SSブログ

「SNSと伝道」参考文献(増補・五十音順) [書籍紹介・リスト]


CIMG3153_trim_L.jpg

日本基督教団宣教研究所委員会編『宣教の未来 五つの視点から』(日本キリスト教団出版局)が、2021年12月1日付で発行され、この中に、拙文「SNSと伝道――教会もSNSをすべき理由」が収録されました。

参考文献は、便宜がよいと思って

  • 1.ネットやSNSの教会での利用について
  • 2.インターネットやSNSに関する文献
  • 3.震災時におけるSNS、流言・デマについて
  • 4.メディア論の観点から記された文献で参考にしたもの
  • 5.現代社会を読み解く上で参考にした文献
  • 6.その他(統計資料、新聞記事、Webサイトは除く)

と分類して記しましたが、五十音順もあったほうがよいと思うので、以下には五十音順で記します。

なお、参考文献に記したのは、論文誌などは避け、翻訳も最小限にとどめ、読みやすい新書などを中心に取り上げました。

(※)印は、掲載しなかった統計資料や掲載し忘れたもの。

教団出版局目 次|参考文献|リンク集索 引参考文献に挙げなかった文献

参考文献(五十音順)

あ行

  • アイゼンステイン,E.L.(別宮貞徳訳)、『印刷革命』、みすず書房、1987年。拙論p.159の注1で言及。最初の印刷聖書は「42行聖書」であり贖宥状も印刷されたなど、活版印刷技術はプロテスタントのみならずカトリックにも大きな影響を与えた。
  • 朝生鴨、『中の人などいない――@NHK広報のツイートはなぜユルい?』(新潮文庫 あ-82-1)、新潮社、2015年。2012年単行本に「文庫版あとがき」を加えて文庫化。拙論p.211で、SNSはパソコンでやった方が冷静に発言できるという指摘で参照した。この書には、東日本大震災の時にNHKテレビの地震関連の放送が無断でネットに転載されたことに対し、極めて緊急時ということでNHK広報部のツイッター担当者(この書の著者)が個人的判断でそれを認めた顛末が記されている。これを機に、各テレビ局は公式にインターネットでの放送に乗り出すことになった(徳田雄洋、『震災と情報――あのとき何が伝わったか』(岩波新書)、岩波書店、2011年、p.25)。
  • 東浩紀、『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』(講談社文庫)、講談社、2015年。2011年単行本(講談社)に宇野重規との対談とあとがきを加えて文庫化。ルソーを読み解きながら、熟議の成り立たない時代にネットの中に一般意志を見出すことで熟議によらない民主主義の可能性を論じる。拙論p.171で文庫版p.144を参照した。ネットは人々の忘れたことも記憶しているが、それは、単にネットのどこかに情報が残り続けるというだけでなく、ネットが人のコントロールを超えたところで人間の「無意識」を可視化するという特徴をもっていることによる。
  • 天野彬、『SNS変遷史――「いいね!」でつながる社会のゆくえ』(イースト新書118)、イースト・プレス、2019年。拙論注15、24、39、136、148で参照・引用。
  • 生駒孝彰、『ブラウン管の神々』、ヨルダン社、1987年。拙論p.160注6で石井研士「情報化と宗教」と共に紹介。1970年代以降のアメリカで、テレビが新しい伝道手段として注目される中に登場したテレビ伝道師と呼ばれる人たちを紹介し、その興隆の背景を論じている。
  • 生駒孝彰、『インターネットの中の神々――21世紀の宗教空間』(平凡社新書19)、平凡社、1999年。第1章で、アメリカにおける1921年のラジオ伝道の始まりから、1950年代から始まり80年代のいくつかのスキャンダルで衰退していくテレビ伝道の時代、そしてインターネット時代への流れを概説している。第2章以降は、さまざまな教派やキリスト教系新宗教の状況やホームページの紹介。この頃は、検索したらこんなページがありましたという程度の内容でも本になっていた。
  • 石井研士「情報化と宗教」、『アメリカの宗教――多民族社会の世界観』(井門富二夫編)、弘文堂、1992年、pp.242~265。拙論p.160注6で紹介。テレビ伝道師(テレヴァンジェリスト)について、彼らが影響力をもったのは、放送を通して視聴者に直接訴えかけることができただけでなく、視聴者からの大量な電話や手紙に適切に対応するコンピューターシステムがあったからと分析する。彼らには放送局から番組枠を購入するための多額の資金が必要であり、勢い献金の呼びかけが重要になる。すると、彼らを支援したいと視聴者に感じさせる演出とメッセージへと傾き、“テレヴァンジェリストに経済的援助を行えばあなたは神から数倍の祝福を受ける”という神学に至る。
