刊

『現世の主権について 他2篇』マルティン・ルター(吉村善夫訳)、660円+税
2014年2月19日 復刊(1954年1月25日発行)(前回重版1996年)


■重版再開

『バラバ』ラーゲルクヴィスト(尾崎義訳)、540円+税
2013年11月15日重版再開(1975年12月16日発行)

『基督信徒のなぐさめ』内村鑑三、480円+税
2013年7月17日重版再開(1939年9月15日発行)


岩波文庫2013年夏の一括重版
『新約聖書 使徒のはたらき』塚本虎二訳、600円+税
2013年7月10日重版再開(1977年12月16日発行)


創業百年フェア「読者が選ぶこの1冊」

『クオ・ワディス 全三冊 上』シェンキェーヴィチ(木村彰一訳)、800円+税
2013年5月22日重版再開(1995年3月16日発行)

『後世への最大遺物・デンマルク国の話』内村鑑三、540円+税
2013年5月22日重版再開(2011年9月16日発行)

『代表的日本人』 内村鑑三(鈴木範久訳)、600円+税
2013年5月22日重版再開(1995年7月17日発行)

『武士道』 新渡戸稲造(矢内原忠雄訳)、560円+税
2013年5月22日重版再開(1938年10月15日発行)

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』マックス・ヴェーバー(大塚久雄訳)、1,000円+税
2013年5月22日重版再開(1989年1月17日発行)


岩波新書アンコール復刊
『モーセ』浅野順一、720円+税(黄32)
2013年9月20日復刊(1977年12月20日発行)


岩波書店創業百年記念復刊「もう一度読みたい岩波新書」
『人間と政治』南原繁、700円+税(青131)
2013年7月12日復刊(1953年5月10日発行)


前回の「岩波文庫最近の復刊」のブログ記事(2013年3月8日)



秋山憲兄『本のはなし』 [書籍紹介・リスト]

秋山憲兄『本のはなし』新教出版社秋山憲兄、『本のはなし――明治期のキリスト教書』、新教出版社、2006年、329頁。

新教出版社の目録によると、2008年に改訂増補版が出ているが、見ていない。

秋山憲兄(あきやま・のりえ)は、1917.2.17-2013.12.25。


■内 容

Ⅰ 序――明治初期のキリスト教出版

明治初期の印刷事情
横浜におけるキリスト教出版
明治期のキリスト教版元

Ⅱ 伝道文書・トラクト
「伝道文書」の「伝」の字は旧字の「傳」。

「伝道トラクトと本屋」の文章の後、私蔵本のJ.D.デビス『眞の道を知るの近路』(1873?)の全文を紹介。
(『植村正久とその時代』第二巻にある全文とはかなり違いがあるとのこと)。

ヘボン『十字架ものがたり』(1874?)の全文を紹介。

『信仰の話』(明治10年以前)の全文を紹介。

など4点紹介。

Ⅲ 本のはなし
「1 トラクト」で99点(排耶書7点を含む)
「2 教書」(これが第Ⅳ部になっている)で61点紹介。

Ⅴ バニヤン『天路歴程』
『天路歴程』の本邦初訳
邦訳の歴史

Ⅵ 和訳聖書の歴史

Ⅶ カール・ギュツラフ略伝と日本語聖書
これは、ギュツラフ訳『約翰福音之伝 約翰上中下書 復刻版』(信教出版社、2000年)の解説(ただしこの復刻版も2009年に増補版が出ている)。


■自分のためのメモ

p.61には、ヘボン・奥野昌綱訳『三要文』(1871/2)の使徒信条と主祷文(主の祈り)の訳文が記されている。p.73にはゴルドン訳(1876)の主祷文が記されている。


ハイデルベルク信仰問答の初訳は、ヘンリー・スタウトの書簡によれば1878年(明治11年)に出版されたというが、『日本キリスト教文献目録』にはない。
『日本キリスト教文献目録』では1880年(明治13年)発行の『基督教海徳山問答』(木曾五郎訳)がもっとも古いとしてあげられ、国会図書館蔵とあるが、著者が調査したら1885年版であった。(p.92)


