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「SNSと伝道」参考文献に挙げなかった文献 [書籍紹介・リスト]


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日本基督教団宣教研究所委員会編『宣教の未来 五つの視点から』(日本キリスト教団出版局、2021年12月)に収録されている「SNSと伝道――教会もSNSをすべき理由」で、

参考文献に挙げなかった、挙げられなかった文献

を紹介します。読書・研究の参考にどうぞ。

(コメントは個人の感想です。)

教団出版局目 次参考文献リンク集索 引

あ行

  • 東浩紀、『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか+』(東浩紀アーカイブス2)(河出文庫)、河出書房新社、2011年。サイバースペースという呼び方に含まれている空間の隠喩について、マクルーハン、ウィリアム・ギブスンとフィリップ・K・ディック、フロイト、ジジェクとタークル、ラカンとソブチャック、デリダ、ボードリヤール、ベンヤミンなど、ポストモダンの現代思想を縦横に参照しながら検討する論考で難解。
  • 池田純一、『ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球時代>の構想力』(講談社現代新書2093)、講談社、2011年。Apple、Google、Facebookなどの創業者のビジョンやエンタープライズの背後にある理念を比較し、様々な哲学者や思想を引き合いにしながらアメリカの精神史の中に位置づける。そして、ウェブ企業論を語りつつ、Whole Earth(全球)という視点に次の時代の新たなビジョンの可能性を見出す。ウェブ企業論や次代のビジョンについては、より新しい『〈未来〉のつくり方――シリコンバレーの航海する精神』(講談社現代新書2315、2015年5月)がある。
  • 池田純一、『ウェブ文明論』(新潮選書)、新潮社、2013年。インターネットによる社会の変化を論じるいわゆるウェブ社会論やウェブ文化論的な内容ではなく、現代アメリカの社会・経済・産業(特にIT業界)・政治(特に大統領選)などの動向を、インターネットの影響に関心を寄せながら記した紀行文的エッセイ集。内容が時事的だし、アメリカを素描することが中心なので、ソーシャルメディア論やネット社会のコミュニケーション論といった観点からは読む必要は全くない。
  • 石井研士、『テレビと宗教――オウム以後を問い直す』(中公新書ラクレ293)、中央公論新社、2008年。出版年的にSNSに関連する記述はないが、「終章 情報化社会と宗教のゆくえ」で、日本における1980年代後半からの宗教団体のコンピュータネットワークや、90年代半ばからのホームページの開設状況が紹介されている。
  • 石田英敬、『大人のためのメディア論講義』(ちくま新書1167)、筑摩書房、2016年。情報記号論からメディアというものを論じるので、今回の関心には合わなかった。
  • 糸井重里、『インターネット的』(PHP文庫)、2014年。2001年のPHP新書に増補、文庫化したもの。本條晴一郎、遊橋裕泰、『災害に強い情報社会――東日本大震災とモバイル・コミュニケーション』(NTT出版、2013年)の中で、通信インフラが損壊した災害時において、人から人への「インターネット的」なコミュニケーションが重要であることが論じられていた。
  • 伊藤昌亮、『デモのメディア論――社会運動社会のゆくえ』(筑摩選書0057)、筑摩書房、2012年。脱稿してから読んだ。3.11後の反原発デモにおけるSNSの役割や意義について詳しく論じている、言及すべきだった文献。Amazonにカスタマーレビューを書いた。
  • 印刷博物館編、『日本印刷文化史』、講談社、2020年。「キリシタン版」の話は囲み記事のコラム4頁のみであり、内容的にもたいしたことなかった。
  • 梅田望夫、『ウェブ進化論――本当の大変化はこれから始まる』(ちくま新書582)、筑摩書房、2006年。一時期注目されたが、今やもういいかな。「書けばきっと誰かに届くはず」という意識(第4章)は重要。有名になった羽生善治の高速道路の話は第6章の冒頭。
  • 遠藤薫編著、『大震災後の社会学』(講談社現代新書2136)、講談社、2011年。東日本大震災で露わになったメディアの問題を整理し、第7章「震災とメディア」で災害時におけるソーシャルメディアの可能性を検討している。拙稿の「大規模災害時の情報発信」のところで参照すべきだった文献。その他、災害ボランティアの専門化の出現と迷惑論との関係なども考察、安全か危険かを強調するだけではない災害時のジャーナリズムが果たすべき役割についても議論している。
  • 遠藤薫、『メディアは大震災・原発事故をどう語ったか――報道・ネット・ドキュメンタリーを検証する』東京電機大学出版局、2012年。新聞・テレビの報道やデータを、後の研究のために詳細な時系列にまとめ、あるいは具体的な内容を記録し、様相を整理して提示したもの。深い考察までは記されていない。ネットメディアとマスメディアとの連携が随所で意識されており、著者はこれを「間メディア性」と言って、他の著書でもその重要性を指摘している。特に第2章で、ソーシャルメディアとマスメディアが連携した実例として、NHKテレビの災害報道がUstreamに転載されたことをNHK広報部のツイッター担当者が独断でリツイートした経緯や、GoogleのPerson Finder、各種動画サイトにおける省庁の記者会見の生放送の記録などを記している。今回の拙論には特に有用な記述はなかった。
  • 大黒岳彦、『情報社会の<哲学>――グーグル・ビッグデータ・人工知能』、勁草書房、2016年。言葉遣いが極めて衒学的なのでこの人の著作は読まない。
  • 小川克彦、『つながり進化論――ネット世代はなぜリア充を求めるのか』(中公新書2100)、中央公論新社、2011年。いかにも新書的なサブタイトルが付けられているが、人とのつながりを求めつつも相手に反応を強要しないように気に掛けるという、ネット世代の心情を明らかにしている。当時の大学生の様子やmixiの例など古さを感じるが、SNSコミュニケーションでのつながりに関する意識を考える上では、現在でも有用かも(特に4~6章)。
  • 小此木啓吾、『「ケータイ・ネット人間」の精神分析――少年も大人も引きこもりの時代』、飛鳥新社、2000年12月。後に朝日文庫(2005年)。ネットの影響だけでなく現代の人々の傾向を「引きこもり」として様々な精神医学的事例や事件を元に精神科医が語る。

