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「SNSと伝道」参考文献に挙げなかった文献 [書籍紹介・リスト]


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日本基督教団宣教研究所委員会編『宣教の未来 五つの視点から』(日本キリスト教団出版局、2021年12月)に収録されている「SNSと伝道――教会もSNSをすべき理由」で、

参考文献に挙げなかった、挙げられなかった文献

を紹介します。読書・研究の参考にどうぞ。

(コメントは個人の感想です。)

教団出版局目 次参考文献リンク集索 引

あ行

  • 東浩紀、『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか+』(東浩紀アーカイブス2)(河出文庫)、河出書房新社、2011年。サイバースペースという呼び方に含まれている空間の隠喩について、マクルーハン、ウィリアム・ギブスンとフィリップ・K・ディック、フロイト、ジジェクとタークル、ラカンとソブチャック、デリダ、ボードリヤール、ベンヤミンなど、ポストモダンの現代思想を縦横に参照しながら検討する論考で難解。
  • 池田純一、『ウェブ×ソーシャル×アメリカ <全球時代>の構想力』(講談社現代新書2093)、講談社、2011年。Apple、Google、Facebookなどの創業者のビジョンやエンタープライズの背後にある理念を比較し、様々な哲学者や思想を引き合いにしながらアメリカの精神史の中に位置づける。そして、ウェブ企業論を語りつつ、Whole Earth(全球)という視点に次の時代の新たなビジョンの可能性を見出す。ウェブ企業論や次代のビジョンについては、より新しい『〈未来〉のつくり方――シリコンバレーの航海する精神』(講談社現代新書2315、2015年5月)がある。
  • 池田純一、『ウェブ文明論』(新潮選書)、新潮社、2013年。インターネットによる社会の変化を論じるいわゆるウェブ社会論やウェブ文化論的な内容ではなく、現代アメリカの社会・経済・産業(特にIT業界)・政治(特に大統領選)などの動向を、インターネットの影響に関心を寄せながら記した紀行文的エッセイ集。内容が時事的だし、アメリカを素描することが中心なので、ソーシャルメディア論やネット社会のコミュニケーション論といった観点からは読む必要は全くない。
  • 石井研士、『テレビと宗教――オウム以後を問い直す』(中公新書ラクレ293)、中央公論新社、2008年。出版年的にSNSに関連する記述はないが、「終章 情報化社会と宗教のゆくえ」で、日本における1980年代後半からの宗教団体のコンピュータネットワークや、90年代半ばからのホームページの開設状況が紹介されている。
  • 石田英敬、『大人のためのメディア論講義』(ちくま新書1167)、筑摩書房、2016年。情報記号論からメディアというものを論じるので、今回の関心には合わなかった。
  • 糸井重里、『インターネット的』(PHP文庫)、2014年。2001年のPHP新書に増補、文庫化したもの。本條晴一郎、遊橋裕泰、『災害に強い情報社会――東日本大震災とモバイル・コミュニケーション』(NTT出版、2013年)の中で、通信インフラが損壊した災害時において、人から人への「インターネット的」なコミュニケーションが重要であることが論じられていた。
  • 伊藤昌亮、『デモのメディア論――社会運動社会のゆくえ』(筑摩選書0057)、筑摩書房、2012年。脱稿してから読んだ。3.11後の反原発デモにおけるSNSの役割や意義について詳しく論じている、言及すべきだった文献。Amazonにカスタマーレビューを書いた。
  • 印刷博物館編、『日本印刷文化史』、講談社、2020年。「キリシタン版」の話は囲み記事のコラム4頁のみであり、内容的にもたいしたことなかった。
  • 梅田望夫、『ウェブ進化論――本当の大変化はこれから始まる』(ちくま新書582)、筑摩書房、2006年。一時期注目されたが、今やもういいかな。「書けばきっと誰かに届くはず」という意識(第4章)は重要。有名になった羽生善治の高速道路の話は第6章の冒頭。
  • 遠藤薫編著、『大震災後の社会学』(講談社現代新書2136)、講談社、2011年。東日本大震災で露わになったメディアの問題を整理し、第7章「震災とメディア」で災害時におけるソーシャルメディアの可能性を検討している。拙稿の「大規模災害時の情報発信」のところで参照すべきだった文献。その他、災害ボランティアの専門化の出現と迷惑論との関係なども考察、安全か危険かを強調するだけではない災害時のジャーナリズムが果たすべき役割についても議論している。
  • 遠藤薫、『メディアは大震災・原発事故をどう語ったか――報道・ネット・ドキュメンタリーを検証する』東京電機大学出版局、2012年。新聞・テレビの報道やデータを、後の研究のために詳細な時系列にまとめ、あるいは具体的な内容を記録し、様相を整理して提示したもの。深い考察までは記されていない。ネットメディアとマスメディアとの連携が随所で意識されており、著者はこれを「間メディア性」と言って、他の著書でもその重要性を指摘している。特に第2章で、ソーシャルメディアとマスメディアが連携した実例として、NHKテレビの災害報道がUstreamに転載されたことをNHK広報部のツイッター担当者が独断でリツイートした経緯や、GoogleのPerson Finder、各種動画サイトにおける省庁の記者会見の生放送の記録などを記している。今回の拙論には特に有用な記述はなかった。
  • 大黒岳彦、『情報社会の<哲学>――グーグル・ビッグデータ・人工知能』、勁草書房、2016年。言葉遣いが極めて衒学的なのでこの人の著作は読まない。
  • 小川克彦、『つながり進化論――ネット世代はなぜリア充を求めるのか』(中公新書2100)、中央公論新社、2011年。いかにも新書的なサブタイトルが付けられているが、人とのつながりを求めつつも相手に反応を強要しないように気に掛けるという、ネット世代の心情を明らかにしている。当時の大学生の様子やmixiの例など古さを感じるが、SNSコミュニケーションでのつながりに関する意識を考える上では、現在でも有用かも(特に4~6章)。
  • 小此木啓吾、『「ケータイ・ネット人間」の精神分析――少年も大人も引きこもりの時代』、飛鳥新社、2000年12月。後に朝日文庫(2005年)。ネットの影響だけでなく現代の人々の傾向を「引きこもり」として様々な精神医学的事例や事件を元に精神科医が語る。