  • 石井研士「ラジオと宗教」、石井研士他、『高度情報化社会と宗教に関する基礎的研究』(平成11年度~14年度科学研究費補助金 基盤研究(B)(2)研究成果報告書)、2003年。ネットにpdfあり。この中に、川島堅二「日本基督教団所属教会のインターネット利用調査」もあり。拙論p.159注5で参照。
  • インターネット白書編集委員会編、『インターネット白書2019――デジタルファースト社会への大転換』、インプレスR&D、2019年。(※)拙論p.191注98で参照。
  • インターネット白書編集委員会編、『インターネット白書2020――5Gの先にある世界』、インプレスR&D、2020年。(※)拙論p.163注16、p.205注132で参照。
  • 宇野常寛、『遅いインターネット』、幻冬舎、2020年。拙論p.208注136で引用・参照。
  • 江田智昭、『お寺の掲示板』、新潮社、2019年。拙論p.227注164で紹介。寺院の山門掲示板に書かれた巧みな警句や奇想天外な名言を集め、解説。「輝け! お寺の掲示板大賞2018」から生まれた本。第2弾も2021年に出ている。キリスト教会もSNSや道行く人にちょっとでも目に留めてもらえるような説教題をつけたらどうか。
  • 海老沢有道「キリシタン版」、『日本キリスト教歴史大事典』、教文館、1988年。この大事典のp.416-417の見開きで、現存しているすべてのキリシタン版について、書名、刊行地、刊行年、言語、所在などを一覧表にしている。
  • 大澤真幸、『電子メディア論――身体のメディア的変容』、新曜社、1995年。拙論p.205注131で紹介。ネットを介してのコミュニケーションは身体性が薄れるが、一人ひとりの興味関心に応じて届けられる情報は個人の内面に直接入っていくことができる。
  • 大澤真幸、吉見俊哉、鷲田清一編、『現代社会学事典』、弘文堂、2012年。(※)拙論p.196注108で参照。社会学における「マタイ効果」の項を調べた。ネット利用に関しては「マタイの法則」という言い方がよく用いられている。この語を紹介していたのは、橋元良明『メディアと日本人』(岩波新書、2011年)の他、松下慶太『デジタル・ネイティブとソーシャルメディア――若者が生み出す新たなコミュニケーション』(教育評論社、2012年)。
  • 大嶋重徳、『若者と生きる教会――伝道・教会教育・信仰継承』、教文館、2015年。拙論p.218注153で参照。SNS利用は若者に委ねることができる重要な奉仕である。はらはらすることもあるが、牧師や年長者は若者の多少の行き過ぎにはじっと我慢することが、これからの教会につながる。
  • 荻上チキ、『ウェブ炎上――ネット群集の暴走と可能性』(ちくま新書683)、筑摩書房、2007年。拙論p.183注72で参照。「炎上」についての基本文献の一つ。
  • 荻上チキ、『検証 東日本大震災の流言・デマ』(光文社新書518)、光文社、2011年。拙論p.186注83、p.188注85、p.193注102で参照。東日本大震災が起きた際に発生した様々な流言・デマを収集し解説している本で、SNS利用の際にも、具体的な事例を多く知っておくことが流言・デマを見分けてその発信者や拡散者にならないために有益。
  • 荻上チキ「炎上の構造」、川上量生監修『ネットが生んだ文化』、角川学芸出版、2014年。拙論p.183注72で、炎上に関する有用な文献として紹介。
  • 小木曽健、『ネットで勝つ情報リテラシー――あの人はなぜ騙されないのか』(ちくま新書1437)、筑摩書房、2019年。拙論注48,59,92,147で参照。「ネットで勝つ」とか「なぜ~なのか」とか新書っぽいウケを狙ったタイトルだが、内容は、ネット情報には発信者の動機や目的による思い込みや偏りがあることや、理不尽な批判に対する「スルースキル」や発信する側として「玄関ドアに貼れるか」という視点の大切さなど、初心者向けのネット情報リテラシーの入門書で読みやすくおすすめ。
  • 奥田知志、『もう、一人にさせない――わが父の家にはすみか多し』、いのちのことば社、2011年。拙論p.197で引用(注110)。社会的弱者に対するネット上での匿名の差別的な発言の例として、この本で紹介されている、ホームレス支援団体のネット掲示板に書き込まれた文章を紹介した。
  • 尾崎太一(綿村英一郎監修)、「SNSとうまくつきあうための心理学」、『Newton』第40巻12号(2020年10月号)、ニュートンプレス、pp.102~109。拙論p.179注55で参照。SNSで「いいね」をもらうと、アルコールやたばこを摂取したときと同様に、脳の報酬系と呼ばれる快感をもたらす神経回路が働くという。