か行

  • 木下晃伸、『デジタルネイティブの時代』、東洋経済新報社、2009年。近隣の図書館になかったし、ビジネス寄りの話題を取り上げている感じに思えて読んでいない。
  • 木村忠正、『ハイブリッド・エスノグラフィー――NC(ネットワークコミュニケーション)研究の質的方法と実践』、新曜社、2018年。同じ著者の『デジタルネイティブの時代――なぜメールせずに「つぶやく」のか』(平凡社新書、2012年)が、いかにも新書っぽいサブタイトルとは裏腹に、学問的な手続きにかなりのページを割いている研究書で、得るところが多かったので、こちらも読んでみた。『デジタルネイティブの時代』で紹介した方法論を詳述し、そこでの議論を日米比較などを通してさらに深化させた学術書。
  • 草野真一、『SNSって面白いの?――何が便利で、何が怖いのか』(ブルーバックスB-1926)、講談社、2015年。当時の中高生向けで、文献表に挙げるほどではなかった。
  • 小泉宣夫、圓岡偉男、『情報メディア論――テクノロジー・サービス・社会』、講談社サイエンティフィク、2016年。タイトルに「情報メディア論」とあるが、大学1~2年次の一般教養の教科書。

さ行

  • セブ山、『インターネット文化人類学』、太田出版、2017年。学問的な文化人類学ではなく、サブカルチャー的なネタのインタビューや実験・検証記事をまとめたもの。匿名アカウントの内容から個人を特定できてしまった話は衝撃的。
  • 清水幾太郎、『流言蜚語』(ちくま学芸文庫シ26-1)、筑摩書房、2011年。流言飛語の具体例を挙げて分析するのではなく、流言蜚語という社会的現象を人々に影響を与える報道の一種(もちろんアブノーマルな報道だが)と捉えて考察する。戦前の1937年初版なのでネット時代の流言飛語には当てはまらない面もあるが、報道や輿論の機能や性質について深く考察している。流言蜚語は、報道の空白や通信の杜絶、過度な検閲などによって生じる情報に対する「飢え」を地盤として、その空隙を埋めようとして発生する(「情報」という言葉は使われていないが)。流言蜚語は「無根拠なうわさ」と言われるが、全く無根拠ではなく、不十分な事実があってこそ成立する。人々が報道と流言蜚語とを区別するのはそれぞれの内容によってではなく、署名があるか、文字として客観化されているかなどの形式によってである。つまり、報道と流言蜚語とを区別するのは知識ではなく、こういった形式への信頼であり、こういった形式が信頼に足るとするのは一種の「信仰」であるとする。

た行

  • 高野明彦、吉見俊哉、三浦伸也、『311情報学――メディアは何をどう伝えたか』(叢書 社会と震災)、岩波書店、2012年。デジタルアーカイブの話。特に重要な点はなし。
  • 立入勝義、『ソーシャルメディア革命――「ソーシャル」の波が「マス」を呑み込む日』(ディスカヴァー携書)、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2011年。2010年当時の北米でのソーシャルメディアの最新事情、特にソーシャルメディアを用いたマーケティングの状況や、日本での可能性、ソーシャルメディアの未来図など。今となっては読まなくてよい。
  • 立入勝義、『検証 東日本大震災――そのときソーシャルメディアは何を伝えたか?』(ディスカヴァー携書)、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2011年。大震災後かなり早い時期に出版されたが、そのせいか内容的には他書を読めば十分。
  • 田中幹人、標葉隆馬、丸山紀一朗、『災害弱者と情報弱者――3・11後、何が見過ごされたのか』(筑摩選書47)、 筑摩書房、2012年。脱稿後に読んだ。東日本大震災の被害データの分析から災害弱者は情報弱者であることを論証し、それのみならず、ソーシャルメディアやウェブメディアでの情報の偏りの問題を指摘して、社会に対する視点の多様性を確保するために、情報を編集して提示するジャーナリズム的な営為が我々すべてに求められることを論じている。書名からはそこまで見えないのが残念である。
  • タプスコット,ドン(栗原潔訳)、『デジタルネイティブが世界を変える』、翔泳社、2009年。近隣の図書館になかったので読んでません。海外と日本とで世代の特徴は異なると思われるので、関心は後回しのまま。
  • 津田大介、『ゴミ情報の海から宝石を見つけ出す――これからのソーシャルメディア航海術』(PHPビジネス新書308)、PHP研究所、2014年。著者の『情報の呼吸法』(朝日出版社、2012年)と合わせてツイッター術の教科書になるが、全6章のうち、情報の受け方と発し方を示す第2章と第3章だけ読めばよい。
  • 徳田雄洋、『デジタル社会はなぜ生きにくいか』(岩波新書 新赤1185)岩波書店、2009年。同じ著者の『震災と情報――あのとき何が伝わったか』(岩波新書 新赤1343、2011年)を読んだので、こちらも読んでみたが、面白くなかった。
  • 土橋臣吾、南田勝也、辻泉 編著、『デジタルメディアの社会学――問題を発見し、可能性を探る』改訂版、北樹出版、2013年。初版は2011年で、第3版が2017年に出ているが、目次は全然変わっていない。デジタルメディアを当然の環境のように受け入れているデジタルネイティブ世代向けに、デジタルメディアの問題を発見し可能性を探るための教科書(大学初年度向け)。内容的にもう古い。

な行

  • 中橋雄、『メディア・リテラシー論――ソーシャルメディア時代のメディア教育』、北樹出版、2014。2021年に改訂版が出ている。メディアに関する研究を専攻する大学生やメディア教育に携わる教師を主な読者層として想定して書かれた教科書。読者がメディアリテラシーを身に付けるための本ではなく、メディアリテラシー教育を行う側にとっての入門書。小学校などでのメディアリテラシー教育の実例を随所で挙げる。一般の人がメディアリテラシーについて知るには改訂版(2021年)の1~5章までを読めばいい。
  • 西垣通、『続 基礎情報学――「生命的組織」のために』、NTT出版、2008年。難しいので今はやめておく。同じ著者の『ネットとリアルのあいだ――生きるための情報学』(ちくまプリマー新書、筑摩書房、2009年)が読みやすく、著者の「基礎情報学」の平易な紹介になっていると思う。

