キング牧師の伝記 [書籍紹介・リスト]
梶原壽、『マーティン・ルーサー・キング――共生社会を求めた牧師』(ひかりをかかげて)、日本基督教団出版局、2012、122頁、1260円。
ローティーン向けの伝記シリーズ「ひかりをかかげて」の一つで、写真やイラストも多いが、わずか100頁ほどで簡潔に記されていて、おとなにも良い。
9.11と3.11の経験後から、キング牧師は「この地球という一つの惑星に住むわたしたちが、「人間というひとつの家族として共に生きていくことがはたしてできるのだろうか」という課題」に取り組んだとして意義づける(「読者のみなさんへ」、p.6-8)。
目次
読者のみなさんへ
第1章 平和な明日を求める九・一一犠牲者家族の会
第2章 アフリカ系アメリカ人の先祖たち
第3章 夢見る人・キング牧師の生い立ち
第4章 学生時代に受けた思想的影響
第5章 モンゴメリー・バス・ボイコット運動
第6章 正義の闘いとコーヒーカップの上の祈り
第7章 アメリカのキリスト者へのパウロの手紙
第8章 バーミングハムの獄中からの手紙
第9章 わたしには夢がある
第10章 もう一つのアメリカ
第11章 あなたの敵をも愛しなさい
終わりに ある白人女子高校生からの見舞い状
最後に簡単な年譜付き。
梶原壽は2014.5.6死去。
■読みやすい伝記
キング牧師の読みやすい伝記として、その他のおすすめは、
●猿谷要、『キング牧師とその時代』(NHKブックス699)、日本放送出版協会、1994年、237頁。
薄い本だが、うまくまとめてある。巻末に年表と有用な文献表あり。日本語版のある文献を、英語の著者・タイトル・出版社と共に示しているのがよい。
●辻内鏡人、中條献、『キング牧師――人種の平等と人間愛を求めて』(岩波ジュニア新書221)、1993、213頁。
ジュニア向けだが、読みやすい手頃な伝記。
■より本格的な伝記
クレイボーン・カーソン編(梶原寿訳)、『マーティン・ルーサー・キング自伝』、日本基督教団出版局、2001年、486頁、5500円+税。
様々な著作、資料を元にしてキング牧師の「自伝」を構成したもの。分量、値段からして本格派向け。
■その他
R.バロウ(山下慶親訳)、『はじめてのキング牧師』(イラストでよむ神学入門シリーズ)、教文館、2011、250頁、1995円。
見ていないので不明。
リチャード・リシャー(梶原壽訳)、『説教者キング――アメリカを動かした言葉』、日本基督教団出版局、2012、554頁、8400円。
生い立ちから説教や演説の技法、神学を研究した本格的な書。
ローティーン向けの伝記シリーズ「ひかりをかかげて」の一つで、写真やイラストも多いが、わずか100頁ほどで簡潔に記されていて、おとなにも良い。
9.11と3.11の経験後から、キング牧師は「この地球という一つの惑星に住むわたしたちが、「人間というひとつの家族として共に生きていくことがはたしてできるのだろうか」という課題」に取り組んだとして意義づける(「読者のみなさんへ」、p.6-8)。
目次
読者のみなさんへ
第1章 平和な明日を求める九・一一犠牲者家族の会
第2章 アフリカ系アメリカ人の先祖たち
第3章 夢見る人・キング牧師の生い立ち
第4章 学生時代に受けた思想的影響
第5章 モンゴメリー・バス・ボイコット運動
第6章 正義の闘いとコーヒーカップの上の祈り
第7章 アメリカのキリスト者へのパウロの手紙
第8章 バーミングハムの獄中からの手紙
第9章 わたしには夢がある
第10章 もう一つのアメリカ
第11章 あなたの敵をも愛しなさい
終わりに ある白人女子高校生からの見舞い状
最後に簡単な年譜付き。
梶原壽は2014.5.6死去。
■読みやすい伝記
キング牧師の読みやすい伝記として、その他のおすすめは、
●猿谷要、『キング牧師とその時代』(NHKブックス699)、日本放送出版協会、1994年、237頁。
薄い本だが、うまくまとめてある。巻末に年表と有用な文献表あり。日本語版のある文献を、英語の著者・タイトル・出版社と共に示しているのがよい。
●辻内鏡人、中條献、『キング牧師――人種の平等と人間愛を求めて』(岩波ジュニア新書221)、1993、213頁。
ジュニア向けだが、読みやすい手頃な伝記。
■より本格的な伝記
クレイボーン・カーソン編(梶原寿訳)、『マーティン・ルーサー・キング自伝』、日本基督教団出版局、2001年、486頁、5500円+税。
様々な著作、資料を元にしてキング牧師の「自伝」を構成したもの。分量、値段からして本格派向け。
■その他
R.バロウ(山下慶親訳)、『はじめてのキング牧師』(イラストでよむ神学入門シリーズ)、教文館、2011、250頁、1995円。
見ていないので不明。
