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ルターの礼拝から学ぶこと [礼拝]


ルターの礼拝の要点

  1. 礼拝は人間の業ではなく神の奉仕であり、神の御業の現れるところであるから、聖書に反する部分を取り除き、神の言葉を強調。(説教の重視、二つに限定されたサクラメント、実体変化や犠牲奉献を取り除き、制定の言葉を重視など)
  2. 全信徒祭司性による会衆の参与。(自国語の使用、二種陪餐、会衆賛美など)

ルターの礼拝改革の進め方

  1. 人々への配慮から、急進的な改革はしない。特に弊害のない事柄は、廃れる時や取り除くにふさわしい時が来るのを待つ。
  2. 一つの形が絶対化されてはならない。どのような礼拝順序を取るかについて自由を尊重する。

ルターの礼拝改革に学ぶこと

  1. 御言葉の強調。神の言葉の説教と、聖餐における制定語の重視。(パンのかたまりを裂く行為などは、「見せ物的ミサ」への逆戻りである。)
  2. 礼拝への信徒の参加や会衆の参加を、様々に工夫する。(読み交わす部分を多くするとか、聖書朗読も教会員が当番で行うなど。賛美の伴奏もオルガンだけで行うのではなく、合奏にしたりコーラス隊を入れたり。)
  3. 自国語で賛美歌を歌う。(キリエ・エレイソンとかグロリア・インエクセウシス・デオとかの伝統的典礼的に定着している言葉は別として、「アラル・アラメ」(21-272)、「サレナム、サレナム」(21-508)、「バーニング・ハート」(21-555)などとは歌わない。そうすると、「ノエル、ノエル」(21-258)も微妙。クリスマスに歌わないわけにはいかないけけど。)(聖歌隊も、気取ってラテン語などで歌うことはしない。)
  4. ふさわしい賛美歌がなければ、作る。(個人で賛美の詞を書いてます、曲を作ってますという人もたくさんいるけど、教会として礼拝のために。教会オリジナルの讃美歌を作っていると聞いたことがあるのは、阿佐ヶ谷教会、西千葉教会(合唱曲?)、鎌倉雪ノ下教会(いまでも?)、行人坂教会などなど。)
  5. よりよく礼拝するために信仰を理解する学びも重要。(三要文(さんようもん)すなわち、十戒、使徒信条、主の祈りの学び。「この三篇には、キリスト者が知る必要のあるほとんど全てが、簡潔に短く示されている。」(ルター「ドイツミサと礼拝の順序」『ルター著作集 第1集第6巻』p.424))(『信仰の手引き――日本基督教団信仰告白・十戒・主の祈りを学ぶ』を用いた学びを教会全体で行うことも、宗教改革500周年の記念として意味がある。)
  6. 従来の礼拝に慣れ親しんだ人たちに配慮し、また、目新しいものにすぐに飛びつく人たちがいることに注意し、急進的な改革はしない。
  7. 礼拝の順序自体が絶対化されてはならない。ただし、ころころ変えるのは混乱するのですべきでなく、一方、弊害があればすぐに変更すべき。

ルターの礼拝 [礼拝]


ルターの礼拝についての基本的な著作は、
 「会衆の礼拝式について」(1523年)
 「フォーミュラ・ミサ」(1523年)
 「ドイツミサ」(1526年)
の三つ。
礼拝順序が示されているのは「フォーミュラ・ミサ」と「ドイツミサ」。しかしいずれも、いわゆる式文ではない。


1.Von ordenung gottis diensts ynn der gemeine


1523年の聖霊降臨日。ドイツ語で書かれた。

邦訳は、青山四郎訳「会衆の礼拝式について」(『ルター著作集第一集第五巻』p.269-)。

礼拝順序を示しているわけではないが、礼拝から不純物を取り除き、御言葉による礼拝の回復と、神の言葉が説教されることを訴えている。


2.Formula missae et communionis


1523年末。ラテン語で書かれた。

一般に「フォーミュラ・ミサ」と言われている。

邦訳は、青山四郎訳「ミサと聖餐の原則」(『ルター著作集第一集第五巻』p.281-)。あるいはこれをもとに鈴木浩、湯川郁子によって改訂されたものが『ルター著作選集』(教文館、2005)のpp.437-460。

