並木浩一『「ヨブ記」論集成』 [書籍紹介・リスト]
並木浩一、『「ヨブ記」論集成』、教文館、2003年、373頁、3000円+税。
これに収録されている七つの論文・講演録についてのメモ。
「岩波訳」で「ヨブ記」を担当した並木浩一がその準備作業として発表した一連の論文をまとめた『「ヨブ記」論集成』は、現代の「ヨブ記」研究の最前線を示している。
山我哲雄「旧約聖書研究史・文献紹介」、『旧約聖書を学ぶ人のために』世界思想社、2012年、p.333。
序――ヨブ記の射程はわれわれに及ぶ
「ヨブ記は独立したイデーたちがぶつかり合い、対話し、対立し、葛藤の中に置かれ、影響を与え合う「多声的」世界として構築されている。」
p.13
19:26新共同訳「身をもって」(口語訳「肉を離れて」)は、応報思想に立つ友人たちへの批判として直前に語った22節口語訳「肉をもって」の相互テクストとして見るならば、「ヨブはここでは敢えて「肉」へのこだわりを破棄」して、「肉を離れて神を見るであろう」と言い切っているのである。(p.14)
1.ヨブ記における否定
原形は日本聖書学研究所編『聖書における否定の問題』(聖書学論集4)(山本書店、1967年)所収。加筆訂正して、並木浩一『古代イスラエルとその周辺』(新地書房、1979年)所収。これをさらに全面的に改稿したもの。
そういった経緯が「追記」として記されている。
題名を付け替えるとすれば、「ヨブ記における二つの思考軸」がよいかと思うとのこと(p.57)。
「本論文の着眼点の一つは、ヨブ記における救済史の重視である」(p.59)。
2.文学としてのヨブ記
並木浩一『旧約聖書における文化と人間』(聖書の研究シリーズ55)(教文館、1999年)所収。
<付論>として「24章―28章の読み方」。
『「ヨブ記」論集成』に収録に当たっての「追記」あり。
ヨブと登場人物(神を含む)との対話は、終始かみ合わない。ヨブ記はドラマではない。むしろ、異なる思想を対位法的に展開する思想劇である(p.66)。
ヨブ記のメタファーとメトニミーについて。
「ヨブの言葉は一つ一つが思想行為であり、彼の決意表明であった。」
p.92
「人は物語なしでは生きられない。」
p.95
「ヨブ記は人間の自由のための書物である。」
p.96
28章について、
「学説史的には、私見はこの章(29節を除く)〔春原注:これは28節の間違いだろう〕に友人批判の機能を認めるヴェスターマンの考え方の変形である。わたしは相互テクスト的にこの章が自己批判の役割をも持つと考える。」
p.110
3.神義論とヨブ記
関根清三、鈴木佳秀、並木浩一、『旧約聖書と現代』(教文館、2000年)所収。
神義論とは何か(ライプニッツ、カント、古代オリエント、ギリシア世界、古代教会、宗教改革者、バルト)、関根正雄の神義論、神義論としてのヨブ記。
『「ヨブ記」論集成』に収録に当たっての「追記」あり。
4.ヨブ記における相互テクスト性――二章4節および四二章6節の理解を目指して
大野惠正、大島力、大住雄一、小友聡編、『果てしなき探求 旧約聖書の深みへ 左近淑記念論文集』(教文館、2002年)所収。
枠物語と詩文部分の関係、ジュリア・クリステヴァの相互テクスト性、2:4前半のサタンの「皮には皮を」、42:6の訳し方。
「追記」はない。
5.神から叱責されて賞賛されたヨブの正しさについて
小友聡他編、『テレビンの木陰で 旧約聖書の研究と実践 大串元亮教授記念献呈論文集』(教文館、2002年)所収。
ヨブは正しく語ったのか、新共同訳「正しく」の原文「ネコーナー」について、38:2「経綸」(エーツァー)と40:8「わが権利」(ミシュパーティー)、神のミシュパートと人のミシュパート。
「追記」はない。
「第五論文では、神は人間の生活空間には属していない異次元の世界に生きる野生動物の自由を語ることで、人間の解放についての使信を送っているとの理解がなされている。ヨブ記におけるユーモアの働きが重視されなければならない。ユーモアは異質な次元の事柄を包摂し、それぞれを生かす自由な空間を提供する高度な精神の働きである。ヨブ記にはこの精神が全面的に浸透している。」
