SSブログ
書籍紹介・リスト ブログトップ
前の30件 | -

「SNSと伝道」参考文献に挙げなかった文献 [書籍紹介・リスト]


CIMG3153_trim_L.jpg

日本基督教団宣教研究所委員会編『宣教の未来 五つの視点から』(日本キリスト教団出版局、2021年12月)に収録されている「SNSと伝道――教会もSNSをすべき理由」で、

参考文献に挙げなかった、挙げられなかった文献

を紹介します。読書・研究の参考にどうぞ。

(コメントは個人の感想です。)

教団出版局目 次参考文献リンク集索 引

あ行

  • 東浩紀、『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか+』(東浩紀アーカイブス2)(河出文庫)、河出書房新社、2011年。サイバースペースという呼び方に含まれている空間の隠喩について、マクルーハン、ウィリアム・ギブスンとフィリップ・K・ディック、フロイト、ジジェクとタークル、ラカンとソブチャック、デリダ、ボードリヤール、ベンヤミンなど、ポストモダンの現代思想を縦横に参照しながら検討する論考で難解。
  • 池田純一、『ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球時代>の構想力』(講談社現代新書2093)、講談社、2011年。Apple、Google、Facebookなどの創業者のビジョンやエンタープライズの背後にある理念を比較し、様々な哲学者や思想を引き合いにしながらアメリカの精神史の中に位置づける。そして、ウェブ企業論を語りつつ、Whole Earth(全球)という視点に次の時代の新たなビジョンの可能性を見出す。ウェブ企業論や次代のビジョンについては、より新しい『〈未来〉のつくり方――シリコンバレーの航海する精神』(講談社現代新書2315、2015年5月)がある。
  • 池田純一、『ウェブ文明論』(新潮選書)、新潮社、2013年。インターネットによる社会の変化を論じるいわゆるウェブ社会論やウェブ文化論的な内容ではなく、現代アメリカの社会・経済・産業(特にIT業界)・政治(特に大統領選)などの動向を、インターネットの影響に関心を寄せながら記した紀行文的エッセイ集。内容が時事的だし、アメリカを素描することが中心なので、ソーシャルメディア論やネット社会のコミュニケーション論といった観点からは読む必要は全くない。
  • 石井研士、『テレビと宗教――オウム以後を問い直す』(中公新書ラクレ293)、中央公論新社、2008年。出版年的にSNSに関連する記述はないが、「終章 情報化社会と宗教のゆくえ」で、日本における1980年代後半からの宗教団体のコンピュータネットワークや、90年代半ばからのホームページの開設状況が紹介されている。
  • 石田英敬、『大人のためのメディア論講義』(ちくま新書1167)、筑摩書房、2016年。情報記号論からメディアというものを論じるので、今回の関心には合わなかった。
  • 糸井重里、『インターネット的』(PHP文庫)、2014年。2001年のPHP新書に増補、文庫化したもの。本條晴一郎、遊橋裕泰、『災害に強い情報社会――東日本大震災とモバイル・コミュニケーション』(NTT出版、2013年)の中で、通信インフラが損壊した災害時において、人から人への「インターネット的」なコミュニケーションが重要であることが論じられていた。
  • 伊藤昌亮、『デモのメディア論――社会運動社会のゆくえ』(筑摩選書0057)、筑摩書房、2012年。脱稿してから読んだ。3.11後の反原発デモにおけるSNSの役割や意義について詳しく論じている、言及すべきだった文献。Amazonにカスタマーレビューを書いた。
  • 印刷博物館編、『日本印刷文化史』、講談社、2020年。「キリシタン版」の話は囲み記事のコラム4頁のみであり、内容的にもたいしたことなかった。
  • 梅田望夫、『ウェブ進化論――本当の大変化はこれから始まる』(ちくま新書582)、筑摩書房、2006年。一時期注目されたが、今やもういいかな。「書けばきっと誰かに届くはず」という意識(第4章)は重要。有名になった羽生善治の高速道路の話は第6章の冒頭。
  • 遠藤薫編著、『大震災後の社会学』(講談社現代新書2136)、講談社、2011年。東日本大震災で露わになったメディアの問題を整理し、第7章「震災とメディア」で災害時におけるソーシャルメディアの可能性を検討している。拙稿の「大規模災害時の情報発信」のところで参照すべきだった文献。その他、災害ボランティアの専門化の出現と迷惑論との関係なども考察、安全か危険かを強調するだけではない災害時のジャーナリズムが果たすべき役割についても議論している。
  • 遠藤薫、『メディアは大震災・原発事故をどう語ったか――報道・ネット・ドキュメンタリーを検証する』東京電機大学出版局、2012年。新聞・テレビの報道やデータを、後の研究のために詳細な時系列にまとめ、あるいは具体的な内容を記録し、様相を整理して提示したもの。深い考察までは記されていない。ネットメディアとマスメディアとの連携が随所で意識されており、著者はこれを「間メディア性」と言って、他の著書でもその重要性を指摘している。特に第2章で、ソーシャルメディアとマスメディアが連携した実例として、NHKテレビの災害報道がUstreamに転載されたことをNHK広報部のツイッター担当者が独断でリツイートした経緯や、GoogleのPerson Finder、各種動画サイトにおける省庁の記者会見の生放送の記録などを記している。今回の拙論には特に有用な記述はなかった。
  • 大黒岳彦、『情報社会の<哲学>――グーグル・ビッグデータ・人工知能』、勁草書房、2016年。言葉遣いが極めて衒学的なのでこの人の著作は読まない。
  • 小川克彦、『つながり進化論――ネット世代はなぜリア充を求めるのか』(中公新書2100)、中央公論新社、2011年。いかにも新書的なサブタイトルが付けられているが、人とのつながりを求めつつも相手に反応を強要しないように気に掛けるという、ネット世代の心情を明らかにしている。当時の大学生の様子やmixiの例など古さを感じるが、SNSコミュニケーションでのつながりに関する意識を考える上では、現在でも有用かも(特に4~6章)。
  • 小此木啓吾、『「ケータイ・ネット人間」の精神分析――少年も大人も引きこもりの時代』、飛鳥新社、2000年12月。後に朝日文庫(2005年)。ネットの影響だけでなく現代の人々の傾向を「引きこもり」として様々な精神医学的事例や事件を元に精神科医が語る。

か行

  • 木下晃伸、『デジタルネイティブの時代』、東洋経済新報社、2009年。近隣の図書館になかったし、ビジネス寄りの話題を取り上げている感じに思えて読んでいない。
  • 木村忠正、『ハイブリッド・エスノグラフィー――NC(ネットワークコミュニケーション)研究の質的方法と実践』、新曜社、2018年。同じ著者の『デジタルネイティブの時代――なぜメールせずに「つぶやく」のか』(平凡社新書、2012年)が、いかにも新書っぽいサブタイトルとは裏腹に、学問的な手続きにかなりのページを割いている研究書で、得るところが多かったので、こちらも読んでみた。『デジタルネイティブの時代』で紹介した方法論を詳述し、そこでの議論を日米比較などを通してさらに深化させた学術書。
  • 草野真一、『SNSって面白いの?――何が便利で、何が怖いのか』(ブルーバックスB-1926)、講談社、2015年。当時の中高生向けで、文献表に挙げるほどではなかった。
  • 小泉宣夫、圓岡偉男、『情報メディア論――テクノロジー・サービス・社会』、講談社サイエンティフィク、2016年。タイトルに「情報メディア論」とあるが、大学1~2年次の一般教養の教科書。

さ行

  • セブ山、『インターネット文化人類学』、太田出版、2017年。学問的な文化人類学ではなく、サブカルチャー的なネタのインタビューや実験・検証記事をまとめたもの。匿名アカウントの内容から個人を特定できてしまった話は衝撃的。
  • 清水幾太郎、『流言蜚語』(ちくま学芸文庫シ26-1)、筑摩書房、2011年。流言飛語の具体例を挙げて分析するのではなく、流言蜚語という社会的現象を人々に影響を与える報道の一種(もちろんアブノーマルな報道だが)と捉えて考察する。戦前の1937年初版なのでネット時代の流言飛語には当てはまらない面もあるが、報道や輿論の機能や性質について深く考察している。流言蜚語は、報道の空白や通信の杜絶、過度な検閲などによって生じる情報に対する「飢え」を地盤として、その空隙を埋めようとして発生する(「情報」という言葉は使われていないが)。流言蜚語は「無根拠なうわさ」と言われるが、全く無根拠ではなく、不十分な事実があってこそ成立する。人々が報道と流言蜚語とを区別するのはそれぞれの内容によってではなく、署名があるか、文字として客観化されているかなどの形式によってである。つまり、報道と流言蜚語とを区別するのは知識ではなく、こういった形式への信頼であり、こういった形式が信頼に足るとするのは一種の「信仰」であるとする。

た行

  • 高野明彦、吉見俊哉、三浦伸也、『311情報学――メディアは何をどう伝えたか』(叢書 社会と震災)、岩波書店、2012年。デジタルアーカイブの話。特に重要な点はなし。
  • 立入勝義、『ソーシャルメディア革命――「ソーシャル」の波が「マス」を呑み込む日』(ディスカヴァー携書)、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2011年。2010年当時の北米でのソーシャルメディアの最新事情、特にソーシャルメディアを用いたマーケティングの状況や、日本での可能性、ソーシャルメディアの未来図など。今となっては読まなくてよい。
  • 立入勝義、『検証 東日本大震災――そのときソーシャルメディアは何を伝えたか?』(ディスカヴァー携書)、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2011年。大震災後かなり早い時期に出版されたが、そのせいか内容的には他書を読めば十分。
  • 田中幹人、標葉隆馬、丸山紀一朗、『災害弱者と情報弱者――3・11後、何が見過ごされたのか』(筑摩選書47)、 筑摩書房、2012年。脱稿後に読んだ。東日本大震災の被害データの分析から災害弱者は情報弱者であることを論証し、それのみならず、ソーシャルメディアやウェブメディアでの情報の偏りの問題を指摘して、社会に対する視点の多様性を確保するために、情報を編集して提示するジャーナリズム的な営為が我々すべてに求められることを論じている。書名からはそこまで見えないのが残念である。
  • タプスコット,ドン(栗原潔訳)、『デジタルネイティブが世界を変える』、翔泳社、2009年。近隣の図書館になかったので読んでません。海外と日本とで世代の特徴は異なると思われるので、関心は後回しのまま。
  • 津田大介、『ゴミ情報の海から宝石を見つけ出す――これからのソーシャルメディア航海術』(PHPビジネス新書308)、PHP研究所、2014年。著者の『情報の呼吸法』(朝日出版社、2012年)と合わせてツイッター術の教科書になるが、全6章のうち、情報の受け方と発し方を示す第2章と第3章だけ読めばよい。
  • 徳田雄洋、『デジタル社会はなぜ生きにくいか』(岩波新書 新赤1185)岩波書店、2009年。同じ著者の『震災と情報――あのとき何が伝わったか』(岩波新書 新赤1343、2011年)を読んだので、こちらも読んでみたが、面白くなかった。
  • 土橋臣吾、南田勝也、辻泉 編著、『デジタルメディアの社会学――問題を発見し、可能性を探る』改訂版、北樹出版、2013年。初版は2011年で、第3版が2017年に出ているが、目次は全然変わっていない。デジタルメディアを当然の環境のように受け入れているデジタルネイティブ世代向けに、デジタルメディアの問題を発見し可能性を探るための教科書(大学初年度向け)。内容的にもう古い。

な行

  • 中橋雄、『メディア・リテラシー論――ソーシャルメディア時代のメディア教育』、北樹出版、2014。2021年に改訂版が出ている。メディアに関する研究を専攻する大学生やメディア教育に携わる教師を主な読者層として想定して書かれた教科書。読者がメディアリテラシーを身に付けるための本ではなく、メディアリテラシー教育を行う側にとっての入門書。小学校などでのメディアリテラシー教育の実例を随所で挙げる。一般の人がメディアリテラシーについて知るには改訂版(2021年)の1~5章までを読めばいい。
  • 西垣通、『続 基礎情報学――「生命的組織」のために』、NTT出版、2008年。難しいので今はやめておく。同じ著者の『ネットとリアルのあいだ――生きるための情報学』(ちくまプリマー新書、筑摩書房、2009年)が読みやすく、著者の「基礎情報学」の平易な紹介になっていると思う。

は行

  • 橋元良明+電通総研 奥律哉、長尾嘉英、庄野徹、『ネオ・デジタルネイティブの誕生――日本独自の進化を遂げるネット世代』、ダイヤモンド社、2010年。メディア環境の変化と行動様式などの定量調査・定性調査から、76(ナナロク)世代と86(ハチロク)世代で行動と意識が大きく異なることを示すとともに、さらに異なる価値観を持った96世代以降を中心とするネオ・デジタルネイティブの出現を示す。丁寧に読めば若い世代の価値観や意識、行動を知る上で現在でも有益な指摘があるだろうが、しかし、今や「Z世代」だし、ビジネス書に近い筆致なのが残念。
  • 濱野智史、『アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか』(ちくま文庫)、筑摩書房、2015年。単行本(NTT出版、2008年)の文庫化。「文庫版あとがき」を追加。佐々木俊尚の「解説」はたいして役に立たない。2ちゃんねる、ミクシィ、ニコニコ動画、ツイッターなどを挙げているので、アーキテクチャの重要性について知るのにレッシグ『CODE』(後に『CODE VERSION2.0』)より親しみやすい。ちなみに著者は本書刊行後、『前田敦子はキリストを超えた――〈宗教〉としてのAKB48』(ちくま新書、2012年)を著している。Amazonにカスタマーレビューを書いた。
  • 藤原智美、『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』、文藝春秋、2014年。書き言葉による自己との対話や思考は、ネットではなく本でなければできず、そこに「つながらない」価値があるという、作家によるエッセイ。

ま行

  • マクルーハン, マーシャル(栗原裕、河本仲聖訳)、『メディア論――人間の拡張の諸相』、みすず書房、1987年。これと『グーテンベルクの銀河系――活字人間の形成』(みすず書房、1986年)も読み直した(ページをざっとめくってみただけ)が、引用には至らず。『メディアはマッサージである』(河出書房新社、1995年、新装版2010年、2015年に新訳文庫化)の方が内容的に関連するかも。なお、マクルーハンは26歳でカトリックに「改宗」したということで、「プロテスタント的な活字文化への反発」(佐藤卓己『現代メディア史 新版』2018年、p.230)があったことはよく知られているらしい。
  • 松下慶太、『デジタル・ネイティブとソーシャルメディア――若者が生み出す新たなコミュニケーション』、教育評論社、2012年。大学での講義をまとめたものでさすがにもう古い。大人の世代である「デジタル・イミグランツ」は、どんなにデジタルメディアを使いこなしても、デジタル・ネイティブになれない(第1章)。第2章で、ソーシャル・キャピタル、6次の隔たり(スモールワールド)、マタイ効果、パレートの法則、ロングテールなどを一通り紹介しているので、知らない人にはこの章だけ有用かも。
  • 松田美佐、土橋臣吾、辻泉編、『ケータイの2000年代――成熟するモバイル社会』、東京大学出版会、2014年。いわゆるケータイが人間関係や社会にどのような影響を与えたのか、ケータイが日常的に利用される社会とはどのような社会なのかを、2001年と2011年の学術的な調査結果を基に実証的に明らかにする。調査データの表やその分析に多くの紙面を割いており、また、2011年はスマートフォンの所有者数やSNS利用度が高まる過渡期であったため、今となってはほぼ読む必要はない。ただ、ソーシャルメディアの利用による「自己の多元化」を明らかにしようとする第4章や、人々が流動化・個人化したままにネットワークを形成するような新しい社会性・公共性の可能性を提示しようとする終章は、リースマン、バウマン、ギデンズなどの基礎的な文献を知る上で有用であった。Amazonにカスタマーレビューを書いた。
  • 三村忠史、倉又俊夫、NHK「デジタルネイティブ」取材班、『デジタルネイティブ――次代を変える若者たちの肖像』(NHK出版 生活人新書278)、日本放送出版協会、2009年。デジタルネイティブの世代的な傾向や特徴ではなく、その世代の中で、新しいビジネス興した若者や今で言うインフルエンサー的な突出した若者を取材した、NHKスペシャル(2008年11月10日放送)の記録。テレビ番組は大きな反響を呼んだが、今となってはあえて読む必要はない。

や行

  • 柳田邦男、『壊れる日本人――ケータイ・ネット依存症への告別』、新潮社、2005年。後に文庫化。作家によるエッセイ。

(2022.9.15加筆、修正)


タグ:SNSと伝道

「SNSと伝道」索引(キリスト教関連と聖句) [書籍紹介・リスト]


CIMG3153_trim_L.jpg

日本基督教団宣教研究所委員会編『宣教の未来 五つの視点から』(日本キリスト教団出版局、2021年12月)に収録されている「SNSと伝道――教会もSNSをすべき理由」のキリスト教関連・その他の団体・新聞雑誌・個人名索引と聖句索引。

教団出版局目 次参考文献リンク集|索 引|参考文献に挙げなかった文献

キリスト教関連その他の団体・新聞雑誌・個人名索引

  • 朝日新聞 181,182,183,185,190,199,213
  • イエズス会 159
  • 海老沢有道 159
  • 大嶋重徳 218
  • 奥田知志 197
  • 柏教会 194(197)
  • 上馬キリスト教会 213
  • 川島堅二 160
  • 木村花 181
  • キリスト新聞 213
  • 久米淳嗣 192
  • ゲーテ 170
  • 近藤勝彦 226
  • システィーナ礼拝堂 223
  • SEALDs 188
  • 信徒の友 210
  • スターバックス 169
  • 谷本仰 213
  • 東京新聞 186
  • トランプ,ドナルド 191(204)
  • 中島みゆき 223
  • 中山信児 195
  • 日本基督教団 160,218,228
  • 日本基督教団福音主義教会連合 218
  • 日本経済新聞 183,221
  • 芳賀力 199
  • 張田眞 218
  • 毎日新聞 162
  • 平野克己 224,227
  • 蛭沼寿雄 159
  • フランシスコ教皇 185,191,202,207
  • フロイド,ジョージ 189
  • ミケランジェロ 223
  • ミニストリー 192,224
  • 森本あんり 171
  • 米津玄師 223
  • 礼拝と音楽 195

聖句索引

  • 詩編46:11  199
  • 箴言4:23  210
  • 箴言4:24  203
  • 箴言29:11  181
  • コヘレト7:21  174
  • マタイ13:12  196
  • マルコ16:15  202
  • ルカ15:6,9  202
  • 使徒1:8  202
  • 使徒20:35  202
  • ローマ12:2  195
  • 1コリント9:23  202
  • ガラテヤ5:22-23  228
  • 1テモテ4:7  192


タグ:SNSと伝道

「SNSと伝道」で引用・紹介しているサイト [書籍紹介・リスト]