か行

  • 木下晃伸、『デジタルネイティブの時代』、東洋経済新報社、2009年。近隣の図書館になかったし、ビジネス寄りの話題を取り上げている感じに思えて読んでいない。
  • 木村忠正、『ハイブリッド・エスノグラフィー――NC(ネットワークコミュニケーション)研究の質的方法と実践』、新曜社、2018年。同じ著者の『デジタルネイティブの時代――なぜメールせずに「つぶやく」のか』(平凡社新書、2012年)が、いかにも新書っぽいサブタイトルとは裏腹に、学問的な手続きにかなりのページを割いている研究書で、得るところが多かったので、こちらも読んでみた。『デジタルネイティブの時代』で紹介した方法論を詳述し、そこでの議論を日米比較などを通してさらに深化させた学術書。
  • 草野真一、『SNSって面白いの?――何が便利で、何が怖いのか』(ブルーバックスB-1926)、講談社、2015年。当時の中高生向けで、文献表に挙げるほどではなかった。
  • 小泉宣夫、圓岡偉男、『情報メディア論――テクノロジー・サービス・社会』、講談社サイエンティフィク、2016年。タイトルに「情報メディア論」とあるが、大学1~2年次の一般教養の教科書。

さ行

  • セブ山、『インターネット文化人類学』、太田出版、2017年。学問的な文化人類学ではなく、サブカルチャー的なネタのインタビューや実験・検証記事をまとめたもの。匿名アカウントの内容から個人を特定できてしまった話は衝撃的。
  • 清水幾太郎、『流言蜚語』(ちくま学芸文庫シ26-1)、筑摩書房、2011年。流言飛語の具体例を挙げて分析するのではなく、流言蜚語という社会的現象を人々に影響を与える報道の一種(もちろんアブノーマルな報道だが)と捉えて考察する。戦前の1937年初版なのでネット時代の流言飛語には当てはまらない面もあるが、報道や輿論の機能や性質について深く考察している。流言蜚語は、報道の空白や通信の杜絶、過度な検閲などによって生じる情報に対する「飢え」を地盤として、その空隙を埋めようとして発生する(「情報」という言葉は使われていないが)。流言蜚語は「無根拠なうわさ」と言われるが、全く無根拠ではなく、不十分な事実があってこそ成立する。人々が報道と流言蜚語とを区別するのはそれぞれの内容によってではなく、署名があるか、文字として客観化されているかなどの形式によってである。つまり、報道と流言蜚語とを区別するのは知識ではなく、こういった形式への信頼であり、こういった形式が信頼に足るとするのは一種の「信仰」であるとする。