p.59
6.ヨブ記とユダヤ民族の精神
日本聖書学研究所編『聖書学論集』35、2003年所収を大幅に改訂増補。
20世紀におけるユダヤ民族の象徴としてのヨブ、『ヨブの遺訓』でのヨブ記、ラビ伝承、サラディアのヨブ論、マイモニデスのヨブ論、トマス・アクィナスのヨブ論、盛期中世のヨブ論の特色として、摂理への注目、ヨブの異邦人性の消滅、エリフの価値の上昇の三つを指摘。
「追記」はない。
「今日のヨブ記理解に意味を持つ神学的姿勢は二つの聖書〔旧約と新約〕の内容的な直結を排して、ヨブ記特有の神理解を尊重し、その上で神に差し向かう人間の姿勢において新約聖書的な神理解のあり方を準備するものを見出すような間接的な結び付け方である。・・・カール・バルトが『教会教義学』の「和解論」第三部において展開したヨブ論は、神の自由なる恵みと行動に対する「真の証人」としての側面からヨブの苦悩・発言・神への信頼を見直したものであり、貴重な神学的貢献である。」
p.240-241
7.マルガレーテ・ズースマンとヨブ記
書き下ろし。
ドイツのユダヤ人女性思想家・批評家・詩人、マルガレーテ・ズースマンの紹介とヨブ記論。
ヨブ記に関する他の記事:
- 並木浩一著作集のヨブ記論
(『並木浩一著作集1 ヨブ記の全体像』の中のヨブ記論) - 並木浩一著作集のヨブ記論2
(『並木浩一著作集2 批評としての旧約学』の中のヨブ記論)
並木浩一著作集のヨブ記論2 [読書メモ]
前回、『並木浩一著作集1』の中のヨブ記論を取り上げたので、今回は、並木浩一、『並木浩一著作集2 批評としての旧約学』(日本基督教団出版局、2013年)の中の「ヨブ記」論。
目次全体は日本基督教団出版局の紹介ページで。
この中のヨブ記論は2つ。
「ヨブ記からの問いかけ」
- pp.168-176。
- 初出は『福音と世界』2011年8月号(特集「ヨブ記と神議論」)。
- 『アエラ』2011.4.11号で、東日本大震災の惨状の写真とそれに付された文章が神の虚妄性を訴えるものであったことに対して、神が幻想に過ぎないのなら、幻想に過ぎない神が人を殺すのは論理矛盾ではないかと厳しく批判することから、震災後の状況の中でヨブ記に耳を傾ける。
「ヨブ詩人の後継者、マルガレーテ・ズースマン」
- pp.177-182。
- 初出は内村鑑三研究所『所報』第17号、2012年。
並木浩一『並木浩一著作集3 旧約聖書の水脈』(日本基督教団出版局、2014年)には、特別にヨブ記をテーマにした論文はない。目次全体は日本基督教団出版局の紹介ページで。
並木浩一著作集のヨブ記論 [読書メモ]
並木浩一、『並木浩一著作集1 ヨブ記の全体像』(日本基督教団出版局、2013年)の中の「ヨブ記」論。
『並木浩一著作集1 ヨブ記の全体像』の目次
- まえがき
- 第一部 ヨブ記の全体像を求めて
- 1 ヨブ記 緒論
- 2 神の弁論は何を意味するか
- 3 対話のドラマトゥルギー ヨブと神
- 第二部 ヨブ記の主張と表現の特色
- 1 ヨブ記のレトリック
- 2 ヨブ記とヤハウィスト
- 3 神との闘争と和解の賜物としてのヨブの霊性
- 第三部 ヨブ記と取り組んだ人々
- 1 ヨブ記と内村鑑三
- 付論 ヨブ記における契約──創造と契約
- 2 ヨブ記と賀川豊彦
メ モ
ざっと目を通しただけだけど。
「まえがき」
「ヨブはなぜ、これほどまでに友人たちが説く従順の勧めを拒み続け、神に対する執拗な抗議を続けたのであろうか。それは神に対する信頼を失わなかったからではなかろうか。神への深い信頼なしに神の厳しい叱責を心からの感謝をもって聞くことができたであろうか。・・・神はヨブが「確かなこと」を語ったことを宣言した。それはヨブが神への信頼に基づいて、神の正義を問い続けたからにほかならない・・・。」
(p.9-10)