は行

  • 橋元良明+電通総研 奥律哉、長尾嘉英、庄野徹、『ネオ・デジタルネイティブの誕生――日本独自の進化を遂げるネット世代』、ダイヤモンド社、2010年。メディア環境の変化と行動様式などの定量調査・定性調査から、76(ナナロク)世代と86(ハチロク)世代で行動と意識が大きく異なることを示すとともに、さらに異なる価値観を持った96世代以降を中心とするネオ・デジタルネイティブの出現を示す。丁寧に読めば若い世代の価値観や意識、行動を知る上で現在でも有益な指摘があるだろうが、しかし、今や「Z世代」だし、ビジネス書に近い筆致なのが残念。
  • 濱野智史、『アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか』(ちくま文庫)、筑摩書房、2015年。単行本(NTT出版、2008年)の文庫化。「文庫版あとがき」を追加。佐々木俊尚の「解説」はたいして役に立たない。2ちゃんねる、ミクシィ、ニコニコ動画、ツイッターなどを挙げているので、アーキテクチャの重要性について知るのにレッシグ『CODE』(後に『CODE VERSION2.0』)より親しみやすい。ちなみに著者は本書刊行後、『前田敦子はキリストを超えた――〈宗教〉としてのAKB48』(ちくま新書、2012年)を著している。Amazonにカスタマーレビューを書いた。
  • 藤原智美、『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』、文藝春秋、2014年。書き言葉による自己との対話や思考は、ネットではなく本でなければできず、そこに「つながらない」価値があるという、作家によるエッセイ。

ま行

  • マクルーハン, マーシャル(栗原裕、河本仲聖訳)、『メディア論――人間の拡張の諸相』、みすず書房、1987年。これと『グーテンベルクの銀河系――活字人間の形成』(みすず書房、1986年)も読み直した(ページをざっとめくってみただけ)が、引用には至らず。『メディアはマッサージである』(河出書房新社、1995年、新装版2010年、2015年に新訳文庫化)の方が内容的に関連するかも。なお、マクルーハンは26歳でカトリックに「改宗」したということで、「プロテスタント的な活字文化への反発」(佐藤卓己『現代メディア史 新版』2018年、p.230)があったことはよく知られているらしい。
  • 松下慶太、『デジタル・ネイティブとソーシャルメディア――若者が生み出す新たなコミュニケーション』、教育評論社、2012年。大学での講義をまとめたものでさすがにもう古い。大人の世代である「デジタル・イミグランツ」は、どんなにデジタルメディアを使いこなしても、デジタル・ネイティブになれない(第1章)。第2章で、ソーシャル・キャピタル、6次の隔たり(スモールワールド)、マタイ効果、パレートの法則、ロングテールなどを一通り紹介しているので、知らない人にはこの章だけ有用かも。
  • 松田美佐、土橋臣吾、辻泉編、『ケータイの2000年代――成熟するモバイル社会』、東京大学出版会、2014年。いわゆるケータイが人間関係や社会にどのような影響を与えたのか、ケータイが日常的に利用される社会とはどのような社会なのかを、2001年と2011年の学術的な調査結果を基に実証的に明らかにする。調査データの表やその分析に多くの紙面を割いており、また、2011年はスマートフォンの所有者数やSNS利用度が高まる過渡期であったため、今となってはほぼ読む必要はない。ただ、ソーシャルメディアの利用による「自己の多元化」を明らかにしようとする第4章や、人々が流動化・個人化したままにネットワークを形成するような新しい社会性・公共性の可能性を提示しようとする終章は、リースマン、バウマン、ギデンズなどの基礎的な文献を知る上で有用であった。Amazonにカスタマーレビューを書いた。
  • 三村忠史、倉又俊夫、NHK「デジタルネイティブ」取材班、『デジタルネイティブ――次代を変える若者たちの肖像』(NHK出版 生活人新書278)、日本放送出版協会、2009年。デジタルネイティブの世代的な傾向や特徴ではなく、その世代の中で、新しいビジネス興した若者や今で言うインフルエンサー的な突出した若者を取材した、NHKスペシャル(2008年11月10日放送)の記録。テレビ番組は大きな反響を呼んだが、今となってはあえて読む必要はない。

や行

  • 柳田邦男、『壊れる日本人――ケータイ・ネット依存症への告別』、新潮社、2005年。後に文庫化。作家によるエッセイ。

(2022.9.15加筆、修正)


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「SNSと伝道」索引(キリスト教関連と聖句) [書籍紹介・リスト]


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日本基督教団宣教研究所委員会編『宣教の未来 五つの視点から』(日本キリスト教団出版局、2021年12月)に収録されている「SNSと伝道――教会もSNSをすべき理由」のキリスト教関連・その他の団体・新聞雑誌・個人名索引と聖句索引。

教団出版局目 次参考文献リンク集|索 引|参考文献に挙げなかった文献

キリスト教関連その他の団体・新聞雑誌・個人名索引

  • 朝日新聞 181,182,183,185,190,199,213
  • イエズス会 159
  • 海老沢有道 159
  • 大嶋重徳 218
  • 奥田知志 197
  • 柏教会 194(197)
  • 上馬キリスト教会 213
  • 川島堅二 160
  • 木村花 181
  • キリスト新聞 213
  • 久米淳嗣 192
  • ゲーテ 170
  • 近藤勝彦 226
  • システィーナ礼拝堂 223
  • SEALDs 188
  • 信徒の友 210
  • スターバックス 169
  • 谷本仰 213
  • 東京新聞 186
  • トランプ,ドナルド 191(204)
  • 中島みゆき 223
  • 中山信児 195
  • 日本基督教団 160,218,228
  • 日本基督教団福音主義教会連合 218
  • 日本経済新聞 183,221
  • 芳賀力 199
  • 張田眞 218
  • 毎日新聞 162
  • 平野克己 224,227
  • 蛭沼寿雄 159
  • フランシスコ教皇 185,191,202,207
  • フロイド,ジョージ 189
  • ミケランジェロ 223
  • ミニストリー 192,224
  • 森本あんり 171
  • 米津玄師 223
  • 礼拝と音楽 195

聖句索引

  • 詩編46:11  199
  • 箴言4:23  210
  • 箴言4:24  203
  • 箴言29:11  181
  • コヘレト7:21  174
  • マタイ13:12  196
  • マルコ16:15  202
  • ルカ15:6,9  202
  • 使徒1:8  202
  • 使徒20:35  202
  • ローマ12:2  195
  • 1コリント9:23  202
  • ガラテヤ5:22-23  228
  • 1テモテ4:7  192


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「SNSと伝道」で引用・紹介しているサイト [書籍紹介・リスト]


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日本基督教団宣教研究所委員会編『宣教の未来 五つの視点から』(日本キリスト教団出版局、2021年12月)に収録されている「SNSと伝道――教会もSNSをすべき理由」の中で引用・紹介しているサイトやpdfへのリンクの一覧です。

