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リンカーン(9)『三分間』5 [読書メモ]

ゲリー・ウィルズ『リンカーンの三分間』共同通信社ゲリー・ウィルズ(北沢栄訳)、『リンカーンの三分間――ゲティズバーグ演説の謎』、共同通信社、1995年、口絵4+376+索引5頁。

原著:Garry Wills, "Lincoln at Gettysburg : The Words That Remade America," Literary Research, Inc., 1992.
1993年ピュリツァー賞受賞作。

(続き)


■ 付録Ⅰ
 「リンカーンが話したこと――テキスト」として、ゲティスバーグ演説のテキストの様々な版について。
 リンカーンは演説原稿からやや離れて語ったところがある。演説を速記して掲載されたいくつかの新聞記事は信頼できるか。演説の後に求められて作成された少なくとも四つある自筆原稿は、どれがよいのか。

 議会図書館にあるニコレイのテキスト(「第一草稿」と呼ばれる)、「リトル・ブラウン」社によって印刷されたテキスト、ヘイの「第二草稿」(これはそれほど重要ではない)、スプリングフィールド・テキスト(エヴァレットの写し)、そして、ボルティモア・フェアのテキスト(バンクロフト版とブリス版)。このブリス版がリンカーンの自筆の最後のものである。

 すべての原稿に相違がある。リンカーンは、短いスピーチを終えた後も最後まで訂正を加え続けたのだ。

■ 付録Ⅱ
 「演説の場所」。

■ 付録Ⅲ
 「四つの追悼演説」として、エヴァレットの演説の全訳、古代ギリシャのペリクレスとゴルギアスの追悼演説、そして、リンカーンのゲティスバーグ演説の実際に語られたものに最も近いと考えられるもの(リトル・ブラウン版)の英語と日本語、及び、最終テキストとされるもの(ブリス版)の英語と日本語。


リンカーン(8)『三分間』4 [読書メモ]

ゲリー・ウィルズ『リンカーンの三分間』共同通信社ゲリー・ウィルズ(北沢栄訳)、『リンカーンの三分間――ゲティズバーグ演説の謎』、共同通信社、1995年、口絵4+376+索引5頁。

原著:Garry Wills, "Lincoln at Gettysburg : The Words That Remade America," Literary Research, Inc., 1992.
1993年ピュリツァー賞受賞作。

(続き)


「エピローグ――その他の演説」から

■ 戦争指導者としてのリンカーン

 「戦争指導者としてのリンカーンは、ほとんどの場合、非暴力主義を貫いた。彼は、暴力がいかに人々を本来の意図から逸脱させるかを知っていた。・・・戦争は長引けば長引くほど、いかなる理性的な目的をも逸脱していく。そうなると、高貴な熱望さえも、蛮行を助長しかねない。」(p.214、217)

 「戦争が勃発すると、熱く血がたぎり、そしてこぼれる。思考は従来の回路から混乱の中へと追いやられる。詐術が横行し、信頼関係が崩れ、そして疑心暗鬼を生ずる。人は皆、先に殺されないうちに隣人を殺そうとする衝動を抱く。そして復讐と仕返しが後に続く。」(p.216、SW 2.523)

 「戦時リーダーシップ史上、ユニークと言ってよいリンカーンの特徴は、彼が自己の絶対視や正当化、敵の中傷に耽ることを一切拒否したことである。」(p.220)

■ 第二次大統領就任演説

 リンカーンがゲティズバーグで奴隷制について言及しなかったのは、独立宣言国家としてのアメリカの理念の方が優先されるからであった。しかし、この戦争で奴隷制を無視することはできない。それは、第二次大統領就任演説によって補足されなければならない。(p.211)

 リンカーンは、第二次大統領就任演説で、ルカ18:7「この世はつまずきあるゆえ、わざわいなるかな。つまずきは必ずきたらん。されどつまずきをもたらす者にわざわいあれ」を引用し、アメリカの奴隷制は国家全体のつまずきであって、北部と南部の双方に戦争という災いが下されたのだとする。しかし、つまずきをもたらした者に災いを下されたのは、神がこのつまずきを取り除くことを欲したもうたということであり、ここに神の摂理を見る。
 北の祈りも南の祈りもどちらも聞き届けられなかったが、しかし今や、双方が共に「この戦争という強大なる天罰が速やかに過ぎ去らんこと」を切に祈らなければならない。
 ただそのために、「つまずき」をもたらしたことに対する代償を支払わなければならない。それは、「主の裁きは真実であってことごとく正しい」(詩編19:9、新共同訳では19:10)からである。(p.223-226)