か行

  • 片柳弘史、「SNSと文書伝道」、『キリスト教書総目録2020』(No.31)、キリスト教書総目録刊行会、2019年、p.vi~viii。拙論中での参照はないが、教皇ベネディクト16世と教皇フランシスコが「世界広報の日メッセージ」で語ったインターネットに関する言葉を紹介していること、良い文章、良い写真が相手の共感を呼ぶこと、あっという間に流れ去っていく情報の中で時間を越えて有益な情報を集めて本にすることで、SNSが文章伝道につながっていることを語っている。
  • 金子郁容、『ボランティア――もうひとつの情報社会』(岩波新書235)、岩波書店、1992年。
  • 香山リカ、『ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか』(朝日新書464)、朝日新聞出版、2014年。
  • 川島堅二「インターネットの宗教的活用の現状と可能性について――アメリカのキリスト教会の調査から」、『恵泉女学園大学人文学部紀要』第9号、pp.53~74、1997年1月。アメリカのキリスト教会(ルター派、長老派、聖公会)がインターネットをどのように利用しているかの調査結果とこれからの可能性について。調査の時期が記されていないが、1996年頃だろう。キリスト教会のインターネット利用に関する、日本における史上最初(?)の論文。ネットにpdfあり。
  • 川島堅二「日本基督教団所属教会のインターネット利用調査」、『高度情報化社会と宗教に関する基礎的研究』(平成11年度~14年度科学研究費補助金 基盤研究(B)(2)研究成果報告書)、2003年。ネットにpdfあり。この中に、石井研士「ラジオと宗教」もあり。拙論p.160注8で参照。
  • 木村忠正、『デジタルネイティブの時代――なぜメールせずに「つぶやく」のか』(平凡社新書660)、平凡社、2012年。
  • 久米淳嗣「判断を保留することができる教会を」、『ミニストリー』vol.24(2015年冬号)、キリスト新聞社、pp.12~13。
  • 小原克博、野本真也、『よくわかるキリスト教@インターネット』、教文館、2003年。
  • 近藤勝彦「インターネット時代における説教者の姿勢」、『東京神学大学学報』No.270(2012年7月)、p.6。

さ行

  • 佐々木裕一、『ソーシャルメディア四半世紀――情報資本主義に飲み込まれる時間とコンテンツ』、日本経済新聞出版、2018年。拙論注22、40、114、123、124、125、134、136で参照・引用。ソーシャルメディアに限らず、不特定多数との情報共有が可能な電子掲示板や商品レビューサイト、Q&Aサイト、ブログなども含めた、利用者が誰でも簡単に投稿できるウェブサイトを「ユーザーサイト」と呼び、テクノロジーのみならず、制度、サービスや利用者による受容実態などから、ユーザーサイトの歴史をたどる。特に、収益モデルの変遷に関心を置いている。投稿と参加型メディアの源流として初期の『ロッキング・オン』までさかのぼっている。
  • 佐藤卓己、『メディア社会――現代を読み解く視点』(岩波新書新赤版1022)、岩波書店、2006年。2004年末~2005年の時事ニュースをメディア論から読み解いた、地方新聞連載記事を元にした50編。著者が『現代メディア史』(岩波テキストブックス)で述べている視点が具体的な時事問題に即して語られている。一つ一つの記事が短くて読みやすいが、時事ニュースから語っているので今やout-of-date感が強い。拙論では注44で、ピューリタンたちが生涯に3000回の説教を聞いたのに対し、現代の平均的なアメリカ人は生涯に700万回以上の情報を浴びている話を参照、引用。
  • 佐藤卓己編、『岩波講座 現代9 デジタル情報社会の未来』、岩波書店、2016年。この中の、佐藤俊樹「制度と技術と民主主義――インターネット民主主義原論」、荻野チキ「『ネット社会の闇』とは何だったのか――ウェブ流言とその対処」、和田伸一郎「『新デジタル時代』と新しい資本主義」。
  • 佐藤卓己、『現代メディア史 新版』(岩波テキストブックス)、岩波書店、2018年。
  • 佐藤卓己、『流言のメディア史』(岩波新書新赤版1764)、岩波書店、2019年。
  • 師岡康子、『ヘイト・スピーチとは何か』(岩波新書1460)、岩波書店、2013年。
  • 『信徒の友』2019年9月号、日本キリスト教団出版局。特集「SNSと伝道 福音つぶやいてますか」
  • 春原禎光「教会とIT」、『季刊 教会』No.98、2015年春号、pp.56~57。
  • 総務省編、『情報通信白書』平成29年版~令和2年版。(※)

