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ニーバー『義と憐れみ』 [書籍紹介・リスト]

ラインホールド・ニーバー『義と憐れみ』新教出版社1975年(B6版、図書館で借りたのでカバーなし)ラインホールド・ニーバー(梶原寿訳)、『義と憐れみ――祈りと説教』、新教出版社、1975年、245頁。

原著は、Reinhold Niebuhr (edited by Ursula M. Niebuhr), "Justice and Mercy," Harper & Row, Publishers: NY, 1974.


 扉の次で「はじめに」の前の1ページに、次の二つの言葉が記されている。

神よ、変えることのできない事柄については冷静に受け入れる恵みを、変えるべき事柄については変える勇気を、そして、それら二つを見分ける知恵をわれらに与えたまえ。
(1943年)

なすに価する事柄で生存中に達成できるものは何もない。それゆえ、われわれは希望によって救われなければならない。真、美、善なるもので、歴史の直接的文脈の中で完全な意義を発揮するものは何もない。それゆえ、われわれは信仰によって救われなければならない。われわれがなすどんなことも、たとえそれがどんなに有徳なことであろうとも、一人で達成できるものは何もない。それゆえ、われわれは愛によって救われるのである。
(1951年)

 この前者がセレニティ・プレーヤー(Serenity-Prayer)、すなわち「冷静を求める祈り」、あるいは「ニーバーの祈り」として知られている。これを1943年に書いたのは「マサチューセッツ州の農村ヒースにある会衆派教会」においてであった(「序言」、p.16)。

 「ニーバーの祈り」について過去に記した記事
     → 「ニーバーの祈り」
     → 「山崎直子、武田清子、ニーバーの言葉」


 この二つの言葉の後、ラインホールド・ニーバーの妻アースラ・M・ニーバーによる「はじめに」、目次、アースラ・M・ニーバーによる「序言」、そして本文。

 本文は、ニーバーの50年にわたる牧師としての務めの中で用いられた祈りと、比較的晩年の説教テープから起こされた説教が織り合わされた全15章。このような構成について「ラインホールド・ニーバーは説教者であり牧師であった。これらの説教および祈りは、彼の宣教活動の二つの側面を言い表している。」(「序言」、p.11)。

 祈りは、礼拝式文の順序のように6つにまとめられている。1「朝の祈りと開会の祈り」、3「賛美の祈り」、6「礼拝と感謝の祈り」、9「とりなしの祈り」、12「国家と共同社会のために」、14「信仰共同体のために」。

 「信仰共同体のために」の中には、「礼拝式」として賛美、とりなし、罪の告白、キリエ、といった流れの祈りの言葉や、聖餐式のための祈り、洗礼の言葉と祈り(受洗者は幼児)、結婚式の言葉と祈りも含められている。

ニーバーの典礼への関心
 ニーバーの典礼への関心については、ユニオン神学校の学生に向けて、「準典礼的教会に属し、典礼的教会を評価している者として、私は、典礼的教会の主な長所は、説教にあまり依存していないことだ、と言いたい。仮に説教が悪い場合でも、諸君はそれに耐えることができるのだ。なぜなら、諸君は典礼において上演されている信仰の全ドラマを見ているからである」と語り、また、「『礼典の意味全体を祈りに移しかえ』なければならないことに気づいていた」。(「序言」、p.11)

ニーバーの所属教派
 「準典礼的教会に属し」というニーバーの所属教派については、東京神学大学神学会編『キリスト教組織神学事典』(教文館、1972)の大木英夫による「ニーバー」の項によると、ルター派の教会であるが、「エヴァンジェリカル・アンド・リフォームドというルター派と改革派の系統の合同教会で、今日それは組合派と合併している」とのこと。


 最後の章は「キリスト教的牧師職の危険と困難」で、これは、1953.3.29にユニオン神学校で行われた牧師職についての会議のための講演録。


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