CIMG3153_trim_L.jpg

日本基督教団宣教研究所委員会編『宣教の未来 五つの視点から』(日本キリスト教団出版局、2021年12月)に収録されている「SNSと伝道――教会もSNSをすべき理由」の中で引用・紹介しているサイトやpdfへのリンクの一覧です。

なるべく本になっているものを注に記したので、URLの参照は少なめです。

教団出版局目 次参考文献|リンク集|索 引参考文献に挙げなかった文献

p.159,160

石井研士、『高度情報化社会と宗教に関する基礎的研究』(平成11年度~14年度科学研究費補助金 基盤研究(B)(2)研究成果報告書)、2003年。(pdf)

この中に、石井研士「ラジオと宗教」、川島堅二「日本基督教団所属教会のインターネット利用調査」などあり。

p.167

Appliv、「『Twitter』の利用実態をアンケート調査! 10代のアカウント所有率は8割超に」(2019年6月24日)

10代から60代の42%は複数のツイッターアカウントを利用している。

p.185

フランシスコ教皇の2020年の灰の水曜日の一般謁見(2020年2月26日)

バチカン・ニュース(日本語)。「・・・四旬節はテレビや携帯電話を消して、聖書を開き、福音に親しむように・・・」

p.189

『MITテクノロジーレビュー』、イーサン・ザッカーマン、「『国民総カメラマン』時代に警察の暴行を止められない理由」(2020年6月11日)

映像には「人々に衝撃を与え、憤慨させ、制度的な変更を要求する人々を動員する力」がある。

p.194

ツイッター・ジャパン、「災害に備えるためのTwitter活用法」(2019年8月5日)

災害時のライフラインとしてのツイッター利用について。

p.202,207

カトリック中央協議会、第48回『世界広報の日』教皇メッセージ「真正な『出会いの文化』に資するコミュニケーション」(2014年5月25日)

「大胆に、デジタル世界の市民になりましょう。」「自分と異なる人々を理解しようとするなら、忍耐もまた必要です。」

「世界広報の日メッセージ」で重要なのは他に、

第36回(2002年1月24日、ヨハネ・パウロ二世「インターネット 福音宣教の新たな場・フォーラム」)

第52回(2018年5月6日、フランシスコ「フェイクニュースと平和的ジャーナリズム」)

第53回(2019年5月26日、フランシスコ「ソーシャル・ネットワーク・コミュニティから人間共同体へ」)

など。

p.209

Eytan Bakshy et al., ‘Role of Social Networks in Information Diffusion,’ “WWW '12: Proceedings of the 21st international conference on World Wide Web,” April 2012, pp.519-528。(pdf)

フェイスブックは閉じた仲間内で情報を共有し合っていて情報が拡散しにくいとの批判に対して、日常的にやり取りのない人から受ける情報の方が多いという調査結果の報告。


タグ:SNSと伝道

「SNSと伝道」参考文献(増補・五十音順) [書籍紹介・リスト]


CIMG3153_trim_L.jpg

日本基督教団宣教研究所委員会編『宣教の未来 五つの視点から』(日本キリスト教団出版局)が、2021年12月1日付で発行され、この中に、拙文「SNSと伝道――教会もSNSをすべき理由」が収録されました。

参考文献は、便宜がよいと思って

  • 1.ネットやSNSの教会での利用について
  • 2.インターネットやSNSに関する文献
  • 3.震災時におけるSNS、流言・デマについて
  • 4.メディア論の観点から記された文献で参考にしたもの
  • 5.現代社会を読み解く上で参考にした文献
  • 6.その他(統計資料、新聞記事、Webサイトは除く)

と分類して記しましたが、五十音順もあったほうがよいと思うので、以下には五十音順で記します。

なお、参考文献に記したのは、論文誌などは避け、翻訳も最小限にとどめ、読みやすい新書などを中心に取り上げました。

(※)印は、掲載しなかった統計資料や掲載し忘れたもの。

教団出版局目 次|参考文献|リンク集索 引参考文献に挙げなかった文献

参考文献(五十音順)

あ行

  • アイゼンステイン,E.L.(別宮貞徳訳)、『印刷革命』、みすず書房、1987年。拙論p.159の注1で言及。最初の印刷聖書は「42行聖書」であり贖宥状も印刷されたなど、活版印刷技術はプロテスタントのみならずカトリックにも大きな影響を与えた。
  • 朝生鴨、『中の人などいない――@NHK広報のツイートはなぜユルい?』(新潮文庫 あ-82-1)、新潮社、2015年。2012年単行本に「文庫版あとがき」を加えて文庫化。拙論p.211で、SNSはパソコンでやった方が冷静に発言できるという指摘で参照した。この書には、東日本大震災の時にNHKテレビの地震関連の放送が無断でネットに転載されたことに対し、極めて緊急時ということでNHK広報部のツイッター担当者(この書の著者)が個人的判断でそれを認めた顛末が記されている。これを機に、各テレビ局は公式にインターネットでの放送に乗り出すことになった(徳田雄洋、『震災と情報――あのとき何が伝わったか』(岩波新書)、岩波書店、2011年、p.25)。
  • 東浩紀、『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』(講談社文庫)、講談社、2015年。2011年単行本(講談社)に宇野重規との対談とあとがきを加えて文庫化。ルソーを読み解きながら、熟議の成り立たない時代にネットの中に一般意志を見出すことで熟議によらない民主主義の可能性を論じる。拙論p.171で文庫版p.144を参照した。ネットは人々の忘れたことも記憶しているが、それは、単にネットのどこかに情報が残り続けるというだけでなく、ネットが人のコントロールを超えたところで人間の「無意識」を可視化するという特徴をもっていることによる。
  • 天野彬、『SNS変遷史――「いいね!」でつながる社会のゆくえ』(イースト新書118)、イースト・プレス、2019年。拙論注15、24、39、136、148で参照・引用。
  • 生駒孝彰、『ブラウン管の神々』、ヨルダン社、1987年。拙論p.160注6で石井研士「情報化と宗教」と共に紹介。1970年代以降のアメリカで、テレビが新しい伝道手段として注目される中に登場したテレビ伝道師と呼ばれる人たちを紹介し、その興隆の背景を論じている。
  • 生駒孝彰、『インターネットの中の神々――21世紀の宗教空間』(平凡社新書19)、平凡社、1999年。第1章で、アメリカにおける1921年のラジオ伝道の始まりから、1950年代から始まり80年代のいくつかのスキャンダルで衰退していくテレビ伝道の時代、そしてインターネット時代への流れを概説している。第2章以降は、さまざまな教派やキリスト教系新宗教の状況やホームページの紹介。この頃は、検索したらこんなページがありましたという程度の内容でも本になっていた。
  • 石井研士「情報化と宗教」、『アメリカの宗教――多民族社会の世界観』(井門富二夫編)、弘文堂、1992年、pp.242~265。拙論p.160注6で紹介。テレビ伝道師(テレヴァンジェリスト)について、彼らが影響力をもったのは、放送を通して視聴者に直接訴えかけることができただけでなく、視聴者からの大量な電話や手紙に適切に対応するコンピューターシステムがあったからと分析する。彼らには放送局から番組枠を購入するための多額の資金が必要であり、勢い献金の呼びかけが重要になる。すると、彼らを支援したいと視聴者に感じさせる演出とメッセージへと傾き、“テレヴァンジェリストに経済的援助を行えばあなたは神から数倍の祝福を受ける”という神学に至る。
  • 石井研士「ラジオと宗教」、石井研士他、『高度情報化社会と宗教に関する基礎的研究』(平成11年度~14年度科学研究費補助金 基盤研究(B)(2)研究成果報告書)、2003年。ネットにpdfあり。この中に、川島堅二「日本基督教団所属教会のインターネット利用調査」もあり。拙論p.159注5で参照。
  • インターネット白書編集委員会編、『インターネット白書2019――デジタルファースト社会への大転換』、インプレスR&D、2019年。(※)拙論p.191注98で参照。
  • インターネット白書編集委員会編、『インターネット白書2020――5Gの先にある世界』、インプレスR&D、2020年。(※)拙論p.163注16、p.205注132で参照。
  • 宇野常寛、『遅いインターネット』、幻冬舎、2020年。拙論p.208注136で引用・参照。
  • 江田智昭、『お寺の掲示板』、新潮社、2019年。拙論p.227注164で紹介。寺院の山門掲示板に書かれた巧みな警句や奇想天外な名言を集め、解説。「輝け! お寺の掲示板大賞2018」から生まれた本。第2弾も2021年に出ている。キリスト教会もSNSや道行く人にちょっとでも目に留めてもらえるような説教題をつけたらどうか。
  • 海老沢有道「キリシタン版」、『日本キリスト教歴史大事典』、教文館、1988年。この大事典のp.416-417の見開きで、現存しているすべてのキリシタン版について、書名、刊行地、刊行年、言語、所在などを一覧表にしている。
  • 大澤真幸、『電子メディア論――身体のメディア的変容』、新曜社、1995年。拙論p.205注131で紹介。ネットを介してのコミュニケーションは身体性が薄れるが、一人ひとりの興味関心に応じて届けられる情報は個人の内面に直接入っていくことができる。
  • 大澤真幸、吉見俊哉、鷲田清一編、『現代社会学事典』、弘文堂、2012年。(※)拙論p.196注108で参照。社会学における「マタイ効果」の項を調べた。ネット利用に関しては「マタイの法則」という言い方がよく用いられている。この語を紹介していたのは、橋元良明『メディアと日本人』(岩波新書、2011年)の他、松下慶太『デジタル・ネイティブとソーシャルメディア――若者が生み出す新たなコミュニケーション』(教育評論社、2012年)。
  • 大嶋重徳、『若者と生きる教会――伝道・教会教育・信仰継承』、教文館、2015年。拙論p.218注153で参照。SNS利用は若者に委ねることができる重要な奉仕である。はらはらすることもあるが、牧師や年長者は若者の多少の行き過ぎにはじっと我慢することが、これからの教会につながる。
  • 荻上チキ、『ウェブ炎上――ネット群集の暴走と可能性』(ちくま新書683)、筑摩書房、2007年。拙論p.183注72で参照。「炎上」についての基本文献の一つ。
  • 荻上チキ、『検証 東日本大震災の流言・デマ』(光文社新書518)、光文社、2011年。拙論p.186注83、p.188注85、p.193注102で参照。東日本大震災が起きた際に発生した様々な流言・デマを収集し解説している本で、SNS利用の際にも、具体的な事例を多く知っておくことが流言・デマを見分けてその発信者や拡散者にならないために有益。
  • 荻上チキ「炎上の構造」、川上量生監修『ネットが生んだ文化』、角川学芸出版、2014年。拙論p.183注72で、炎上に関する有用な文献として紹介。
  • 小木曽健、『ネットで勝つ情報リテラシー――あの人はなぜ騙されないのか』(ちくま新書1437)、筑摩書房、2019年。拙論注48,59,92,147で参照。「ネットで勝つ」とか「なぜ~なのか」とか新書っぽいウケを狙ったタイトルだが、内容は、ネット情報には発信者の動機や目的による思い込みや偏りがあることや、理不尽な批判に対する「スルースキル」や発信する側として「玄関ドアに貼れるか」という視点の大切さなど、初心者向けのネット情報リテラシーの入門書で読みやすくおすすめ。
  • 奥田知志、『もう、一人にさせない――わが父の家にはすみか多し』、いのちのことば社、2011年。拙論p.197で引用(注110)。社会的弱者に対するネット上での匿名の差別的な発言の例として、この本で紹介されている、ホームレス支援団体のネット掲示板に書き込まれた文章を紹介した。
  • 尾崎太一(綿村英一郎監修)、「SNSとうまくつきあうための心理学」、『Newton』第40巻12号(2020年10月号)、ニュートンプレス、pp.102~109。拙論p.179注55で参照。SNSで「いいね」をもらうと、アルコールやたばこを摂取したときと同様に、脳の報酬系と呼ばれる快感をもたらす神経回路が働くという。

か行

  • 片柳弘史、「SNSと文書伝道」、『キリスト教書総目録2020』(No.31)、キリスト教書総目録刊行会、2019年、p.vi~viii。拙論中での参照はないが、教皇ベネディクト16世と教皇フランシスコが「世界広報の日メッセージ」で語ったインターネットに関する言葉を紹介していること、良い文章、良い写真が相手の共感を呼ぶこと、あっという間に流れ去っていく情報の中で時間を越えて有益な情報を集めて本にすることで、SNSが文章伝道につながっていることを語っている。
  • 金子郁容、『ボランティア――もうひとつの情報社会』(岩波新書235)、岩波書店、1992年。
  • 香山リカ、『ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか』(朝日新書464)、朝日新聞出版、2014年。
  • 川島堅二「インターネットの宗教的活用の現状と可能性について――アメリカのキリスト教会の調査から」、『恵泉女学園大学人文学部紀要』第9号、pp.53~74、1997年1月。アメリカのキリスト教会(ルター派、長老派、聖公会)がインターネットをどのように利用しているかの調査結果とこれからの可能性について。調査の時期が記されていないが、1996年頃だろう。キリスト教会のインターネット利用に関する、日本における史上最初(?)の論文。ネットにpdfあり。
  • 川島堅二「日本基督教団所属教会のインターネット利用調査」、『高度情報化社会と宗教に関する基礎的研究』(平成11年度~14年度科学研究費補助金 基盤研究(B)(2)研究成果報告書)、2003年。ネットにpdfあり。この中に、石井研士「ラジオと宗教」もあり。拙論p.160注8で参照。
  • 木村忠正、『デジタルネイティブの時代――なぜメールせずに「つぶやく」のか』(平凡社新書660)、平凡社、2012年。
  • 久米淳嗣「判断を保留することができる教会を」、『ミニストリー』vol.24(2015年冬号)、キリスト新聞社、pp.12~13。
  • 小原克博、野本真也、『よくわかるキリスト教@インターネット』、教文館、2003年。
  • 近藤勝彦「インターネット時代における説教者の姿勢」、『東京神学大学学報』No.270(2012年7月)、p.6。

さ行

  • 佐々木裕一、『ソーシャルメディア四半世紀――情報資本主義に飲み込まれる時間とコンテンツ』、日本経済新聞出版、2018年。拙論注22、40、114、123、124、125、134、136で参照・引用。ソーシャルメディアに限らず、不特定多数との情報共有が可能な電子掲示板や商品レビューサイト、Q&Aサイト、ブログなども含めた、利用者が誰でも簡単に投稿できるウェブサイトを「ユーザーサイト」と呼び、テクノロジーのみならず、制度、サービスや利用者による受容実態などから、ユーザーサイトの歴史をたどる。特に、収益モデルの変遷に関心を置いている。投稿と参加型メディアの源流として初期の『ロッキング・オン』までさかのぼっている。
  • 佐藤卓己、『メディア社会――現代を読み解く視点』(岩波新書新赤版1022)、岩波書店、2006年。2004年末~2005年の時事ニュースをメディア論から読み解いた、地方新聞連載記事を元にした50編。著者が『現代メディア史』(岩波テキストブックス)で述べている視点が具体的な時事問題に即して語られている。一つ一つの記事が短くて読みやすいが、時事ニュースから語っているので今やout-of-date感が強い。拙論では注44で、ピューリタンたちが生涯に3000回の説教を聞いたのに対し、現代の平均的なアメリカ人は生涯に700万回以上の情報を浴びている話を参照、引用。
  • 佐藤卓己編、『岩波講座 現代9 デジタル情報社会の未来』、岩波書店、2016年。この中の、佐藤俊樹「制度と技術と民主主義――インターネット民主主義原論」、荻野チキ「『ネット社会の闇』とは何だったのか――ウェブ流言とその対処」、和田伸一郎「『新デジタル時代』と新しい資本主義」。
  • 佐藤卓己、『現代メディア史 新版』(岩波テキストブックス)、岩波書店、2018年。
  • 佐藤卓己、『流言のメディア史』(岩波新書新赤版1764)、岩波書店、2019年。
  • 師岡康子、『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書1460)、岩波書店、2013年。
  • 『信徒の友』2019年9月号、日本キリスト教団出版局。特集「SNSと伝道 福音つぶやいてますか」
  • 春原禎光「教会とIT」、『季刊 教会』No.98、2015年春号、pp.56~57。
  • 総務省編、『情報通信白書』平成29年版~令和2年版。(※)

た行

  • 武田隆、『ソーシャルメディア進化論』、ダイヤモンド社、2011年。拙論p.190注95で参照(注を付けるほどではなかったかも)。この文献は、ソーシャルメディアを、関係構築か情報交換かの軸と、拠って立つところが価値観か実名性の高い現実生活かの軸で、4象限に分けて考察している。後半(第4章以降)は企業と消費者を結ぶ企業コミュニティ構築の話なので読む必要はない。
  • 橘木俊詔、『日本の経済格差――所得と資産から考える』(岩波新書590)、岩波書店、1998年。
  • 橘木俊詔、『格差社会――何が問題なのか』(岩波新書1033)、岩波書店、2006年。
  • 田中辰雄、山口真一、『ネット炎上の研究――誰があおり、どう対処するのか』、勁草書房、2016年。拙論注72、73、75で参照・引用。5年以上経った現在では状況や見方が変化している面も多いが、ネット炎上について論じる際にまず参照すべき基本かつ重要文献。特に、炎上に荷担しているのはごく一部の特殊なユーザーであり、直接攻撃してくるのは通常の議論が困難なかなり特異な人であることを定量的な実証分析によって明らかにしている。
  • 千葉雅也、『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』、河出書房新社、2013年。後に文庫化されている(河出文庫、2017年)。拙論ではp.199注116で「過剰な接続を切断する」ことの必要性を指摘しているものとして紹介した。とは言え、難解なので「序――切断論」しか読んでません。接続過剰(つながりすぎ)は、すべての要素を互いに接続したいという「妄想」の中に私たちを閉じ込める。(p.18,50あたり)
  • 津田大介、『Twitter社会論――新たなリアルタイム・ウェブの潮流 』(新書y 227)、洋泉社、2009年。拙論p.166注24、p.172注41で参照。ツイッターの特徴を説明する第1章は現在でも有用。第2章以降は、著者のツイッター活用術(第2章)、ジャーナリズム、政治、ビジネスでのツイッターのインパクト(第3章)、最後は勝間和代との対談で、今や読まなくてよい。
  • 津田大介、『情報の呼吸法』(Idea Ink01)、朝日出版社、2012年。
  • 津田大介、『動員の革命――ソーシャルメディアは何を変えたのか』(中公新書ラクレ415)、中央公論新社、2012年。
  • 津田大介、『情報戦争を生き抜く――武器としてのメディアリテラシー』(朝日新書696)、朝日新聞出版、2018年。
  • デジタルコンテンツ協会企画編集(経済産業省商務情報政策局監修)、『デジタルコンテンツ白書2020』、デジタルコンテンツ協会、2020年。(※)
  • 伝道アイデアパンフレット編集の会編、『伝道アイデアパンフレット』、日本基督教団伝道委員会、2012年。(※)ぜひ、数年ごとに改訂を繰り返してほしい。
  • トキオ・ナレッジ、『スルーする技術』(宝島社新書)、宝島社、2013年。拙論p.174注48で、「スルーする」ことの重要さを指摘している文献として、小木曽健『ネットで勝つ情報リテラシー』(筑摩新書、2019年)と共に紹介。通俗的な筆致で読みやすく、おすすめ。面白おかしく書いているので、自分の役に立ちそうな所だけ受け取って、後は話半分でスルーすること。第1章が「ネットのスルー力を高める」で重要。残りの章は仕事や人間関係などリアルの社会でのスルー力やアンガーマネジメント。「トキオ・ナレッジ」は80-90年代のホイチョイ・プロダクションみたいなノリ(?)の知識集団っぽいが、『赤毛のアン』に出てくる「神は天にいまし。世はすべて事もなし」を引用する(p.162)など、教養もある。Amazonにカスタマーレビューを書いた。
  • 徳田雄洋、『震災と情報――あのとき何が伝わったか』(岩波新書 新赤1343)、岩波書店、2011年。拙著p.193注101で、災害時の状況把握に関して、マスメディアよりもSNSによる草の根的な情報発信が大きな役割を果たしたことを強調して述べている文献として参照。この書では、マスメディアではローカルな情報が取り上げられないだけでなく、当時のマスメディアが政府や東電の公式発表を繰り返すばかりで、本当に必要な情報や知識が得られず、ウェブやSNSが様々な見解を知るのに役立ったことが述べられている。