『聖公会祈祷書』の淵源をたどると、1878年(明治11)頃刊の、C.M. ウィリアムズ編訳『朝晩祷文』に達する。これは、日本の聖公会の祈祷書が英国系と米国系の混乱を防ぐために、ウィリアムズが両国の母教会の祈祷書から編纂・翻訳したもので、朝祷文・晩祷文・リタニーを含んでいる。
 次いで1879年(明治12)の『聖公会祷文』は、・・・朝晩祷文に聖餐式、洗礼式、公会問答、堅信式が加わった。さらに、1883年(明治16)に増補版が刊行され、これが1887年日本聖公会第一回総会で公認された。」(p.211)


岩波文庫『長崎版 どちりな きりしたん』 [書籍紹介・リスト]

岩波文庫『長崎版 どちりな きりしたん』海老沢有道校注、『長崎版どちりな きりしたん』岩波文庫33-032-1、岩波書店、1950、117+6頁。

重版の際に正誤表が挟まれている。

口絵:羅馬字綴「ドチリナ キリシタン」1592年(天正20年)天草刊 標紙

解題p.3~6。

洋語略解が巻末6頁に渡ってある。


この28-29頁に主の祈り(パアテル ノステルのオラシヨ)が出てくる。

改行なしで記されているが、適宜改行を入れて以下に記す。
てんにましますわれらが御おや
御名をたつとまれたまへ。
御代きたりたまへ。
てんにをひておぼしめすまゝなるごとく、ちにをひてもあらせたまへ。
われらが日々の御やしなひを今日われらにあたへたまへ。
われら人にゆるし申ごとく、われらがとがをゆるしたまへ。
われらをテンタサンにはなし玉ふ事なかれ。我等をけうあく(兇悪)よりのがしたまへ。
アメン。


ふりがなが、御名の御に「み」、御代に「みよ」、日々に「にちにち」、今日に「こんにち」と付けられている。

海老澤有道『日本の聖書――聖書和訳の歴史』講談社学術文庫906(1989年)の巻末付録にもあるが、そこでは、「ちにをひて」が「ちにをいて」に、「テンタサン」と「アメン」がひらがなになっている。


ロマン・ロラン「先駆者たち」 [書籍紹介・リスト]

ロマン・ロラン全集18.jpg1.
ロマン・ロラン(Romain Rolland)『ロマン・ロラン全集18 エセーⅠ 政治論』、みすず書房、1982年、678+22頁。

1914年から1935年の間に新聞・雑誌などに掲載された社会的・政治的な発言集4冊の邦訳から成る。

宮本正清訳「戦いを超えて」(Au-dessus de la Mêlée, 1915)
山口三夫訳「先駆者たち」(Les Précurseurs, 1919)
新村猛、山口三夫訳「闘争の15年(1919-1934)」(Quinze ans de Combat, 1935)
蛯原徳夫訳「革命によって平和を」(Par la Révolution, la Paix, 1935)

山口三夫による「解説 ≪力≫に対する≪精神≫の闘い――ロマン・ロランの≪政治≫原理」


2.
さて、ロマン・ロランの言葉として有名な
「理想主義のない現実主義は無意味である。現実主義のない理想主義は無血液である。」
の出典はどれか。

この中の「先駆者たち」であることはよく知られている。しかし、「先駆者たち」も様々な発言集である。いったい、その中のどれであるのか。

それは、「先駆者たち」の14番目、「スイスの青年たち」という、1917年6月にジュネーヴの雑誌「ドゥマン」1917年7月号に掲載された文章の序論のDの冒頭に出てくる(邦訳p.170)。この「スイスの青年たち」は、ロマン・ロランの発言というよりも、スイスの青年たちの思想を報告するために、彼らが行った「諸列強の帝国主義とスイスの役割」という討論を要約したものである。