なるべく本になっているものを注に記したので、URLの参照は少なめです。

教団出版局目 次参考文献|リンク集|索 引参考文献に挙げなかった文献

p.159,160

石井研士、『高度情報化社会と宗教に関する基礎的研究』(平成11年度~14年度科学研究費補助金 基盤研究(B)(2)研究成果報告書)、2003年。(pdf)

この中に、石井研士「ラジオと宗教」、川島堅二「日本基督教団所属教会のインターネット利用調査」などあり。

p.167

Appliv、「『Twitter』の利用実態をアンケート調査! 10代のアカウント所有率は8割超に」(2019年6月24日)

10代から60代の42%は複数のツイッターアカウントを利用している。

p.185

フランシスコ教皇の2020年の灰の水曜日の一般謁見(2020年2月26日)

バチカン・ニュース(日本語)。「・・・四旬節はテレビや携帯電話を消して、聖書を開き、福音に親しむように・・・」

p.189

『MITテクノロジーレビュー』、イーサン・ザッカーマン、「『国民総カメラマン』時代に警察の暴行を止められない理由」(2020年6月11日)

映像には「人々に衝撃を与え、憤慨させ、制度的な変更を要求する人々を動員する力」がある。

p.194

ツイッター・ジャパン、「災害に備えるためのTwitter活用法」(2019年8月5日)

災害時のライフラインとしてのツイッター利用について。

p.202,207

カトリック中央協議会、第48回『世界広報の日』教皇メッセージ「真正な『出会いの文化』に資するコミュニケーション」(2014年5月25日)

「大胆に、デジタル世界の市民になりましょう。」「自分と異なる人々を理解しようとするなら、忍耐もまた必要です。」

「世界広報の日メッセージ」で重要なのは他に、

第36回(2002年1月24日、ヨハネ・パウロ二世「インターネット 福音宣教の新たな場・フォーラム」)

第52回(2018年5月6日、フランシスコ「フェイクニュースと平和的ジャーナリズム」)

第53回(2019年5月26日、フランシスコ「ソーシャル・ネットワーク・コミュニティから人間共同体へ」)

など。

p.209

Eytan Bakshy et al., ‘Role of Social Networks in Information Diffusion,’ “WWW '12: Proceedings of the 21st international conference on World Wide Web,” April 2012, pp.519-528。(pdf)

フェイスブックは閉じた仲間内で情報を共有し合っていて情報が拡散しにくいとの批判に対して、日常的にやり取りのない人から受ける情報の方が多いという調査結果の報告。


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「SNSと伝道」参考文献(増補・五十音順) [書籍紹介・リスト]


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日本基督教団宣教研究所委員会編『宣教の未来 五つの視点から』(日本キリスト教団出版局)が、2021年12月1日付で発行され、この中に、拙文「SNSと伝道――教会もSNSをすべき理由」が収録されました。

参考文献は、便宜がよいと思って

  • 1.ネットやSNSの教会での利用について
  • 2.インターネットやSNSに関する文献
  • 3.震災時におけるSNS、流言・デマについて
  • 4.メディア論の観点から記された文献で参考にしたもの
  • 5.現代社会を読み解く上で参考にした文献
  • 6.その他(統計資料、新聞記事、Webサイトは除く)

と分類して記しましたが、五十音順もあったほうがよいと思うので、以下には五十音順で記します。

なお、参考文献に記したのは、論文誌などは避け、翻訳も最小限にとどめ、読みやすい新書などを中心に取り上げました。

(※)印は、掲載しなかった統計資料や掲載し忘れたもの。

教団出版局目 次|参考文献|リンク集索 引参考文献に挙げなかった文献

参考文献(五十音順)