た行

  • 武田隆、『ソーシャルメディア進化論』、ダイヤモンド社、2011年。拙論p.190注95で参照(注を付けるほどではなかったかも)。この文献は、ソーシャルメディアを、関係構築か情報交換かの軸と、拠って立つところが価値観か実名性の高い現実生活かの軸で、4象限に分けて考察している。後半(第4章以降)は企業と消費者を結ぶ企業コミュニティ構築の話なので読む必要はない。
  • 橘木俊詔、『日本の経済格差――所得と資産から考える』(岩波新書590)、岩波書店、1998年。
  • 橘木俊詔、『格差社会――何が問題なのか』(岩波新書1033)、岩波書店、2006年。
  • 田中辰雄、山口真一、『ネット炎上の研究――誰があおり、どう対処するのか』、勁草書房、2016年。拙論注72、73、75で参照・引用。5年以上経った現在では状況や見方が変化している面も多いが、ネット炎上について論じる際にまず参照すべき基本かつ重要文献。特に、炎上に荷担しているのはごく一部の特殊なユーザーであり、直接攻撃してくるのは通常の議論が困難なかなり特異な人であることを定量的な実証分析によって明らかにしている。
  • 千葉雅也、『動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』、河出書房新社、2013年。後に文庫化されている(河出文庫、2017年)。拙論ではp.199注116で「過剰な接続を切断する」ことの必要性を指摘しているものとして紹介した。とは言え、難解なので「序――切断論」しか読んでません。接続過剰(つながりすぎ)は、すべての要素を互いに接続したいという「妄想」の中に私たちを閉じ込める。(p.18,50あたり)
  • 津田大介、『Twitter社会論――新たなリアルタイム・ウェブの潮流 』(新書y 227)、洋泉社、2009年。拙論p.166注24、p.172注41で参照。ツイッターの特徴を説明する第1章は現在でも有用。第2章以降は、著者のツイッター活用術(第2章)、ジャーナリズム、政治、ビジネスでのツイッターのインパクト(第3章)、最後は勝間和代との対談で、今や読まなくてよい。
  • 津田大介、『情報の呼吸法』(Idea Ink01)、朝日出版社、2012年。
  • 津田大介、『動員の革命――ソーシャルメディアは何を変えたのか』(中公新書ラクレ415)、中央公論新社、2012年。
  • 津田大介、『情報戦争を生き抜く――武器としてのメディアリテラシー』(朝日新書696)、朝日新聞出版、2018年。
  • デジタルコンテンツ協会企画編集(経済産業省商務情報政策局監修)、『デジタルコンテンツ白書2020』、デジタルコンテンツ協会、2020年。(※)
  • 伝道アイデアパンフレット編集の会編、『伝道アイデアパンフレット』、日本基督教団伝道委員会、2012年。(※)ぜひ、数年ごとに改訂を繰り返してほしい。
  • トキオ・ナレッジ、『スルーする技術』(宝島社新書)、宝島社、2013年。拙論p.174注48で、「スルーする」ことの重要さを指摘している文献として、小木曽健『ネットで勝つ情報リテラシー』(筑摩新書、2019年)と共に紹介。通俗的な筆致で読みやすく、おすすめ。面白おかしく書いているので、自分の役に立ちそうな所だけ受け取って、後は話半分でスルーすること。第1章が「ネットのスルー力を高める」で重要。残りの章は仕事や人間関係などリアルの社会でのスルー力やアンガーマネジメント。「トキオ・ナレッジ」は80-90年代のホイチョイ・プロダクションみたいなノリ(?)の知識集団っぽいが、『赤毛のアン』に出てくる「神は天にいまし。世はすべて事もなし」を引用する(p.162)など、教養もある。Amazonにカスタマーレビューを書いた。
  • 徳田雄洋、『震災と情報――あのとき何が伝わったか』(岩波新書 新赤1343)、岩波書店、2011年。拙著p.193注101で、災害時の状況把握に関して、マスメディアよりもSNSによる草の根的な情報発信が大きな役割を果たしたことを強調して述べている文献として参照。この書では、マスメディアではローカルな情報が取り上げられないだけでなく、当時のマスメディアが政府や東電の公式発表を繰り返すばかりで、本当に必要な情報や知識が得られず、ウェブやSNSが様々な見解を知るのに役立ったことが述べられている。