3.
「理想主義のない現実主義は無意味である。現実主義のない理想主義は無血液である。」という言葉は、スイスにとって脅威となっている帝国主義をどのような観点で考えるかについてまとめた文章の冒頭である。この後は次のように続く。

「真の理想主義は人生全体を欲し、その全体的な実現を欲する。それは、人間の良心と諸事実のなかに生きている現実のもっとも深い認識である。そしてこの認識がわれわれの良心の武器である。」



タグ:言葉のメモ

宮田光雄、放蕩息子の精神史 [書籍紹介・リスト]

宮田光雄『放蕩息子の精神史』宮田光雄、『≪放蕩息子≫の精神史――イエスのたとえを読む』(新教新書271)、新教出版社、2012年、192頁、1470円。


宮田光雄『放蕩息子の精神史』扉絵カバーの絵は、渡辺総一「来なさい、休ませてあげよう」(2009年)
扉の絵は、渡辺総一「息子の帰還」(1997年)

このふたつは似たような絵であるが、「来なさい、休ませてあげよう」は背景が緑、扉の印刷は白黒だが「息子の帰還」の背景は黄色である。



第1部「キリスト教美術の中の≪放蕩息子≫」と第2部「≪放蕩息子≫の精神史」の二本立て。




 第1部の「キリスト教美術の中の≪放蕩息子≫」は、『宮田光雄集<聖書の信仰>』第Ⅶ巻(岩波書店、1996年)のために書き下ろされた文章に加筆したもの。

 放蕩息子のたとえを描いた美術作品に表された解釈史を通覧する。中世の寓意的解釈から宗教改革時代、特に、アルブレヒト・デューラーとヒエロニムス・ボスの作品、そして、レンブラントが放蕩息子を描いたいくつもの作品、その他、ルーベンス「放蕩息子の後悔」、ロダン「放蕩息子」、放蕩息子ではないが関連でバルラッハの木彫「再会」に注目、さらに、シャガールのいくつかの作品、中国の切り絵である「剪紙」(せんし)の作品を紹介する。

 最後に、渡辺総一の作品群とそれに対するズンダーマイヤーの解釈を通して、議論は宣教論に及び、土着化(indigenization)から文化内開花(inculturation)そして文脈化(contexualization)の流れに着目する。

 聖書の福音は現実の政治的・社会的・文化的な状況に深く関与するものとして捉えるべきであるが、しかし、既成の現実に埋没するのではなく、土着の文化に対しても既存の現実に対しても、天に国籍を持つ者として、地上には永遠の都は決して存在しないという終末論的な展望をもって関わることが大切である。そのようにして新しい歴史形成に関わる可能性があることを忘れてはならない。(p.109-110)




宮田光雄『新約聖書をよむ』岩波ブックレット.JPG 第2部「≪放蕩息子≫の精神史」は、宮田光雄『新約聖書を読む 『放蕩息子』の精神史』(岩波ブックレットNo.337、岩波書店、1994年)に加筆訂正したもの。

 まず、このたとえ話の流れとポイントを解説した後、その解釈史として、古代教会から宗教改革の時代のエイレナイオスやテルトゥリアヌスからルターとその後の解釈を紹介、次に、近代文学の中での放蕩息子のたとえの解釈としてジイド、リルケ、カフカを紹介、そして精神分析学的解釈を試み、最後に、啓蒙主義と合理主義による消費文明への警鐘を読み取り、東日本大震災を契機とするフクシマ原発事故の問題を重ね合わせる。




放蕩息子関連本.JPG放蕩息子関連の本:
■ ヘンリ・ナウエン(片岡伸光訳)、『放蕩息子の帰郷――父の家に立ち返る物語』、あめんどう、2003年。
■ シュニーヴィント(蓮見和男訳)、『放蕩息子』(新教新書)、新教出版社、1961年(写真は1997年復刊のもの)。



