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ジョージ・ビバリー・シェー [音楽]

George Beverly Shea, 1909.2.1-2013.4.16

「キリストにはかえられません」(原題"I'd rather have Jesus"、1929年)の作曲者。

 彼の作った讃美歌はこの曲以外には日本で知られているものはないが、福音歌手として多くの讃美歌を歌っている。

YouTubeで「George Beverly Shea I'd rather have Jesus」で検索



1.名前の日本語表記

たとえば、

 日本基督教団讃美歌委員会編『讃美歌第二編略解』(日本基督教団出版局、1974年)では「ベヴァリー」。

 その後の日本基督教団讃美歌委員会編『讃美歌21略解』(日本基督教団出版局、1998年)では、「ベヴァリー=シェー」と定着することのなかった「=」を使っている。

 彼の死去を伝えるクリスチャン新聞2013.5.5号では「ベバリー」。

 まあ、「ビバリーヒルズ」のように慣用化している「ビバリー」でいいんじゃない?


2.「キリストにはかえられません」

『聖歌』521
『讃美歌第二編』195
『讃美歌21』522
『新聖歌』428(タイトルの表記は「キリストには代えられません」)
『教会福音讃美歌』465

 作詞者のレア・ミラー(Rhea F. Miller, 1894-1966)については、『讃美歌第二編略解』では「残念ながら目下のところ不明である」、『讃美歌21略解』でも「残念ながら不明です」と記されていた。

さんびかものがたりⅤ.jpg ところが、川端純四郎『さんびかものがたりⅤ 平和の道具と 信仰生活の歌』(日本基督教団出版局、2011年)で、

 「最近になって「ヒムナリー(賛美歌集)」というアメリカのカルヴィン研究所礼拝セミナーがアメリカ賛美歌学会と協力して作っているウェブサイト(http://www.hymnary.org/)に、ミラーについての詳細な伝記が掲載されていました」

 として、それに沿ってレア・ミラーについて紹介している(pp.170~172)。

hymnary.orgの中のRhea F. Millerの記事のあるページ

(ちなみに、川端純四郎は2013.5.23死去)



タグ:賛美歌

牧師職の危険と困難 [伝道]

ラインホールド・ニーバー「キリスト教的牧師職の危険と困難」
in 梶原寿訳『義と憐れみ――祈りと説教』(新教出版社、1975年)、pp.224-239。

(以前に行ったこの本の紹介記事

1953.3.29 ユニオン神学校で牧師職についての会議のための講演。


これを読んで、私なりの関心から学んだこと、考えさせられたことのまとめ


1.ただ啓示によって理解される秘義
 信仰は、知的努力によって理解することができない、理解可能性の向こう側にある世界、すなわち、秘義を認める。
 キリストを理解し見出すのは、瞑想によって無意識的な深みに至りついに神的レベルに達するのでもなく、神との出会いによってである。

2.高慢の罪の悔い改め
 ところで私たちには、自分がよい人間、賢い者、理解力のある者と見られたい思いがある。これは高慢の罪であり、神に対してもこの罪をもっている。
 この高慢の罪を悔い改めなければ、神と出会えない。神と出会う時には、全人格的な悔い改めが起きている。

3.牧師の務めの危機
 そこで、牧師の務めにおける危機の一つは、自分が神について知っているとよそおってしまうことである。
 教会員から牧師は神について何でも知っていると見られ、神に対しても人格的な出会いを抜きにして、知的に理解しようとしてしまう。

4.福音宣教における困難
 私たちは、現代社会に福音を宣べ伝える上で、二つの困難に直面している。

1)経済的あるいは知的に安定した生活をしている人々は、人生が打ち砕かれなければならないなどとは考えない。福音はそのような人々のためにこそあることを語らなければならないという実践的困難。