特徴は、
  • ①他の考え方をするのは自由であり、ルターはこれが強制されることを望んでいない。
  • ②ラテン語であり伝統的な様式を踏襲しているのは、従来の礼拝に慣れ親しんだ人たちへの配慮であり、また、目新しいものにばかり飛びつく連中がいるため。
  • ③伝統に沿いつつも、人間が犠牲を献げることにつながる要素を徹底して排除。具体的には、奉納と奉献文を否定して実体変化と犠牲奉献に関わる言葉や所作を取り除いた。かわりに制定語を重視。
  • ④自国語による説教を勧め、自国語の讃美歌の必要を述べている。


3.Deutsche Messe und ordnung Gottisdiensts


1526年元旦。ドイツ語で書かれた。

一般に「ドイツ・ミサ」と言われている。

邦訳は、青山四郎訳「ドイツミサと礼拝の順序」(『ルター著作集 第一集第六巻』、聖文舎、1963)。

特徴は、
  • ①自国語による礼拝。
    (ただし、
    • a) 自国語による礼拝の実践はすでにカールシュタットらが行っていた。
    • b) 賛美歌をドイツ語で会衆も歌うが、ドイツ語の讃美歌が十分に揃うまではラテン語も許容。
    • c) 目的は信徒の信仰理解のためと、異教徒や未信者、若者・子ども、召し使いへの伝道・教育のため。)
  • ②礼拝の順序も言語もそれ自体が絶対化されたり強制されてはならず、各人の自由であることを強調
    (ただし、ころころ変えるのは民衆が混乱するのですべきでない。また、弊害があればすぐに変更すること。)。
  • ③信徒の信仰理解、異教徒への伝道、子どもへの教育のために、教理問答を重視。
  • ④急進的な改革をせず、時が来るのを待つ。祭服などは、廃れるか、廃止したいと思うようになるまでそのままにしておく。
  • ⑤標準説教集(説教範例)の必要を提起。

ドイツミサは、フォーミュラ・ミサを廃止したり変更したりするものではない。必要に応じて用いる自由がある(『ルター著作集 第一集第六巻』P.421-422)。結果として、ドイツミサよりもフォーミュラ・ミサがドイツ語の形で定着し、また、宗教改革の広がりに伴って各国語で行われることになった(『キリスト教礼拝・礼拝学事典』p.437)


文 献(順不同)


見たもの


  • 前田貞一「ルター派の礼拝」、『キリスト教礼拝辞典』(日本基督教団出版局、1977年)pp.369-373。
  • W.ナーゲル(松山與志雄訳)『キリスト教礼拝史』(教文館、1998年)のpp.158-169。
  • J.F.ホワイト(越川弘英監訳)『プロテスタント教会の礼拝 その伝統と展開』(日本基督教団出版局、2005年)のpp.63-85。
  • 『キリスト教礼拝・礼拝学事典』(日本基督教団出版局、2006年)の「礼拝の系譜」の項目の中の徳善義和「ルター派」、pp.436-438。「礼拝の歴史」の項目の中の出村彰「宗教改革時代」、pp.486-488。
  • 徳善義和「ルターと讃美歌2 信仰改革は礼拝改革へ具体化」、『礼拝と音楽』158号、2013夏、pp.52-56。

見たけど役立たなかったもの


  • 『ルターと宗教改革事典』(教文館、1995年)の「礼拝改革」の項目(徳善義和)。記述の分量が少なく、フォーミュラ・ミサやドイツミサの中身の話はない。
  • 『礼拝と音楽』No.175、2017年秋号。特集「礼拝改革者ルター」。ルターの礼拝改革に取り組む具体的な話はないし、フォーミュラ・ミサやドイツミサについても上の文献を補うような知見はなかった。カトリック、フォーミュラ・ミサ、ドイツミサ、ミュンツァーのドイツ語ミサ、ブツァー、カルヴァンの礼拝式順を比較できる一覧表(p.18)があるのは便利かも。