岩波文庫 最近の復刊 [書籍紹介・リスト]

岩波文庫 最近の復刊(だいたい2012.1~2013.3)

岩波文庫の復刊情報は、岩波文庫編集部のページで。

■2012春のリクエスト復刊から

『天路歴程 全2冊 第一部』ジョン・バニヤン(竹友藻風訳)、819円
2012年2月22日 復刊(1951年6月25日発行)

『天路歴程 全2冊 第二部』ジョン・バニヤン(竹友藻風訳)、819円
2012年2月22日 復刊(1953年8月5日発行)

ともに、前回重版は2007年。


■2012年岩波文庫フェア「小さな一冊をたのしもう 名著・名作再発見!」から

『君たちはどう生きるか』吉野源三郎、903円
2012年5月22日 重版再開(1982年11月16日発行)

『後世への最大遺物・デンマルク国の話』内村鑑三、567円
2012年5月22日 重版再開(2011年9月16日発行)

『職業としての政治』マックス・ヴェーバー(脇圭平訳)、504円
2012年5月22日 重版再開(1980年3月17日発行)

『代表的日本人』内村鑑三(鈴木範久訳)、630円
2012年5月22日 重版再開(1995年7月17日発行)

『新約 聖書 福音書』(塚本虎二訳)、1050円
2012年5月22日 重版再開(1963年9月16日発行)

『武士道』新渡戸稲造(矢内原忠雄訳)、588円
2012年5月22日 重版再開(1938年10月15日発行)


■2013春のリクエスト復刊から

『懺悔』トルストイ(原久一郎訳)、504円
2013年2月20日 復刊(1935年6月15日発行)前回重版1989年。

『マリヤの讃歌 他1篇』マルティン・ルター(石原謙、吉村善夫訳)、630円
2013年2月20日 復刊(1941年2月14日発行)前回重版1993年。

岩波文庫から出ているルターの著作については、過去の「岩波文庫のルター」の記事を参照。


ニーバー『義と憐れみ』 [書籍紹介・リスト]

ラインホールド・ニーバー『義と憐れみ』新教出版社1975年(B6版、図書館で借りたのでカバーなし)ラインホールド・ニーバー(梶原寿訳)、『義と憐れみ――祈りと説教』、新教出版社、1975年、245頁。

原著は、Reinhold Niebuhr (edited by Ursula M. Niebuhr), "Justice and Mercy," Harper & Row, Publishers: NY, 1974.


 扉の次で「はじめに」の前の1ページに、次の二つの言葉が記されている。

神よ、変えることのできない事柄については冷静に受け入れる恵みを、変えるべき事柄については変える勇気を、そして、それら二つを見分ける知恵をわれらに与えたまえ。
(1943年)

なすに価する事柄で生存中に達成できるものは何もない。それゆえ、われわれは希望によって救われなければならない。真、美、善なるもので、歴史の直接的文脈の中で完全な意義を発揮するものは何もない。それゆえ、われわれは信仰によって救われなければならない。われわれがなすどんなことも、たとえそれがどんなに有徳なことであろうとも、一人で達成できるものは何もない。それゆえ、われわれは愛によって救われるのである。
(1951年)

 この前者がセレニティ・プレーヤー(Serenity-Prayer)、すなわち「冷静を求める祈り」、あるいは「ニーバーの祈り」として知られている。これを1943年に書いたのは「マサチューセッツ州の農村ヒースにある会衆派教会」においてであった(「序言」、p.16)。

 「ニーバーの祈り」について過去に記した記事
     → 「ニーバーの祈り」
     → 「山崎直子、武田清子、ニーバーの言葉」


 この二つの言葉の後、ラインホールド・ニーバーの妻アースラ・M・ニーバーによる「はじめに」、目次、アースラ・M・ニーバーによる「序言」、そして本文。

 本文は、ニーバーの50年にわたる牧師としての務めの中で用いられた祈りと、比較的晩年の説教テープから起こされた説教が織り合わされた全15章。このような構成について「ラインホールド・ニーバーは説教者であり牧師であった。これらの説教および祈りは、彼の宣教活動の二つの側面を言い表している。」(「序言」、p.11)。