「「終曲」をヨブ記にとっては余計なものだと見なす判断は、今日なお根強いものがある。一般に納得されるようなかたちでこの問題に解答することはできないだろう。「終曲」をヨブ記に不可欠だと見なす根拠は、神学的な感覚に基づく判断である。それは残念ながら万人に共有されることはない。」
(p.11)
1.ヨブ記 緒論
- 『旧約聖書ⅩⅡ ヨブ記 箴言』、岩波書店、2004年の巻末の「解説」。
- 参考文献(日本における近年の文献からの抜粋)には、2011年のフランシスコ会訳聖書や佐々木勝彦『理由もなく ヨブ記を問う』(教文館)まで記されている。
2.神の弁論は何を意味するか
- 日本旧約学会『旧約学研究』No.1(2004年)所収の「神の弁論(ヨブ記38-41章)は何を意味するか」に、導入部分を加筆して収録(p.326の「初出一覧」では『旧約学論集』になっちゃってる)。
- 「読みの多様性を紹介するものであり、「概説」(本書の第一論文「ヨブ記 緒論」のこと)を補完する意味を持つ」とのこと。(p.14)
- C.G.ユング『ヨブへの答え』について、佐々木勝彦『理由もなく ヨブ記を問う』(教文館、2011)の中で適切な紹介と批判がなされているとのこと。(p.86)
「ヨブ記は「応報思想」を批判したが、「応報原理」は正義の基本であるゆえに、これを否定してはいない。ただ、人は個人的、社会的な視野を越えて、創造世界における秩序と世界の隅々にまで行き届く神の配慮を視野に収める必要がある。個人的、共同体的な正義だけが正しさのすべてではない。ヨブ記は読者に、この世界における共同体的な正義の特殊な意味づけを知るようにと訴えている。
創造世界はさまざまな悪を含みつつ生の秩序を維持する。・・・人間も神の保護なしには生を維持できないが、・・・最初の夫婦がエデンの園を出て以来、人類は自己の生を配慮しなければならないという運命を背負った。人は・・・社会を形成し、自律的に秩序を形成しなければ生存できない。・・・モラルは社会生活を維持するための人間の条件であり、・・・社会生活の悲惨と不正義を防ぐのは人間の責任である。この責任を担って生きることが神と人間との関わりの基盤である。」
(p.85-86)
3.対話のドラマトゥルギー ヨブと神
- 旧約聖書翻訳委員会編、『聖書を読む 旧約篇』、岩波書店、2005年に所収。
- 「付記」あり。「ヨブ記」を理解する基礎としての「相互テクスト性」については『「ヨブ記」論集成』の中の「ヨブ記における相互テクスト性・・・」と「神義論とヨブ記」を参照せよとのこと。
- 42:2の動詞を子音字本文に従って「あなたは知っている」と訳す試みは、ジャンセン(飯謙訳)『現代聖書注解 ヨブ記』(日本基督教団出版局、1989)(原著1985年)によってすでになされていたことを記している。
4.ヨブ記のレトリック
- 書き下ろし
- 「付記」あり。アンティフラシスについての部分は、『旧約学研究』No.9(2012年)、『旧約聖書と説教』(日本基督教団出版局、2013年)収録のものから専門的な叙述を省き、説明文には細かく手を入れたとのこと。
5.ヨブ記とヤハウィスト
- 『国際基督教大学学報Ⅳ-B 人文科学研究 キリスト教と文化』No.42、2011年に所収。
- 山我哲雄『海の奇蹟 モーセ五書論集』(聖公会出版、2012年)について、第1章「モーセ五書の成立」は「従来の資料説を要領よく紹介し、第11章でモーセ五書の最終形態を論じている。・・・五書に関心を持つ者には必読の書である。」(p.205)。
「ヤハウィストは・・・人類全体を視野に入れて、人類と民族を導く神の恵みを叙述した。」一方、ヨブ記は「一人の例外的に正しい人間に下る未曾有の苦難を取り上げ・・・、神の正義と被造世界の統治の問題を論ずる。両者はその視角と内容においてまったく違う。それにもかかわらず、・・・両者における思考方法と人間らしい生の条件の設定には、著しい構造的な類似性が認められる。」
(P.203)
6.神との闘争と和解の賜物としてのヨブの霊性
- 『回顧即感謝 清水護先生百歳記念論文集』、2008年に所収。
- 「付記」あり。清水護の簡単な紹介。
7.ヨブ記と内村鑑三
