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日本思想大系25 キリシタン書・排耶書 [読書メモ]

海老沢有道、H.チースリク、土井忠生、大塚光信校注、『キリシタン書 排耶書』(日本思想大系25)、岩波書店、1970年。

キリシタン書として、
「どちりいな-きりしたん」(H-チースリク、土井忠生、大塚光信校注)
「病者を扶くる心得」(H-チースリク、土井忠生、大塚光信校注)
「仏法之次第略抜書」(海老沢有道校注)
「妙貞問答」(中・下巻)(海老沢有道校注)
「サカラメンタ提要付録」(H-チースリク、土井忠生、大塚光信校注)
「御パシヨンの観念」(H-チースリク、土井忠生、大塚光信校注)
「丸血留の道」(H-チースリク、土井忠生、大塚光信校注)
「こんちりさんのりやく」(片岡弥吉校注)
「天地始之事」(田北耕也校注)
を収録。

「参考」として、1591年国字本と1600年国字本との主要な相違点を対照させた「ドチリナ-キリシタン 本文の異同」がpp.477-489にある。

「解説」として、
海老沢有道「キリシタン宗門の伝来」、pp.515-550。
H・チースリク「キリシタン書とその思想」、pp.551-592。
海老沢有道「排耶書の展開」、pp.593-606。

収録書目解題がpp.607-640。

参考文献、ひらがなで表記されたラテン語やポルトガル語の原綴りと意味の「洋語一覧表」あり。


★「どちりいな-きりしたん」は、ヴァチカン図書館蔵の1591年版国字本。


キリシタン教理書 [読書メモ]

海老沢有道他『キリシタン教理書』教文館海老沢有道、井手勝美、岸野久編著、『キリシタン教理書』(キリシタン文学双書、キリシタン研究第30輯)、教文館、1993年、516頁、本体9000円。


■ 集録されているもの

ドチリナ・キリシタン(1600年刊・ローマ字本)(海老沢有道、岸野久校註)
ドチリイナ・キリシタン(1592年刊・ローマ字本)(海老沢有道、岸野久校註)
吉利支丹心得書(海老沢有道校註)
日本ノカテキズモ(海老沢有道校註)
イルマン心得ノ事(海老沢有道校註)
妙貞問答(井手勝美、海老沢有道校註)
仏法之次第略抜書 他(海老沢有道校註)


■ メモ

ドチリナ・キリシタンの1600年(慶長版)のローマ字本が先にあるのは、この全文翻字がこれまでなされていなかったので、それを主とし、対比のために1592年(天正版)ローマ字本の翻字を収めたとのこと(海老沢有道による解説、p.499)。

解説として、フーベルト・チースリク、「キリシタン宗教文学の霊性」p.461~492
これは「キリシタン文化研究会会報」第十八年第四号に収録の論文に加筆したものとのこと。尾原悟の「あとがき」によれば、海老沢有道の『キリシタン南蛮文学入門』の中の「教理(ドチリナ)文学」をそのまま転載すればこれ以上のふさわしい論文はないが、十年余も前からチースリクから解説をいただくことになっていたとのこと。

海老沢有道による、収録書それぞれの「解題」p.493~514。

尾原悟による「あとがき」(p.515~516)では、キリシタン作品を網羅的に集め、詳細な校註を加えたものを編纂したいという思いが綴られた海老沢有道の『キリシタン南蛮文学入門』の短い「はしがき」全文が引用されている。

海老沢有道は、1910.11.20~1992.1.3。『日本キリスト教歴史大事典』の編集委員長を務めた。


キリシタン南蛮文学入門 [読書メモ]

海老沢有道『キリシタン南蛮文学入門』教文館海老沢有道、『キリシタン南蛮文学入門』、教文館、1991年、276+索引9頁。

■ 目次

前篇 総 論
 Ⅰ 序説
 Ⅱ キリシタン南蛮文学の分類
 Ⅲ キリシタン文学の成立基盤
 Ⅳ イエズス会士の日本語研究
 Ⅴ キリシタン文学の用語
後篇 各 論
 Ⅰ 教理(ドチリナ)文学
 Ⅱ 祈祷(オラシヨ)文学
 Ⅲ 典礼・秘跡(サカラメント)文学
 Ⅳ 聖書(スキリツウラ)文学
 Ⅴ 観想(メヂタサン)文学
 Ⅵ 護教(アポロヂヤ)文学
 Ⅶ 殉教(マルチリヨ)文学
 Ⅷ 書簡(カルタス)文学
 Ⅸ 日本文学研究と創作文学
 Ⅹ 反キリシタン文学
 ⅩⅠ南蛮文学
人名索引
書名索引


■ メモ

この本では、フランシスコ・ザビエル(Francisco Xavier)は、シャヴィエルと表記されている。

青年時代にカルヴァンやエラスムスに傾倒してたシャヴィエルは、「より大いなる神の栄光のために」(Ad majorem Dei gloriam)をモットーとしたイエズス会の創立に参加し、イエス・キリストの伝道命令に従って地の果ての日本にまで神の栄光のために渡った。