 祈りは、礼拝式文の順序のように6つにまとめられている。1「朝の祈りと開会の祈り」、3「賛美の祈り」、6「礼拝と感謝の祈り」、9「とりなしの祈り」、12「国家と共同社会のために」、14「信仰共同体のために」。

 「信仰共同体のために」の中には、「礼拝式」として賛美、とりなし、罪の告白、キリエ、といった流れの祈りの言葉や、聖餐式のための祈り、洗礼の言葉と祈り(受洗者は幼児)、結婚式の言葉と祈りも含められている。

ニーバーの典礼への関心
 ニーバーの典礼への関心については、ユニオン神学校の学生に向けて、「準典礼的教会に属し、典礼的教会を評価している者として、私は、典礼的教会の主な長所は、説教にあまり依存していないことだ、と言いたい。仮に説教が悪い場合でも、諸君はそれに耐えることができるのだ。なぜなら、諸君は典礼において上演されている信仰の全ドラマを見ているからである」と語り、また、「『礼典の意味全体を祈りに移しかえ』なければならないことに気づいていた」。(「序言」、p.11)

ニーバーの所属教派
 「準典礼的教会に属し」というニーバーの所属教派については、東京神学大学神学会編『キリスト教組織神学事典』(教文館、1972)の大木英夫による「ニーバー」の項によると、ルター派の教会であるが、「エヴァンジェリカル・アンド・リフォームドというルター派と改革派の系統の合同教会で、今日それは組合派と合併している」とのこと。


 最後の章は「キリスト教的牧師職の危険と困難」で、これは、1953.3.29にユニオン神学校で行われた牧師職についての会議のための講演録。


欽定英訳聖書初版 マタイ福音書 [書籍紹介・リスト]

『徹底解明 欽定英訳聖書初版 マタイ福音書』B5版苅部恒徳、笹川壽昭、小山良一、田中芳晴、『徹底解明 欽定英訳聖書初版 マタイ福音書――解説・原文・註解・文法』、研究社、2002、25+259頁、3780円。

 市の図書館で見つけた。

 著者たちは新潟大学の英文学関連の研究者たちで、クリスチャンでも聖書学者でもないが、「キリスト教と聖書に強い興味と関心を抱く者」であるとのこと。

 聖書とマタイ福音書について、そして英訳聖書の歴史を専門的に紹介する前置きという感じの「解説」、欽定訳をREBと対照させた「本文」、「註解」、そして欽定訳マタイ福音書における「文法」の4部から成る。


「解 説」
 巻頭では、英訳聖書の歴史について11ページに渡ってまとめている。英訳で最初に完訳された聖書であるWycliffite Bibleより前の、古英語期(700-1100)のインターリニアーや詩編の韻文訳の状況などから詳しく記されている。

 ちなみに、ウイクリフ・バイブルについては、Wycliffe自身が直接関わったわけではなく彼の同僚・友人・弟子たちが彼の指導の元に翻訳したので、"Wycliffe Bible"ではなく、"Wycliffite Bible"(「ウイクリフ派の」聖書)という表記が用いられている。

 途中で、ウイクリフのLater Version(c1395)、ティンダル(1534)、カバーデイル(1535)、AV(1611)の4つの聖書から、マタイの主の祈りの部分を併記して比較している。

 取り上げられているのは、1989年のREBまで。REBの翻訳方針について、男性中心の語法を出来るだけ避けたと言っているのに、翻訳委員会委員長の肩書きをChairmanとしているのは「苦笑を禁じえない」と記している。