た行

  • 高野明彦、吉見俊哉、三浦伸也、『311情報学――メディアは何をどう伝えたか』(叢書 社会と震災)、岩波書店、2012年。デジタルアーカイブの話。特に重要な点はなし。
  • 立入勝義、『ソーシャルメディア革命――「ソーシャル」の波が「マス」を呑み込む日』(ディスカヴァー携書)、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2011年。2010年当時の北米でのソーシャルメディアの最新事情、特にソーシャルメディアを用いたマーケティングの状況や、日本での可能性、ソーシャルメディアの未来図など。今となっては読まなくてよい。
  • 立入勝義、『検証 東日本大震災――そのときソーシャルメディアは何を伝えたか?』(ディスカヴァー携書)、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2011年。大震災後かなり早い時期に出版されたが、そのせいか内容的には他書を読めば十分。
  • 田中幹人、標葉隆馬、丸山紀一朗、『災害弱者と情報弱者――3・11後、何が見過ごされたのか』(筑摩選書47)、 筑摩書房、2012年。脱稿後に読んだ。東日本大震災の被害データの分析から災害弱者は情報弱者であることを論証し、それのみならず、ソーシャルメディアやウェブメディアでの情報の偏りの問題を指摘して、社会に対する視点の多様性を確保するために、情報を編集して提示するジャーナリズム的な営為が我々すべてに求められることを論じている。書名からはそこまで見えないのが残念である。
  • タプスコット,ドン(栗原潔訳)、『デジタルネイティブが世界を変える』、翔泳社、2009年。近隣の図書館になかったので読んでません。海外と日本とで世代の特徴は異なると思われるので、関心は後回しのまま。
  • 津田大介、『ゴミ情報の海から宝石を見つけ出す――これからのソーシャルメディア航海術』(PHPビジネス新書308)、PHP研究所、2014年。著者の『情報の呼吸法』(朝日出版社、2012年)と合わせてツイッター術の教科書になるが、全6章のうち、情報の受け方と発し方を示す第2章と第3章だけ読めばよい。
  • 徳田雄洋、『デジタル社会はなぜ生きにくいか』(岩波新書 新赤1185)岩波書店、2009年。同じ著者の『震災と情報――あのとき何が伝わったか』(岩波新書 新赤1343、2011年)を読んだので、こちらも読んでみたが、面白くなかった。
  • 土橋臣吾、南田勝也、辻泉 編著、『デジタルメディアの社会学――問題を発見し、可能性を探る』改訂版、北樹出版、2013年。初版は2011年で、第3版が2017年に出ているが、目次は全然変わっていない。デジタルメディアを当然の環境のように受け入れているデジタルネイティブ世代向けに、デジタルメディアの問題を発見し可能性を探るための教科書(大学初年度向け)。内容的にもう古い。

な行

  • 中橋雄、『メディア・リテラシー論――ソーシャルメディア時代のメディア教育』、北樹出版、2014。2021年に改訂版が出ている。メディアに関する研究を専攻する大学生やメディア教育に携わる教師を主な読者層として想定して書かれた教科書。読者がメディアリテラシーを身に付けるための本ではなく、メディアリテラシー教育を行う側にとっての入門書。小学校などでのメディアリテラシー教育の実例を随所で挙げる。一般の人がメディアリテラシーについて知るには改訂版(2021年)の1~5章までを読めばいい。
  • 西垣通、『続 基礎情報学――「生命的組織」のために』、NTT出版、2008年。難しいので今はやめておく。同じ著者の『ネットとリアルのあいだ――生きるための情報学』(ちくまプリマー新書、筑摩書房、2009年)が読みやすく、著者の「基礎情報学」の平易な紹介になっていると思う。