な行

  • 中澤佑一、『インターネットにおける誹謗中傷 法的対策マニュアル(第3版)』、中央経済社、2019年。(※ お名前が「祐」ではなく「佑」でした。すいません。)初版2013年、第2版2016年。タイトルの通り、ネットで誹謗中傷を受けた際の法的な対応の仕方のマニュアル。
  • 中山信児「感染症禍における礼拝と教会の営み」、『礼拝と音楽』No.186(2020年8月)、日本キリスト教団出版局、p.44~48。

は行

  • 芳賀力、「承認を求める人間――信仰義認論の現代的意義」、『神学』78号、東京神学大学神学会、2016年、pp.5~23。
  • 橋元良明、『メディアと日本人――変わりゆく日常』(岩波新書新赤版1298)、岩波書店、2011年。
  • バートレット,ジェイミー(秋山勝訳)、『操られる民主主義――デジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するか』、草思社、2018年。(※)山口二郎『民主主義は終わるのか』(岩波新書、2019年)の中で言及されているとして紹介。
  • 帚木蓬生、『ネガティブ・ケイパビリティ――答えの出ない事態に耐える力』(朝日選書958)、朝日新聞出版、2017年。
  • パリサー,イーライ(井口耕二訳)、『閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義』、早川書房、2012年。(※ 本では2021年となっているが2012年の間違い。すいません。)後に『フィルターバブル――インターネットが隠していること』と改題されて文庫化(ハヤカワ文庫NF459、2016年)。拙論p.190注94で紹介。「フィルターバブル」という概念を提起し、その危険性を指摘している本として重要。ネット利用におけるパーソナライゼーションは、物事の認知を歪め、世界や社会の認識を偏らせ、創造性を損ない、一人ひとりのアイデンティティを左右し、世論を操作し、民主主義を機能不全にする。
  • 張田眞「超高齢社会、教会員の高齢化の時代です」、『福音主義教会連合』2019年2、3、4、6月。拙論p.218注155で、主として教会員向けにSNSを利用した取り組みの例として紹介。
  • 平野克己「編集後記」、『ミニストリー』Vol.19(2013年秋号)、キリスト新聞社。拙論p.224注160で引用して紹介。日曜日以外に牧師の安息日を設けるべきなのは、本人の健康のためではなく、共に生きる者たちが休むためである。
  • 平野克己、『説教を知るキーワード』、日本キリスト教団出版局、2018年。拙論p.227で引用。「説教題は教会の前を通る人々への招きの言葉、福音の告知の機能を担っている。」
  • 蛭沼寿雄、『新約本文学史』、山本書店、1987年。この書のp.11に「42行聖書」が最初の印刷聖書として挙げられている。また、「序」の中での「印刷本を作成するということに当面して始めて、真の意味における本文研究が開始された」という指摘は重要。キリスト教が技術やメディアを利用するだけでなく、技術やメディアによってキリスト教が深められていく。
  • 藤代裕之、『ソーシャルメディア論――つながりを再設計する』、青弓社、2015年。2019年に改訂版が出ている。大学の社会科学系の「情報メディア論」などの教科書で、ソーシャルメディア論の基本的な論点の全容を知るためにおすすめ。全15章で、章ごとの注や文献ガイドが親切。拙論p.171注39、p.203注124で引用・参照。
  • 部落解放・人権研究所編(谷口真由美、荻上チキ、津田大介、川口泰司著)、『ネットと差別扇動――フェイク/ヘイト/部落差別』、解放出版社、2019年。
  • ベンヤミン,ヴァルター(浅井健二郎編訳、久保哲司訳)、『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』(ちくま学芸文庫)、筑摩書房、1995年。この中の「複製技術時代における芸術作品」。
  • 本條晴一郞・遊橋裕泰、『災害に強い情報社会――東日本大震災とモバイル・コミュニケーション』、NTT出版、2013年。拙論p.219注156で参照。p.193の「大規模災害時の情報発信」でも紹介すればよかった。災害時の不安定な状況での情報発信について、自分が社会に対してどのような便益を提供できるかを考えておき、人間のポジティブな能動性に期待して「好意の回路を形成していくこと」の重要さを主張している点が重要。通信設備の損壊や停電時におけるツイッターのシンプルな機能の有効性も指摘している。その他、被災地でどこに行けば携帯電話の電波がつながるかが人から人へと伝えられた事例を「インターネット的」(糸井重里)なリンクとシェアによるフラットな情報伝達だとして焦点を当てて議論を展開しているのが特徴的。

ま行

  • 毎日新聞取材班、『SNS暴力――なぜ人は匿名の刃をふるうのか』、毎日新聞出版、2020年。拙論p.183注72で、炎上に関する文献の一つとして紹介。木村花さんの事件をきっかけに連載された新聞記事を元に、大幅に取材を加えてまとめられたもの。
  • 『毎日新聞用語集2020年版』、毎日新聞。(※)『毎日ことば』、「「SNS」――「説明は必要」とする人が多数派だが…」(2020年5月1日)で紹介されていることに言及。
  • 松岡正剛、『フラジャイル 弱さからの出発』、筑摩書房、1995年。
  • 松岡正剛、『知の編集工学』、朝日新聞社、1996年。
  • 松田美佐、『うわさとは何か――ネットで変容する「最も古いメディア」』(中公新書2263)、中央公論新社、2014年。
  • 森本あんり、『異端の時代――正統のかたちを求めて』(岩波新書新赤1732)、岩波書店、2018年。

や行

  • 八木谷涼子、『もっと教会を行きやすくする本――「新来者」から日本のキリスト教界へ』、キリスト新聞社、2013年。
  • 安田浩一、『ヘイトスピーチ――「愛国者」たちの憎悪と暴力』(文春新書1027)、文藝春秋、2015年。
  • 山口二郎、『民主主義は終わるのか――瀬戸際に立つ日本』(岩波新書新赤1800)、岩波書店、2019年。
  • 山田健太、『3・11とメディア――徹底検証 新聞・テレビ・WEBは何をどう伝えたか』、トランスビュー、2013年。拙論p.193注102で参照。主に新聞・テレビでの震災関連報道における問題を分析しているが、その中の第3章「新興メディアは何を担ったか」で、ソーシャルメディアが果たした役割を新聞・テレビなど伝統メディアとの関わりの面から検証する。索引と参考文献一覧は省略され、「山田健太研究室ウエブサイト」を見るようにと書かれているが、今やもう残骸のみで該当するページは見当たらない。
  • 山竹伸二、『「認められたい」の正体――承認不安の時代』(講談社現代新書2094)、講談社、2011年。拙論p.198注115で参照、紹介。近代以前の西欧社会ではキリスト教の価値観が社会共通にあってその中で自己の存在価値も見出されていたが、近代以降、多様な価値観と出会うようになって普遍的な価値基準がなくなり、自己の存在価値を確認できず承認不安に陥っている。なお、後によりとっつきやすく(?)書かれたものに、『ひとはなぜ「認められたい」のか ――承認不安を生きる知恵』(ちくま新書、2021年)がある。
  • 吉見俊哉、『メディア文化論――メディアを学ぶ人のための15話』改訂版、有斐閣、2012年。2004年初版の改訂版。拙論p.159注4、p.171注39、p.188注86、p.205注131で参照。メディアの文化との関わりの面での基礎的な論点を通覧した、大学3年次向けくらい(有斐閣アルマSpecialized)の教科書で、ソーシャルメディアを考える上でも重要。各章ごとの文献案内も有用。

ら行

  • ラケット,オリバー、ケーシー,マイケル(森内薫訳)、『ソーシャルメディアの生態系』、東洋経済新報社、2019年。拙論注58、125、129で参照。
  • レッシグ,ローレンス(山形浩生、柏木亮二訳)、『CODE――インターネットの合法・違法・プライバシー』、翔泳社、2001年。及び、改訂版(山形浩生訳)、『CODE VERSION 2.0』、翔泳社、2007年。拙論p.203注125で参照。

(こまめに加筆中、the last update:2022.2.10)


タグ:SNSと伝道

「SNSと伝道」目次 [書籍紹介・リスト]


CIMG3153_trim_L.jpg

日本基督教団宣教研究所委員会編『宣教の未来 五つの視点から』(日本キリスト教団出版局)が、2021年12月1日付で発行されました。

この中に、拙文「SNSと伝道――教会もSNSをすべき理由」が収録されました。以下に、その目次を記します。

教団出版局|目 次|参考文献リンク集索 引参考文献に挙げなかった文献

はじめに

新しいメディアと教会/本稿の内容/詳しくない人のために

Ⅰ SNSと現代社会

1.SNSの概要

  • (1)SNSとは
  • (2)主なSNS
  • (3)SNSの特徴
  • (4)新しいメディアとして

2.ネットの情報空間の特徴

  • (1)情報過多
  • (2)信頼性のない情報
  • (3)無法地帯
  • (4)複製の容易さ

3.ネットでのコミュニケーションにおける危険性

  • (1)不特定多数との交流
  • (2)匿名性
  • (3)発言の過激化
  • (4)誹謗中傷とヘイトスピーチ
  • (5)行き過ぎた悪ふざけと炎上
  • (6)ネット依存・ネット中毒
  • (7)個人情報の流出、個人の特定
  • (8)流言・デマ

4.現代社会とSNS

  • (1)SNSで波及した不正の告発と反政府運動
  • (2)分極化するネット空間
  • (3)フェイクニュースとポスト真実
  • (4)大規模災害時の情報発信
  • (5)ネットの中の人々と現代社会
  • (6)現代に生きる人々に福音を伝える教会

Ⅱ 教会の情報発信

1.教会もSNSで情報発信すべき理由

  • (1)SNSも人々がいる社会であるから
  • (2)アカウントがなければ存在しないのと同じ
  • (3)生きて活動していることを知らせる
  • (4)どこかの誰かのために
  • (5)SNSでの伝道――なぜSNSか

2.特徴を生かした情報発信を

  • (1)一人ひとりの興味・関心の中へ
  • (2)伝道しなきゃと力まずに
  • (3)「どうぞお近くの教会へ」
  • (4)情報をつなぎ合わせる

Ⅲ 教会の具体的なSNS利用

1.SNSの選び方

  • (1)多くの人が利用しているSNSを
  • (2)どれか一つを選ぶとしたら
  • (3)複数のSNSを使う?
  • (4)パソコンでやるかスマホでやるか

2.SNSでの情報発信

  • (1)ホームページとの使い分けを
  • (2)Twitterに投稿する内容――何をつぶやく?
  • (3)Twitterでのコミュニケーション術――無理せず、楽しく、コツコツと

3.教会でのSNS運用のポイント

  • (1)誰が担当するか
  • (2)教会の活動として位置づける
  • (3)投稿の頻度について
  • (4)教会員への配慮
  • (5)失敗を恐れず、現実に囚われず

Ⅳ キリスト者のSNS、牧師とSNS

1.キリスト者もSNSを

  • (1)キリスト者としてSNSをする意義
  • (2)SNSは簡単に始められる
  • (3)自分から情報発信する楽しさ

2.牧師とSNS

  • (1)SNSのある牧師の日常生活
  • (2)牧師の情報発信
  • (3)牧師は実名・顔出しすべきか
  • (4)説教のネットへの掲載について
  • (5)説教題について
  • (6)SNSで牧会相談できるか

最後に

工夫やアイディアの共有を/可能性にチャレンジ/まことの礼拝へ

謝辞

文献

  • 1.ネットやSNSの教会での利用について
  • 2.インターネットやSNSに関する文献
  • 3.震災時におけるSNS、流言・デマについて
  • 4.メディア論の観点から記された文献で参考にしたもの
  • 5.現代社会を読み解く上で参考にした文献
  • 6.その他(統計資料、新聞記事、Webサイトは除く)(注での言及順)


タグ:SNSと伝道

エレミアスのイエスの譬話 [書籍紹介・リスト]


ヨアヒム・エレミアスの『イエスの譬話』の各版についての整理。

「C.H.ドッドと共に、イエスのたとえの終末論的な性格を強調したが、イエスにおいては実現した終末論ではなくて、むしろ「実現しつつある終末論」が問題になっていることを明らかにした。」

今井誠二「エレミアス、ヨアヒム」の項、『聖書学用語辞典』日本基督教団出版局、2008年。

Joachim Jeremias, 1900.9.20-1979.9.6。

(2019年は没後40年。2020年は生誕120年。)

なお、『聖書学用語辞典』(日本基督教団出版局、2008年初版)の「エレミアス、ヨアヒム」の項(今井誠二)では、綴りがJoahimになっている。

1.学術版

ドイツ語で、"Die Gleichnisse Jesu," 1947初版、1965第7版。

1947年初版は118頁。1952年第2版は174頁と大きく改訂された。1954年第3版は僅かな修正のみ。1956年第4版はさらに「頁ごとに手が加えられ、特に釈義的注の拡大に重点がおかれて」(善野碩之助訳『イエスの譬え』、「あとがき」p.263)、208頁。その後さらに、増補改訂された1962年第6版は242頁。1965年第7版は第6版を校訂したもの。

Jeremias_The Parables of Jesus原著.JPG

この英訳は、ドイツ語1954年第3版からS.H. Hooke訳で、"The Parables of Jesus," 1954初版, 1972第2版。

2.ドイツ語普及版

ドイツ語学術版第7版から「純粋に専門的な言語資料に関する注や引用文献などの脚注を短縮または省略した」(善野碩之助訳『イエスの譬え』の「あとがき」p.263)普及版が、学術版と同タイトル(というところがややこしい)で、"Die Gleichnisse Jesu," 1965.

1972年に改定版が出ている。誤植の訂正と、「十人の処女の譬え」の解釈についてだけ、若干の変更を加えたとのこと。

3.英語普及版

S.H. Hooke訳、"Rediscovering the Parables," 1966.

普及版の英訳は、原著のドイツ語普及版と異なり、学術版とは別のタイトルである。

この英語普及版(1966年)では、ドイツ語普及版の方では1972年の版になって改訂される内容がすでに反映されているとのこと。

4.普及版の邦訳

邦訳は普及版のみで、学術版の邦訳はないが、「本文には全く変わりがない」(善野碩之助訳『イエスの譬え』、「あとがき」p.263)とのこと。

エレミアス(善野碩之助訳)『イエスの譬え』.JPG

善野碩之助訳、『イエスの譬え』(現代神学叢書41)、新教出版社、1969。

6+272+14頁、2005年からオンデマンドで3000円+税。

ドイツ語普及版の1966年第2版からの邦訳。ただし、ところどころ学術版から注を補足したとのこと。というわけで、注が全く付けられていないわけではない。

南條俊二訳、『イエスのたとえ話の再発見』、新教出版社、2018。

298頁、3000円+税。

英語普及版の第5刷1993年を底本とした翻訳。

役者はカトリック信徒。

この南條訳は孫訳であるものの、善野訳以降の改訂が反映されるらしいし、善野訳が難解なドイツ語からの難解な邦訳であったので英訳を元により分かりやすく訳したようだが、善野訳はそれほど難解な日本語ではない(どちらかというとある程度専門的な知識は必要)ので、善野訳を持っていれば、わざわざ買う必要はなさそう。


聖書の植物事典・図鑑 [書籍紹介・リスト]


聖書に出て来る植物の事典や図鑑の紹介。

1.何よりも

廣部千恵子『新聖書植物図鑑』.JPG

廣部千恵子(横山匡:写真)、『新聖書植物図鑑』、教文館、1999年、166頁、B5判、上製、4500円+税。

  • 写真はすべてカラー。
  • 聖書に出て来る植物を網羅。
  • 新共同訳聖書での訳語で見出し。
  • 和名、学名、ヘブライ語やギリシア語表記も明記。必要に応じて英語名も。
  • 20回に渡る現地調査をもとに解説。
  • 野の花、茨とあざみ、樹木、水辺の植物、畑の産物、香料と野草、砂漠の植物の7つに分類して配列。
  • それゆえ「事典」ではなく「図鑑」だが、日本語索引、外国語索引、聖句索引と、索引も充実。
  • 最低限、これだけでも、教会の図書室に入れておく。

※以前、清泉女子大学のサイト内に廣部千恵子のホームページがあって、聖書の植物その他の情報が豊富にあったのだが、大学を退官されたため、なくなってしまったのは残念。

2.副文献として

モルデンケ『聖書の植物事典』.JPG

H.&A.モルデンケ(奥本裕昭編訳)、『聖書の植物事典』、八坂書房、2014年、260頁、A5判、上製、2800円+税。

  • 原著は、Harold N. Moldenke & Alma L. Moldenke, "Plants of the Bible," 1952.
  • 原著が取り上げている230種の内、同定が確実なものなどを採用した全81項目だが、一つの項目の中で関連する植物も扱っている。
  • 各項目の説明文で、原著では研究者によって異なる見解も紹介されていたりするらしいが、翻訳では省略。
  • 巻頭に、編訳者による「聖書植物の研究」として、聖書の成り立ち、聖地の概要、聖書植物研究小史が置かれている(pp.25-36)。
  • 引用聖句は新改訳。
  • 索引は和名索引のみ。
  • 最初は、『聖書の植物』として植物と文化双書の一つとして1981年に出された(1991年に新装版)。今回、巻頭にカラー口絵(pp.9-24)を付し、項目に挙げている81種の写真を掲載、本文中の図版なども新しくされた。植物の科名も新分類体系に従って変更された。

