SSブログ

松本仁志『筆順のはなし』 [読書メモ]

松本仁志『筆順のはなし』松本仁志、『筆順のはなし』(中公新書ラクレ435)、中央公論新社、2012、270頁。

久しぶりに、読み終えて「面白い!」と叫んでしまった本。
松本人志ではない。念のため。



1.「正しい筆順」というものはない。
 国が筆順の基準を示した最初は、昭和16年(1941年)から国民学校で使用された第5期国定国語教科書の教師用書である。これにはどのように筆順を定めたかの原則に関する記述はなく、複数の筆順を示した漢字が少なからずある。

 戦後、「当用漢字表」(昭和21年)による字体整理が行われると、新字体に沿った筆順を整備する必要が説かれるようになり、『筆順指導の手引き』(文部省、昭和33年)の出版に至った。しかし「正しい筆順」を示すのではなく、「学習指導上に混乱を来さないようにとの配慮から定められたもの」であって、他の筆順を「誤りとするものでもなく、また否定しようとするものでもない」

 現在の教科書検定基準でも、「漢字の筆順は、原則として一般に通用している常識的なものによっており」とされている。

 したがって、筆順について一つの正解があるわけではなく、学校教育で習得する筆順はあくまで目安としての基準に過ぎない。
(p.4~6、38、77~78)

2.筆順学習の必要性と筆順の意義
 しかし、小学生、特に低学年の場合は複数の許容をこなせる年齢ではないので、学校教育で便宜的に一つの基準を設定して指導する必要性はあるだろう。(p.6)

 筆順には、スムーズに書ける「書きやすさ」と字形が整う「整えやすさ」という意義がある。(p.21~23)

3.では、どのように基準を決めるか(筆順根拠)
 日本の楷書筆順には、歴史的に次の三つの筆順根拠がある。
  A 機能性(書きやすさ、整えやすさ、読みやすさ、覚えやすさ)
  B 字源
  C 行書・草書の運筆。
(p.33)

 今日いわゆる筆順と言えば、機能性を根拠とする楷書筆順のことであって、文字の変遷過程、手書きの技術・環境の進歩などが相互に影響し合いながら、「書きやすさ」や「整えやすさ」などを経験的に追求してきたものである。(p.116)

4.ところが、実際、小学生は
 筆順を学ぶ理由は「テストに出るから」であって、
「テスト以外では自分の筆順で書いている」。
 この事実は、筆順の有効性を子どもが実感できていないという点で、筆順指導の敗北を意味している。(p.168)

 一度身についた筆順を修正するのは困難である。筆順指導は文字を習い始める低学年が勝負の時だ。(p.222)
 小学校入学前に仮名や自分の名前の漢字を自己流の筆順で覚えてしまっているとやっかいだ。(p.223)

5.学校で習うのとは違う筆順が身についてしまっている大人は?
 一通り文字が書けるようになった大人は、いまさら基準の筆順に直す必要はないと思います。ただし、文字を各場面を小・中学生に直接見せる機会がある人や小・中学生の親は、気をつけてほしい。(p.206~207)

6.たとえば「上」について
 「上」という漢字の第一画は、縦棒か横棒か? 答えは「どちらも正しいとは言えないが、誤りでもない」(アンダーラインは原文どおり)

 『筆順指導の手引き』では縦棒が第一画が示されているが、昭和16年から国民学校で使用された教師用の指導書では、両方の筆順が示されている。
(以上、p.3~6)

 「上」は、横棒を第一画とする筆順は「書きやすさ」により(筆路が最短)、縦棒を第一画にするのは「覚えやすさ」による(正、足、走などと同じ)と言える。(p.36)

7.そのほかいろいろ
 中国では「右」も「左」も「一 ノ」の順に統一している。(p.8、59)

 カタカナの「ヲ」は、源字の「乎」が変化してできた形なので、「一一ノ」と書く。(p.55)

 「川」は、小さな流れとやや大きな流れとが合わさったという字義から、真ん中を先に書くという筆順解釈がある。(p.93~94)

 ある書家は「土」の字を、地中から萌え出ずる生命を表現するためと言って、「二」を書いてから下から上に「|」を書くと主張したらしい。(p.165~166)

 文部省で『筆順指導の手引き』を編纂する話が出たとき、担当者は専門家から“正しい筆順”を聞き出せばそれですむと踏んだ。ところが、大学教授、学識経験者、現場の先生などを集めた会議は、第1回から荒れに荒れ、「上」も「耳」も「馬」も「書」も「感」も・・・と、議論百出。ある書道の大家は
「私の流派の書き順を認めないなら、切腹する」
と言って大臣室の前に座り込んだ。(p.201~202)


タグ:一般の新書

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。