な行

  • 中澤佑一、『インターネットにおける誹謗中傷 法的対策マニュアル(第3版)』、中央経済社、2019年。(※ お名前が「祐」ではなく「佑」でした。すいません。)初版2013年、第2版2016年。タイトルの通り、ネットで誹謗中傷を受けた際の法的な対応の仕方のマニュアル。
  • 中山信児「感染症禍における礼拝と教会の営み」、『礼拝と音楽』No.186(2020年8月)、日本キリスト教団出版局、p.44~48。

は行

  • 芳賀力、「承認を求める人間――信仰義認論の現代的意義」、『神学』78号、東京神学大学神学会、2016年、pp.5~23。
  • 橋元良明、『メディアと日本人――変わりゆく日常』(岩波新書新赤版1298)、岩波書店、2011年。
  • バートレット,ジェイミー(秋山勝訳)、『操られる民主主義――デジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するか』、草思社、2018年。(※)山口二郎『民主主義は終わるのか』(岩波新書、2019年)の中で言及されているとして紹介。
  • 帚木蓬生、『ネガティブ・ケイパビリティ――答えの出ない事態に耐える力』(朝日選書958)、朝日新聞出版、2017年。
  • パリサー,イーライ(井口耕二訳)、『閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義』、早川書房、2012年。(※ 本では2021年となっているが2012年の間違い。すいません。)後に『フィルターバブル――インターネットが隠していること』と改題されて文庫化(ハヤカワ文庫NF459、2016年)。拙論p.190注94で紹介。「フィルターバブル」という概念を提起し、その危険性を指摘している本として重要。ネット利用におけるパーソナライゼーションは、物事の認知を歪め、世界や社会の認識を偏らせ、創造性を損ない、一人ひとりのアイデンティティを左右し、世論を操作し、民主主義を機能不全にする。
  • 張田眞「超高齢社会、教会員の高齢化の時代です」、『福音主義教会連合』2019年2、3、4、6月。拙論p.218注155で、主として教会員向けにSNSを利用した取り組みの例として紹介。
  • 平野克己「編集後記」、『ミニストリー』Vol.19(2013年秋号)、キリスト新聞社。拙論p.224注160で引用して紹介。日曜日以外に牧師の安息日を設けるべきなのは、本人の健康のためではなく、共に生きる者たちが休むためである。
  • 平野克己、『説教を知るキーワード』、日本キリスト教団出版局、2018年。拙論p.227で引用。「説教題は教会の前を通る人々への招きの言葉、福音の告知の機能を担っている。」
  • 蛭沼寿雄、『新約本文学史』、山本書店、1987年。この書のp.11に「42行聖書」が最初の印刷聖書として挙げられている。また、「序」の中での「印刷本を作成するということに当面して始めて、真の意味における本文研究が開始された」という指摘は重要。キリスト教が技術やメディアを利用するだけでなく、技術やメディアによってキリスト教が深められていく。
  • 藤代裕之、『ソーシャルメディア論――つながりを再設計する』、青弓社、2015年。2019年に改訂版が出ている。大学の社会科学系の「情報メディア論」などの教科書で、ソーシャルメディア論の基本的な論点の全容を知るためにおすすめ。全15章で、章ごとの注や文献ガイドが親切。拙論p.171注39、p.203注124で引用・参照。
  • 部落解放・人権研究所編(谷口真由美、荻上チキ、津田大介、川口泰司著)、『ネットと差別扇動――フェイク/ヘイト/部落差別』、解放出版社、2019年。
  • ベンヤミン,ヴァルター(浅井健二郎編訳、久保哲司訳)、『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』(ちくま学芸文庫)、筑摩書房、1995年。この中の「複製技術時代における芸術作品」。
  • 本條晴一郞・遊橋裕泰、『災害に強い情報社会――東日本大震災とモバイル・コミュニケーション』、NTT出版、2013年。拙論p.219注156で参照。p.193の「大規模災害時の情報発信」でも紹介すればよかった。災害時の不安定な状況での情報発信について、自分が社会に対してどのような便益を提供できるかを考えておき、人間のポジティブな能動性に期待して「好意の回路を形成していくこと」の重要さを主張している点が重要。通信設備の損壊や停電時におけるツイッターのシンプルな機能の有効性も指摘している。その他、被災地でどこに行けば携帯電話の電波がつながるかが人から人へと伝えられた事例を「インターネット的」(糸井重里)なリンクとシェアによるフラットな情報伝達だとして焦点を当てて議論を展開しているのが特徴的。