見ていないもの


  • V.ヴァイタ(岸千年訳)、『ルターの礼拝の神学』、聖文舎、1969年。
  • ゴードン・W・レイスロップ(平岡仁子訳)、『21世紀の礼拝――文化との出会い』 、教文館、2014年、125頁、1500円+税。


補 足


前田貞一は『キリスト教礼拝辞典』(日本基督教団出版局、1977)の「ルター派の礼拝」の項目で、ルターの著作で礼拝順序に関わる基本的なものとして英語版ルター著作全集"Luther's Works"から、上記3つの他に、"A Christian Exhortation to the Livonians Concerning Public Worship and Concord"(1525)を挙げている。

これの原題は"Eyne Christliche vormanung von eusserlichem Gottis dienste vnde eyntracht, an die yn lieffland." WA18, 417-421. 現代ドイツ語では"Eine christliche Vermahnung von äußerlichem Gottesdienst und Eintracht an die in Livland."

しかし、これは当時のバルト海沿岸のリボニアの町ドルパートでの宗教改革を励ますために送られた手紙で、ルターの礼拝観は表れているだろうが、ドイツでの話ではないので、基礎的な文献ではこの著作については全く触れられていない。邦訳もなし。



ルターと詩編 [聖書と釈義]


マルチン・ルターの生涯や信仰と特に関わりのある詩編の箇所。

● 2:4
「天を王座とする方は笑い、・・・」
ポールソン『はじめてのルター』、p.113。

● 18:3以下
激しい雷を伴った嵐が起こったので、ルターは次のように言った、「さあ、我々はこの体験から第18編の詩を理解し、解釈することを学ぶことができる」
コーイマン『ルターと聖書』p.220。

● 31:2c
(=71:2a)「神の義」(ただし新共同訳では「恵みの御業」)
徳善『マルチン・ルター 生涯と信仰』p.45~。
植田訳『卓上語録』、p.34。

● 45
1532年の講義。
金子晴勇訳、『心からわき出た美しい言葉――詩編45編の講解』、教文館、2010年。

● 46
「神はわがやぐら/砦」(1529年)。
讃美歌1編267、21-377。

46:5の解釈と翻訳について、コーイマン『ルターと聖書』p.245以下。

● 51
ルターの罪理解。1532年の講義。
『ルターと宗教改革事典』p.209。ポールソン『はじめてのルター』、p.168-171。
金子晴勇訳、『主よ、あわれみたまえ――詩編51編の講解』、教文館、2008年。

詩編51:19について「わたしはこの節を金の文字で書きたいほどだ」
コーイマン『ルターと聖書』p.242。

● 71:2a
(=31:2c)

● 90
徳善『マルチン・ルター 生涯と信仰』p.273~。
金子晴勇訳、『生と死について 詩篇90篇講義』、創文社、1978年。
金子晴勇訳、『生と死の講話』、知泉書館、2007年。

● 116:10
「わたしは信じた。それゆえ、わたしは激しい苦しみに襲われた。」
「ルターは、神に信頼することは、ただ一人の神をもつことによって問題を増すばかりであるということを理解していた」
ポールソン『はじめてのルター』、p.129。

● 118:17
「彼は、城の中で過ごした半年の間に多くのことをやり遂げた。詩編が彼の関心の大部分であった。信徒のために、彼は詩編を解説して小さな単行本としたが、そのうち最もよく知られているのは、かの貴重なConfitemini(われら告白せん)である。」
コーイマン『ルターと聖書』p.233。