「本 文」
 本文は、AV(Authorized Versionとはどちらかというとイギリスでの言い方で、アメリカではKing James Versionということが多い)の1611年初版からマタイだけを原綴りのまま取り出し、比較のために最も新しい英語で書かれた版としてREB(1989)と対照させている。

 AV(=KJV)の現行流布版は現代英語にnormalizeされているが、この本では、1611年の初期近代英語そのままの形で提供している。しかも、AV(=KJV)の初版である。

 ただし、Facsimile版では小文字のsは語末を除いてlong s になっているが、活字の都合上か区別していない。

 そのテキストは、寺澤芳雄監修で南雲堂から1982年に出されたFacsimile版と、Alfred W. Pollardによってもとの活字(black letter)をroman letterに置き換られたもの(Oxford U. P., 1911. 後に縮刷版でOxford U. P. & 研究社, 1985)に基づいている。


「註 解」
 註解は、基本的には、英語の文法や語法、綴りや発音、原題と異なる意味を記している。時にはギリシア語原文にまで立ち返って検討している。

 が、そればかりでなく、例えば1章のイエス・キリストの系図では、ヨセフの系図と処女マリアから生まれたことの矛盾について北森嘉蔵の説明を紹介し、「この北森の説明には説得力がある」と記している。

 英文学や絵画・彫刻などにも触れ、ダビデについて「フィレンツェにミケランジェロ作のダビデ像の彫刻がある」(1:1)とか、「ナザレには天使ガブリエルの受胎告知を記念した「聖ガブリエル教会」がある」(1:18)とか、"the poer, and the glory"は、「Graham Greene の小説The Power and the Glory(1940)の題名になっている」(6:13)とか、「裏切り者ユダの心理と行動は文学的・演劇的興味を抱かせる。太宰治の短篇「駆け込み訴え」やロック・オペラJesus Christ Superstar など参照」(17:3)とか。


「文 法」
 そして何と、KJV初版のマタイにおける文法が詳述されている。綴字法、発音、句読法に始まり、各品詞、構文など。


 KJVに限らず、昔の英語ということでよく知られているところで、

   現代で語頭の大文字の J は、AVではI になる。
   現代では語頭の u が、AVでは v になる。
   現代では v とするとことが、AVでは語頭以外ではu になる。
   現代の y がAVでは i になっていたり、現代の i がAVでは y になっていたり。
とか、
   三人称単数中性の it の所有格は、its ではなく his。
とかが詳しく書かれている。その他事細かに詳述されている。

 特に、なんと、15世紀以来発音しない final-e は、付いたり付かなかったりいろいろ。んで、どういうときに付くかというと、なんとなんと、1行の末尾が1字分余ると、その行に出て来る単語のどれかの末尾に e が付くのだっ! これは、植字工が行末の体裁を整えるために「勝手に」いや、プロの業として?したことなのである。


 その他、

 AV初版マタイ26:34の"this might" は、 "this night" の誤植。
 AV初版マタイ27:37で "writtten" と t が3個になっている。

などなど。意外とおもしろい。


『目で見る聖書の時代』と『旧約聖書の世界と時代』 [書籍紹介・リスト]

月本昭男『目で見る聖書の時代』B5版 月本昭男、『目で見る聖書の時代』、日本基督教団出版局、1994、128頁、1680円。

 これまでの聖書考古学の成果の中から、親しみやすい主題36項目を選んで紹介。新約の時代まで含む。索引あり。写真は横山匡。

 単に考古学的な知見を記すのみならず、

「聖書の記述が、豊かな水に潤されるエデンの園(創世記2章10節)に始まり、「命の水」が流れる新しいエルサレムの幻(ヨハネの黙示録22章1節)で終わっているのも、偶然ではありません。」(p.18)とか、「聖書は、しばしば人間をこのような土器にたとえます。土器と同じように地の塵(=粘土)によって造られた人間は、ついには地の塵に帰る存在だ、と言われます。と同時に、わたしたちは土の器のような存在でありながら、その土の器の中に、はかり知れない宝を持っている、とも言うのです。」