「世界のすべての人類が、神による同じ被造物として霊性を与えられた存在であり、救いに与るべき価値と権利とを持つものであり、しかもその一個の霊性・人格は、全世界の一切の自然的価値、一切の権力の掌握にもまさる尊い存在」であることをシャビエルは認識した。

「ここにキリスト教の本質的な世界性と人間観とが統一的に再生され、初代教会以来最大の世界布教としてシャビエル自身によって実践的に示されることとなった」。「近世的用件の一つである人間観の確立・世界的視圏の拡大、そして世界史的統一の過程は、まさしくイエズス会によって、というよりシャヴィエルによって教会にもたらされたのであり、日本にもたらされたのであった。」(p.38)

1563年にトリエント公会議で「ローマ・カテキズム」(Catechismus Romanus)が制定されるよりも前に、シャヴィエルはインドや南洋各地における布教体験を踏まえて、1546~47年にクレドによるカテキズモを作成した。鹿児島の青年ヤジロウが彼のもとに至って日本語に翻訳したのはこのカテキズモである。(p.93)


「あまちゃん」名言 [その他]

「あまちゃん」の私的名言

・記録しておかずにはいられない。
・小ネタがらみではなく、人生訓のような言葉。
・セリフのとおりではなく、書き言葉に改めた。


飛び込む前にあれこれ考えたって、どうせその通りにはならないのだから、何も考えずに飛び込め。そうすれば何とかなる。
(天野夏)


生きている限り、大事じゃない時期なんて無い。
(天野アキ)


成長しないと怠けてるみたいに言われる。しかし、成長しなければだめなのか。
(天野アキ)
経済成長至上主義への批判?

自然のいいところばかり利用して、自然の怖いところから目を背けて、そのうち忘れてまう。それが人間の傲慢さだ。
(天野夏)
原子力行政への批判?

好きじゃないことや向いてないことを避けて行きていけるほど、今の世の中甘くない。
(黒川正宗)


どんないい原石も、磨かなかったら宝石にはならない。
(小田勉)


普通にやって、普通に売れるものを作れ。
(天野春子)
奇をてらわずに説教を語れということか。

君の代わりは君しかいない。
(水口琢磨)


向いてなくても続けるというのも、才能だ。
(鈴鹿ひろ美)


プロでもない、素人でもない。アマチュアのなせる業(がある)。
(荒巻太一)
プロとアマの対比はこのドラマの重要なポイントだとわたしは思っている。



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なだいなだ「賢い国」というスローガン [その他]

なだいなだ、「「賢い国」というスローガン」(「人間、とりあえず主義」No.174)、『ちくま』No.504、2013年3月号、筑摩書房、pp.2-3。


言葉のメモ


「強い国」というスローガンについて
こんなスローガンが受けるのは、国民が時代遅れの大国意識を持っている場合に限る。
強い国を主張する人たちは、たいてい自分が強くなれない人たちだ。自分に対する不満を国に転嫁している。
強い国には、お金で最新鋭の武器をかき集めればなれる。


賢い野党になることの勧め
小選挙区での選挙は、野党が分立していたら、大きい党の思う壺だ。「賢い国」は適当に曖昧であるゆえに、中小の政党を一つにまとめうるスローガンだ。



タグ:言葉のメモ

岩波文庫『長崎版 どちりな きりしたん』 [書籍紹介・リスト]

岩波文庫『長崎版 どちりな きりしたん』海老沢有道校注、『長崎版どちりな きりしたん』岩波文庫33-032-1、岩波書店、1950、117+6頁。

重版の際に正誤表が挟まれている。

口絵:羅馬字綴「ドチリナ キリシタン」1592年(天正20年)天草刊 標紙

解題p.3~6。

洋語略解が巻末6頁に渡ってある。


この28-29頁に主の祈り(パアテル ノステルのオラシヨ)が出てくる。

改行なしで記されているが、適宜改行を入れて以下に記す。
てんにましますわれらが御おや
御名をたつとまれたまへ。
御代きたりたまへ。
てんにをひておぼしめすまゝなるごとく、ちにをひてもあらせたまへ。
われらが日々の御やしなひを今日われらにあたへたまへ。
われら人にゆるし申ごとく、われらがとがをゆるしたまへ。
われらをテンタサンにはなし玉ふ事なかれ。我等をけうあく(兇悪)よりのがしたまへ。
アメン。


ふりがなが、御名の御に「み」、御代に「みよ」、日々に「にちにち」、今日に「こんにち」と付けられている。

海老澤有道『日本の聖書――聖書和訳の歴史』講談社学術文庫906(1989年)の巻末付録にもあるが、そこでは、「ちにをひて」が「ちにをいて」に、「テンタサン」と「アメン」がひらがなになっている。


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