 リンカーンは、「今、携わっている偉業を成し遂げよう」と呼びかける。それは、「われわれの前に残されている大いなる事業」(ゲティズバーグ演説)なのである。
 この声明が、ゲティズバーグ演説を補い、完全なものにする。ゲティズバーグ演説と肩を並べるに値するのは、この第二次大統領就任演説のみである。(p.228)


リンカーン(7)『三分間』3 [読書メモ]

ゲリー・ウィルズ『リンカーンの三分間』共同通信社ゲリー・ウィルズ(北沢栄訳)、『リンカーンの三分間――ゲティズバーグ演説の謎』、共同通信社、1995年、口絵4+376+索引5頁。

原著:Garry Wills, "Lincoln at Gettysburg : The Words That Remade America," Literary Research, Inc., 1992.
1993年ピュリツァー賞受賞作。

(続き)


「第4章 思想の革命」から

 ゲティズバーグの戦いと同年になされた奴隷解放布告にリンカーンが言及しなかったのは、奴隷解放は単なる軍事的手段にすぎず、リンカーンは戦争を超え、「われわれの前に残されている大いなる事業」に目を向けていたからだ。それは、国家が自らを身ごもったヴィジョンにふさわしく邁進するためである。

 南北戦争まで、「合衆国」は一貫して複数名詞であった。"The United States are a free government." ところがゲティズバーグの戦い以降、「合衆国」は単数名詞として使われるようになった。"The United States is a free government."

 リンカーンが演説の終わりで「人民の、人民による、人民のための」政治と語ったとき、彼は単にセオドア・パーカーのような超絶主義者として「民衆政治」を称賛したのではなく、むしろウェブスターのように、アメリカは独立宣言の中で認められた偉大なる任務にとりかかる一つの人民であると述べたのである。この人民は、一七七六年に「身ごもり」、独立した存在として「打ち立て」られ、その誕生は「八十七年前」にさかのぼり、「この大陸」に位置づけられ、「自由の新たな誕生」を受けるべき存在なのであった。

(以上、p.170-171)


「第5章 文体の革命」から

 リンカーンは将軍たちとの連絡に電信を用い、電報文にふさわしい簡潔で明瞭な言葉を操った。ゲティズバーグ演説は、電文に似た、言葉の無駄をそぎ落とした文章になっている。特に、連結語を省略した連辞省略と呼ばれる表現で、andやbutに勢いをそがれることなく三つの文を響かせた。
 we are engaged...We are met...We have come...
 we can not dedicate...we can not consecrate...we can not hallow...
 that from these honored dead...that we here highly resolve...that this nation, under God...
 government of the people...by the people, for the people...

 この演説には、比喩的な言葉や形式ばった装飾が全く使われていない。代名詞や前文を受ける語を使うのではなく、既出の語を何度も繰り返すことで文章につながりを持たせている。

 リンカーンは科学の時代にふさわしく現代的な言葉を使い、産業社会にふさわしくスピーチの内部をうまく「つなぎ合わせ」、うまく作動(傍点)させたのだ。

(以上、p.203-210)


リンカーン(6)『三分間』2 [読書メモ]

ゲリー・ウィルズ『リンカーンの三分間』共同通信社ゲリー・ウィルズ(北沢栄訳)、『リンカーンの三分間――ゲティズバーグ演説の謎』、共同通信社、1995年、口絵4+376+索引5頁。

原著:Garry Wills, "Lincoln at Gettysburg : The Words That Remade America," Literary Research, Inc., 1992.
1993年ピュリツァー賞受賞作。

(続き)


「第2章 ゲティズバーグと死の文化」から

 「霊園」(セミトリー)という言葉は、市街地の中にある教会付設の墓地ではなく、森や小川や泉などの田園風景のある町の境界の外に埋葬することで、死者を命や自然、再生と結びつけたロマン主義的な古代ギリシャの文化にちなんでいる。(p.64-66)

 「霊園は、十九世紀最高の境界値だった。命と死、時と永遠、過去と未来の境となる場所だった。」(p.78)

 リンカーンのゲティズバーグ演説における生と死の対照は、修辞学的であるのみならず、「霊園」のロマン主義的な性格から自ずと出てくるものでもあった。(p.82あたり)


「第3章 超絶主義的宣言」から

■ リンカーンと奴隷制

 ゲティズバーグ演説で語られた「大いなる事業」とは、奴隷解放ではなく民主政治の維持である。此の演説では奴隷制については全く触れられていない。(p.100)