3.読み物的なもの

中島路可『聖書の植物物語』.JPG

中島路可、『聖書の植物物語』、ミルトス、2000年、253頁、B6判、1600円+税。

  • 著者(なかしま・るか)は、天然物有機化学を専門とする理学博士。聖書に登場する植物を五十音順で紹介。「アーモンド」から始まる全54項目には「クリスマス・ツリー」、「ナルドの香油」「没薬」も含む。植物索引、聖書索引あり。

 

伊藤宏一『聖書の植物散歩』

伊藤宏一、『聖書の植物散歩』、キリスト新聞社、2017年、4+211頁、A5判、1200円+税。

  • いとう・ひろし。日本国内で探して自分で撮影したカラー写真がほぼすべてに添えられている(「ナルド」だけはイラスト)。それゆえ、プロの写真ではないが、どこの植物園で撮影したか文章中に記されている。
  • 言及される聖書箇所を丹念に挙げ、ギリシア神話や江戸時代の『本草綱目啓蒙』などでの記述を紹介している。
  • 47項目。

 

堀内昭、『聖書の植物よもやま話』、教文館、2019年、A5判、268+口絵6頁、1800円+税。

  • 聖書に出てくる 45種類の植物を、化学の視点から紹介(著者は化学を専門とする学者)。
  • 『聖書のかがく散歩』(聖公会出版、2012年)の中で取り上げた植物16種に、23種を追加。これらを「実と花の木の話」、「生活に欠かせない植物の話」、「スパイスとハーブ、香料の話」の3つに分けて、様々な話題と共に紹介。

4.西南学院大学

西南学院大学聖書植物園書籍・出版委員会編、『聖書植物園図鑑――聖書で出会った植物たちと、出会う。』、丸善プラネット、2017、14+119頁、1200円+税。

  • 西南学院大学に「聖書植物園」がある。これは、1999年11月に開学50周年記念事業として、9種類の植物で開園された。
  • この本は、西南学院大学聖書植物園に植えられている(キャンパス内のあちこちに植えられているらしい)100種の聖書関連の植物を、1ページに一つずつフルカラーで紹介している。写真もパレスチナの地でのものではなく、大学キャンパス内で撮られたもの。口語訳と新共同訳での訳語や同定の違いが考慮され、その植物が登場する聖句とその「聖句解説」がついているのがすばらしい。「入手と栽培方法」もある。
  • ここに挙げた本の中で最もハンディなサイズ(四六変型、ほぼB6判)。それは、この図鑑を携行してキャンパスを巡ってもらうため。
  • →出版社のページ
「我々が、梅の花に菅原道真を、桜に西行の姿を重ね合わせるように、彼の地の人々は、春先に花を咲かせるアーモンドから預言者エレミヤの人生に思いを馳せることでしょう。」

p.iii。

5.一昔前の文献

CIMG2443 (449x640).jpg

● 大槻虎男(善養寺康之、大槻虎男:写真)『聖書植物図鑑 カラー版』、教文館、1992年、26×22cm、126頁。

  • 以前、教文館から出ていたものだが、上の廣部千恵子のものに取って代わった。
  • 大槻虎男『聖書の植物』(教文館、1974年)の大幅な増補改訂版。カラー化と、ゾハリー『聖書の植物』(1982年)によって新たな知見が加わったことなどによる。
  • 第1篇は総説で、聖書植物研究の歴史やパレスチナの気候・土地・植生の状況など。第2篇で個々の植物。「もっともはっきりしている11種の植物」、「ユリとバラ」、「イバラ」と続く。
  • 巻末に、日本語索引、外国語索引、人名索引、聖句索引あり。

 

● ウイリアム・スミス編(藤本時男編訳)、『聖書植物大事典』、国書刊行会、2006年、526頁、A5判、9000円+税。

これは、1863年にイギリスで刊行されたSmith's Bible Dictionaryとして知られる"A Dictionary of the Bible"(3巻本、後に4巻本)から植物に関する項目を抜き出して翻訳したもの。原著は既にパブリックドメインになっている

(2017.5.31初投稿)

(2017.11.5改訂)

(2019.9.4, 14改訂)


並木浩一『「ヨブ記」論集成』 [書籍紹介・リスト]


並木浩一、『「ヨブ記」論集成』、教文館、2003年、373頁、3000円+税。

これに収録されている七つの論文・講演録についてのメモ。

「岩波訳」で「ヨブ記」を担当した並木浩一がその準備作業として発表した一連の論文をまとめた『「ヨブ記」論集成』は、現代の「ヨブ記」研究の最前線を示している。

山我哲雄「旧約聖書研究史・文献紹介」、『旧約聖書を学ぶ人のために』世界思想社、2012年、p.333。

序――ヨブ記の射程はわれわれに及ぶ

「ヨブ記は独立したイデーたちがぶつかり合い、対話し、対立し、葛藤の中に置かれ、影響を与え合う「多声的」世界として構築されている。」

p.13

19:26新共同訳「身をもって」(口語訳「肉を離れて」)は、応報思想に立つ友人たちへの批判として直前に語った22節口語訳「肉をもって」の相互テクストとして見るならば、「ヨブはここでは敢えて「肉」へのこだわりを破棄」して、「肉を離れて神を見るであろう」と言い切っているのである。(p.14)

1.ヨブ記における否定

原形は日本聖書学研究所編『聖書における否定の問題』(聖書学論集4)(山本書店、1967年)所収。加筆訂正して、並木浩一『古代イスラエルとその周辺』(新地書房、1979年)所収。これをさらに全面的に改稿したもの。

そういった経緯が「追記」として記されている。

題名を付け替えるとすれば、「ヨブ記における二つの思考軸」がよいかと思うとのこと(p.57)。

「本論文の着眼点の一つは、ヨブ記における救済史の重視である」(p.59)。

2.文学としてのヨブ記

並木浩一『旧約聖書における文化と人間』(聖書の研究シリーズ55)(教文館、1999年)所収。

<付論>として「24章―28章の読み方」。

『「ヨブ記」論集成』に収録に当たっての「追記」あり。

ヨブと登場人物(神を含む)との対話は、終始かみ合わない。ヨブ記はドラマではない。むしろ、異なる思想を対位法的に展開する思想劇である(p.66)。

ヨブ記のメタファーとメトニミーについて。

「ヨブの言葉は一つ一つが思想行為であり、彼の決意表明であった。」

p.92

「人は物語なしでは生きられない。」

p.95

「ヨブ記は人間の自由のための書物である。」

p.96

28章について、

「学説史的には、私見はこの章(29節を除く)〔春原注:これは28節の間違いだろう〕に友人批判の機能を認めるヴェスターマンの考え方の変形である。わたしは相互テクスト的にこの章が自己批判の役割をも持つと考える。」

p.110

3.神義論とヨブ記

関根清三、鈴木佳秀、並木浩一、『旧約聖書と現代』(教文館、2000年)所収。

神義論とは何か(ライプニッツ、カント、古代オリエント、ギリシア世界、古代教会、宗教改革者、バルト)、関根正雄の神義論、神義論としてのヨブ記。

『「ヨブ記」論集成』に収録に当たっての「追記」あり。

4.ヨブ記における相互テクスト性――二章4節および四二章6節の理解を目指して

大野惠正、大島力、大住雄一、小友聡編、『果てしなき探求 旧約聖書の深みへ 左近淑記念論文集』(教文館、2002年)所収。

枠物語と詩文部分の関係、ジュリア・クリステヴァの相互テクスト性、2:4前半のサタンの「皮には皮を」、42:6の訳し方。

「追記」はない。

5.神から叱責されて賞賛されたヨブの正しさについて

小友聡他編、『テレビンの木陰で 旧約聖書の研究と実践 大串元亮教授記念献呈論文集』(教文館、2002年)所収。

ヨブは正しく語ったのか、新共同訳「正しく」の原文「ネコーナー」について、38:2「経綸」(エーツァー)と40:8「わが権利」(ミシュパーティー)、神のミシュパートと人のミシュパート。

「追記」はない。

「第五論文では、神は人間の生活空間には属していない異次元の世界に生きる野生動物の自由を語ることで、人間の解放についての使信を送っているとの理解がなされている。ヨブ記におけるユーモアの働きが重視されなければならない。ユーモアは異質な次元の事柄を包摂し、それぞれを生かす自由な空間を提供する高度な精神の働きである。ヨブ記にはこの精神が全面的に浸透している。」

p.59

6.ヨブ記とユダヤ民族の精神

日本聖書学研究所編『聖書学論集』35、2003年所収を大幅に改訂増補。

20世紀におけるユダヤ民族の象徴としてのヨブ、『ヨブの遺訓』でのヨブ記、ラビ伝承、サラディアのヨブ論、マイモニデスのヨブ論、トマス・アクィナスのヨブ論、盛期中世のヨブ論の特色として、摂理への注目、ヨブの異邦人性の消滅、エリフの価値の上昇の三つを指摘。

「追記」はない。

「今日のヨブ記理解に意味を持つ神学的姿勢は二つの聖書〔旧約と新約〕の内容的な直結を排して、ヨブ記特有の神理解を尊重し、その上で神に差し向かう人間の姿勢において新約聖書的な神理解のあり方を準備するものを見出すような間接的な結び付け方である。・・・カール・バルトが『教会教義学』の「和解論」第三部において展開したヨブ論は、神の自由なる恵みと行動に対する「真の証人」としての側面からヨブの苦悩・発言・神への信頼を見直したものであり、貴重な神学的貢献である。

p.240-241

7.マルガレーテ・ズースマンとヨブ記

書き下ろし。

ドイツのユダヤ人女性思想家・批評家・詩人、マルガレーテ・ズースマンの紹介とヨブ記論。

ヨブ記に関する他の記事:


古屋安雄著作リスト [書籍紹介・リスト]


古屋安雄(1926.9.13-2018.4.16)の著作、訳書、編集・監修書等のリスト。

国立国会図書館検索、倉松功他編『知と信と大学――古屋安雄・古稀記念論文集』(ヨルダン社、1996年)巻末の著作一覧、春原の蔵書などによる独自調査。
古屋安雄『宗教の神学』『日本の神学』.JPG

古屋安雄の主著としては、私は、『宗教の神学』と、大木英夫との共著だが『日本の神学』あたりだと思う。

晩年の一連の日本伝道に関する提言に関する著書は、ほとんどがいろいろなところでの講演録を集めたもので、「20年周期説」はいたるところに出てくる。

著書(共著含む)

  1. 『キリスト教国アメリカ――その現実と問題』、新教出版社、1967。
  2. 『キリスト教の現代的展開 古屋安雄論文集』(今日のキリスト教双書1)、新教出版社、1969。
  3. 『プロテスタント病と現代――混迷からの脱出をめざして』、ヨルダン社、1973。
  4. 森有正、加藤常昭と共著、『現代のアレオパゴス――鼎談 森有正とキリスト教』、日本基督教団出版局、1973。
  5. 『激動するアメリカ社会――リベラルか福音派か』、ヨルダン社、1978。
  6. 『現代キリスト教と将来』、新地書房、1984。
  7. 『宗教の神学――その形成と課題』、ヨルダン社、1985。(1986再版で人名索引が付いた)
  8. 『日本をキリストへ 一千万救霊の必要性と可能性』(伝道新書シリーズ第1篇)、日本キリスト伝道会、1987。(国立国会図書館にも東神大図書館にもない。)
  9. 大木英夫と共著、『日本の神学』、ヨルダン社、1989。
  10. 古屋安雄、土肥昭夫、佐藤敏夫、八木誠一、小田垣雅也、『日本神学史』、ヨルダン社、1992。(ドイツ語版が先に出た後の日本語版)この中の「序論」を執筆。
  11. 『大学の神学――明日の大学をめざして』、ヨルダン社、1993。
  12. 『日本伝道論』、教文館、1995。論文・講演録等11本と説教8本。「日本の教会」は『神学』53号(東京神学大学)に初出。
  13. 藤和明編著、並木浩一、古屋安雄著、『聖書を読むたのしみ』(ICU選書)、光村教育図書、1999。この中の「第2部 新約聖書の根本思想」を執筆。
  14. 『日本の将来とキリスト教』、聖学院大学出版会、2001。
  15. 『日本のキリスト教』、教文館、2003。(2004再版)
  16. 『キリスト教国アメリカ再訪』、新教出版社、2005。
  17. 『キリスト教と日本人――「異質なもの」との出会い』、教文館、2005。
  18. 『神の国とキリスト教』、教文館、2007。
  19. 阿部志郎、雨宮栄一、武田清子、森田進、古屋安雄、加山久夫、『賀川豊彦を知っていますか――人と信仰と思想』、教文館、2009。この中の「伝道者としての賀川豊彦」を執筆。
  20. 『なぜ日本にキリスト教は広まらないのか――近代日本とキリスト教』、教文館、2009。講演録や論文(書き下ろしもある)など11本。
  21. 『日本のキリスト教は本物か?――日本キリスト教史の諸問題』、教文館、2011。
  22. 『宣教師――招かれざる客か?』、教文館、2011。日本と宣教師の関わり全般に渡る27項目。一つひとつは短い。「これまで書いたものは、みなある雑誌に連載したものであるが、本書に書いたものはみな、「書き下ろし」である。」(あとがき、p.125)。
  23. 『キリスト教新時代へのきざし ――1パーセントの壁を超えて』、オリエンス宗教研究所、2013。
  24. 『私の歩んだキリスト教――一神学者の回想』、キリスト新聞社、2013。

訳書

  1. カール・バルト(ゴッドシー編)、『バルトとの対話』(新教新書115)、新教出版社、1965。
  2. ラインホールド・ニーバー、『教会と社会の間で――牧会ノート』、新教出版社、1971。
  3. J.マッコーリー、『現代倫理の争点――状況倫理を超えて』、ヨルダン社、1973。
  4. ティリッヒ「プロテスタント時代」(抄訳)、『現代キリスト教思想叢書8(ティリッヒ、ニーバー)』、白水社、1974。
  5. ティリッヒ(栗林輝夫と共訳)、『キリスト教と社会主義』(ティリッヒ著作集 第1巻)、白水社、1978。(1999新装復刊)
  6. ティリッヒ、『プロテスタント時代の終焉』(ティリッヒ著作集 第5巻)、白水社、1978。(1999新装復刊)
  7. P.レーマン(船本弘毅と共訳)、『キリスト教信仰と倫理』、ヨルダン社、1992。
  8. ヤン・ミリチ・ロッホマン(小林真知子と共訳)、『講解・使徒信条――キリスト教教理概説』、ヨルダン社、1996。
  9. アリスター・E.マクグラス編(古屋安雄監訳)、『キリスト教神学資料集』(上、下)、キリスト新聞社、2007。

編集、監修

  1. 古屋安雄編、『なぜキリスト教か――中川秀恭先生八十五歳記念論文集』、創文社、1993。 この中の古屋安雄「なぜキリスト教か――弁証と倫理の問い」は、後に『日本の将来とキリスト教』(聖学院大学出版会、2001)に収録。
  2. A.リチャードソン、J.ボウデン編(古屋安雄監修、佐柳文男訳)、『キリスト教神学事典』、教文館、1995。2005年に判型を小さくして新装版。
  3. ドナルド・K.マッキム(高柳俊一、熊澤義宣、古屋安雄監修)(神代真砂実、深井智朗訳)、『キリスト教神学用語辞典』、日本基督教団出版局、2002。
  4. 古屋安雄、倉松功、近藤勝彦、阿久戸光晴編、『歴史と神学――大木英夫教授喜寿記念献呈論文集』(上、下)、聖学院大学出版会、上:2005、下:2006。 この中に、古屋安雄「ラインホールド・ニーバー R.ニーバーとW.ラウシェンブッシュ」あり。

主な論文等収録単行本

  • 山本和編、『生けるキリスト』(今日の宣教叢書5)、創文社、1961。 この中に、古屋安雄「勝利者イエス」あり。
  • 斎藤真、嘉治元郎編、『アメリカ研究入門』、東京大学出版会、1969。この中の「宗教」の項を執筆。これの第2版、本間長世、有賀貞編(1980年)にも収録。なお、五十嵐武士、油井大三郎編の第3版(2003年)の「宗教」の項は森孝一が執筆している。
  • 佐藤敏夫、竹中正夫、佐伯洋一郎編、『講座現代世界と教会 1』、日本基督教団出版局、1970。 この中に、古屋安雄「アメリカにおける世俗化論」あり。
  • 佐藤敏夫、高尾利数編、『教義学講座 2 教義学の諸問題』、日本基督教団出版局、1972。 この中の古屋安雄「キリスト教の絶対性と諸宗教」は、『宗教の神学』の第4章になっている。
  • 中川秀恭編、『森有正記念論文集――経験の水位から』、新地書房、1980。 この中に、古屋安雄「『人間の生涯―アブラハムの信仰』について」あり。
  • 本間長世編、『アメリカ世界Ⅱ』(有斐閣新書 西洋史8)、有斐閣、1980。この中の「アメリカの宗教」の章を執筆。
  • 学校伝道研究会編、『教育の神学』、ヨルダン社、1987。 この中に、古屋安雄「今日のキリスト教学校における伝道の使命」あり。
  • 東京ミッション研究所編、『天皇制の検証――日本宣教における不可避の課題』(東京ミッション研究所選書シリーズ)、新教出版社、1991。この中に、古屋安雄「社会的、政治的な視点から見た天皇制」あり。
  • 日本基督教団出版局編、『アジア・キリスト教の歴史』、日本基督教団出版局、1991。この中の「フィリピン」の章を執筆。
  • 小川晃一、片山厚編、『宗教とアメリカ――アメリカニズムにおける宗教理念』(アメリカ研究札幌クールセミナー第10集)、木鐸社、1992。 この中に、古屋安雄「教会・教派・分派 : アメリカ宗教の三類型」あり。
  • 斎藤真、大西直樹編、『今、アメリカは』、南雲堂、1995。この中に、古屋安雄「アメリカの宗教は、今――ポスト・キリスト教国」あり。
  • 学校伝道研究会編、『キリスト教学校の再建――教育の神学 第二集』、聖学院大学出版会、1997。 この中に、古屋安雄「魅力あるキリスト教授業であるために」あり。
  • 倉松功、近藤勝彦編、『福音の神学と文化の神学――佐藤敏夫先生献呈論文集』、教文館、1997。 この中に、古屋安雄「キリスト教大学の現代世界における意義」あり。
  • 土戸清、近藤勝彦編、『宗教改革とその世界史的影響――倉松功先生献呈論文集』、教文館、1998。 この中に、古屋安雄「宗教改革の意外な影響」あり。
  • 四国学院キリスト教教育研究所編、『大学とキリスト教教育』(四国学院キリスト教研究所叢書)、新教出版社、2005。 この中に、古屋安雄「大学とキリスト教」あり。
  • 白百合女子大学言語・文学研究センター編(井上隆史責任編集)、『宗教と文学――神道・仏教・キリスト教』(アウリオン叢書7)、弘学社、2009。 この中に、古屋安雄「キリスト教と日本文学」あり。
  • 賀川豊彦記念松沢資料館編、『日本キリスト教史における賀川豊彦――その思想と実践』、新教出版社、2011。 この中に、古屋安雄「賀川豊彦の日本伝道論」あり。また、大木英夫との対談「賀川豊彦をめぐって」あり。
  • 上村敏文、笠谷和比古編、『日本の近代化とプロテスタンティズム』、教文館、2013。 この中に、古屋安雄「武士道とプロテスタンティズム」、「日本の近代化とプロテスタンティズム」あり。