ま行

  • 毎日新聞取材班、『SNS暴力――なぜ人は匿名の刃をふるうのか』、毎日新聞出版、2020年。拙論p.183注72で、炎上に関する文献の一つとして紹介。木村花さんの事件をきっかけに連載された新聞記事を元に、大幅に取材を加えてまとめられたもの。
  • 『毎日新聞用語集2020年版』、毎日新聞。(※)『毎日ことば』、「「SNS」――「説明は必要」とする人が多数派だが…」(2020年5月1日)で紹介されていることに言及。
  • 松岡正剛、『フラジャイル 弱さからの出発』、筑摩書房、1995年。
  • 松岡正剛、『知の編集工学』、朝日新聞社、1996年。
  • 松田美佐、『うわさとは何か――ネットで変容する「最も古いメディア」』(中公新書2263)、中央公論新社、2014年。
  • 森本あんり、『異端の時代――正統のかたちを求めて』(岩波新書新赤1732)、岩波書店、2018年。

や行

  • 八木谷涼子、『もっと教会を行きやすくする本――「新来者」から日本のキリスト教界へ』、キリスト新聞社、2013年。
  • 安田浩一、『ヘイトスピーチ――「愛国者」たちの憎悪と暴力』(文春新書1027)、文藝春秋、2015年。
  • 山口二郎、『民主主義は終わるのか――瀬戸際に立つ日本』(岩波新書新赤1800)、岩波書店、2019年。
  • 山田健太、『3・11とメディア――徹底検証 新聞・テレビ・WEBは何をどう伝えたか』、トランスビュー、2013年。拙論p.193注102で参照。主に新聞・テレビでの震災関連報道における問題を分析しているが、その中の第3章「新興メディアは何を担ったか」で、ソーシャルメディアが果たした役割を新聞・テレビなど伝統メディアとの関わりの面から検証する。索引と参考文献一覧は省略され、「山田健太研究室ウエブサイト」を見るようにと書かれているが、今やもう残骸のみで該当するページは見当たらない。
  • 山竹伸二、『「認められたい」の正体――承認不安の時代』(講談社現代新書2094)、講談社、2011年。拙論p.198注115で参照、紹介。近代以前の西欧社会ではキリスト教の価値観が社会共通にあってその中で自己の存在価値も見出されていたが、近代以降、多様な価値観と出会うようになって普遍的な価値基準がなくなり、自己の存在価値を確認できず承認不安に陥っている。なお、後によりとっつきやすく(?)書かれたものに、『ひとはなぜ「認められたい」のか ――承認不安を生きる知恵』(ちくま新書、2021年)がある。
  • 吉見俊哉、『メディア文化論――メディアを学ぶ人のための15話』改訂版、有斐閣、2012年。2004年初版の改訂版。拙論p.159注4、p.171注39、p.188注86、p.205注131で参照。メディアの文化との関わりの面での基礎的な論点を通覧した、大学3年次向けくらい(有斐閣アルマSpecialized)の教科書で、ソーシャルメディアを考える上でも重要。各章ごとの文献案内も有用。

ら行

  • ラケット,オリバー、ケーシー,マイケル(森内薫訳)、『ソーシャルメディアの生態系』、東洋経済新報社、2019年。拙論注58、125、129で参照。
  • レッシグ,ローレンス(山形浩生、柏木亮二訳)、『CODE――インターネットの合法・違法・プライバシー』、翔泳社、2001年。及び、改訂版(山形浩生訳)、『CODE VERSION 2.0』、翔泳社、2007年。拙論p.203注125で参照。

(こまめに加筆中、the last update:2022.2.10)


タグ:SNSと伝道

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。