父ハンスの死に際して、「死ぬことなく、生き長らえて、主の御業を語り伝えよう」
『ルターと宗教改革事典』p.122。

● 130
「深き悩みより」(1523年)。
讃美歌1編258、21-22、21-160。



ルターが「パウロ的詩編」と言っている詩編:
32、51、110、130、143。
植田訳『卓上語録』教文館、p.173。



見た文献:
  • ウィレム・J.コーイマン(岸千年訳)、『ルターと聖書』(ルター神学研究双書7)、聖文舎、1971年。
  • 日本ルーテル神学大学ルター研究所編、『ルターと宗教改革事典』、教文館、1995年。
  • ルター(植田兼義訳)、『卓上語録』、教文館、2003年。
  • S.ポールソン(湯川郁子訳)、『はじめてのルター』、教文館、2008年。
  • 徳善義和、『マルチン・ルター 生涯と信仰』、教文館、2007年初版、2012年第2版。



積ん読 バックナンバー1 [まとめ]


読んでいるかどうかは別にして、机の上に積まれている本10冊。2010年秋~2015秋 (9回分)

2010.9.30

  • 宮田光雄『平和のハトとリヴァイアサン
  • 徳善&百瀬『カトリックとプロテスタント』
  • 古屋安雄『宗教の神学』
  • 『桑田秀延全集第三巻』
  • 近藤勝彦『礼拝と教会形成の神学』
  • 森本あんり『現代に語りかけるキリスト教』
  • 加藤常昭『改訂新版 雪ノ下カテキズム』
  • 古屋安雄『なぜ日本にキリスト教は広まらないのか』
  • 『ブルンナー著作集第2巻』
  • ニーバー『光の子と闇の子』

2011.3.3

  • ポールソン『はじめてのルター』
  • ベノア『ジァン・カルヴァン』
  • 『イエスと共に歩む生活 はじめの一歩Q&A』
  • ヘイゲマン『礼拝を新たに』
  • 『神学』72号「愛と法――教会を建てるために」
  • 大串眞『開拓伝道物語』
  • 森井眞『ジャン・カルヴァン ある運命』
  • 保科隆『葬儀』
  • 疋田博『キリスト教葬儀』
  • TOMOセレクト『慰めと希望の葬儀』

2012.10.8

  • ブルンナー『信仰・希望・愛』
  • 奥田知志『もう、ひとりにさせない』
  • 竹森満佐一『わが主よ、わが神よⅠ』
  • 富岡幸一郎『使徒的人間カール・バルト』
  • クーピッシュ『カール・バルト』
  • ボンヘッファー『ボンヘッファー選集9聖書研究』
  • バルト『和解論Ⅲ/1』
  • ボーレン『祝福を告げる言葉』
  • ハンター『山上の説教講解』
  • シュトレッカー『「山上の説教」註解』

2013.4.3

  • 聖(セイント)☆おにいさん1,2
  • 鈴木有郷『ラインホルド・ニーバーとアメリカ』
  • 平野克己『主の祈り イエスと歩む旅』』
  • ネストレ第28版
  • ホワイト『キリスト教の礼拝』
  • 田川建三『新約聖書 訳と註 マタイ/マルコ』
  • ゲリー・ウィルズ『リンカーンの三分間』
  • 川島貞雄『ペトロ』清水書院
  • 『旧約聖書を学ぶ人のために』世界思想社
  • 越川弘英編『宣教ってなんだ?』

2013.10.10

  • 浅野順一『モーセ』(岩波新書)
  • フォン・ラート『モーセ』
  • ギューティング『新約聖書の「本文」とは何か
  • ナウエン『いま、ここに生きる』
  • 『どちりな きりしたん』(岩波文庫)
  • 『ロマン・ロラン全集18 政治論1』
  • ヴェスターマン『聖書の基礎知識 旧約編』改訂新版
  • 越川弘英『信仰生活の手引き 礼拝』
  • 山中正雄『心の診察室』
  • 『渡辺総一 いのりの造形 共に歩むキリスト』