記念論文集

  • 倉松功、並木浩一、近藤勝彦編、『知と信と大学――古屋安雄・古稀記念論文集』、ヨルダン社、1996。 古屋安雄著作一覧・年譜あり。

(2019.9.3、著書に『日本をキリストへ 一千万救霊の必要性と可能性』(伝道新書シリーズ第1篇、日本キリスト伝道会、1987)を追加。)


新撰讃美歌 [書籍紹介・リスト]


『新撰讃美歌』岩波文庫.JPG

岩波文庫から2017年に『新撰讃美歌』が出たのを機に、『新撰讃美歌』の覆刻、翻刻などの情報のまとめ。

『新撰讃美歌』は

  • 出版年:1890年(明治23年)。
  • 植村正久、奥野昌綱、松山高吉編。
  • 出版社は原本に明記されていないが、ほぼ確実に警醒社と考えられている。
  • 歌詞のみのもの、楽譜付きのもの、ソルファ譜(階名をアルファベットで記すなどによる文字譜)などの種類がある。
  • 全289曲。ただし、264~274は頌栄、275~286は詩編など、287~289は十戒、主の祈り、使徒信経。

1.写 真

国立国会図書館デジタルコレクション『新撰讃美歌』(明治23年12月)で、楽譜付きの原本を見ることが出来る。

2.覆刻・影印

(1)秋山憲兄編『覆刻 明治初期讃美歌 神戸女学院図書館所蔵オルチン文庫版』、新教出版社、1978年。

この中に譜附版が収録されている。解説:齋藤勇、原恵、辻橋三郎、茂洋、高道基。

(2)手代木俊一監修、『明治期 讃美歌・聖歌集成』全42巻、大空社。

  • 第22巻(1996年発行):『新撰讃美歌』明治23年
  • 第23巻(1996年発行):『Shinsen sambika』明治23年
  • 第24巻(1996年発行):『新撰讃美歌』[トニック・ソルファー譜附]明治24年

3.翻 刻

(3)尾崎安編『近代日本キリスト教文学全集15 讃美歌集』、教文館,1982年。

この中のpp.313-422が讃美歌委員編『新撰讃美歌』1890(明治23)年12月。

  • 歌詞のみ。
  • 序、目次および末尾の英文による序、目次、Index of Subject、Index of Tunesなどは省略。

(4)『新体詩 聖書 讃美歌集』(新 日本古典文学大系 明治編12)、岩波書店、2001年。

この中の「讃美歌集」が『新撰讃美歌』(明治23年12月)。

  • 楽譜は19曲のみを抜粋:4、15、21、38、41、60、63、68、74、81、97、132、160、169、172、208、214、219、274。
  • 英語の目次や各種のindexは省略。
  • 下山嬢子校注、解説。
  • p.538-552に補注あり。
  • p.585-598に解説あり。

(5)植村正久、奥野昌綱、松山高吉編、『新撰讃美歌』(岩波文庫青116-2)、岩波書店、2017年、270頁、780円+税。

「新 日本古典文学大系 明治編12」との異同:

  • 英語の目次・各種indexの省略は同じ。
  • 収録されている楽譜は異なる。文庫版に収録されているのは30曲:1、4、7、8、10、12、15、19、21、31、38、41、60、63、68、74、81、97、115、126、132、152、160、163、169、172、177、206、208、243。 (「新 日本古典文学大系 明治編12」に収録されていた19曲のうち、文庫版に収録されていないのは214、219、274の3曲。)
  • 注は全面的に簡略に書き改められて、巻末に置かれている。
  • 解説も新たに記されている。

というわけで、(1)~(4)が図書館でお目にかかるような本であるのに対し、岩波文庫版は、注も解説もしっかりしているし、何と言っても、活字になっているのでちゃんと読めるし、廉価なので、賛美歌集の歴史を学んだり、歌詞の変遷を調べたりするのに、必須アイテムである。

4.その他の情報

(1)『新 日本古典文学大系 明治編12 新体詩 聖書 讃美歌集』(岩波書店、2001年)の中の「聖書」とは

「旧約聖書――詩篇(抄)・雅歌」となっている。これは、山梨英和短期大学図書館山脇文庫所蔵の『舊約全書』(1888年(明治21年)、米国聖書会社)の復刻版『近代邦訳聖書集成7,8』(ゆまに書房、1996年)から、詩篇の抜粋54編と雅歌全文である。

  • 松田伊作校注、解説。
  • 篇・章、節は、『新共同訳聖書』に合わせられている。
  • 適宜区切りや改行を入れ、引用文は括弧で括られている。
  • 雅歌では単元ごとに一行空けられている。
  • p.537-538に補注あり。
  • p.578-584に解説あり。

(2)下山嬢子について

『新 日本古典文学大系 明治編12 新体詩 聖書 讃美歌集』、及び、岩波文庫版の、校注・解説の下山嬢子(しもやま・じょうこ)について。

著書の『島崎藤村――人と文学』(日本の作家100人)(勉誠出版、2004年)の奥付によると、

  • 1948年秋田県生まれ。
  • 東京女子大学文理学部卒、同大学院修士課程修了。
  • 現在、大東文化大学文学部教授。
  • 日本近代文学専攻。
  • 著書:『島崎藤村』、宝文館出版、1997年。
  • 編著:『日本文学研究論文集成30 島崎藤村』、若草書房、1999年。
  • 共著:『文学者の日記4 星野天知』(翻刻・解説)、博文館新社、1999年。

(3)国会図書館所蔵の讃美歌の目録

栁澤健太郎、「国立国会図書館所蔵讃美歌目録(和書編)」、国立国会図書館主題情報部編『参考書誌研究』第71号(2009.11)。(pdf)

  • 五十音順のリスト
  • 上の秋山憲兄編『覆刻 明治初期讃美歌 神戸女学院図書館所蔵オルチン文庫版』(新教出版社、1978年)は281番。収録されている内容も列挙されている。
  • 上の手代木俊一監修『明治期 讃美歌・聖歌集成』全42巻(大空社)は、239~280番。
  • この目録が、復刻版については、活字化した「翻刻」は原則として収録しないという方針のため、尾崎安編『近代日本キリスト教文学全集15 讃美歌集』(教文館)と岩波の『新体詩 聖書 讃美歌集』(新 日本古典文学大系 明治編12)は含まれていないが、尾崎安編『近代日本キリスト教文学全集15 讃美歌集』(教文館,1982年)は、281番のところで触れられている。

ルターの評伝 [書籍紹介・リスト]

2017年は宗教改革500年ということで、マルティン・ルターの評伝を読んでおこう。

基本は、次の3つ。

徳善義和『マルティン・ルター――ことばに生きた改革者』.JPG

1.徳善義和『マルティン・ルター――ことばに生きた改革者』

  • 岩波新書1372、岩波書店、2012年、183頁、720円+税。
  • 現代の日本におけるルター研究の第一人者によるルターの評伝の決定版。
  • → このブログでの読書メモ

『ルター』清水書院人と思想.JPG

2.小牧治・泉谷周三郎、『ルター』

  • 人と思想9、清水書院、1970、214頁。
  • 徳善義和の岩波新書が出るまでは、日本人による簡便な評伝は、これしかなかったが、今でも重要。
  • 今は1000円+税。
  • 清水書院の人と思想シリーズは、緑っぽいカバーだったが、順次、赤い新装版になっている。)

徳善義和『マルチン・ルター 生涯と信仰』.JPG

3.徳善義和、『マルチン・ルター 生涯と信仰』

  • 教文館、2007、336頁、2500円+税。
  • これは、徳善義和がラジオで語ったのをまとめた全12話。とても読みやすい。
  • 巻末にしっかりした略年譜、日本語で読めるルターの著作(第2版2012年では徳善の『マルティン・ルター ことばに生きた改革者』(岩波新書、2012)まで掲載)、詳細な索引もあり。

その他、最近の翻訳として次の3つがあるが、いずれも、わざわざ読むほどのものではない。

リュシアン・フェーヴル、『マルティン・ルター――ひとつの運命』

  • 濱崎史朗訳、キリスト新聞社、2001年(原著1988年版からの翻訳、初版は1928年)、356頁、2000円+税。
  • 歴史学の分野のアナール学派の祖と言われるフェーヴルによる、政治、経済、社会、文化といった歴史的状況全体の中で描かれたルター像のようだ。宗教改革者であるルターの評伝という関心からはちょっとずれるかも。

S. ポールソン『はじめてのルター』

  • 湯川郁子訳、教文館、2008年(原著2004年)、302+8頁、1900円+税。
  • 評伝というよりもっと、律法と福音とか、信仰義認とか、聖書解釈とか、悔悛の秘蹟の方向転換とか、自由意志の問題といった、ルターが取り組んだ神学的な展開を紹介したものだが、全体的取っつきにくい感じ。

T.カウフマン、『ルター――異端から改革者へ』

  • 宮谷尚実訳、教文館、2010年(原著2006年)、188頁、1600円+税。
  • 原著2006年初版からの翻訳だが、2010年に出た改訂版の修正・変更はすべて盛り込まれているとのこと。
  • ワイマール版ルター全集を縦横に引用しながら、ルターの生涯とその意味を解き明かしている。ルターの生涯についてすでによく親しんでいる教養人向けという感じなので、上記の岩波新書と清水書院でルターの生涯を頭に入れている人向け。分量は多くない。
  • 最初は入っていきにくいので、40ページのルターの生涯が始まるところから読む(80ページまで)。
  • 81ページ以降はルターの生涯のいくつかの面を取り上げる。多くの出版物を刊行したことについて、聖書翻訳への取り組み、学者としてのルターと説教者としてのルター、この世のこと(国家、他の学問、科学技術など)との関わり方、結婚の自由や自由の平等性に基づく全信徒祭司性、ユダヤ人観・トルコ人観など。

新約聖書の各書の学び [書籍紹介・リスト]

新約聖書を
・通読などで、聖書の順に読み進めていく上で、
・各書ごとに
・ポイントや特徴などを
・専門的にではないが、ある程度学問的に裏付けられた知識として、
・信徒と共に
学ぶための本。


なお、旧約聖書については、2015年10月19日のブログ記事「旧約聖書の各書の学び」


1.まず、小型の辞典で各書の名の項目を調べる。
基本の三つを教会員に勧める。
・秋山憲兄監修、『新共同訳聖書辞典』、新教出版社、2001年。

・木田献一、和田幹男監修、『小型版新共同訳聖書辞典』キリスト新聞社、1997年。

・木田献一、山内眞監修、『新共同訳聖書事典』、日本基督教団出版局、2004年。


2.次に、各書ごとの解説の付いた聖書を見る。
フランシスコ会訳の『聖書』

・いわゆる岩波訳の『新約聖書』

これらは教会の図書室に入れておく。

3.簡便な解説書を読む。
次の二つは信徒必携。
土戸清、『現代新約聖書入門』、日本基督教団出版局、1979年。
現在、オンデマンド出版

『はじめて読む人のための聖書ガイド』、日本聖書協会、2011年。
旧約から新約まで66書それぞれについて、特徴、執筆目的、背景、構成を、一書につき2~3ページで解説


以上は信徒向けにも勧められる。旧約聖書についてもだいたい同じ(土戸清のが浅見定雄のになるだけの違い)。


4.少し専門的だが簡潔に記されているもの

・原口尚彰、『新約聖書概説』、教文館、2004年。
一人の著者によるので観点がばらけず、ぐだぐだとした議論もないので牧師としても重宝する。

・『新共同訳新約聖書注解』(1、2)、日本基督教団出版局、1991年。
各書の緒論部分を見る。


5.専門的な辞事典
次の二つの辞典・事典は、新約各書が項目として挙げられている。
・東京神学大学新約聖書神学事典編集委員会編、『新約聖書神学事典』、教文館、1991年。

・荒井献、石田友雄編、『旧約新約聖書大辞典』、教文館、1989年。


6.比較的各書ごとに記述された、一応学問的なもの。
新しいもの順。
・『新版 総説 新約聖書』、日本基督教団出版局、2003年。

・E.シュヴァイツァー(小原克博訳)、『新約聖書の神学的入門』(NTD補遺2)、日本基督教団出版局、1999年。

・W.マルクスセン(渡辺康麿訳)、『新約聖書緒論――緒論の諸問題への手引』、教文館、1984年。

・『総説 新約聖書』、日本基督教団出版局、1981年。




もっと教会を行きやすくする本 [書籍紹介・リスト]

八木谷涼子『もっと教会を行きやすくする本』縮小.jpg八木谷涼子『もっと教会を行きやすくする本――「新来者」から日本のキリスト教界へ』、キリスト新聞社、2013年。


帯が、
「雑誌「Ministry」の人気連載「新来者が行く」を単行本化!」
「初めて来た人には、こう見える。」
「全国100以上の教会を訪ねてきた”プロ”の目で総点検!」

教会へのアクセスから礼拝が終わるまでの全ての関門について、新来者がつまずく箇所を総点検し、新来者への配慮に満ちた教会を提言する、大変耳の痛い指摘に満ちた、全5章。「Ministry」連載記事を元に大幅に加筆。

2014年キリスト教本屋大賞受賞。

著者のサイト「くりホン キリスト教教派の森」は、情報満載!(たぶん昨年(2016年)にURLが変わった)




大まかな内容

1.教会に行くまで
 外掲示板
 会堂内外の立て看板
 地図に載っているか
 電話応対など

※電話のガチャ切りについて

「電話をガチャ切りされた教会にぜひ行きたいと思う人はあまりいないでしょう。・・・電話ガチャ切りが身についた牧師の説教は聞きたいとは思いません。」

ガチャ切りする牧師が多いとは、わたしも以前から感じている。電話ガチャ切りの牧師の説教は聞かなくていい。

ただ、フックを指で押して電話を切る作法を知らない人は、牧師以外にも多い。(押す時間が短すぎると「保留」になってしまうということもある。)

もっとも、今後、固定電話でも親機のコードレス化が進むのか分からないが、そうなれば、「切」ボタンを押して電話を切るようになっていくんじゃないかな。

それとも、「じゃあね」とか「失礼します」などのキーワードで受話器を耳から離すと自動的に電話が切れるというヤツが、固定電話にまで広まったりして。


2.初めて礼拝に出てみる
 入り口の場所のわかりやすさ
 入りやすさ
 遅れてきた新来者への配慮
 受付での応対と動線
 名札
 新来者カードと紹介タイム
 新来者に何を渡すか
 どこに着席するかなど

3.礼拝の難しさ
 礼拝についていけない(何を参照していいのかわからない、とっかえひっかえの頻度が多すぎ。)
 使徒信条や週報にふりがなを
 献金用封筒
 献金や聖餐式の説明を
 身体的な困難(室温、照明、椅子が硬い、音響など)
 平和の挨拶
 礼拝の終了時刻を明確になど

※この章の中で、「新来者にもやさしいOHP礼拝」は第2刷から「新来者にもやさしいハイテク礼拝」に変更されたらしい。

※とっかえひっかえの頻度について

確かに、多くの教会の礼拝では、見るべきものが多すぎる。讃美歌、交読詩編、聖書は旧約聖書何ページをお開きください、次は新約聖書何ページをお開きください、主の祈りのプリント、使徒信条のプリント、週報に記された報告をご覧くださいなどなど。

牧師であっても、初めての教会に行ったときは目が回る。

ということは、この「とっかえひっかえの頻度」問題は、かなり重大である。

もっとも、新来会者に対しては、初日からついて行こうとしなくてもいいという見解は目から鱗。



4.教会とインターネット
 基本情報をわかりやすく
 困ったサイト
 再訪したくないサイト
 音声配信・動画配信での注意
 弛緩した礼拝になっていないか

※基本情報とは、住所、アクセス方法、分かりやすい地図、礼拝時間、終了予定時刻も、電話番号かメールアドレス。


5.後奏
 お葬式のこと
 超教派の教会マップの事例
 名刺サイズの教会案内カードのあれこれなど。



結論としては、

すべての牧師と役員は一度は目を通すべき本
ただし、現実には5年や10年では変えられない点も多い。
少しずつできるところから変えていく。
日頃から、新来者への配慮を心に掛けていることが、何よりも大切。




これまでに私が書いたブログ記事:
「林家三平、八木谷涼子」(2012.01.23)
「『ミニストリー』の八木谷(1)」(2012.02.14)
「『ミニストリー』の八木谷(2)」(2012.02.15)
「『ミニストリー』の八木谷(3)」(2012.03.07)
「『ミニストリー』の八木谷(4)」(2012.05.09)
「『ミニストリー』の八木谷(5)」(2012.05.10)
「『ミニストリー』の八木谷(6)」(2012.05.11)
「『ミニストリー』の八木谷(7)」(2012.07.21)
「『ミニストリー』の八木谷(8)」(2012.07.22)




石井錦一の著作 [書籍紹介・リスト]

石井錦一、1931年2月25日~2016年7月4日。

石井錦一『キリスト教入門』1.『キリスト教入門 第一部』、福音プリント社、1955年、5+91頁。

1972年に松戸教会から再版されたときには『キリスト教入門』。聖書について、神について、イエス・キリストについて、聖霊について、三位一体の神について、教会についての全7講。それぞれの末尾に理解を確認する質問付き。




石井錦一『祈れない日のために』2.『祈れない日のために』、日本基督教団出版局、1985年、194頁。

『信徒の友』の巻頭の祈り集。「まえがき」は高見澤潤子。巻末の「あとがき」は石井錦一によるが、さらに日本キリスト教団出版局局長代行四竈揚による「発刊に至るまで」がある。




石井錦一『教会生活を始める』3.『教会生活を始める』、日本基督教団出版局、1988年、254頁。

『信徒の友』に掲載されたさまざまな文章をまとめたもの。教会生活の初心者だけでなく、教会生活の長い者にとってもためになる。信仰生活の中にある自分勝手さや甘えを厳しく指摘する。あとがきは、関東大震災の廃墟の中から日本同盟基督協会の再建と伝道を志しつつも、病のために26歳で生涯を終えた「上島時之助をおぼえて」。




