CGNTV「みことばに聞く」1~28 [説教]
CGNTVの「みことばに聞く」千葉に掲載されているミニ説教というかショートメッセージというか。
10分程度。
これまでの全28回分のまとめ。
No.28 2019.9.4 [540]
No.27 2019.5.26 [534]
No.26 2019.5.16 [527]
No.25 2018.1.2 [495]
No.24 2017.9.20 [486]
ヨハネの手紙一4:9~10 「神の愛によって生かされている」
No.23 2017.9.8 [478]
主イエスの復活
No.22 2016.6.2 [402]
ヨハネ20:16~17 「わたしにすがりつくのはよしなさい。」
主イエスの復活
No.21 2016.5.19 [392]
マタイ27:46、マルコ15:34 「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったですか」
No.20 2016.5.5 [382]
神の国、御国、神の御支配
No.19 2015.9.30 [356]
2テモテ1:9前半 「わたしの人生は神の御計画の中に置かれている」
No.18 2015.9.18 [348]
No.17 2015.5.27 [336]
2テモテ4:18、詩編100:3、1テサ2:12後半、詩編102:19「神を賛美するために造られた」
No.16 2015.5.15 [328]
創世記1:1、ローマ11:36 「神によって造られ、保たれ、神に向かう。」
No.15 2015.1.29 [317]
No.14 2015.1.17 [309]
No.13 2015.1.7 [301]
No.12 2014.9.26 [293]
映画の「アナと雪の女王」では、映画館で主題歌を大合唱するそうですが・・・
No.11 2014.9.13 [284]
使徒9:4~6、9、15、18~20 「パウロの回心と召命」
No.10 2014.9.3 [276]
1歳の赤ちゃんの葬儀を行って。
No.9 2014.5.29 [272]
使徒4:2~3、5:17~18、5:33、7:52、7:57~60、ルカ23:34、46「ステファノの殉教」
No.8 2014.5.17 [264]
ルカによる福音書23:33、39~42「十字架の三人の中央におられる主イエス」
主イエスが他の犯罪人たちと共に、犯罪人たちの真ん中で十字架に架けられた意味は?
No.7 2014.5.9 [258]
でも、ヨエル書はそれをひっくり返して「鋤を剣に、鎌を槍に」と言う。なぜか?
No.6 2013.9.6 [213]
主イエスの復活
No.5 2013.5.25 [204]
マタイによる福音書7:7より「探しなさい。そうすれば見つかる」
No.4 2013.5.17 [198]
創世記26:34~35、27:46~28:4、28:10~19「天と地を結ぶ神の祝福があなたにも」
ヤコブの旅路と夢
No.3 2012.9.27 [167]
No.2 2012.9.18 [160]
No.1 2012.9.7 [153]
マタイ4:1~11 「サタンを退かれた主イエスにつながって」
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2019-08-02 20:00
「難しいことをやさしく」――井上ひさし逝去 [説教]
井上ひさし カトリック 1934.11.17-2010.4.9 75歳 肺癌
井上ひさしの言葉で、説教にも通じるとしてかねがね何度か聞いたことがあるものに、
「難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことをおもしろく」
というのがあった。
っと思ったら、今回の逝去に際して、井上ひさしが座右の銘としていたとして
あらためて、説教に当てはめて、つらつらと考えてみた。
1.難しいことをやさしく
新来会者にも分かるように。牧師や神学生でなければ分からないような釈義での言葉がそのまま説教に出ないように。そもそも福音は、福音の筋道で考えればシンプルであるはず。そのシンプルな福音を語る。また、難しいことをほんとにやさしく語るためには、難しいというその内容をきちんと理解していなければならない。
2.やさしいことを深く
表面的にならず、ありきたりの新鮮みのない内容にならないように。世に生きるわたしたちに御言葉の鋭く迫る様を語らなければならない。深みにこぎ出す。与えられた聖書箇所の意味が見えたと思っても、その程度のメッセージではないだろう、もっと深い意味がないかと考える。
3.深いことを愉快に、愉快なことをまじめに
福音の希望、喜びを語る。そのために、罪の赦し、無条件に神の子とされていること、御国の到来、体のよみがえり、永遠の命を語る。つまり、「説教が聖書に即しているならば、それが退屈ということはない」(カール・バルト)。
井上ひさしの言葉で、説教にも通じるとしてかねがね何度か聞いたことがあるものに、
「難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことをおもしろく」
というのがあった。
っと思ったら、今回の逝去に際して、井上ひさしが座右の銘としていたとして
「難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを愉快に、愉快なことをまじめに」という言葉が紹介されていた。
あらためて、説教に当てはめて、つらつらと考えてみた。
1.難しいことをやさしく
新来会者にも分かるように。牧師や神学生でなければ分からないような釈義での言葉がそのまま説教に出ないように。そもそも福音は、福音の筋道で考えればシンプルであるはず。そのシンプルな福音を語る。また、難しいことをほんとにやさしく語るためには、難しいというその内容をきちんと理解していなければならない。
2.やさしいことを深く
表面的にならず、ありきたりの新鮮みのない内容にならないように。世に生きるわたしたちに御言葉の鋭く迫る様を語らなければならない。深みにこぎ出す。与えられた聖書箇所の意味が見えたと思っても、その程度のメッセージではないだろう、もっと深い意味がないかと考える。
3.深いことを愉快に、愉快なことをまじめに
福音の希望、喜びを語る。そのために、罪の赦し、無条件に神の子とされていること、御国の到来、体のよみがえり、永遠の命を語る。つまり、「説教が聖書に即しているならば、それが退屈ということはない」(カール・バルト)。