2014.4.2

  • ◆渋谷・赤坂『憲法1人権』第5版有斐閣アルマ(とても読みやすく諸説が簡潔に紹介されている)
  • ◆西谷幸介『十字架の七つの言葉』ヨルダン社(いまでも入手可能、在庫僅少)
  • ◆加藤常昭『黙想 十字架上の七つの言葉』(この時期の定番)
  • ◆バルト『和解論Ⅱ/4』(「教団の秩序」とか)
  • ◆八木谷『もっと教会を行きやすくする本』(なかなかそうはできなくてすいません)
  • ◆『10代と歩む洗礼・堅信への道』(使ってみてます)
  • ◆丸山真男『日本の思想』岩波新書(古書店で50円でゲット)
  • ◆三浦綾子『夕あり朝あり』(白洋舎クリーニング)
  • ◆クラウス『力ある説教とは何か』(「樽が非常に良く響き、反響するときは、たいして中身が入っていない」p.94)
  • ◆カトリック『YOUCAT』(すごいね!)

2014.10.1

  • ◆スタインベック『怒りの葡萄』(主人公に同行する説教師が気になる)
  • ◆『謙堂・植村正久・物語』(植村の伝記は他にあまりない)
  • ◆『教会アーカイブス入門』(教会史編纂の手引き)
  • ◆セイヤーズ『ドグマこそドラマ』(「地上最大のドラマ」はバルトも絶賛)
  • ◆パネンベルク『組織神学入門』(キリスト論は教会と伝道の基盤)
  • ◆近藤勝彦『癒しと信仰』(ずいぶん前の説教・講演集)
  • ◆藤掛明『一六時四〇分』(付録に中年期のメンタルヘルスの講演概要あり)
  • ◆『洗礼を受けずに亡くなった幼児の救いの希望』(神の限りない憐れみが第一にある)
  • ◆ナッシュ『幼子の救い』(これも洗礼を受けずに亡くなった幼子の救い)
  • ◆ロイドジョンズ『説教と説教者』(御言葉を語る恵みと注意を再確認)

2015.4.1

  • ◆ミルトン『言論・出版の自由』(岩波文庫、原田純訳。表現の自由。)
  • ◆稲垣久和『改憲問題とキリスト教』(公共の福祉、市民社会の形成)
  • ◆『ヴァイツゼッカー大統領演説集』(永井清彦編訳、岩波。)
  • ◆『国権と良心 種谷牧師裁判の軌跡』(この中に中平健吉「教会闘争としての種谷牧師裁判」)
  • ◆日本平和学会編『平和を考えるための100冊+α』(見出しは75冊)
  • ◆ヘスラム『近代主義とキリスト教』(カイパーのカルビニズム講義)
  • ◆ヘッセリンク『改革派とは何か』(RCAは「改革派」、CRCは「キリスト改革派」)
  • ◆デーヴィス『現代における宣教と礼拝』(邦訳1968年の古典。Missio Dei)
  • ◆永井春子『十戒と祈りの断想』(他に『青少年のためのキリスト教教理』も)
  • ◆渡辺和子『愛をこめて生きる』(他に『信じる「愛」を持っていますか』、『目には見えないけれど大切なもの』)

2015.10.1

  • ◆シュミート『旧約聖書文学史入門』(Schmidはスイスではシュミート)
  • ◆『新版総説旧約聖書』(五書は大住、歴史書は山我)
  • ◆ブルッゲマン『旧約聖書神学用語辞典』(100項目のつもりが数え間違えて105項目)
  • ◆大住雄一『神のみ前に立って』(なかなか十戒の各論に入らない)
  • ◆深井智朗『伝道』(漬け物販売のバイトの話)
  • ◆上野千鶴子『生き延びるための思想 新版』(弱者が弱者のまま尊重される思想)
  • ◆宇沢弘文他『格差社会を越えて』(新自由主義批判)
  • ◆ドレッシャー『若い夫婦のための10章』(結婚準備の学び)
  • ◆大嶋裕香『愛し合う二人のための結婚講座』(これも学びのためだが耳が痛い)
  • ◆三浦綾子『光あるうちに』(道ありき第三部)

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