石井錦一『信じられない日の祈り』4.『信じられない日の祈り』、日本基督教団出版局、1992年、198頁。

『信徒の友』の巻頭の祈り集。『祈れない日のために』の続編。巻末の「祈れないときの祈り」は、1991年10月27日のNHK第二「宗教の時間」で放映されたもの。




石井錦一『癒されない心の祈り』5.『癒されない心の祈り』、教文館、1998年、202頁。

『信徒の友』の巻頭の祈りやその他を集めたもの。最後の「祈りの中の出会い」の章では、著者の病気や『祈れない日のために』出版の経緯など、そして、脳腫瘍で10歳で亡くなった少年の話とその両親の手記。さらにあとがきでは、挿絵を描いた林静枝ががんの病の中で洗礼を受けたこと。1999年の再版から、「再版に際して」で林静枝が亡くなったことが記されている。




石井錦一他『わたしの伝道』6.『わたしの伝道』、発行:日本基督教団伝道委員会(発売:日本基督教団出版局)、2010年、110頁。

伊藤瑞男、東岡山治、西原明と共著。石井の筆は「信徒によって育てられた」。
2012年9月9日のブログに抜き書きメモあり。




松戸教会月報 石井錦一先生記念号.jpgおまけ

葬儀で配られた、松戸教会月報に連載された記事をまとめた特集号。




追 加

石井錦一、木下宣世、関茂、渡辺正男、『一日一祷 毎日の聖書と祈り』、日本基督教団出版局、2020年。

『信徒の友』巻頭の祈りを集めたもの。




ヘルマン、クライバー『聖書ガイドブック』 [書籍紹介・リスト]

S.ヘルマン、W.クライバー(泉治典、山本尚子訳)、『聖書ガイドブック――聖書全巻の成立と内容』、教文館、2000年、268頁、2000円+税。


この二人のコンビで書かれたものの邦訳に、『よくわかるイスラエル史』(樋口進訳、教文館、2003年)がある。


目 次

「神の言葉としての聖書」(エドゥアルト・ローゼ) pp.7-44

「旧約聖書」(ジークフリート・ヘルマン) pp.45-169

「旧約聖書外典」(ジークフリート・ヘルマン) pp.171-215

「新約聖書」(ヴァルター・クライバー) pp.217-261


特 徴
・原著はルター聖書に従っている。

・そのため外典もあるが、新共同訳聖書の続編に入っているエズラ記(ギリシア語)とエズラ記(ラテン語)はない。

・モーセ五書は各書ごとではなく、まとめてわずか10頁。そのくせ、JだEだPだDだと言った話をしている。

・12小預言書は各書ごとに取り上げている(それぞれ1~2ページ程度であるが)。

・新約は全部で50ページにも満たない。

・テサロニケは1と2を合わせて1ページちょっと。

・牧会書簡もまとめて1ページ。


結 論
・各書ごとの概説としては、『はじめて読む人のための聖書ガイド』(日本聖書協会、2011年)の方が圧倒的によい。

・簡単な入門的なものとしては、A.グリューン(中道基夫、萩原佳奈子訳)『聖書入門』(キリスト新聞社、2013年)がある。

・というわけで、ヘルマン、クライバーの『聖書ガイドブック』は、今のわたしの関心からは、特に見る必要はないし、教会員に薦められるものでもない。『はじめて読む人のための聖書ガイド』の方が1200円+税で安いし。

・旧約聖書の各書について解説した本のリストは、以前の記事「旧約の各書の学び」にまとめてある。




タグ:入門書

山我哲雄『キリスト教入門』 [書籍紹介・リスト]

山我哲雄『キリスト教入門』山我哲雄『キリスト教入門』(岩波ジュニア文庫792)、岩波書店、2014年、11+236+6頁、860円+税。



特 徴

・教養書として、ユダヤ教との関係、歴史上のナザレのイエスについて、キリスト教の成立と東西分裂まで、キリスト教の教派について(特に、カトリックと正教会)、そして、宗教改革とプロテスタント教会について。

・聖書入門的なことや、信仰内容、礼拝の形などについては、必要に応じて触れられるだけで、まとまった仕方では述べられていない。

・ユダヤ教との違いを、受け継いだものと受け継がなかったものに分けて端的にまとめているのは、分かりやすい。

・ジュニア向けの本で、しかも「キリスト教」という宗教の入門というタイトルで、 史的イエス研究の観点でのイエス像を語る のは、はたして適切だろうか?

・4~6章で、 東方正教会とローマ・カトリックの相違 を、歴史を踏まえてポイントを押さえることができるのが、この本の大きな特徴。

・英国教会の複雑な成立の経緯を実に簡潔に分かりやすく記しているが、その他のプロテスタント各派の相違はおおざっぱすぎなのはまあ、仕方がないか。



内容紹介

第1章 ユダヤ教とキリスト教

キリスト教がユダヤ教から受け継いだものとして、 唯一神信仰、契約思想、メシア思想、終末論 の四点を挙げる。

キリスト教がユダヤ教から受け継がなかったものとして、選民思想と律法至上主義 の二つを挙げる。


第2章 ナザレのイエス

信仰を持たない一般の人向けの教養書ということで、信仰の立場からではなく、歴史上の人物として「ナザレのイエス」を研究する学問分野があるよということで、その視点でイエスの生涯をたどる。


第3章 キリスト教の成立

イエスの復活と、贖罪としてのイエスの死の理解、罪の観念の変化など、エルサレム初代教会の成立、パウロの回心と信仰義認論、異邦人伝道など。


第4章 キリスト教の発展――キリスト教の西と東――

ローマによるキリスト教迫害と公認の歴史、キリスト論や三位一体論の発展と公会議、ローマ帝国の東西分裂後、東と西のそれぞれで発展したことによる東方教会と西方教会の相違など。


第5章 ローマ・カトリック教会

ローマ・カトリックのヒエラルキー、七つのサクラメント、煉獄、聖母マリア崇敬、守護聖人、修道会などの特徴、第二バチカン公会議、日本伝来と影響など。


第6章 東方正教会

東方正教会の組織と現況、神品(聖職位階制度)、七つの機密、正教会独特の用語や特徴、ロシア革命からベルリンの壁崩壊とロシア正教、日本の正教会についてなど。


第7章 宗教改革とプロテスタント教会

ルターと宗教改革の三大原理(聖書のみ、信仰のみ、万人祭司説)、ルター派の現在、スイス、フランスの宗教改革、長老制、予定説と資本主義の成立の関係、英国教会成立の経緯と世界各地の聖公会、ピューリタン諸派(長老派、会衆派、バプテスト派、クエーカー派)、ピューリタン革命、ジョン・ウェスレーとメソジスト教会、救世軍、その他、日本のプロテスタント教会(横浜バンド・熊本バンド・札幌バンドから日本基督教団の現在まで)。


おわりに キリスト教と現代

ファンダメンタリズムと福音派、聖霊派(ペンテコステ派)、キリスト教系の新宗教(モルモン教、エホバの証人、統一教会)、エキュメニズム運動など。



マクグラス『総説 キリスト教』 [書籍紹介・リスト]

マクグラス『総説 キリスト教』.JPGアリスター・E.マクグラス(本多峰子訳)、『総説 キリスト教』、キリスト新聞社、2008年、724頁(A5判、上製)、7500円+税。

Alister E. McGrath, "Christianity: An Introduction," 原著2006年第2版からの翻訳(原著初版は1997年)。

キリスト教についてほとんど知識のない人がキリスト教信仰とキリスト教の歴史や現状について知るための手引きとして、基礎的な理解を整理した入門書。




「キリスト教は単なる一連の概念ではなく、一つの生き方である。」
(p.12)


「キリスト教内部で働く生き生きとした力は、外側から中を覗いているだけでは、理解することも、その本当の良さを知ることもできない」
(p.15)


「一冊の本だけでは決してキリスト教信仰の豊かさや多様さを十分に伝えることはできない。・・・キリスト教徒であることは、日常の生活が信仰によってある種の影響を受ける、はっきりとした生き方の問題なのだ。・・・キリスト教を理解する最も良い方法は、地元の教会や共同体でキリスト教に参加することだ」
(p.16)


第1章 ナザレのイエス

「キリスト教は決して自己完結した独立の概念体系などではない。むしろ、イエス・キリストの生と死と復活が引き起こした問に答えようとする持続的な応答なのだ。」
(p.18)


イエスの重要性
1.イエスは神を啓示し、受肉した神である。
2.イエスは救い主であり、イエスによって神との新しい関係が可能になっている。
3.イエスは贖われた生のモデルであり、キリスト教徒はキリストの似姿になるように招かれている。

ユダヤ教とキリスト教の連続性についてや、当時のユダヤ教内の諸派について簡潔に紹介している。(pp.28-37)

 イエスの意味を考えるに際して、その生涯特に死と復活という出来事と、その意味とを区別することの重要さを指摘し、「メシア」、「主」、「救い主」「神の子」、「人の子」、「神」という「キリスト論的称号」について概説する。(pp.62-78)

第2章 聖書入門

第3章 旧約聖書

第4章 新約聖書

第5章 キリスト教の信仰内容の背景
 信仰とは何か?

 神の存在証明

 キリスト教信仰の源

 「召し使い」――神学と文化の対話

 神学とは何か

第6章 キリスト教信仰の核――概要

第7章 キリスト教の歴史――略史

第8章 キリスト教――グローバルな視点で
 アフリカ、アジア、北アメリカ、南アメリカ、ヨーロッパのキリスト教の状況、教派ごとの状況(福音派は「福音伝道主義」と訳されている)

 「キリスト教――そのグローバルな関心の概説」としてキリスト教のグローバル化

 原理主義の挑戦

 イスラム教徒の緊張関係

 プロテスタント教派の不確かな未来

 西洋キリスト教の商品化(マクドナルド化:効率、算定可能性、予測可能性、管理)

 脱西洋化

 新たな「教会のあり方」の出現として、コミュニティー教会、セルチャーチ(この本では「細胞教会運動」)そして「求道者に配慮した」教会を紹介

第9章 信仰生活――生きたリアリティとしてのキリスト教との出会い
 結婚式と葬式

 クリスマスイブ礼拝の9つの聖書朗読

 礼拝とサクラメント

 教会暦

 「文化に対するキリスト教の態度――一般的考察」

 文化へのキリスト教の影響として特に、自然科学と芸術、建築、イコン、文学など



巻末に、
 キリスト教用語集、
 さらに学びたい方へ(英語圏のみの文献リスト)
 詳細な索引
あり。



結論:

値段が高いので、個人にお薦めというわけにはいかないが、教会の図書には必須。




ヨハネ福音書の注解書 [書籍紹介・リスト]

ヨハネ福音書の
  ・全体にわたって
  ・原典にあたって詳細な
  ・説教に有用な
  ・日本語で書かれた
信頼できるものは、ないのか?


ヨハネ福音書研究のアプローチは多様であり、日本人研究者を例にして言えば(1)伝承史・編集史を用いた研究(土戸清、松永希久夫)、(2)哲学的・神学的なアプローチを用いたもの(伊吹雄)、(3)グノーシスとの関連で論じていく研究(大貫隆、小林稔)などがあります。
土戸清、『ヨハネ福音書のこころと思想2』(教文館、2002年)の「あとがき」、p.309。


NTD(松田伊作訳、1975年)、現代聖書注解(鈴木脩平訳、1992年)はあるが、原典の手触りがわかるようなタイプの注解書ではない。

コンパクト聖書注解EKKのヨハネは未刊。

ブルトマン(杉原助訳、大貫隆解説)『ヨハネの福音書』(日本基督教団出版局、2005年)は、18,000円(税別)もするし、わたしにとっては説教に有用とは言えない。

最初の部分に限れば、松永希久夫やカール・バルトもあるが。

高砂民宣『栄光のキリスト』.JPG受難物語に限れば、高砂民宣、『栄光のキリスト――ヨハネによる福音書の受難物語』(大森講座25)(新教出版社、2013年、1000円+税)も考察の役に立つ。




というわけで、日本語で現在のところは次のもののみ。
伊吹雄『ヨハネ福音書注解』P1110120.JPG伊吹雄、『ヨハネ福音書注解』(全三巻)、知泉書館、Ⅰ:2004、Ⅱ:2007、Ⅲ:2009。
288+428+512=1228頁。5000+6000+7600=18,600円(税別)もするが、ブルトマンを買うよりこっち。


イエス・キリストと切り離したしかたで先在のロゴスから語るような議論を避け、「歴史内にあるわれわれにとっては、受肉しないロゴスへのアクセスは、受肉したこのイエスを除いては他にない。」(p.18)とし、したがって、「「初めに」ついて語るには「初めに・・・あった」というふうに、現在の視点から語られる」とする(p.24)。現在の場所とは、「イエス・キリストの到来によって、ここに今開かれている霊の次元であり」(p.12)、すなわち、「この「・・・あった」ということは、現在からする霊におけるアナムネーシス(想起)というものに他ならない」(p.13)。

このようにヨハネ福音書そのものの全体から捉えていく方法や、緒論的な議論をまとまった形でしていないとかなど特徴は、佐々木啓による書評、『日本の神学』No.44、2005年

しかし、なじみのある歴史的批評学的なスタイルではないので、かなり取っつきにくいかも。



大きなものではないが信頼できる注解として、『新共同訳新約聖書注解Ⅰ マタイ~使徒言行録』の中のヨハネは松永希久夫と山岡健によるもの。

あとは日本人によるものでは、「説教者のための聖書講解 合本」のヨハネ(1991)「アレテイア 釈義と黙想 合本」のヨハネ(2004)だが、やはりいろんな人が書いているので玉石混淆だし、どうやらどちらも版切れ。

『説教黙想 アレテイア』でヨハネ福音書が連載されて合本が出るのを待ちたい。

また、日本基督教団出版局から刊行予定の日本人による書き下ろしの注解書シリーズNTJのヨハネ(伊東寿泰)に期待したい。

その他、土戸清が「目下執筆中の『ヨハネ福音書注解――試訳と解釈――』」と記している(『ヨハネ福音書のこころと思想1』教文館、2001年、p.295-296)。その後、この話は出てこないが、どうなったのか?


日本語のものが以上のような状況なので、英語のものに手を出してみると、原典に当たって詳細な議論をしていて、かつ、学問的議論に終始せず説教に有用なものは、

Anchor Bible(R.E.Brown, 1966,1970)は2巻合わせて1208頁。定評あるものだが、出版年的にはそろそろ古さを感じる。なお、この著者による『解説「ヨハネの福音書・ヨハネの手紙」』(湯浅俊治監訳、田中昇訳、教友社、2008年)は、簡潔すぎ(228頁、ヨハネ福音書の部分はpp.13-157)。

BECNT(Andreas J. Köstenberger, 2004)は20+700pp.(607頁以降、文献表とindex)とやや中型の注解書の趣きで、図書館でDarrell L. Bockのルカ(すごく分厚く、中身も濃い)の隣に並んでいるとさすがに見劣りしてしまう。

ICCは、J.F.McHughによる新しいものが2009年にまず1-4章が出た(ペーパーバック版は2014年)が、その続きはまだ出ていない。

NIGTCは、Richard Bauckhamによると予告されているようだが、未刊。

WBCは、G.R. Beasley-Murrayによるもので、1999年に第2版が出たが、1987年の初版からbibliographyなどがupdateされているだけで、注解部分は同一のようなので、初版があれば第2版はいらないが、全体的に他と比べて分量が十分でない感じがする。

と言うわけで、詳細でクリティカルなものとして信頼できるのは、やはり今だに、Anchor BibleのR.E.Brown。今後のICCとNIGTCの完成に期待する。


ちなみに、土戸清が絶賛しているのは、Sacra Paginaのシリーズの中のF.J.Moloneyによるもの(1998)。「先行するヨハネ福音書研究者の最近の業績の多くを自らの研究の対話の相手として叙述をすすめ、学的に公正な判断を随所に示している。信頼に値する注解書である。」
土戸清「わたしが推薦する注解書」(『説教黙想アレテイア特別増刊号 説教者のための聖書注解書ガイド』、日本基督教団出版局、2009、p.72)


土戸清『ヨハネ福音書のこころと思想』全7巻その土戸清がヨハネ福音書を講解した、『ヨハネ福音書のこころと思想』が全7巻で出ている(教文館、2001~2005年)。説教とは言え、著者のヨハネ福音書研究の成果が余すところなく語られているので、これが現時点で、日本語で読めるヨハネ福音書の全体にわたる最良の注解と言えるかも。

書評:
関川泰寛による書評、日本基督教学会、『日本の神学』No.45、2006年。
遠藤勝信(1~3巻)、小林稔(4~7巻)による書評、日本新約学会、『新約学研究』No.34、2006年。
(土戸清『使徒言行録 現代へのメッセージ』日本基督教団出版局、2009年のあとがき、p.394でこれらの書評に言及されているが、どういうわけか、号数と刊行年が全く間違っている。)


(2017.7.5加筆修正)


『旧約聖書を学ぶ人のために』 [書籍紹介・リスト]

『旧約聖書を学ぶ人のために』世界思想社並木浩一、荒井章三編、『旧約聖書を学ぶ人のために』、世界思想社、2012年、12+338+4頁、2300円+税。

聖書学的な旧約聖書学への入門というよりも、旧約思想への入り口の紹介という感じだが、入門者でなくても有益な示唆を得ることができる。それは、編者がテーマに沿って適切な執筆者に依頼したからであろう。「旧約聖書の中心的メッセージに焦点を絞り、その歴史的、文化史的、信仰史的な文脈を重視する叙述」を目指した(「はじめに」、p.ii)

以下、執筆者とタイトル。コメントは目次の詳細の主なものだったり、私なりのキーワードのメモだったり。


Ⅰ 旧約聖書へのアプローチ――その成立・展開と風土――

荒井章三「旧約聖書とは何か」
名称、成立と区分、翻訳、キリスト教と旧約聖書など

月本昭男「旧約聖書の世界」
自然風土、歴史風土、宗教的風土



Ⅱ 旧約聖書は歴史をどう描いているか

大住雄一「民の選びの歴史」
歴史の共通理解は教育によって育てられる(申命記6:20-25)、選びの歴史(申命記7章)、カノニカル(正典的)な歴史、礼拝で共有される歴史、申命記的歴史、六書説と四書説、選びの主への排他的忠誠を徹底させるのか、それとも、被造世界全体の神との関係の回復を目指すのか、二つの歴史思想

小友聡「試練と摂理」
イサク奉献の物語(創世記22章)、過酷な試練の中で服従と信仰によって摂理を知る、ヨセフ物語(創世記45章)

関根清三「終わり・黙示・メシア――終末論の諸態と批判的展望――」
この論で課題として残された問題については、『旧約聖書の思想 24の断章』(岩波書店、1998年、改訂新版が講談社学術文庫、2005年)の19~20章で、特にアモス書に即して展開しているとのこと。