2)福音は合理的でも科学的でもない。また、福音はただ歴史的啓示によってのみ知りうる。神を知らない世はこのような福音を受け入れられないという知的困難。

 したがって、私たちの課題は、信仰の歴史的、人格的、超越的な独自性と生命力を守りつつ、科学的、形而上学的、合理主義的世界に対して福音を宣べ伝えることである。



松本仁志『筆順のはなし』 [読書メモ]

松本仁志『筆順のはなし』松本仁志、『筆順のはなし』(中公新書ラクレ435)、中央公論新社、2012、270頁。

久しぶりに、読み終えて「面白い!」と叫んでしまった本。
松本人志ではない。念のため。



1.「正しい筆順」というものはない。
 国が筆順の基準を示した最初は、昭和16年(1941年)から国民学校で使用された第5期国定国語教科書の教師用書である。これにはどのように筆順を定めたかの原則に関する記述はなく、複数の筆順を示した漢字が少なからずある。

 戦後、「当用漢字表」(昭和21年)による字体整理が行われると、新字体に沿った筆順を整備する必要が説かれるようになり、『筆順指導の手引き』(文部省、昭和33年)の出版に至った。しかし「正しい筆順」を示すのではなく、「学習指導上に混乱を来さないようにとの配慮から定められたもの」であって、他の筆順を「誤りとするものでもなく、また否定しようとするものでもない」

 現在の教科書検定基準でも、「漢字の筆順は、原則として一般に通用している常識的なものによっており」とされている。

 したがって、筆順について一つの正解があるわけではなく、学校教育で習得する筆順はあくまで目安としての基準に過ぎない。
(p.4~6、38、77~78)

2.筆順学習の必要性と筆順の意義
 しかし、小学生、特に低学年の場合は複数の許容をこなせる年齢ではないので、学校教育で便宜的に一つの基準を設定して指導する必要性はあるだろう。(p.6)

 筆順には、スムーズに書ける「書きやすさ」と字形が整う「整えやすさ」という意義がある。(p.21~23)

3.では、どのように基準を決めるか(筆順根拠)
 日本の楷書筆順には、歴史的に次の三つの筆順根拠がある。
  A 機能性(書きやすさ、整えやすさ、読みやすさ、覚えやすさ)
  B 字源
  C 行書・草書の運筆。
(p.33)

 今日いわゆる筆順と言えば、機能性を根拠とする楷書筆順のことであって、文字の変遷過程、手書きの技術・環境の進歩などが相互に影響し合いながら、「書きやすさ」や「整えやすさ」などを経験的に追求してきたものである。(p.116)

4.ところが、実際、小学生は
 筆順を学ぶ理由は「テストに出るから」であって、
「テスト以外では自分の筆順で書いている」。
 この事実は、筆順の有効性を子どもが実感できていないという点で、筆順指導の敗北を意味している。(p.168)

 一度身についた筆順を修正するのは困難である。筆順指導は文字を習い始める低学年が勝負の時だ。(p.222)
 小学校入学前に仮名や自分の名前の漢字を自己流の筆順で覚えてしまっているとやっかいだ。(p.223)

5.学校で習うのとは違う筆順が身についてしまっている大人は?
 一通り文字が書けるようになった大人は、いまさら基準の筆順に直す必要はないと思います。ただし、文字を各場面を小・中学生に直接見せる機会がある人や小・中学生の親は、気をつけてほしい。(p.206~207)

6.たとえば「上」について
 「上」という漢字の第一画は、縦棒か横棒か? 答えは「どちらも正しいとは言えないが、誤りでもない」(アンダーラインは原文どおり)

 『筆順指導の手引き』では縦棒が第一画が示されているが、昭和16年から国民学校で使用された教師用の指導書では、両方の筆順が示されている。
(以上、p.3~6)

 「上」は、横棒を第一画とする筆順は「書きやすさ」により(筆路が最短)、縦棒を第一画にするのは「覚えやすさ」による(正、足、走などと同じ)と言える。(p.36)

7.そのほかいろいろ
 中国では「右」も「左」も「一 ノ」の順に統一している。(p.8、59)