 リンカーンは、奴隷制の問題について曖昧な発言をし、当時の人々と後世の研究家たちを悩ませている。リンカーンが一方で奴隷制反対を明白に打ち出し、他方でそれを曖昧にしているのは、聴衆の人種主義をくすぐろうとする巧みな業であった。(p.101-109)

 当時のアメリカ人は、独立宣言に畏敬の念を持っていたと同時に、奴隷制にも好感を抱いていた。リンカーンは、両方を同時に持つことは不可能だと論じた。独立宣言は、奴隷制を是認している憲法と異なり、時代を超越した極めて一般的な理念である人間の平等を謳って、自由な社会の原則を提示している。それに従えば、誰も人間を所有することはできないし、また、人間の上に立つ“国王”となるべきでもない。この点で奴隷制度は間違っている。(p.113-117)

 「奴隷制は憲法の中でうまく隠されている。それはまさに瘤や癌に侵された人がそれを隠すようなものだ。この人は、多量出血して死ぬことを恐れて、これらをすぐに切ろうとはしないかもしれない。にもかかわらず、時がたてば切らなくてはならないことは決まりきっている。」(p.115-116, SW 1.337-338)

■ アメリカの理念としての独立宣言

 独立宣言はアメリカの理念であり、この理想はすべての経験を超越する。アメリカの政治思想は、経験主義的ではなく超絶主義的である。そして、アメリカという国家が連邦を維持する唯一のよりどころは、独立宣言中に述べられているアメリカの理念である。アメリカがこの理念に生きて民主政治を維持発展させるならば、すべての人の生まれながらの平等の実現への道も開かれる。(p.120-127、140-141)


リンカーン(5)『三分間』1 [読書メモ]

ゲリー・ウィルズ『リンカーンの三分間』共同通信社ゲリー・ウィルズ(北沢栄訳)、『リンカーンの三分間――ゲティズバーグ演説の謎』、共同通信社、1995年、口絵4+376+索引5頁。

原著:Garry Wills, "Lincoln at Gettysburg : The Words That Remade America," Literary Research, Inc., 1992.
1993年ピュリツァー賞受賞作。



著者の日本語表記は、「ギャリー・ウィルズ」とされることもある。たとえば、ギャリー・ウィルズ(志渡岡理恵訳)、『アウグスティヌス』(ペンギン評伝双書)、岩波書店、2002年。

また、Gettysburgもいろんな日本語表記があるが、『リンカーンの三分間』では「ゲティズバーグ」と表記されている。


■ 全体の構成

228頁までの本文は、プロローグ、五つの章、そしてエピローグ。付録が三つ。46ページにわたる詳細な注付き。


「プロローグ」では、ゲティスバーグでの戦死者の遺体とその埋葬のありさまが生々しく記されている。


「第1章 ギリシャ復興の弁論」から

■ エドワード・エヴァレットについて

 エヴァレットは、リンカーンのゲティスバーグ演説の前に2時間の演説をした人。

 エヴァレットはハーバード大で神学を学び牧師になったが、大学に呼び戻され、彼のために新設された古代ギリシャ研究のポストに就き、ゲッティンゲン大学に留学した。エヴァレットは古代ギリシャの雄弁術を身に着けて、優れた演説によって、下院議員、マサチューセッツ州知事、上院議員(途中、ハーバード大学長)、国務長官を務めていった。(p.38-39)


■ 「演説」というものについて

 ゲティスバーグでの式典は国立墓地の奉献式であったが、そこでの演説は単なる挨拶やスピーチではなく、「追悼演説」という古代ギリシャからの伝統に沿ったものであった。

 追悼演説に限らず、演説やスピーチと言われているものは、偉いお方のお話をありがたくお伺いして、終わったらすっかり忘れてしまうようなものではなく、古代ギリシャの雄弁家たちのように、人民の政治的アイデンティティを形成する力であった。(p.47あたり)

 そして、そのような演説では、ギリシャの雄弁術に由来する修辞が駆使されていた。

 また、演説は数時間にわたるのが当たり前で、「長さや調子においては当今のロック・コンサートとさほど変わりはない。」(p.14)

 エヴァレットは特に、そのような演説に長けた人物であった。


■ リンカーンのゲティスバーグ演説の技法について

 リンカーンのゲティスバーグ演説では、古代ギリシャの修辞法のうち、対照法が特徴的に用いられている。中でも生と死の対照が強調されている。(p.53-57)

また、古代ギリシャの弔辞の構成(死者への賛美と生きている者への助言)と語られるテーマ(言葉と行為、儀式、父祖たち、大地からの生誕、存在証明、栄誉など)に、リンカーンもこの演説でたどり着いている。(p.58-62)


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