あ行

  • アイゼンステイン,E.L.(別宮貞徳訳)、『印刷革命』、みすず書房、1987年。拙論p.159の注1で言及。最初の印刷聖書は「42行聖書」であり贖宥状も印刷されたなど、活版印刷技術はプロテスタントのみならずカトリックにも大きな影響を与えた。
  • 朝生鴨、『中の人などいない――@NHK広報のツイートはなぜユルい?』(新潮文庫 あ-82-1)、新潮社、2015年。2012年単行本に「文庫版あとがき」を加えて文庫化。拙論p.211で、SNSはパソコンでやった方が冷静に発言できるという指摘で参照した。この書には、東日本大震災の時にNHKテレビの地震関連の放送が無断でネットに転載されたことに対し、極めて緊急時ということでNHK広報部のツイッター担当者(この書の著者)が個人的判断でそれを認めた顛末が記されている。これを機に、各テレビ局は公式にインターネットでの放送に乗り出すことになった(徳田雄洋、『震災と情報――あのとき何が伝わったか』(岩波新書)、岩波書店、2011年、p.25)。
  • 東浩紀、『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』(講談社文庫)、講談社、2015年。2011年単行本(講談社)に宇野重規との対談とあとがきを加えて文庫化。ルソーを読み解きながら、熟議の成り立たない時代にネットの中に一般意志を見出すことで熟議によらない民主主義の可能性を論じる。拙論p.171で文庫版p.144を参照した。ネットは人々の忘れたことも記憶しているが、それは、単にネットのどこかに情報が残り続けるというだけでなく、ネットが人のコントロールを超えたところで人間の「無意識」を可視化するという特徴をもっていることによる。
  • 天野彬、『SNS変遷史――「いいね!」でつながる社会のゆくえ』(イースト新書118)、イースト・プレス、2019年。拙論注15、24、39、136、148で参照・引用。
  • 生駒孝彰、『ブラウン管の神々』、ヨルダン社、1987年。拙論p.160注6で石井研士「情報化と宗教」と共に紹介。1970年代以降のアメリカで、テレビが新しい伝道手段として注目される中に登場したテレビ伝道師と呼ばれる人たちを紹介し、その興隆の背景を論じている。
  • 生駒孝彰、『インターネットの中の神々――21世紀の宗教空間』(平凡社新書19)、平凡社、1999年。第1章で、アメリカにおける1921年のラジオ伝道の始まりから、1950年代から始まり80年代のいくつかのスキャンダルで衰退していくテレビ伝道の時代、そしてインターネット時代への流れを概説している。第2章以降は、さまざまな教派やキリスト教系新宗教の状況やホームページの紹介。この頃は、検索したらこんなページがありましたという程度の内容でも本になっていた。
  • 石井研士「情報化と宗教」、『アメリカの宗教――多民族社会の世界観』(井門富二夫編)、弘文堂、1992年、pp.242~265。拙論p.160注6で紹介。テレビ伝道師(テレヴァンジェリスト)について、彼らが影響力をもったのは、放送を通して視聴者に直接訴えかけることができただけでなく、視聴者からの大量な電話や手紙に適切に対応するコンピューターシステムがあったからと分析する。彼らには放送局から番組枠を購入するための多額の資金が必要であり、勢い献金の呼びかけが重要になる。すると、彼らを支援したいと視聴者に感じさせる演出とメッセージへと傾き、“テレヴァンジェリストに経済的援助を行えばあなたは神から数倍の祝福を受ける”という神学に至る。
  • 石井研士「ラジオと宗教」、石井研士他、『高度情報化社会と宗教に関する基礎的研究』(平成11年度~14年度科学研究費補助金 基盤研究(B)(2)研究成果報告書)、2003年。ネットにpdfあり。この中に、川島堅二「日本基督教団所属教会のインターネット利用調査」もあり。拙論p.159注5で参照。
  • インターネット白書編集委員会編、『インターネット白書2019――デジタルファースト社会への大転換』、インプレスR&D、2019年。(※)拙論p.191注98で参照。
  • インターネット白書編集委員会編、『インターネット白書2020――5Gの先にある世界』、インプレスR&D、2020年。(※)拙論p.163注16、p.205注132で参照。
  • 宇野常寛、『遅いインターネット』、幻冬舎、2020年。拙論p.208注136で引用・参照。
  • 江田智昭、『お寺の掲示板』、新潮社、2019年。拙論p.227注164で紹介。寺院の山門掲示板に書かれた巧みな警句や奇想天外な名言を集め、解説。「輝け! お寺の掲示板大賞2018」から生まれた本。第2弾も2021年に出ている。キリスト教会もSNSや道行く人にちょっとでも目に留めてもらえるような説教題をつけたらどうか。
  • 海老沢有道「キリシタン版」、『日本キリスト教歴史大事典』、教文館、1988年。この大事典のp.416-417の見開きで、現存しているすべてのキリシタン版について、書名、刊行地、刊行年、言語、所在などを一覧表にしている。
  • 大澤真幸、『電子メディア論――身体のメディア的変容』、新曜社、1995年。拙論p.205注131で紹介。ネットを介してのコミュニケーションは身体性が薄れるが、一人ひとりの興味関心に応じて届けられる情報は個人の内面に直接入っていくことができる。
  • 大澤真幸、吉見俊哉、鷲田清一編、『現代社会学事典』、弘文堂、2012年。(※)拙論p.196注108で参照。社会学における「マタイ効果」の項を調べた。ネット利用に関しては「マタイの法則」という言い方がよく用いられている。この語を紹介していたのは、橋元良明『メディアと日本人』(岩波新書、2011年)の他、松下慶太『デジタル・ネイティブとソーシャルメディア――若者が生み出す新たなコミュニケーション』(教育評論社、2012年)。
  • 大嶋重徳、『若者と生きる教会――伝道・教会教育・信仰継承』、教文館、2015年。拙論p.218注153で参照。SNS利用は若者に委ねることができる重要な奉仕である。はらはらすることもあるが、牧師や年長者は若者の多少の行き過ぎにはじっと我慢することが、これからの教会につながる。
  • 荻上チキ、『ウェブ炎上――ネット群集の暴走と可能性』(ちくま新書683)、筑摩書房、2007年。拙論p.183注72で参照。「炎上」についての基本文献の一つ。
  • 荻上チキ、『検証 東日本大震災の流言・デマ』(光文社新書518)、光文社、2011年。拙論p.186注83、p.188注85、p.193注102で参照。東日本大震災が起きた際に発生した様々な流言・デマを収集し解説している本で、SNS利用の際にも、具体的な事例を多く知っておくことが流言・デマを見分けてその発信者や拡散者にならないために有益。
  • 荻上チキ「炎上の構造」、川上量生監修『ネットが生んだ文化』、角川学芸出版、2014年。拙論p.183注72で、炎上に関する有用な文献として紹介。
  • 小木曽健、『ネットで勝つ情報リテラシー――あの人はなぜ騙されないのか』(ちくま新書1437)、筑摩書房、2019年。拙論注48,59,92,147で参照。「ネットで勝つ」とか「なぜ~なのか」とか新書っぽいウケを狙ったタイトルだが、内容は、ネット情報には発信者の動機や目的による思い込みや偏りがあることや、理不尽な批判に対する「スルースキル」や発信する側として「玄関ドアに貼れるか」という視点の大切さなど、初心者向けのネット情報リテラシーの入門書で読みやすくおすすめ。
  • 奥田知志、『もう、一人にさせない――わが父の家にはすみか多し』、いのちのことば社、2011年。拙論p.197で引用(注110)。社会的弱者に対するネット上での匿名の差別的な発言の例として、この本で紹介されている、ホームレス支援団体のネット掲示板に書き込まれた文章を紹介した。
  • 尾崎太一(綿村英一郎監修)、「SNSとうまくつきあうための心理学」、『Newton』第40巻12号(2020年10月号)、ニュートンプレス、pp.102~109。拙論p.179注55で参照。SNSで「いいね」をもらうと、アルコールやたばこを摂取したときと同様に、脳の報酬系と呼ばれる快感をもたらす神経回路が働くという。

か行

  • 片柳弘史、「SNSと文書伝道」、『キリスト教書総目録2020』(No.31)、キリスト教書総目録刊行会、2019年、p.vi~viii。拙論中での参照はないが、教皇ベネディクト16世と教皇フランシスコが「世界広報の日メッセージ」で語ったインターネットに関する言葉を紹介していること、良い文章、良い写真が相手の共感を呼ぶこと、あっという間に流れ去っていく情報の中で時間を越えて有益な情報を集めて本にすることで、SNSが文章伝道につながっていることを語っている。
  • 金子郁容、『ボランティア――もうひとつの情報社会』(岩波新書235)、岩波書店、1992年。
  • 香山リカ、『ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか』(朝日新書464)、朝日新聞出版、2014年。
  • 川島堅二「インターネットの宗教的活用の現状と可能性について――アメリカのキリスト教会の調査から」、『恵泉女学園大学人文学部紀要』第9号、pp.53~74、1997年1月。アメリカのキリスト教会(ルター派、長老派、聖公会)がインターネットをどのように利用しているかの調査結果とこれからの可能性について。調査の時期が記されていないが、1996年頃だろう。キリスト教会のインターネット利用に関する、日本における史上最初(?)の論文。ネットにpdfあり。
  • 川島堅二「日本基督教団所属教会のインターネット利用調査」、『高度情報化社会と宗教に関する基礎的研究』(平成11年度~14年度科学研究費補助金 基盤研究(B)(2)研究成果報告書)、2003年。ネットにpdfあり。この中に、石井研士「ラジオと宗教」もあり。拙論p.160注8で参照。
  • 木村忠正、『デジタルネイティブの時代――なぜメールせずに「つぶやく」のか』(平凡社新書660)、平凡社、2012年。
  • 久米淳嗣「判断を保留することができる教会を」、『ミニストリー』vol.24(2015年冬号)、キリスト新聞社、pp.12~13。
  • 小原克博、野本真也、『よくわかるキリスト教@インターネット』、教文館、2003年。
  • 近藤勝彦「インターネット時代における説教者の姿勢」、『東京神学大学学報』No.270(2012年7月)、p.6。

