つまらない説教を耐え抜くために [読書メモ]
「現代におけるプロテスタンティズムの危機も、もはや家庭において聖書が日々読まれることがなく、朝晩の祈りと食卓での祈りが行われなくなってしまったことと関連している。 ・・・ 家族関係の中で神への奉仕の生活を守ることによって、直ちに信仰に絶望せずに、ひどい説教にも耐え抜く力が与えられる。」
W.パネンベルク(佐々木勝彦、濱崎雅孝訳)、『なぜ人間に倫理が必要か――倫理学の根拠をめぐる哲学的・神学的考察』、教文館、2003年、p.196。
家庭において御言葉と祈りを継続していることが、子どもに対して、礼拝での退屈な説教にも耐え抜く力を養うのだ。
パネンベルクに関するこれまでの記事:
パネンベルクと「歴史の神学」 (2014.9.26)
寛容と独自性 (2010.5.25)
信仰の継承に関するこれまでの記事:
信仰の継承と家族伝道のために、親子礼拝・家族礼拝を。 (次世代のために その3) (2010.7.26)
地域の子供たちに礼拝を (次世代のために その2) (2010.7.25)
若者たち・子どもたちに、教会を。(次世代のために その1) (2010.7.22)
賛美歌関連の定期刊行物 [音楽]
主要な賛美歌関連の定期刊行物(雑誌、論文誌)の刊行状況のまとめ。
◆『礼拝と音楽』、日本基督教団出版局
1955年4月創刊。1973年11月号(第19巻10号)まで月刊。1967年10月号と11月号は合併号らしい。
1974年春から季刊(2月:冬号、5月:春号、8月:夏号、11月:秋号)。ナンバーは1号から開始。
途中、臨時増刊があり、「臨時増刊 みんなでつくる私たちの礼拝 17の礼拝例とアイディア」(通巻111号、2001年9月)、「特別増刊 新発見 再発見『讃美歌21』保存版」(通巻136号、2007年9月)がある。
臨時増刊も通巻でナンバリングされているため、季刊の号数と通巻の号数は異なる。たとえば、2011年夏号はNo.150と大きく記されているが通巻では152号。120号からの目次(2014.10末現在)が教団出版局のサイトの中のバックナンバー一覧の中で見ることが出来る。
◆『日本賛美歌学会 紀要』、日本賛美歌学会
2004年から隔年発行。2012年の第5号まで順調に発行。2014年に第6号が出るはずだが?
[追記]2014年9月に第6号が出ているようだ(日本賛美歌学会のサイトの12月6日付のニュース「出版物情報」による)。
日本賛美歌学会の「出版物」のメニューの中から、各号の目次を見ることが出来る。
ちなみに、日本賛美歌学会の「賛」はごんべんのないほう。かつて、1960年に発足した「日本讃美歌学会」があったが、主宰者の竹内信の死去(1974年)後に自然消滅していた。(『日本キリスト教歴史大事典』教文館1988年の「日本讃美歌学会」の項、原恵執筆。)
◆『礼拝音楽研究』、キリスト教礼拝音楽学会
2001年創刊。年1回発行。2012年に第12号が出た後は?
[追記]2013年に第13号が出ているようだ。
キリスト教礼拝音楽学会の「学会誌内容のご紹介」のページに目次一覧あり。
なお、2011年10月に、No.10の別冊として、手代木俊一『日本讃美歌・聖歌研究書誌2010』が出た。これは、明治初期より2010年12 月までに刊行された日本の讃美歌・聖歌、及び、関連する論文等約2400件のデータをまとめたもののよう。
◆『改革教会と音楽』、エルピス
1999年10月創刊。年2回発行。第7号(2002年10月)は「特別号」として誌名も『改革教会の礼拝と音楽』。8・9号合併号が2003年10月に出て、その後は?
