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イェリネック『人権宣言論』 [書籍紹介・リスト]

ゲオルク・イェリネック、Georg Jellinek, 1851.7.16-1911.1.12。

◆『人権宣言論』の原著
1895年初版。
1904年第2版。ブトミーの批判に対して修正・追加を施し、特に新しく第8章が付加された。
1911年1月12日死去。
1919年第3版。イェリネック自身が残した増補を、子ヴァルター・イェリネックが刊行。
1927年第4版。ヴァルターによる新たな序文があるが、その他は第3版と全く同じ。


◆初版の邦訳
美濃部達吉による邦訳がいくつかある。詳しくは、初宿正典編訳『イェリネック対ブトミー 人権宣言論争』、みすず書房、1995年、p.5の訳者注。

美濃部達吉訳『人権宣言論』1946年。最終的には、ゲオルグ・イェリネック(美濃部達吉訳)、『人権宣言論 外三篇』(法學叢書16)、日本評論社、1946年。

次の4編が収録されている。「人権宣言論」以外は抄訳や紹介など。

人権宣言論(1895初版)
少数者の権利を論ず(1891)(大意の抄訳)
歴史上に於ける国家の種々相(『一般国家學』1900の中の一章から大意を抄訳したもの)
憲法の改正と憲法の変遷(1906)(訳者が学会で行った大意の紹介)



◆その後の邦訳

ゲオルグ・イエリネック(渡辺信英、青山武憲訳)、『人権宣言論――W.イエリネック改訂による』、南窓社、1978年、173+7頁。

 原著第4版からの翻訳。国立国会図書館にはないようだ(2014.10.15検索)。


◆初宿正典訳

訳者の読みは、しやけ・まさのり。

初宿訳は、最初は、
初宿正典編訳、『人権宣言論争』、みすず書房、1981年。

原著第4版からの翻訳。各版の違い・発展が分かるように注が付けられている。
エミール・ブトミーによる反論「人権宣言とイェリネック氏」
及び、それに対するイェリネックの回答「人権宣言論再論――ブトミー氏への回答」
さらに訳者による付録あり。


初宿正典編訳『人権宣言論争』みすず書房、1995年。これに、エルンスト・カッシーラー「共和主義憲法の理念――1928年8月11日の憲法記念日の講演」を加えた新版が、

イェリネック、ブトミー(初宿正典編訳)、『イェリネック対ブトミー 人権宣言論争』、みすず書房、1995年、8+288+6頁。


たぶん2010年からオンデマンド。



◆1995年新版の目次

I 人権宣言論   ゲオルク・イェリネック(ヴァルタ-・イェリネック補訂)

 訳者まえがき
 第1版への序文(ゲオルク・イェリネック)
 第2版への序文(ゲオルク・イェリネック)
 第3版への序文(ヴァルタ-・イェリネック)
 第4版への序文(ヴァルタ-・イェリネック)
 第1章 1789年8月26日のフランスの《権利宣言》とその意義
 第2章 ルソーの『社会契約論』はこの《宣言》の淵源ではないということ
 第3章 《宣言》の模範は北アメリカ諸州の《権利章典》にあるということ
 第4章 ヴァージニアおよびその他の北アメリカ諸州の《宣言》
 第5章 フランスの《宣言》とアメリカの《宣言》との比較
 第6章 アメリカの《権利宣言》とイギリスの《権利宣言》の対照性
 第7章 普遍的な人権を法律によって確定せんとする観念の淵源はアメリカのイギリス人植民地における信教の自由であるということ
 第8章 自然法論だけでは人および市民の権利の体系は産み出されなかったということ
 第9章 人および市民の権利の体系はアメリカ革命中につくり出されたのだということ
 第10章 人権とゲルマン的法観念

II 人権宣言とイェリネック氏  エミール・ブトミー

III 人権宣言論再論――ブトミー氏への回答  ゲオルク・イェリネック

付録として
初宿正典「わが国におけるイェリネック=ブトミー論争の紹介」
初宿正典「マルティン・クリーレの人権宣言史論――イェリネック=ブトミー論争を手掛りとして」

さらに補論として
エルンスト・カッシーラー「共和主義憲法の理念――1928年8月11日の憲法記念日の講演」

あとがき
人名索引


◆まとめ

フランスの人権宣言の主たる淵源は、ルソーにあるというよりも、アメリカ諸州の権利章典にある。また、自然法論だけからは人権宣言は産み出されず、「信教の自由」を獲得する歩みの中に人権獲得への展開も見られる。


◆文献

初宿正典(しやけ・まさのり)、「近代ドイツとデモクラシー――G・イェリネックを中心として」、『聖学院大学総合研究所紀要』、No.6、1995年3月、pp.84-115。
http://serve.seigakuin-univ.ac.jp/reps/modules/xoonips/detail.php?item_id=3383

この中に、イェリネックの生涯と思想の紹介あり。

マックス・ヴェーバーとの関わりも具体的に記されている。

「マックス・ヴェーバーは、終始一貫して非常にイェリネックと親しく、また政治的にも近しい立場にあった。・・・イェリネックが倒れたとき、家族以外で、彼の許に真っ先に駆けつけたのも、ウェーバーであったと言われている・・・。」(p.102-103)


◆おまけ

初宿正典には、次の訳書もある。

ザビーネ・ライプホルツ=ボンヘッファー、ゲルハルト・ライプホルツ(初宿正典訳)、『ボンヘッファー家の運命――その苦難・抵抗・勝利』、新教出版社、1985年。

これは、ボンヘッファーの双子の妹ザビーネによる回想と、ザビーネの夫ゲルハルトによるボンヘッファー論。



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竹内 文夫

初宿正典著「人権宣言論争」1981年はわずか260頁の本で,美濃部達吉1906年と1929年の同訳とほぼ変わらずで新味はありませんでした。ただ,1条にあった「社会的の不平等」が,「社会的差別」と換わっていました。この差別は宮沢俊義(1957年岩波文庫)1884年法学会雑誌が初訳した不平等を換えてから始まったもの。美濃部達吉全集でも不平等です。どうして門徒が社会的差別と換えたのか不思議です。
by 竹内 文夫 (2018-06-27 18:45) 

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