さ行

  • 佐々木裕一、『ソーシャルメディア四半世紀――情報資本主義に飲み込まれる時間とコンテンツ』、日本経済新聞出版、2018年。拙論注22、40、114、123、124、125、134、136で参照・引用。ソーシャルメディアに限らず、不特定多数との情報共有が可能な電子掲示板や商品レビューサイト、Q&Aサイト、ブログなども含めた、利用者が誰でも簡単に投稿できるウェブサイトを「ユーザーサイト」と呼び、テクノロジーのみならず、制度、サービスや利用者による受容実態などから、ユーザーサイトの歴史をたどる。特に、収益モデルの変遷に関心を置いている。投稿と参加型メディアの源流として初期の『ロッキング・オン』までさかのぼっている。
  • 佐藤卓己、『メディア社会――現代を読み解く視点』(岩波新書新赤版1022)、岩波書店、2006年。2004年末~2005年の時事ニュースをメディア論から読み解いた、地方新聞連載記事を元にした50編。著者が『現代メディア史』(岩波テキストブックス)で述べている視点が具体的な時事問題に即して語られている。一つ一つの記事が短くて読みやすいが、時事ニュースから語っているので今やout-of-date感が強い。拙論では注44で、ピューリタンたちが生涯に3000回の説教を聞いたのに対し、現代の平均的なアメリカ人は生涯に700万回以上の情報を浴びている話を参照、引用。
  • 佐藤卓己編、『岩波講座 現代9 デジタル情報社会の未来』、岩波書店、2016年。この中の、佐藤俊樹「制度と技術と民主主義――インターネット民主主義原論」、荻野チキ「『ネット社会の闇』とは何だったのか――ウェブ流言とその対処」、和田伸一郎「『新デジタル時代』と新しい資本主義」。
  • 佐藤卓己、『現代メディア史 新版』(岩波テキストブックス)、岩波書店、2018年。
  • 佐藤卓己、『流言のメディア史』(岩波新書新赤版1764)、岩波書店、2019年。
  • 師岡康子、『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書1460)、岩波書店、2013年。
  • 『信徒の友』2019年9月号、日本キリスト教団出版局。特集「SNSと伝道 福音つぶやいてますか」
  • 春原禎光「教会とIT」、『季刊 教会』No.98、2015年春号、pp.56~57。
  • 総務省編、『情報通信白書』平成29年版~令和2年版。(※)

た行

  • 武田隆、『ソーシャルメディア進化論』、ダイヤモンド社、2011年。拙論p.190注95で参照(注を付けるほどではなかったかも)。この文献は、ソーシャルメディアを、関係構築か情報交換かの軸と、拠って立つところが価値観か実名性の高い現実生活かの軸で、4象限に分けて考察している。後半(第4章以降)は企業と消費者を結ぶ企業コミュニティ構築の話なので読む必要はない。
  • 橘木俊詔、『日本の経済格差――所得と資産から考える』(岩波新書590)、岩波書店、1998年。
  • 橘木俊詔、『格差社会――何が問題なのか』(岩波新書1033)、岩波書店、2006年。
  • 田中辰雄、山口真一、『ネット炎上の研究――誰があおり、どう対処するのか』、勁草書房、2016年。拙論注72、73、75で参照・引用。5年以上経った現在では状況や見方が変化している面も多いが、ネット炎上について論じる際にまず参照すべき基本かつ重要文献。特に、炎上に荷担しているのはごく一部の特殊なユーザーであり、直接攻撃してくるのは通常の議論が困難なかなり特異な人であることを定量的な実証分析によって明らかにしている。
  • 千葉雅也、『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』、河出書房新社、2013年。後に文庫化されている(河出文庫、2017年)。拙論ではp.199注116で「過剰な接続を切断する」ことの必要性を指摘しているものとして紹介した。とは言え、難解なので「序――切断論」しか読んでません。接続過剰(つながりすぎ)は、すべての要素を互いに接続したいという「妄想」の中に私たちを閉じ込める。(p.18,50あたり)
  • 津田大介、『Twitter社会論――新たなリアルタイム・ウェブの潮流 』(新書y 227)、洋泉社、2009年。拙論p.166注24、p.172注41で参照。ツイッターの特徴を説明する第1章は現在でも有用。第2章以降は、著者のツイッター活用術(第2章)、ジャーナリズム、政治、ビジネスでのツイッターのインパクト(第3章)、最後は勝間和代との対談で、今や読まなくてよい。
  • 津田大介、『情報の呼吸法』(Idea Ink01)、朝日出版社、2012年。
  • 津田大介、『動員の革命――ソーシャルメディアは何を変えたのか』(中公新書ラクレ415)、中央公論新社、2012年。
  • 津田大介、『情報戦争を生き抜く――武器としてのメディアリテラシー』(朝日新書696)、朝日新聞出版、2018年。
  • デジタルコンテンツ協会企画編集(経済産業省商務情報政策局監修)、『デジタルコンテンツ白書2020』、デジタルコンテンツ協会、2020年。(※)
  • 伝道アイデアパンフレット編集の会編、『伝道アイデアパンフレット』、日本基督教団伝道委員会、2012年。(※)ぜひ、数年ごとに改訂を繰り返してほしい。
  • トキオ・ナレッジ、『スルーする技術』(宝島社新書)、宝島社、2013年。拙論p.174注48で、「スルーする」ことの重要さを指摘している文献として、小木曽健『ネットで勝つ情報リテラシー』(筑摩新書、2019年)と共に紹介。通俗的な筆致で読みやすく、おすすめ。面白おかしく書いているので、自分の役に立ちそうな所だけ受け取って、後は話半分でスルーすること。第1章が「ネットのスルー力を高める」で重要。残りの章は仕事や人間関係などリアルの社会でのスルー力やアンガーマネジメント。「トキオ・ナレッジ」は80-90年代のホイチョイ・プロダクションみたいなノリ(?)の知識集団っぽいが、『赤毛のアン』に出てくる「神は天にいまし。世はすべて事もなし」を引用する(p.162)など、教養もある。Amazonにカスタマーレビューを書いた。
  • 徳田雄洋、『震災と情報――あのとき何が伝わったか』(岩波新書 新赤1343)、岩波書店、2011年。拙著p.193注101で、災害時の状況把握に関して、マスメディアよりもSNSによる草の根的な情報発信が大きな役割を果たしたことを強調して述べている文献として参照。この書では、マスメディアではローカルな情報が取り上げられないだけでなく、当時のマスメディアが政府や東電の公式発表を繰り返すばかりで、本当に必要な情報や知識が得られず、ウェブやSNSが様々な見解を知るのに役立ったことが述べられている。