は行

  • 橋元良明+電通総研 奥律哉、長尾嘉英、庄野徹、『ネオ・デジタルネイティブの誕生――日本独自の進化を遂げるネット世代』、ダイヤモンド社、2010年。メディア環境の変化と行動様式などの定量調査・定性調査から、76(ナナロク)世代と86(ハチロク)世代で行動と意識が大きく異なることを示すとともに、さらに異なる価値観を持った96世代以降を中心とするネオ・デジタルネイティブの出現を示す。丁寧に読めば若い世代の価値観や意識、行動を知る上で現在でも有益な指摘があるだろうが、しかし、今や「Z世代」だし、ビジネス書に近い筆致なのが残念。
  • 濱野智史、『アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか』(ちくま文庫)、筑摩書房、2015年。単行本(NTT出版、2008年)の文庫化。「文庫版あとがき」を追加。佐々木俊尚の「解説」はたいして役に立たない。2ちゃんねる、ミクシィ、ニコニコ動画、ツイッターなどを挙げているので、アーキテクチャの重要性について知るのにレッシグ『CODE』(後に『CODE VERSION2.0』)より親しみやすい。ちなみに著者は本書刊行後、『前田敦子はキリストを超えた――〈宗教〉としてのAKB48』(ちくま新書、2012年)を著している。Amazonにカスタマーレビューを書いた。
  • 藤原智美、『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』、文藝春秋、2014年。書き言葉による自己との対話や思考は、ネットではなく本でなければできず、そこに「つながらない」価値があるという、作家によるエッセイ。

ま行

  • マクルーハン, マーシャル(栗原裕、河本仲聖訳)、『メディア論――人間の拡張の諸相』、みすず書房、1987年。これと『グーテンベルクの銀河系――活字人間の形成』(みすず書房、1986年)も読み直した(ページをざっとめくってみただけ)が、引用には至らず。『メディアはマッサージである』(河出書房新社、1995年、新装版2010年、2015年に新訳文庫化)の方が内容的に関連するかも。なお、マクルーハンは26歳でカトリックに「改宗」したということで、「プロテスタント的な活字文化への反発」(佐藤卓己『現代メディア史 新版』2018年、p.230)があったことはよく知られているらしい。
  • 松下慶太、『デジタル・ネイティブとソーシャルメディア――若者が生み出す新たなコミュニケーション』、教育評論社、2012年。大学での講義をまとめたものでさすがにもう古い。大人の世代である「デジタル・イミグランツ」は、どんなにデジタルメディアを使いこなしても、デジタル・ネイティブになれない(第1章)。第2章で、ソーシャル・キャピタル、6次の隔たり(スモールワールド)、マタイ効果、パレートの法則、ロングテールなどを一通り紹介しているので、知らない人にはこの章だけ有用かも。
  • 松田美佐、土橋臣吾、辻泉編、『ケータイの2000年代――成熟するモバイル社会』、東京大学出版会、2014年。いわゆるケータイが人間関係や社会にどのような影響を与えたのか、ケータイが日常的に利用される社会とはどのような社会なのかを、2001年と2011年の学術的な調査結果を基に実証的に明らかにする。調査データの表やその分析に多くの紙面を割いており、また、2011年はスマートフォンの所有者数やSNS利用度が高まる過渡期であったため、今となってはほぼ読む必要はない。ただ、ソーシャルメディアの利用による「自己の多元化」を明らかにしようとする第4章や、人々が流動化・個人化したままにネットワークを形成するような新しい社会性・公共性の可能性を提示しようとする終章は、リースマン、バウマン、ギデンズなどの基礎的な文献を知る上で有用であった。Amazonにカスタマーレビューを書いた。
  • 三村忠史、倉又俊夫、NHK「デジタルネイティブ」取材班、『デジタルネイティブ――次代を変える若者たちの肖像』(NHK出版 生活人新書278)、日本放送出版協会、2009年。デジタルネイティブの世代的な傾向や特徴ではなく、その世代の中で、新しいビジネス興した若者や今で言うインフルエンサー的な突出した若者を取材した、NHKスペシャル(2008年11月10日放送)の記録。テレビ番組は大きな反響を呼んだが、今となってはあえて読む必要はない。

や行

  • 柳田邦男、『壊れる日本人――ケータイ・ネット依存症への告別』、新潮社、2005年。後に文庫化。作家によるエッセイ。

(2022.9.15加筆、修正)


タグ:SNSと伝道

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