Ⅲ 旧約聖書は人間をどう見ているか

人と人との関わり

勝村弘也「男と女」、「親と子」
サムソン(士師記13-16章)、雅歌、アブサロム、箴言

佐々木哲夫「友情・兄弟」、「隣人・外国人・敵」
ダビデとヨナタン、イサクとイシュマエル、エサウとヤコブ、ルツ記の慈しみ(ヘセド)と責任


人と神との関わり

並木浩一「罪の赦しに生きる人――原初史の人間像――」
アダムとエバ、カイン、ノア

並木浩一「神に問う人――神議論的問いを深めた人々――」
アブラハム(創世記18章)、エレミヤ、ヨブ

飯謙「神を賛美する人――「詩編」――」
嘆きの歌、信頼の歌、たたえの歌、表題と構造



Ⅳ 旧約聖書は現実をどう捉えているか

山我哲雄「自然と人間」
神の被造物としての人間と自然――<神>対<人間・自然>(神の超越性、創造と秩序など)、神の似姿としての人間――<神・人間>対<自然>(人間による自然の支配について)、自然の中に現れる神の力――<人間>対<神・自然>(ヨブ記など)

鈴木佳秀「契約と法」
律法とモーセ、十戒、契約の書、申命記における国家と法、神聖法典

大島力「預言者の現実批判」
預言者による王国批判と宗教批判

鈴木佳秀「戦争と平和――聖戦――」
聖戦、聖絶、シャローム



Ⅴ 旧約聖書研究史・文献紹介

山我哲雄「旧約聖書研究史・文献紹介」
2段組34ページに渡り、研究史・研究動向を紹介しつつ主要文献を紹介、注解書も紹介している。これだけでも牧師必携。




タグ:旧約聖書

最近の旧約聖書の学びの本 [書籍紹介・リスト]

前回、旧約の各書ごとの学びのために、ポイントや特徴などを整理する上で有用な本をリストアップした。

その中で比較的最近のものは、

・『新版 総説 旧約聖書』、日本基督教団出版局、2007年。
(内容は専門的なので、信徒向けではない。執筆者によってしょうもない部分もあるが、一応、牧師必携。)

・浅見定雄、『改訂新版 旧約聖書に強くなる本』、日本基督教団出版局、2010。
(横書きで新共同訳対応になった改訂新版。信徒必携。

・『はじめて読む人のための聖書ガイド』、日本聖書協会、2011。
(旧約から新約まで66書それぞれについて、特徴、執筆目的、背景、構成を、一書につき2~3ページで解説。これも信徒におすすめ。)

・C.ヴェスターマン(左近淑、大野恵正訳)、『聖書の基礎知識 旧約篇』、日本基督教団出版局、2013年。
(これも、邦訳初版は1984年だが、横組み、新共同訳対応の改訂版になった。牧師必携。信徒におすすめと言うほどではないかなあ。初版の縦組みしか知らないけど。)

であった。


その他の最近のもので、、旧約の各文書ごとになっておらず、あるいはすべての文書を網羅してなく、あるいは簡単すぎ、あるいは専門的過ぎて、今回の目的のためには特に見る必要ないもの:


[日本基督教団出版局]

・福万広信、『聖書』、日本基督教団出版局、2013年。
キリスト教学校の中学生向け教科書

・落合建仁、小室尚子、『聖書入門――主を畏れることは知恵の初め』日本基督教団出版局、2014年。
キリスト教学校の大学初年度の教科書


[教文館]

・W.H.シュミット(木幡藤子訳)、『旧約聖書入門』(上、下)、教文館、上:1994年、下:2003年。
「入門」とあるが専門書。上下合わせて税別8000円。ドイツの神学校の教科書。

・C.レヴィン(山我哲雄訳)、『旧約聖書――歴史・文学・宗教』、教文館、2004年。
専門的な内容を簡潔に記述したつもりのようだが、内容が凝縮されているためか、かえって初心者には分からない。索引なし。訳者による日本語文献が挙げられている点だけなんとか良心的だが。

・W. H.シュミット、W.ティール、R.ハンハルト(大串肇訳)、『コンパクト旧約聖書入門』、教文館、2009年。
「入門」とあるが、一般向けではない。これからほんとに専門的に学ぼうとする人向け。索引がないのは致命的。文献表も原著のものを羅列しただけで見にくい。

・K.シュミート(山我哲雄訳)、『旧約聖書文学史入門』、教文館、2013年。
これも「入門」とあるが専門書。索引は充実。慣れればけっこうおもしろいので、わたしは使っている。
→全目次を紹介した2015.10.14の記事

[キリスト新聞社]

・越川弘英、『旧約聖書の学び』、キリスト新聞社、2014年。
キリスト教学校の大学初年度の教科書。

・A.グリューン(中道基夫、萩原佳奈子訳)、『聖書入門』、キリスト新聞社、2013年。
学問的な視点ではなく、聖書への親しみを持つように、聖書の内容を紹介した感じ。惜しいのは、新約はほぼ各文書ごとなのに、旧約は、「すべての始まり」、「アブラハム」、「ヤコブ」、「ヨセフと兄弟」、「モーセ」、「約束の地」、「ダビデとソロモン」・・・といった感じ。ヨブ記~雅歌、三大預言書は文書ごとだが。1項目につき2~4頁ほどなので、ほんとに超入門という感じ。初心者におすすめ

・石黒則年、『旧約聖書あと一歩』、キリスト新聞社、2011年。
旧約聖書の読みどころを取り上げた信徒向けあるいは伝道用の軽い筆致のエッセー、1項目3~4頁の全50講。でも学問的な知識にも多少踏み込んだ解説がある。聖書の学びの会で使えるかも


[新教出版社]

・大野惠正、『旧約聖書入門 1 現代に語りかける原初の物語』、新教出版社、2013年。
全5巻の予定だがまだ1のみ。1は、聖書全体と旧約聖書の成立から原初史の部分についての全15講。2は、アブラハムから創世記の最後までの全23講で、2015.11.24発売予定。


[その他の出版社]

・加藤隆、『旧約聖書の誕生』(ちくま学芸文庫 カ30-1)、筑摩書房、2011年。
最初は2008年の単行本。聖書について全く知識のない知識人向けの講義録という感じの語り口の読み物風の概説的入門書で、緒論的ではなく通論的。できる限り実際の聖書を読んで聖書に親しんでもらおうと、聖書の引用文も多い(新共同訳を元にしつつ、敬語表現などを除き、部分的に独自の訳語に変更したのかなという感じ)。巻末にモーセ五書のJEPD資料表あり。注や文献表はないのでやっぱり読み物。聖書箇所索引はあり。
→読書メモの形で紹介した2016.2.21の記事

・並木浩一、荒井章三編、『旧約聖書を学ぶ人のために』、世界思想社、2012年。
聖書学の入門ではなく、旧約思想の紹介という感じだが、入門者でなくても有益な示唆を得ることができる。特に、山我哲雄による「旧約聖書研究史・文献紹介」は、感涙もので、研究史の要点とともに注解書の紹介もあり、牧師必携
→目次と執筆者、主な内容を紹介した2015.10.29の記事

・大頭眞一、『聖書は物語る――一年12回で聖書を読む本』、ヨベル、2013年。『聖書はさらに物語る』、2015年。
旧約から新約まで。それぞれ12講ずつ、要所要所を選んで。中高生向け教科書の大人版といった感じ。さらに間を埋めて、全部を聖書の順に並べ直して合本にしてくれたら、いいかも。『さらに物語る』のほうには、平野克己が推薦の言葉を書いている。



旧約の各書の学び [書籍紹介・リスト]

旧約聖書を
・通読などで、聖書の順に読み進めていく上で、
・各書ごとに
・ポイントや特徴などを
・専門的にではないが、ある程度学問的に裏付けられた知識として、
・信徒と共に

を学ぶための本。


1.まず、小型の辞典で各書の名の項目を調べる。

・秋山憲兄監修、『新共同訳聖書辞典』、新教出版社、2001。

・木田献一、和田幹男監修、『小型版新共同訳聖書辞典』キリスト新聞社、1997。

・木田献一、山内眞監修、『新共同訳聖書事典』、日本基督教団出版局、2004。


2.次に、各書ごとの解説の付いた聖書を見る。

・フランシスコ会聖書研究所訳注『聖書』、サンパウロ、2011。

・旧約聖書翻訳委員会訳、『旧約聖書』(Ⅰ~Ⅳ)、岩波書店。


3.簡便な解説書を読む。次の二つは信徒も必携。

浅見定雄、『改訂新版 旧約聖書に強くなる本』、日本基督教団出版局、2010。
(横書きで新共同訳対応になった改訂新版)

『はじめて読む人のための聖書ガイド』、日本聖書協会、2011。
(旧約から新約まで66書それぞれについて、特徴、執筆目的、背景、構成を、一書につき2~3ページで解説)

最低限、ここまではやる。

以上の7つの文献は、七つ道具というほどではないが、フランシスコ会訳聖書と岩波訳聖書は教会の図書に入れておくとして、その他は必携の書物として各自というか、一家に一冊ずつというか、揃えておくことを教会員にも勧めたい。


以下は、余力と時間しだい。


4.その他、余力に応じて、見ておくもの。

・C.ヴェスターマン(左近淑、大野恵正訳)、『聖書の基礎知識 旧約篇』、日本基督教団出版局、2013年。
(これも、邦訳初版は1984年だが、横組み、新共同訳対応の改訂版になった。)

・荒井献、石田友雄編、『旧約新約聖書大辞典』、教文館、1989。


5.簡潔な注解書の緒論部分を読む。

・『新共同訳旧約聖書略解』、日本基督教団出版局。

・『新共同訳旧約聖書注解』(1~3)、日本基督教団出版局。


6.より専門的な部分をきちんと押さえるには、必ずしも各書ごとではないが、目を通す基本は次のもの。

・『総説 旧約聖書』、日本基督教団出版局、1984年。

・『新版 総説 旧約聖書』、日本基督教団出版局、2007年。

さらにその先は、個別の注解書の緒論部分や旧約文学史の専門書。


[追 記]
はじめ、4.のところにS.ヘルマン、W.クライバー(泉治典、山本尚子訳)『聖書ガイドブック――聖書全巻の成立と内容』(教文館、2000年)を一応挙げておき、「持っていないので不明だが」と記しておいた。その後、図書館で見てみたらたいしたことないので、削除した。『はじめて読む人のための聖書ガイド』があれば十分なのと、より初心者向けにはA.グリューン(中道基夫、萩原佳奈子訳)『聖書入門』(キリスト新聞社、2013年)の方がふさわしい。




シュミート『旧約聖書文学史入門』 [書籍紹介・リスト]

シュミート『旧約聖書文学史入門』K.シュミート(山我哲雄訳)、『旧約聖書文学史入門』、教文館、2013年、429頁、4500円+税。

Konrad Schmid, "Literaturgeschichte des Alten Testaments: Eine Einführung," Wissenschaftliche Buchgesellschaft: Darmstadt, 2008.


著者について

コンラート・シュミート(1965.10.23-)

「ドイツ語圏にはSchmid, Schmidt, Schmittなど、さまざまなスペルの「シュミット」という苗字があり、その発音はドイツの標準語(ホーホドイッチュ)では区別なく「シュミット」であるが、・・・スイスでは「シュミート」に近い発音で呼ぶそうである。特に旧約学界では、「シュミット」という姓の研究者が多い・・・。そこで、本人の承諾を受けたうえで、日本語表記は「コンラート・シュミート」とした。」
「訳者あとがき」p.370。



内容について

タイトルに「入門」とあるが、初心者向けでは全くなく、専門家向け。

牧師必携というほどのものでもない。が、著者問題とか資料とかの細かな議論をするような緒論ではなく、各書の神学をあーだこーだと議論しているわけでもなく、テキストそのものの特徴をきちんと押さえていくので、索引を利用して各文書に関する箇所を調べていけば、けっこう、おもしろい。

正典の順ではなく、また、各文書を一冊の書として扱うのでもなく、各文書を各時代の層に分解し、歴史の順に沿って、互いに影響を及ぼし合いながら、各時代に書き継がれ、絶えず成長発展していく過程を総合的にたどる。

特に、テキスト間の相互関係やそれによるテキストの発展に注目して叙述されている。

一つのテキストをある特定の時代に位置づけるとしても、口伝や文書の形での前史や、文学として成立した以降の後史があることを排除するものではない。ただ、例えばモーセ・出エジプト物語が最初に文学として成立したのは新アッシリア時代であったと想定できるので、この時代のところで述べられている。(「まえがき」p.8)

時代区分は、アッシリア以前、アッシリア時代、バビロニア時代、ペルシア時代・・・という、イスラエルを支配することで影響を与えた大国によって区分されている。


六つの時代に分け、それぞれに、第1章 歴史的諸背景、第2章 神学史的特徴づけ、第3章 伝承諸領域という三つの章を置く。すなわち、歴史的背景と神学史的な特徴を述べた後、その時代に形成されたと考えられる伝承について、物語的伝承とか預言者的伝承とか法的伝承といった種類ごとに記す。


たぶん原著でゲシュペルトになっている強調部分は、太字かつアンダーラインになっていて見やすい。


巻末に膨大な専門的文献表あり。ほとんどが英語、ドイツ語圏のもの。邦訳文献リストが1ページだけあり(p.414)。有用な聖書索引、人名索引あり。日本人では、浅野も関根も左近もないが、大住が挙げられている(p.165、398)。


目 次

A 旧約聖書文学史の課題、歴史、諸問題
第1章 なぜ旧約聖書文学史なのか
  • 第1節 課題設定
  • 第2節 研究史
  • 第3節 神学的位置づけ
  • 第4節 古代イスラエルの文学の一端としての旧約聖書
  • 第5節 「ヘブライ語聖書」と「旧約聖書」
  • 第6節 旧約聖書の「原テキスト」の問題
  • 第7節 旧約学内部における旧約聖書文学史の位置
  • 第8節 歴史的再構成の基盤、諸条件、可能性、限界
  • 第9節 旧約学の比較的最近の研究諸傾向と旧約聖書文学史に対するその帰結

第2章 古代イスラエルにおける言語、文字、書物、文書作成
  • 第1節 言語と文字
  • 第2節 文書作成の素材的諸局面
  • 第3節 文書作成および受容の文学社会学的諸局面
  • 第4節 著者たちと編集者たち
  • 第5節 旧約聖書の文学の同時代の読者たち
  • 第6節 様式史的展開の諸要素

第3章 進め方と叙述法
  • 第1節 大国群の文化圧力と旧約聖書文学史の時代区分
  • 第2節 歴史的文脈化
  • 第3節 神学史的特徴づけ
  • 第4節 伝承諸領域の様式史的、伝統史的、社会史的区分
  • 第5節 旧約聖書のテキスト群や諸文書の間の「水平」と「垂直」の相互関係
  • 第6節 聖書内在的な受容としての編集
  • 第7節 伝承と記憶


B アッシリア到来以前のシリア・パレスチナ小国家世界を枠組とした古代イスラエル文学の諸端緒(前10−8世紀)
第1章 歴史的諸背景
第2章 神学史的特徴づけ
第3章 伝承諸領域
  • 第1節 祭儀的諸伝承と知恵的諸伝承
    • (a)北王国の諸聖所の文学
    • (b)エルサレムの神殿祭儀の文学
    • (c)知恵的伝承
  • 第2節 年代記的伝承と物語的伝承
    • (a)北王国の諸伝承
    • (b)エルサレムの宮廷文学


C アッシリア時代の文学(前8-7世紀)
第1章 歴史的諸背景
第2章 神学史的特徴づけ
第3章 伝承諸領域
  • 第1節 祭儀的、知恵的諸伝承
    • (a)詩編
    • (b)比較的古い知恵文学
  • 第2節 物語的諸伝承
    • (a)申命記主義的な『列王記』の諸端緒
    • (b)士師物語群(士3-9章)
    • (c)モーセ・出エジプト物語
    • (d)アブラハム=ロト・ツィクルス
  • 第3節 預言者的諸伝承
    • (a)ホセア書、アモス書における預言者的伝承の諸端緒
    • (b)最古のイザヤ伝承、およびそのヨシヤ時代の受容
  • 第4節 法的諸伝承
    • (a)契約の書
    • (b)申命記


D バビロニア時代の文学(前6世紀)
第1章 歴史的諸背景
第2章 神学史的特徴づけ
第3章 伝承諸領域
  • 第1節 祭儀的、知恵的諸伝承
    • (a)反詩編としての『哀歌』
    • (b)民の嘆き、および個人の詩編の集団化
  • 第2節 物語的諸伝承
    • (a)ヒゼキヤ=イザヤ物語
    • (b)サムエル記-列王記下23章に対する、列王記下24-25章による発展的加筆
    • (c)出エジプト記2章-列王記下25章の大歴史書の成立
    • (d)ヨセフ物語
    • (e)創世記の族長物語
    • (f)非祭司文書のシナイ伝承
  • 第3節 預言者的諸伝承
    • (a)エレミヤ伝承の諸端緒
    • (b)エゼキエル伝承の諸端緒
    • (c)第二イザヤ
  • 第4節 法的諸伝承
    • (a)十戒
    • (b)申命記主義的申命記


E ペルシア時代の文学(前5-4世紀)
第1章 歴史的諸背景
第2章 神学史的特徴づけ
第3章 伝承諸領域
  • 第1節 祭儀的、知恵的諸伝承
    • (a)祭司文書
    • (b)神政主義的詩編
    • (c)ヨブ記
  • 第2節 物語的諸伝承
    • (a)非祭司文書の原初史
    • (b)ダニエル伝説群(ダニエル書*1-6章)
    • (c)創世記-列王記下を範囲とする大歴史書の成立
    • (d)エズラ記-ネヘミヤ記
  • 第3節 預言者的諸伝承
    • (a)ハガイ書/ゼカリヤ書
    • (b)第二イザヤ、第三イザヤにおける発展的加筆
    • (c)エレミヤ書、エゼキエル書における発展的加筆
    • (d)「申命記主義的」な立ち帰り神学
    • (e)古典的預言の聖書的な構築
  • 第4節 法的諸伝承
    • (a)神聖法典
    • (b)民数記
    • (c)トーラーの形成


F プトレマイオス朝時代の文学(前3世紀)
第1章 歴史的諸背景
第2章 神学史的特徴づけ
第3章 伝承諸領域
  • 第1節 知恵的諸伝承
    • (a)箴言1-9章
    • (b)ヨブ記28章および32-37章
    • (c)コヘレトの言葉
    • (d)「メシア的詩編集」
  • 第2節 物語的諸伝承
    • (a)歴代誌
    • (b)バラム・ペリコーペの拡張
    • (c)ダビデ伝承中のヘレニズム的要素
    • (d)エステル記
    • (e)トーラーのギリシア語訳
  • 第3節 預言者的諸伝承
    • (a)預言書における世界審判テキスト
    • (b)「大イザヤ書」(イザ1-62章)の形成
    • (c)第三イザヤにおける敬虔な者と邪悪な者
    • (d)エレミヤ書におけるディアスポラからの帰還と王国の再建
    • (e)第二ゼカリヤと第三ゼカリヤ
    • (f)イザヤ書と12預言書の編集上の同調
    • (g)ダニエル書2章と7章における世界諸帝国