 カタカナの「ヲ」は、源字の「乎」が変化してできた形なので、「一一ノ」と書く。(p.55)

 「川」は、小さな流れとやや大きな流れとが合わさったという字義から、真ん中を先に書くという筆順解釈がある。(p.93~94)

 ある書家は「土」の字を、地中から萌え出ずる生命を表現するためと言って、「二」を書いてから下から上に「|」を書くと主張したらしい。(p.165~166)

 文部省で『筆順指導の手引き』を編纂する話が出たとき、担当者は専門家から“正しい筆順”を聞き出せばそれですむと踏んだ。ところが、大学教授、学識経験者、現場の先生などを集めた会議は、第1回から荒れに荒れ、「上」も「耳」も「馬」も「書」も「感」も・・・と、議論百出。ある書道の大家は
「私の流派の書き順を認めないなら、切腹する」
と言って大臣室の前に座り込んだ。(p.201~202)


タグ:一般の新書

ワーシップCD jworship2 [音楽]

jworship2.JPG韓国のPHWM(Praise Honor & Worship Ministry)による、日本生まれのワーシップを日本語と韓国語で歌ったCDの2作目「主イエスに捧げる日本の敬拝と賛美 ジェーワーシップⅡ」(2012年)。

リビングプレイズのj-worshipとは別物。





■このCDについて

韓国語バージョンのCDと日本語バージョンのCDの2枚組で、それぞれ10曲+バイリンガルで2曲入って3150円。

10曲は、韓国語CDと日本語CDで同一曲。バイリンガルの2曲はそれぞれのCDで別曲。

日本語で歌われている曲もおそらくすべて韓国人による歌唱で、微妙に発音が気になることもあるが、なかなか綺麗にアレンジされ、聴き応えのある演奏になっている。


■このCDに収録されている曲(タイトル、作者、オリジナル収録CDなど)

1.「主イエス神の愛」、スリヤ佐野一夫(City Praise3「チャーチオンファイヤー」(2002年)の8曲目)

2.「ありのままに」、長沢崇史(GROWING UPの3作目「LOVE」(2004年)の7曲目)

3.「永遠にあなたと」、長沢崇史(GROWING UPの5作目「永久歌――TOWAUTA」(2009年)の12曲目)

4.「心から」、中山有太(PRAISE STATIONの1作目「心から」(2010年)の4曲目)

5.「主がそばにいるから」、竹中真知子(j-worshipの5作目の12曲目)

6.「満たして下さる方」、北村聖慈(ミクタムの青本の92)

7.「God Bless You」、岩淵まこと(もうスタンダードな名曲)

8.「勝利者」、小坂忠(テレビで紹介されて有名になった曲)

9.「今ここに」、長沢崇史(GROWING UPの4作目「魂歌――TAMAUTA」(2006年)の2曲目)

10.「その日全世界が」、長沢崇史(GROWING UPの4作目「魂歌――TAMAUTA」(2006年)の12曲目)


韓国語と日本語のバイリンガルで歌われているのは、韓国語CDには「主イエス神の愛」、その日全世界が」、日本語CDには「心から」、「永遠にあなたと」が入っている。

■というわけで、

・長沢崇史の代表的な曲が4曲も入っているのが特徴的。「今ここに」の歌詞中、「主の霊が」の「れ」の発音、「のぞまれ」の「ぞ」の発音はまあ許しましょう。なお、楽譜はカナン・プレイズ・チャーチ(最近URLが変わった)の賛美・CDのページからダウンロード可能。

・「主イエス神の愛」はシティプレイズでは日本語と英語で歌われているが、このCDでは(ちょっと発音がたどたどしいものの)全部日本語なのがよい。

・「主がそばにいるから」は、j-worshipのCDよりもこちらの方が演奏も歌のビブラートもずっとよい。

・「満たして下さる方」は、ミクタムCDでは小坂忠リードのワーシップコーラスでいかにもミクタムらしい雰囲気の曲だが、こちらはややテンポを落とした女性ソロ。

・「God Bless You」と「勝利者」は、やはりオリジナルには勝てません。





マクベス [読書メモ]