などと、信仰的な聖書理解を語るのが特徴的。

 第1章と第2章は遺跡や出土品から、山の上にある町は隠れることができない遺跡丘(テル)の話、古代イスラエルの起源と成立、城壁と城門、飲み水と水道、家屋、墓、土器、パン、オリーブ油とぶどう酒、古代ヘブライ文字、印章、楽器。第3章は『考古学資料と歴史の再発見」として、エリコ攻略の史実性とカナン征服の意味、エルサレム神殿の姿、ソロモンの厩舎・貯蔵庫、王国時代のエルサレムの町、アッシリア彫刻に描かれたイスラエル、ユダ王国の滅亡。第4章は「イエスから初代教会へ」で、ガリラヤ湖の漁師、町や村、新約時代のエルサレム、死海文書、エルサレム教会の成立とその後、シナゴーグ。第5章は周辺民族について、エジプト文明、アラム人とアラム語、フェニキア人、ペリシテ人、モアブ・アンモン・ヨアブ、サマリアとサマリア人。第6章は命の木、ケルビム、洪水物語、バベルの塔、カナンの神々、祭壇。


長谷川修一『旧約聖書の世界と時代』B5版 長谷川修一(月本昭男監修)、『ビジュアルBOOK 旧約聖書の世界と時代』、日本基督教団出版局、2011、96頁、2310円。

  『目で見る聖書の時代』の姉妹版。こちらは旧約に限定し、『目で見る聖書の時代』出版以降の考古学的発掘の成果や研究動向を踏まえているとのこと。こちらもカラー。分量的に、『目で見る聖書の時代』に比べてやや少なめの感じ。

 洪水伝説(ノアの洪水物語とメソポタミアの洪水物語の類似を表にして比較)、バベルの塔とジックラト、父祖たちとラクダ、衣服と装身具、住居(仮庵、天幕など)、周辺民族(ペリシテ、アラム、モアブ・アンモン、エドム、フェニキア)、周辺世界の宗教と偶像(カナンの神々と偶像など)、宗教施設(幕屋、燭台、ソロモンの神殿など)、町(城壁、門など)、埋葬と墓地、碑文、世界帝国アッシリア、交易、食物(パン、骨、ワイン、オリーブなど)、戦いと武器、音楽(竪琴、太鼓、笛、角笛など)の全16項目。

 五つのコラムを途中に挟む。「旧約聖書と碑文」、「イスラエルの地理と気候」、「古代イスラエルの道」、「古代イスラエルの暦」、「聖書の動物――ライオン」。
 碑文については、本文とコラムの両方に記述があって、構成としてはいまいちの感じが残るか。

 旧約聖書を残した信仰者たちは、特定の教義の枠で信仰を語るのではなく、具体的な「人間模様を物語として紡ぐなかで」、「歴史に働く神の意思を見きわめようとした」。「この民には、ピラミッドや壮麗な神殿のような大建造物を残す財力も技術もなく、アッシリアやバビロニアのように周辺諸民族を支配する軍事力ももたなかった。それどころか、メソポタミアとエジプトの狭間にあって、強大国に翻弄され続け、幾度となく民族存亡の危機にさらされた」。弱小の民である「彼らが苦難の歴史のなかで培ったものといえば、目に見えない唯一の神への確かな信仰のほかにはなかった」。(月本昭男による「本書のすすめ」、p.2)

 旧約聖書は、「歴史的事実を客観的に記述することを主たる目的にしていない」。「逆説的に言えば、「歴史」と聖書記述の狭間にこそ、・・・古代イスラエルの民の信仰と思想を読み取ることができる」。(「あとがき」、p.95)


 新しい考古学の成果はこれからも出て来るだろうから、いずれは、両者を統合し、かつ、最新にした「決定版」が出るといいな。

前の30件 | 次の30件 書籍紹介・リスト ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。