サイトはこちら。 バックナンバーの項目のところに目次あり。エルピス社の紹介ページにも目次一覧あり。
◆『礼拝と音楽』、日本基督教団出版局
1955年4月創刊。1973年11月号(第19巻10号)まで月刊。1967年10月号と11月号は合併号らしい。
1974年春から季刊(2月:冬号、5月:春号、8月:夏号、11月:秋号)。ナンバーは1号から開始。
途中、臨時増刊があり、「臨時増刊 みんなでつくる私たちの礼拝 17の礼拝例とアイディア」(通巻111号、2001年9月)、「特別増刊 新発見 再発見『讃美歌21』保存版」(通巻136号、2007年9月)がある。
臨時増刊も通巻でナンバリングされているため、季刊の号数と通巻の号数は異なる。たとえば、2011年夏号はNo.150と大きく記されているが通巻では152号。120号からの目次(2014.10末現在)が教団出版局のサイトの中のバックナンバー一覧の中で見ることが出来る。
◆『日本賛美歌学会 紀要』、日本賛美歌学会
2004年から隔年発行。2012年の第5号まで順調に発行。2014年に第6号が出るはずだが?
[追記]2014年9月に第6号が出ているようだ(日本賛美歌学会のサイトの12月6日付のニュース「出版物情報」による)。
日本賛美歌学会の「出版物」のメニューの中から、各号の目次を見ることが出来る。
ちなみに、日本賛美歌学会の「賛」はごんべんのないほう。かつて、1960年に発足した「日本讃美歌学会」があったが、主宰者の竹内信の死去(1974年)後に自然消滅していた。(『日本キリスト教歴史大事典』教文館1988年の「日本讃美歌学会」の項、原恵執筆。)
◆『礼拝音楽研究』、キリスト教礼拝音楽学会
2001年創刊。年1回発行。2012年に第12号が出た後は?
[追記]2013年に第13号が出ているようだ。
キリスト教礼拝音楽学会の「学会誌内容のご紹介」のページに目次一覧あり。
なお、2011年10月に、No.10の別冊として、手代木俊一『日本讃美歌・聖歌研究書誌2010』が出た。これは、明治初期より2010年12 月までに刊行された日本の讃美歌・聖歌、及び、関連する論文等約2400件のデータをまとめたもののよう。
◆『改革教会と音楽』、エルピス
1999年10月創刊。年2回発行。第7号(2002年10月)は「特別号」として誌名も『改革教会の礼拝と音楽』。8・9号合併号が2003年10月に出て、その後は?
サイトはこちら。 バックナンバーの項目のところに目次あり。エルピス社の紹介ページにも目次一覧あり。
藤掛明『一六時四〇分』 [読書メモ]
藤掛明、『一六時四〇分――がんになった臨床心理士のこころの記録』、キリスト新聞社、2012年、174頁、1600円+税。
◆深刻な病にかかったとき、公表するかどうか
わたしは牧師として、教会員は深刻な病も公表したほうがよいと思っていた。それは、教会員が互いに祈り合うためである。
しかし、「みんなが祈ってくれますよ」などと安易に公表するよう求めてはいけないことをこの本から学んだ。
例えば、がんと言っても様々な種類があり悪性度や進行度も多様であるのに、知識のない我々は勝手な先入観で過剰に反応して、自然な関わりができなくなる。病気の受け止め方も人それぞれなのに、表面的な励ましをしてしまったり、病気に触れるのを無理に避けたりして、コミュニケーションがとれなくなる。
病気を公表するかどうか、牧師は本人の意志に従いつつ、事実を知らされた特別な職務にある者として、誠実に祈りに覚えなければならない。
◆ある牧師が自戒されていたこと
「霊的に不調なときほど、霊的に鋭く大胆なことを言ってしまう。」
(p.169)
◆深刻な病にかかったとき、公表するかどうか
わたしは牧師として、教会員は深刻な病も公表したほうがよいと思っていた。それは、教会員が互いに祈り合うためである。
しかし、「みんなが祈ってくれますよ」などと安易に公表するよう求めてはいけないことをこの本から学んだ。
例えば、がんと言っても様々な種類があり悪性度や進行度も多様であるのに、知識のない我々は勝手な先入観で過剰に反応して、自然な関わりができなくなる。病気の受け止め方も人それぞれなのに、表面的な励ましをしてしまったり、病気に触れるのを無理に避けたりして、コミュニケーションがとれなくなる。
病気を公表するかどうか、牧師は本人の意志に従いつつ、事実を知らされた特別な職務にある者として、誠実に祈りに覚えなければならない。
◆ある牧師が自戒されていたこと
「霊的に不調なときほど、霊的に鋭く大胆なことを言ってしまう。」
(p.169)