リチャード・リシャー(梶原壽訳)、『説教者キング――アメリカを動かした言葉』、日本基督教団出版局、2012、554頁、8400円。
生い立ちから説教や演説の技法、神学を研究した本格的な書。
パネンベルクと「歴史の神学」 [書籍紹介・リスト]
パネンベルクが9月5日に死去した。ちなみに、モルトマンはパネンベルクより2歳ほど年上であるがまだ存命中。
Wolfhart Pannenberg, 1928.10.2-2014.9.5
■歴史の神学
「歴史の神学」はパネンベルクによって代表される神学的立場。パネンベルクのほかに、U.ウィルケンス、R.レントルフ、T.レントルフなど。
パネンベルクは、論文「救済の出来事と歴史」(1959)で広く注目されるようになり、ハイデルベルクの同僚たち(ハイデルベルク・グループと呼ばれる)による共同研究の成果としての論文集『歴史としての啓示』(1961)でその神学主張が明確にされた。
「救済史の出来事と歴史」は、近藤勝彦、芳賀力訳、『組織神学の根本問題』、日本基督教団出版局、1984年に収録されている。
『歴史としての啓示』は、大木英夫他訳で、聖学院大学出版会、1994年。
■「救済の出来事と歴史」の冒頭
論文「救済の出来事と歴史」の冒頭部分は、パネンベルクの出発点として有名な個所である。
以下、わたしなりの要約。
キリスト教神学は歴史を前提としている。その歴史とは「神が人類とともに、また人類を通して自らの被造物全体と共有している歴史」であり、「イエス・キリストにおいてすでに啓示されている将来へと向かっている歴史」である。
この立場は、歴史を実存の歴史性へと解消するブルトマンやゴーガルテンの実存の神学とも、本来の信仰内容は超歴史的であるというホフマンやマルティン・ケーラー以来の救済史的神学(「原歴史」を考えるバルトもここに含まれる)とも異なる。両者の立場とも、救済の出来事に場所を与えない歴史的・批評的研究の高潮から避難するあまり、救済の出来事が生起する本来の歴史を無価値にしてしまっている。
「パネンベルクは、・・・客観的な歴史的事実によって構成される歴史的世界の中にこそ救済の出来事は位置づけられるべきものとする。」(佐藤敏夫)
「パネンベルクの言う「歴史」とは「普遍史」であり、この「普遍史」と、すべてを規定する力である「神」とが、彼の組織神学の根本問題とされている・・・。」(近藤勝彦)
■「歴史の神学」の射程の広がりとその後
パネンベルクの神学は、「バルト、ブルトマン以降の第三の神学」、「理性の神学」、「復活の神学」、「下からのキリスト論」など様々な言い方がされている。
たとえば、パネンベルクは歴史の神学の考え方から、人間イエスについての歴史的認識から出発して、イエスの神性の認識へと至るキリスト論(「下からのキリスト論」)を展開した。その鍵は、歴史的事実としての復活こそイエスの神性を基礎づけるものとするところにある。同時に、復活は終末の先取り(prolepsis)として重要な転回点となっているとする(「復活の神学」)。
「「神と普遍史」を根本問題とする神学は、人間と世界の現実全体にかかわる学として普遍的な学となる。」
以上は、『組織神学の根本問題』の巻末の近藤勝彦による「解説」、p.333~334。及び、『キリスト教組織神学事典』増補版(教文館、1983)「歴史の神学」、「パネンベルク」の項。
しかしキリスト論について後には、組織神学の三位一体論的な枠組みの中で、イエスが受肉した神の子であることをキリスト論の課題とし、それを父なる神との特別な関わりに求め、さらに御子の受肉を、神の像にしたがって造られた人間の創造の完成と見なしたが、この考え方について、「もはやわたしがずっと以前に「下からのキリスト論」と呼んだものではない。」と語っている。(佐々木勝彦訳『組織神学入門』、p.94)
濱崎雅孝「パネンベルクとポスト基礎づけ主義」(『キリスト教と近代化の諸相』京都大学現代キリスト教思想研究会、2008.3)によると、パネンベルクの『組織神学』以降の特徴からPostfoundationalist(ポスト基礎づけ主義者)と言われるらしい。
「パネンベルク神学の鍵概念を「理性」と考える研究者は、『科学理論と神学』(1973)に依拠しており、「歴史」と考える研究者は、『歴史としての啓示』(1961)に依拠しており、「先取り」と考える研究者は、『キリスト論要綱』(1964)に依拠している。いずれも『組織神学』(1988~1993)よりかなり前に書かれたものである。」
(p.81の注2)
■パネンベルクやその初期の神学を簡潔に紹介している文献
●『キリスト教組織神学事典』増補版(教文館、1983)の佐藤敏夫「歴史の神学」の項、近藤勝彦「パネンベルク」の項。
●パネンベルク(西谷幸介訳)『現代キリスト教の霊性』(教文館、1987)の巻末にある訳者付論「パネンベルク歴史神学の要点」。