G セレウコス朝時代の文学(前2世紀)
第1章 歴史的諸背景
第2章 神学史的特徴づけ
第3章 伝承諸領域
  • 第1節 祭儀的、知恵的諸伝承
    • (a)詩編の書の神政主義化と再終末論化
    • (b)シラ書、ソロモンの知恵
  • 第2節 預言者的諸伝承
    • (a)「ネビーイーム」の形成
    • (b)マカバイ時代のダニエル書
    • (c)バルク書
  • 第3節 物語的諸伝承
    • (a)物語的文書における世界時間秩序
    • (b)マカバイ記、トビト記、ユディト記、ヨベル書


H 聖典化と正典形成
第1章 「聖典」と「正典」の区別
  • 第1節 ヨセフスと第四エズラ書14章
  • 第2節 シラ書の序言、および「律法と預言者」

第2章 その歴史の枠内における旧約聖書文学の聖典化
  • 第1節 聖書の叙述
  • 第2節 宗教的テキスト-規範的テキスト-聖なる文書-正典(カノン)
  • 第3節 旧約聖書の文学史と正典史




タグ:旧約聖書

最近の山我哲雄の著作 [書籍紹介・リスト]

私もこの世界を学び始めた最初は山折哲雄と混同したが、山我哲雄(やまが・てつお)の方。

最近というのは、だいたい2011.3.11以降ということで。


『キリスト教入門』(岩波ジュニア新書792)、岩波書店、2014年。
第1章 ユダヤ教とキリスト教
第2章 ナザレのイエス
第3章 キリスト教の成立
第4章 キリスト教の発展――キリスト教の西と東
第5章 ローマ・カトリック教会
第6章 東方正教会
第7章 宗教改革とプロテスタント教会
おわりに キリスト教と現代


『一神教の起源――旧約聖書の「神」はどこから来たのか』(筑摩選書0071)、筑摩書房、2013年。
第1章 一神教とは何か
第2章 「イスラエル」という民
第3章 ヤハウェという神
第4章 初期イスラエルにおける一神教
第5章 預言者たちと一神教
第6章 申命記と一神教
第7章 王国滅亡、バビロン捕囚と一神教
第8章 「第二イザヤ」と唯一神観の誕生


『海の奇蹟――モーセ五書論集』、聖公会出版、2012年。
11論文集
「モーセ五書」の成立
失楽園物語と王権批判
ノアの呪い
アブラハムの祝福
ハガルとイシュマエル
アブラハムとアビメレク
「有りて有るもの」
「海の奇蹟」
祭司文書における供犠と浄、不浄の体系
祭司文書の歴史像
「モーセ五書」の最終形態について


・『日本の神学』53号に鈴木佳秀による書評あり。
・『基督教學』48号、北海道基督教学会(2013年)に古賀清敬による書評あり。
・『本のひろば』2013年5月号に月本昭男による書評あり。


並木浩一、荒井章三編、『旧約聖書を学ぶ人のために』、世界思想社、2012年。
この中の第4部「旧約聖書は現実をどう捉えているか」の第1章「自然と人間」、及び、第5部「旧約聖書研究史・文献紹介」を執筆。

「旧約聖書研究史・文献紹介」は2段組34ページに渡る。全体的に初学者を意図しているが、これだけでも、牧師必携であろう。

この中で、山我哲雄自身が監修者の一人に加わっている『新版 総説 旧約聖書』(日本基督教団出版局、2007年)について、「より最近の動向を踏まえたものだが、最近の旧約研究の多様性というか、悪く言えば定説不在の混乱ぶりを反映して、正直に言ってややまとまりの乏しいものになってしまっている」とのこと(p.304)。


[翻 訳]

K. シュミート、『旧約聖書文学史入門』、教文館、2013年。
 →全目次付きの紹介記事(2015.10.14のブログ)


これの前の翻訳は、オトマール・ケール『旧約聖書の象徴世界――古代オリエントの美術と「詩編」』、教文館、2010年、なんと9400円+税! 高くて買えません。。。


(2015.10.14加筆)


「説教塾」の初期の機関誌 [書籍紹介・リスト]

「説教塾」は加藤常昭を中心に1987年に開始された。

その初期の機関誌『説教塾』は、1988年5月の第1号から1994年7月の第8号まで。発行は説教塾。

その後1999年から、体制を新たにして『紀要・説教』(発売:教文館)として現在に至っている。

説教塾のサイトには、2015年6月19日現在、初期の機関誌『説教塾』についての情報はない。


以下は、『説教塾』の中から、わたしの関心のある主な論考等。

説教塾機関誌編集委員会編『説教塾』創刊号
(1988年5月)

・加藤常昭「説教塾開塾に際して われわれの課題」
・ペーター・ビクセル(山口隆康訳)「机は机」(説教者のための物語)


「説教塾」出版委員会編『説教塾』第2号
(1988年8月)

・加藤常昭「ハイデルベルク大学創立600年記念 国際説教学シンポジウム報告」
・ハイデルベルクグループ(加藤常昭訳)「説教分析のためのテーゼ」
・山口隆康「説教における<内容と形式>の問題(上)」


「説教塾」出版委員会編『説教塾』第3号
(1989年8月)

・山口隆康「説教における内容と形式の問題(下)――説教聴聞とパラダイムの転換」
・芳賀力「神義論と説教の言葉」
・深井智朗「説教分析は可能か――「説教分析は可能か」という問いに対する遠回りな回答の試み」


「説教塾」出版局編『説教塾』第4号
(1990年2月)(発行は1990年3月)

・加藤常昭「わたしの説教分析」
・山口隆康「説教者の能力か神の全権か?――Kompetenz order Vollmacht?」


「説教塾」出版局編『説教塾』第5号
(1990年10月)

・加藤常昭「説教とは何か――説教を説教たらしめるもの・説教が造りだすもの」
・山口隆康「説教の言葉――CS説教に関する二、三の考察」(「講演のための覚書」ということで、末尾に(未完)と記されている)


「説教塾」出版局編『説教塾』第6号
(1991年7月)

・加藤常昭「黄色いキリスト――黄色いキリスト者?」
・山口隆康「正典論と説教聴聞」


「説教塾」出版局編『説教塾』第7号
(1992年6月)

・加藤常昭「説教とは何か――神の言葉としての説教」
・山口隆康「信仰告白と隠喩的言語――<イエスはキリスト>であると言葉で言うのは簡単か?」
・岡村恒「改革派教会における礼拝――H.G.Hageman, "Pulpit And Table"による問題提起」


「説教塾」出版局編『説教塾』第8号
(1994年7月)

・加藤常昭「説教の出来事の終末論的構造」
・山口隆康「鈴木正久の説教に関する一考察」




日本聖書協会『聖書セミナー』と詩編ビデオ [書籍紹介・リスト]

前回、日本聖書協会が発行している『聖書翻訳研究』、『New聖書翻訳』の情報をまとめたが、日本聖書協会から出ている‘不定期’刊行物には、『聖書セミナー』もある。こちらの方は、日本聖書協会の『聖書セミナー』講義録 バックナンバーのページに、最新号のNo.18(2014.8)まで内容が掲載されている。

[追記]
No.15(2011年)の収録内容は、CiNiiBooksの登録データWebCatPlusの登録データを見る。

No.17(2014年)の収録内容は、CiNiiBooksの登録データWebCatPlusの登録データを見る。

(WebCatPlusのデータの並び順は目次の順番ではないので、CiiNiiBooksの方がよい。)



ついでに、日本聖書協会は、オランダ聖書協会が製作した詩編のビデオクリップ(ショートムービー)を日本語版に置き換えて、ユーチューブで公開中。現在、詩編1、13、51、139、146編の五本がアップされている。朗読は、139編のみ久米小百合、他は日高恵による。→YouTubeの日本聖書協会のチャンネル

新しい試みで、これからに大いに期待したい。

個人的には、そんなに映像を凝らなくても、一つの風景を写しながら、癒し系(?)の音楽と普通の朗読で、結構いけるんじゃないかと思いますが。。。。



タグ:聖書翻訳

日本聖書協会『聖書翻訳研究』 [書籍紹介・リスト]

『聖書翻訳研究』、日本聖書協会。

No.1(1970)~No.33(2014.3)で終了。

各号の内容は、日本聖書協会の「聖書翻訳研究」誌 バックナンバーのページで。


しかし、2015年3月現在、No.32の内容までしか掲載されていないので、No.33の内容を以下にメモしておく。

津村春英、「「ヨハネの手紙一」の翻訳に関するいくつかの提言――「神の愛」を中心として」

小友聡、「コヘレト書3章1-17節の翻訳をめぐって」

浜島敏、「ギュツラフのこだわり――「かしこいもの」と「ごくらく」再考」


他に、「聖書 新共同訳」訂正箇所や聖書翻訳研究 総目次、共同訳のあゆみが収録されているようだ。


後継は『New聖書翻訳』(No.1、2014.5)~。

2010年に開始された新たな翻訳事業に携わる翻訳者の聖書翻訳に関する論考を収録。

No.1には、

和田幹男、「新共同訳とフランシスコ会訳から学ぶ」

大島力、「旧約学の動向と聖書翻訳」

小林進、「聖書翻訳で直面する初歩的な問題」

石川立、「聖書を演じることと翻訳」

石黒圭、「日本語における「省略」の考え方」


を収録。

新しい翻訳の方針や特徴、事業の進め方などについては、新翻訳事業についてのページで。


タグ:聖書翻訳

主要な神学者を紹介した最近の書 [書籍紹介・リスト]

最近似たような本が出ているのでまとめてみた。


R.A.クライン、C.ポルケ、M.ヴェンテ編(佐々木勝彦、佐々木悠、濱崎雅孝訳)、『キリスト教神学の主要著作』、教文館、2013年、444頁、4000円+税。

 オリゲネス『諸原理について』
 アウグスティヌス『三位一体論』
 アンセルムス『モノロギオン』『プロスロギオン』
 トマス『神学大全』
 M. ルター『大教理問答』
 J. カルヴァン『キリスト教綱要』
 Ph. メランヒトン『神学総覧(ロキ・コンムーネス)』
 J. ゲアハルト『神学総覧(ロキ・テオロギキ)』
 F. シュライアマハー『信仰論』
 E. トレルチ『キリスト教の絶対性』
 A. リッチュル『キリスト教への手引き』
 K. バルト『教会教義学』
 P. ティリッヒ『組織神学Ⅰ─Ⅲ』
 W. パネンベルク『組織神学Ⅰ─Ⅲ』
 R. ブルトマン『信仰と理解Ⅰ─Ⅳ』
 E. ユンゲル『世界の秘密としての神』
 D. ボンヘッファー『倫理学』
 J. モルトマン『希望の神学』

18人の神学者の主要著作を紹介。


F.W.グラーフ編(片柳榮一監訳)、『キリスト教の主要神学者 上――テルトゥリアヌスからカルヴァンまで』、教文館、2014年、374頁、3900円+税。

 マルキオン
 カルタゴのテルトゥリアヌス
 オリゲネス
 ニュッサのグレゴリオス
 アウグスティヌス
 カンタベリーのアンセルムス
 クレルヴォーのベルナール
 トマス・アクィナス
 マイスター・エックハルト
 ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス
 オッカムのウィリアム
 グレゴリオス・パラマス
 ジョン・ウィクリフ
 マルティン・ルター
 ジャン・カルヴァン
 ロベルト・ベラルミーノ

 F.W.グラーフ編(安酸敏眞監訳)、『キリスト教の主要神学者 下――リシャール・シモンからカール・ラーナーまで』、教文館、2014、416頁、4200円+税。

 ヨハン・ゲアハルト
 リシャール・シモン
 フィリップ・ヤーコプ・シュペーナー
 ヨハン・ヨアヒム・シュパルディング
 フリードリヒ・シュライアマハー
 ヨゼフ・クロイトゲン
 セーレン・キルケゴール
 ユリウス・ヴェルハウゼン
 アドルフ・フォン・ハルナック
 アルフレッド・ロワジー
 エルンスト・トレルチ
 ルドルフ・ブルトマン
 パウル・ティリッヒ
 カール・バルト
 ラインホールド・ニーバー
 H. リチャード・ニーバー
 カール・ラーナー

知らない神学者も出てくるし、両方揃えると8100円もする。


ハンス・キュンク(片山寛訳)、『キリスト教思想の形成者たち――パウロからカール・バルトまで』、新教出版社、2014年、350頁、2900円+税。

 パウロ
 オリゲネス
 アウグスティヌス
 トマス・アクィナス
 マルチン・ルター
 フリードリヒ・シュライエルマッハー
 カール・バルト

こちらはパウロから始める厳選した7人。

この7人は、一つの時代思想を生み出し、パラダイムを転換・交代させた思想家。

芦名定道による書評が、『本のひろば』2015年2月号、p.4-5にあり(pdf)



というわけで、

キュンクは厳選しすぎているし、グラーフのは多すぎるし、値も張るし、クライン・ポルケ・ヴェンテは神学者というよりも著作に焦点を当てているしで、いまのところ、これは、というものはない。



タグ:歴史 神学者

カルヴァンの礼拝式文の原典 [書籍紹介・リスト]

カルヴァンの基本的な原典集であるCRとOSの中の、Joannis Calvini, "La forme des prières et chantz ecclésiastiques"の所在について。

CRとかOSとかの略号については、マクグラス(高柳俊一訳)『宗教改革の思想』(教文館、2000年)の巻末付録3と4に詳しい。


1.Corpus Reformatorum, vol.34すなわち、Joannis Calvini, Opera Quae Supersunt Omnia,vol.6
この中の161-210欄。礼拝式文は173欄から。(ページではなく、1ページが左右2欄に分けられて、通し番号が振られている)

CRの中のカルヴァンは29巻から87巻の全59巻に渡る。
Ioannis Calvini opera quae supersunt omnia. Edited by Guilielmus Baum, Eduardus Cunitz, and Eduardus Reuss, 59 vols. Corpus Reformatorum 29–87, 1863–1900.

wikipedia(英語)のCorpus Reformatorumに、便利なグーグルブックスへのリンクあり。
CR34への直リンクはこちら

あるいは、ジュネーヴ大学のアーカイブ。vol.6はこの中のTome 6。


2.Ioannis Calvini Opera Selecta, Vol.2の中にある。

"Joannis Calvini Opera Selecta" eds. Petrus Barth and Guilelmus Niesel, 5 vols. 1926–36.
(Petrusはpeterのラテン語表記、GuilelmusはWilhelmのラテン語表記)

GoogleBooksで検索できる。(検索しかできない)
たとえば、"Nostre aide"(我らの助け)で検索すると、51ページのこの部分がヒットする。


3.オハイオ州立大学図書館所蔵の1542年の"La forme des prières et chantz ecclésiastiques"のファクシミリの1959年リプリント版をGoogleブックスで見ることができる





タグ:礼拝式文

植村正久の著作を読める全集(まとめ) [書籍紹介・リスト]

植村正久の著作を収録している主な全集・大系の、収録著作調査のまとめ。


『植村全集』や『植村正久著作集』は、自治体の図書館や一般の大学の図書館にはほとんど所蔵されていません。

でも、少しでも植村の著作にあたることができるようにと、調べました。


斎藤勇編、『植村正久文集』(岩波文庫)、岩波書店、1939年。
http://suno.blog.so-net.ne.jp/2015-01-07

内村鑑三、『日本現代文學全集・講談社版14 内村鑑三集 附 キリスト教文學』、講談社、1964年。
http://suno.blog.so-net.ne.jp/2015-01-09

武田清子編、『現代日本思想大系6 キリスト教』、筑摩書房、1964年。
http://suno.blog.so-net.ne.jp/2015-01-08

武田清子、吉田久一編、『明治文學全集46 新島襄 植村正久 清澤滿之 綱島梁川 集』、筑摩書房、1977年。
http://suno.blog.so-net.ne.jp/2015-01-18

松本三之助編、『近代日本思想大系31 明治思想集Ⅱ』、筑摩書房、1977年。
『近代日本キリスト教文学全集10』、教文館、1978年。
藪禎子、吉田正信、出原隆俊編、『新日本古典文学大系 明治編26 キリスト者評論集』、岩波書店、2002年。
以上3つはまとめてhttp://suno.blog.so-net.ne.jp/2015-02-15



植村正久を収録している大系・全集(その他) [書籍紹介・リスト]

松本三之助編、『近代日本思想大系31 明治思想集Ⅱ』、筑摩書房、1977年。

植村のは次の6本を収録:

「政治主義に関する管見」
「帝国議会の開設」
「政治上の徳義」
「愛国、輿論、及び新聞紙」
「日清戦争を精神問題とせよ」
「福沢先生を弔す」


『近代日本キリスト教文学全集10』、教文館、1978年。

植村のは次の3本を収録:

「詩人論」
「馬琴小説の神髄」
「黒谷の上人」

山形和美の解説あり。

もうひとつの解説、佐古純一郎「「文学界」の評論家たちを中心に」には、植村正久への言及はあまりない様子。


藪禎子、吉田正信、出原隆俊編、『新日本古典文学大系 明治編26 キリスト者評論集』、岩波書店、2002年。

植村の他、巌本善治、徳富蘇峰、北村透谷、内村鑑三の社会評論、及び、山路愛山「現代日本教会史論」を収録。

かなづかいなど底本を忠実に再現、注も、脚注と巻末の補注があって充実している。

植村のは次のものを収録:

「欧洲の文学 其二 トルストイ伯」
「欧州の文学 其三 トーマス、カアライル 上」
「欧州の文学 其四 トーマス、カアライル 下」
「日本の基督教文学」(上、中、下)
「自然界の予言者ウオルズウオルス」(其一、其二)」

これらはみな『植村正久著作集』(新教出版社)に入っているが、「現代表記に全面的に改変されていて、初出の形からは遠い。」とのこと。岩波文庫の『植村正久全集』も本文校訂としては中途半端とのこと。

植村正久についての解説は、藪禎子「精神の地平を拓く――植村正久・巌本善治」(p.595-572)。

なお、同じシリーズの『新日本古典文学大系 明治編12 新体詩 聖書 讃美歌集』(岩波書店、2001)に、植村正久、奥野昌綱、松山高吉編『新撰讃美歌』(明治23年12月)が収録されている(校注と解説は下山孃子)。ただし、楽譜は19曲のみ。



タグ:植村正久
前の30件 | - 書籍紹介・リスト ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。