な行

  • 中澤佑一、『インターネットにおける誹謗中傷 法的対策マニュアル(第3版)』、中央経済社、2019年。(※ お名前が「祐」ではなく「佑」でした。すいません。)初版2013年、第2版2016年。タイトルの通り、ネットで誹謗中傷を受けた際の法的な対応の仕方のマニュアル。
  • 中山信児「感染症禍における礼拝と教会の営み」、『礼拝と音楽』No.186(2020年8月)、日本キリスト教団出版局、p.44~48。

は行

  • 芳賀力、「承認を求める人間――信仰義認論の現代的意義」、『神学』78号、東京神学大学神学会、2016年、pp.5~23。
  • 橋元良明、『メディアと日本人――変わりゆく日常』(岩波新書新赤版1298)、岩波書店、2011年。
  • バートレット,ジェイミー(秋山勝訳)、『操られる民主主義――デジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するか』、草思社、2018年。(※)山口二郎『民主主義は終わるのか』(岩波新書、2019年)の中で言及されているとして紹介。
  • 帚木蓬生、『ネガティブ・ケイパビリティ――答えの出ない事態に耐える力』(朝日選書958)、朝日新聞出版、2017年。
  • パリサー,イーライ(井口耕二訳)、『閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義』、早川書房、2012年。(※ 本では2021年となっているが2012年の間違い。すいません。)後に『フィルターバブル――インターネットが隠していること』と改題されて文庫化(ハヤカワ文庫NF459、2016年)。拙論p.190注94で紹介。「フィルターバブル」という概念を提起し、その危険性を指摘している本として重要。ネット利用におけるパーソナライゼーションは、物事の認知を歪め、世界や社会の認識を偏らせ、創造性を損ない、一人ひとりのアイデンティティを左右し、世論を操作し、民主主義を機能不全にする。
  • 張田眞「超高齢社会、教会員の高齢化の時代です」、『福音主義教会連合』2019年2、3、4、6月。拙論p.218注155で、主として教会員向けにSNSを利用した取り組みの例として紹介。
  • 平野克己「編集後記」、『ミニストリー』Vol.19(2013年秋号)、キリスト新聞社。拙論p.224注160で引用して紹介。日曜日以外に牧師の安息日を設けるべきなのは、本人の健康のためではなく、共に生きる者たちが休むためである。
  • 平野克己、『説教を知るキーワード』、日本キリスト教団出版局、2018年。拙論p.227で引用。「説教題は教会の前を通る人々への招きの言葉、福音の告知の機能を担っている。」
  • 蛭沼寿雄、『新約本文学史』、山本書店、1987年。この書のp.11に「42行聖書」が最初の印刷聖書として挙げられている。また、「序」の中での「印刷本を作成するということに当面して始めて、真の意味における本文研究が開始された」という指摘は重要。キリスト教が技術やメディアを利用するだけでなく、技術やメディアによってキリスト教が深められていく。
  • 藤代裕之、『ソーシャルメディア論――つながりを再設計する』、青弓社、2015年。2019年に改訂版が出ている。大学の社会科学系の「情報メディア論」などの教科書で、ソーシャルメディア論の基本的な論点の全容を知るためにおすすめ。全15章で、章ごとの注や文献ガイドが親切。拙論p.171注39、p.203注124で引用・参照。
  • 部落解放・人権研究所編(谷口真由美、荻上チキ、津田大介、川口泰司著)、『ネットと差別扇動――フェイク/ヘイト/部落差別』、解放出版社、2019年。
  • ベンヤミン,ヴァルター(浅井健二郎編訳、久保哲司訳)、『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』(ちくま学芸文庫)、筑摩書房、1995年。この中の「複製技術時代における芸術作品」。
  • 本條晴一郞・遊橋裕泰、『災害に強い情報社会――東日本大震災とモバイル・コミュニケーション』、NTT出版、2013年。拙論p.219注156で参照。p.193の「大規模災害時の情報発信」でも紹介すればよかった。災害時の不安定な状況での情報発信について、自分が社会に対してどのような便益を提供できるかを考えておき、人間のポジティブな能動性に期待して「好意の回路を形成していくこと」の重要さを主張している点が重要。通信設備の損壊や停電時におけるツイッターのシンプルな機能の有効性も指摘している。その他、被災地でどこに行けば携帯電話の電波がつながるかが人から人へと伝えられた事例を「インターネット的」(糸井重里)なリンクとシェアによるフラットな情報伝達だとして焦点を当てて議論を展開しているのが特徴的。

ま行

  • 毎日新聞取材班、『SNS暴力――なぜ人は匿名の刃をふるうのか』、毎日新聞出版、2020年。拙論p.183注72で、炎上に関する文献の一つとして紹介。木村花さんの事件をきっかけに連載された新聞記事を元に、大幅に取材を加えてまとめられたもの。
  • 『毎日新聞用語集2020年版』、毎日新聞。(※)『毎日ことば』、「「SNS」――「説明は必要」とする人が多数派だが…」(2020年5月1日)で紹介されていることに言及。
  • 松岡正剛、『フラジャイル 弱さからの出発』、筑摩書房、1995年。
  • 松岡正剛、『知の編集工学』、朝日新聞社、1996年。
  • 松田美佐、『うわさとは何か――ネットで変容する「最も古いメディア」』(中公新書2263)、中央公論新社、2014年。
  • 森本あんり、『異端の時代――正統のかたちを求めて』(岩波新書新赤1732)、岩波書店、2018年。