●A.E.マクグラス編『現代キリスト教神学思想事典』(新教出版社、2001)のマクグラス「パネンベルク」の項。
Wolfhart Pannenberg, 1928.10.2-2014.9.5
■歴史の神学
「歴史の神学」はパネンベルクによって代表される神学的立場。パネンベルクのほかに、U.ウィルケンス、R.レントルフ、T.レントルフなど。
パネンベルクは、論文「救済の出来事と歴史」(1959)で広く注目されるようになり、ハイデルベルクの同僚たち(ハイデルベルク・グループと呼ばれる)による共同研究の成果としての論文集『歴史としての啓示』(1961)でその神学主張が明確にされた。
「救済史の出来事と歴史」は、近藤勝彦、芳賀力訳、『組織神学の根本問題』、日本基督教団出版局、1984年に収録されている。
『歴史としての啓示』は、大木英夫他訳で、聖学院大学出版会、1994年。
■「救済の出来事と歴史」の冒頭
論文「救済の出来事と歴史」の冒頭部分は、パネンベルクの出発点として有名な個所である。
以下、わたしなりの要約。
キリスト教神学は歴史を前提としている。その歴史とは「神が人類とともに、また人類を通して自らの被造物全体と共有している歴史」であり、「イエス・キリストにおいてすでに啓示されている将来へと向かっている歴史」である。
この立場は、歴史を実存の歴史性へと解消するブルトマンやゴーガルテンの実存の神学とも、本来の信仰内容は超歴史的であるというホフマンやマルティン・ケーラー以来の救済史的神学(「原歴史」を考えるバルトもここに含まれる)とも異なる。両者の立場とも、救済の出来事に場所を与えない歴史的・批評的研究の高潮から避難するあまり、救済の出来事が生起する本来の歴史を無価値にしてしまっている。
「パネンベルクは、・・・客観的な歴史的事実によって構成される歴史的世界の中にこそ救済の出来事は位置づけられるべきものとする。」(佐藤敏夫)
「パネンベルクの言う「歴史」とは「普遍史」であり、この「普遍史」と、すべてを規定する力である「神」とが、彼の組織神学の根本問題とされている・・・。」(近藤勝彦)
■「歴史の神学」の射程の広がりとその後
パネンベルクの神学は、「バルト、ブルトマン以降の第三の神学」、「理性の神学」、「復活の神学」、「下からのキリスト論」など様々な言い方がされている。
たとえば、パネンベルクは歴史の神学の考え方から、人間イエスについての歴史的認識から出発して、イエスの神性の認識へと至るキリスト論(「下からのキリスト論」)を展開した。その鍵は、歴史的事実としての復活こそイエスの神性を基礎づけるものとするところにある。同時に、復活は終末の先取り(prolepsis)として重要な転回点となっているとする(「復活の神学」)。
「「神と普遍史」を根本問題とする神学は、人間と世界の現実全体にかかわる学として普遍的な学となる。」
以上は、『組織神学の根本問題』の巻末の近藤勝彦による「解説」、p.333~334。及び、『キリスト教組織神学事典』増補版(教文館、1983)「歴史の神学」、「パネンベルク」の項。
しかしキリスト論について後には、組織神学の三位一体論的な枠組みの中で、イエスが受肉した神の子であることをキリスト論の課題とし、それを父なる神との特別な関わりに求め、さらに御子の受肉を、神の像にしたがって造られた人間の創造の完成と見なしたが、この考え方について、「もはやわたしがずっと以前に「下からのキリスト論」と呼んだものではない。」と語っている。(佐々木勝彦訳『組織神学入門』、p.94)
濱崎雅孝「パネンベルクとポスト基礎づけ主義」(『キリスト教と近代化の諸相』京都大学現代キリスト教思想研究会、2008.3)によると、パネンベルクの『組織神学』以降の特徴からPostfoundationalist(ポスト基礎づけ主義者)と言われるらしい。
「パネンベルク神学の鍵概念を「理性」と考える研究者は、『科学理論と神学』(1973)に依拠しており、「歴史」と考える研究者は、『歴史としての啓示』(1961)に依拠しており、「先取り」と考える研究者は、『キリスト論要綱』(1964)に依拠している。いずれも『組織神学』(1988~1993)よりかなり前に書かれたものである。」
(p.81の注2)
■パネンベルクやその初期の神学を簡潔に紹介している文献
●『キリスト教組織神学事典』増補版(教文館、1983)の佐藤敏夫「歴史の神学」の項、近藤勝彦「パネンベルク」の項。
●パネンベルク(西谷幸介訳)『現代キリスト教の霊性』(教文館、1987)の巻末にある訳者付論「パネンベルク歴史神学の要点」。
●A.E.マクグラス編『現代キリスト教神学思想事典』(新教出版社、2001)のマクグラス「パネンベルク」の項。
タグ:神学者