福田恆存訳『マクベス』.JPGシェークスピア(福田恆存訳)、『マクベス』(新潮文庫)、1969年。

高校1年の時の読書メモ。

同新潮文庫版(2010年第83刷改版)(写真)で確認した。



おお、そのお顔、まるで不思議なことが書いてある本のよう。
マクベス夫人、第1幕第5場


やってしまって、それで事が済むものなら、早くやってしまったしまったほうがよい。
マクベス、第1幕第7場


何ということだ、この手は? ああ! 今にも自分の眼玉をくりぬきそうな! 大海の水を傾けても、この血をきれいに洗い流せはしまい? ええ、だめだ、のたうつ波も、この手をひたせば、紅一色、緑の大海原もたちまち朱と染まろう。
マクベス、第2幕第2場


私の手も、同じ色に、でも心臓の色は青ざめてはいない、あなたのように。
マクベス夫人、第2幕第2場


王に対する敬愛の念、その逸る心が、留め役の理性を乗り越えてしまったのだ。
マクベス、第2幕第3場


その手は食わぬぞ、運命め、さあ、姿を現わせ、おれと勝負しろ、最後の決着をつけてやる! 誰だ?
マクベス、第3幕第1場


不自然な行為は不自然な煩いを生むものだ。
侍医、第5幕第1場


人の生涯は動きまわる影にすぎぬ。あわれな役者だ、ほんの自分の出場のときだけ、舞台の上で、みえを切ったり、喚いたり、そしてとどのつまりは消えてなくなる。
マクベス、第5幕第5場



リンカーン(10) リンカンがひげをはやしたわけ [読書メモ]

『リンカンがひげをはやしたわけ』、偕成社フレッド・トランプ(宮木陽子訳)、『リンカンがひげをはやしたわけ――開拓期を生きた少女の話』、偕成社、1997年、198頁、1600円+税。



リンカーン(訳者は「リンカン」と表記)にひげをはやすように勧める手紙を書いた「リンカンの小さな女の子」として知られるグレイス・べーテルの、丹念な調査による史実に基づいた伝記。

リンカンはアメリカ史上最初の「ひげの大統領」となった。

小学校高学年以上向けの感じの本だが、大人が読んでも興味深く、面白い。


原著: Text by Fred Trump, illustrations by Kit Wray, "Lincoln's Little Girl: A True Story," Boyds Mills Press, 1993.

原著にはグレイスの夫についてだけの記述がかなり多く、また、時代が前後したり急に時代が飛んだりする箇所があるので、訳者の独自の取材に基づいて加筆、削除して編集しなおされている。写真も原著にはないものが多々ある模様。

参考資料として、当時の新聞記事や手紙が7つ、要所要所に挿入されている。


グレイスは、8歳の時、礼拝の説教でマタイ4:6を聞き、天使が現れるのを期待して、2階から飛び降り、両足骨折をした。(p.19あたり)

1860年の大統領選挙は、共和党からの候補はウィリアム・シュワードを破ったリンカン、民主党からの候補はスティーブン・A・ダグラスで、国中が熱気に包まれていた。その様子がよく分かる(pp.27~40あたり)。選挙権のない11歳のグレイスも選挙戦の熱狂の渦に巻き込まれていた(ただし、当時、婦人参政権はなかった)。

グレイスがリンカンに宛てた手紙は41~43頁。綴りの間違いや文法の間違いなども記されている。リンカンからの返事はp.54~55。

第9章までがグレイスとリンカンの話で、南北戦争とリンカンの死まで。第10章以降はグレイスの結婚後の西部開拓の物語。

最後の18章では、リンカンとグレイスのそれぞれの手紙のその後の行方はいかに?



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