や行

  • 八木谷涼子、『もっと教会を行きやすくする本――「新来者」から日本のキリスト教界へ』、キリスト新聞社、2013年。
  • 安田浩一、『ヘイトスピーチ――「愛国者」たちの憎悪と暴力』(文春新書1027)、文藝春秋、2015年。
  • 山口二郎、『民主主義は終わるのか――瀬戸際に立つ日本』(岩波新書新赤1800)、岩波書店、2019年。
  • 山田健太、『3・11とメディア――徹底検証 新聞・テレビ・WEBは何をどう伝えたか』、トランスビュー、2013年。拙論p.193注102で参照。主に新聞・テレビでの震災関連報道における問題を分析しているが、その中の第3章「新興メディアは何を担ったか」で、ソーシャルメディアが果たした役割を新聞・テレビなど伝統メディアとの関わりの面から検証する。索引と参考文献一覧は省略され、「山田健太研究室ウエブサイト」を見るようにと書かれているが、今やもう残骸のみで該当するページは見当たらない。
  • 山竹伸二、『「認められたい」の正体――承認不安の時代』(講談社現代新書2094)、講談社、2011年。拙論p.198注115で参照、紹介。近代以前の西欧社会ではキリスト教の価値観が社会共通にあってその中で自己の存在価値も見出されていたが、近代以降、多様な価値観と出会うようになって普遍的な価値基準がなくなり、自己の存在価値を確認できず承認不安に陥っている。なお、後によりとっつきやすく(?)書かれたものに、『ひとはなぜ「認められたい」のか ――承認不安を生きる知恵』(ちくま新書、2021年)がある。
  • 吉見俊哉、『メディア文化論――メディアを学ぶ人のための15話』改訂版、有斐閣、2012年。2004年初版の改訂版。拙論p.159注4、p.171注39、p.188注86、p.205注131で参照。メディアの文化との関わりの面での基礎的な論点を通覧した、大学3年次向けくらい(有斐閣アルマSpecialized)の教科書で、ソーシャルメディアを考える上でも重要。各章ごとの文献案内も有用。

ら行

  • ラケット,オリバー、ケーシー,マイケル(森内薫訳)、『ソーシャルメディアの生態系』、東洋経済新報社、2019年。拙論注58、125、129で参照。
  • レッシグ,ローレンス(山形浩生、柏木亮二訳)、『CODE――インターネットの合法・違法・プライバシー』、翔泳社、2001年。及び、改訂版(山形浩生訳)、『CODE VERSION 2.0』、翔泳社、2007年。拙論p.203注125で参照。

(こまめに加筆中、the last update:2022.2.10)


タグ:SNSと伝道

「SNSと伝道」目次 [書籍紹介・リスト]


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日本基督教団宣教研究所委員会編『宣教の未来 五つの視点から』(日本キリスト教団出版局)が、2021年12月1日付で発行されました。

この中に、拙文「SNSと伝道――教会もSNSをすべき理由」が収録されました。以下に、その目次を記します。

教団出版局|目 次|参考文献リンク集索 引参考文献に挙げなかった文献

はじめに

新しいメディアと教会/本稿の内容/詳しくない人のために

Ⅰ SNSと現代社会

1.SNSの概要

  • (1)SNSとは
  • (2)主なSNS
  • (3)SNSの特徴
  • (4)新しいメディアとして

2.ネットの情報空間の特徴

  • (1)情報過多
  • (2)信頼性のない情報
  • (3)無法地帯
  • (4)複製の容易さ

3.ネットでのコミュニケーションにおける危険性

  • (1)不特定多数との交流
  • (2)匿名性
  • (3)発言の過激化
  • (4)誹謗中傷とヘイトスピーチ
  • (5)行き過ぎた悪ふざけと炎上
  • (6)ネット依存・ネット中毒
  • (7)個人情報の流出、個人の特定
  • (8)流言・デマ

4.現代社会とSNS

  • (1)SNSで波及した不正の告発と反政府運動
  • (2)分極化するネット空間
  • (3)フェイクニュースとポスト真実
  • (4)大規模災害時の情報発信
  • (5)ネットの中の人々と現代社会
  • (6)現代に生きる人々に福音を伝える教会

Ⅱ 教会の情報発信

1.教会もSNSで情報発信すべき理由

  • (1)SNSも人々がいる社会であるから
  • (2)アカウントがなければ存在しないのと同じ
  • (3)生きて活動していることを知らせる
  • (4)どこかの誰かのために
  • (5)SNSでの伝道――なぜSNSか

2.特徴を生かした情報発信を

  • (1)一人ひとりの興味・関心の中へ
  • (2)伝道しなきゃと力まずに
  • (3)「どうぞお近くの教会へ」
  • (4)情報をつなぎ合わせる

Ⅲ 教会の具体的なSNS利用

1.SNSの選び方

  • (1)多くの人が利用しているSNSを
  • (2)どれか一つを選ぶとしたら
  • (3)複数のSNSを使う?
  • (4)パソコンでやるかスマホでやるか

2.SNSでの情報発信

  • (1)ホームページとの使い分けを
  • (2)Twitterに投稿する内容――何をつぶやく?
  • (3)Twitterでのコミュニケーション術――無理せず、楽しく、コツコツと

3.教会でのSNS運用のポイント

  • (1)誰が担当するか
  • (2)教会の活動として位置づける
  • (3)投稿の頻度について
  • (4)教会員への配慮
  • (5)失敗を恐れず、現実に囚われず

Ⅳ キリスト者のSNS、牧師とSNS

1.キリスト者もSNSを

  • (1)キリスト者としてSNSをする意義
  • (2)SNSは簡単に始められる
  • (3)自分から情報発信する楽しさ

2.牧師とSNS

  • (1)SNSのある牧師の日常生活
  • (2)牧師の情報発信
  • (3)牧師は実名・顔出しすべきか
  • (4)説教のネットへの掲載について
  • (5)説教題について
  • (6)SNSで牧会相談できるか

最後に

工夫やアイディアの共有を/可能性にチャレンジ/まことの礼拝へ

謝辞

文献

  • 1.ネットやSNSの教会での利用について
  • 2.インターネットやSNSに関する文献
  • 3.震災時におけるSNS、流言・デマについて
  • 4.メディア論の観点から記された文献で参考にしたもの
  • 5.現代社会を読み解く上で参考にした文献
  • 6.その他(統計資料、新聞記事、Webサイトは除く)(注での言及順)


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