- 内村鑑三研究所『所報』No.17、2012年に所収。
付論 ヨブ記における契約――創造と救済
- 書き下ろし
- 「付記」あり。
8.ヨブ記と賀川豊彦
- 書き下ろし
- 「付記」あり。
- なお、YouTubeに、並木浩一「賀川豊彦はヨブ記をどう読んだか」(同志社大学での講演)あり。
左近淑『詩編を読む』 [読書メモ]
左近淑『詩編を読む』(旧約聖書3)(筑摩書房、1990年)の紹介とメモ。
詩編の類型について知る入門としてとてもよい。もっとはやくこれを読んでいればよかった。
目 次
※まえがきもあとがきもない。
- 序 説 詩編をどう読み解くか
- 第一章 嘆きの詩編
- 第二章 感謝 報告的ほめ歌
- 第三章 賛美 描写的ほめ歌
- 第四章 典礼歌 王の歌とシオンの歌
- 第五章 知恵の詩編とトーラー詩編
「序説」
「序説 詩編をどう読み解くか」は、マソラと七十人訳の番号の異同、五巻の分類、表題、小歌集の存在と編集、詩的技巧などを取り上げた、詩編全体についての概説。
詩編の分類について
- 「深い淵の底」という極と主なる神というもう一方の極との間に置かれて、そこから生まれる祈りを綴ったのが詩編だ。
- 人間の宗教的生の基本的な在り方に即応して、「懇願」から「ほめたたえ」への動的な動きがある。
- 人間の懇願に発する詩は「嘆きの歌」と呼ばれ、その懇願が聞き届けられたなら、「ほめたたえ」という宗教的生の基本的な在り方の他方の極へと移行する。
- 「ほめたたえ」には、「主は・・・してくださった」という感謝の報告と、「主は・・・(のような)かたである」という賛美を綴った描写とがある。
第1章「嘆きの詩編」
(1)分 類
- 嘆きの詩編は、個人の嘆きと集団の嘆きとに分けられるが、その区別は明確ではなく、ほとんど多くの場合に相互流動的である。
- 集団の嘆き 12、(14≒53)、25、44,(52)、58、60,74,79,80,83,85,89,90,94,123,126,129,137。
- 個人の嘆き 3、4,5,6,7,9-10,(12)、13、(14)、17、22,25,26,27:7-14、28、31,35,36,38,39,41,42-43,51、(52)、(53)、54、55,56,57,59,61,63,64,69,70,71,77,86,88,102,109、120,130,139,140,141,142,143。
- これらのうち、病の中での嘆き:6、13,28,35,38,39,41,88。(p.55)
- 伝統的に悔い改めの詩編と言われているもの:6、32、38、51、102、130、143。これらのうち罪と赦しに集中しているのは51と130。(p.55、86)
(2)基本構造
- 1(イ)神への呼びかけと導入の訴え
- 1(ロ)過去の救いの御業の回顧
- 2.嘆き
- 3.信頼の告白
- 4.訴え
- 5.神の同情・行動を促す動機づけ
- 6.祈りが聞かれたとの確信とほめたたえ(の誓い)
(3)敵を呪う意味
なぜ詩編では、激しい言葉で敵を呪い、自己の潔白を主張するのか。
それは、旧約の人々が、正義が踏みにじられ、正しい者が不利益を被り、社会的弱者が抑圧を受けているといった、現実の世界の矛盾の中に生きているからであり、義が確立されて正しい支配が成り立つことを激しく渇望しているからである。詩編ではしばしば敵への報復が訴えられるが、ヘブライ語の報復とは、崩れているバランスが正されて、正しい統治が回復することである。
(現実の支配者が神の意志に反しているとき、預言者は、この世が真の支配者によって統治されていることを宣言する。)
神は、御自身が義なる方であることを明らかにされる。神によって世に正義が貫徹される。そのためになされた神の御業が、キリストによる人間の救いである。キリストにおいて義が達成されている。
(4)信頼の詩編
- 信頼の詩編(嘆きに由来する) (4)、11、16,23,27:1-6、62、63,91,121,125,131。
- 信頼とは、「暗黒の中を行く疫病」や「真昼に襲う病魔」(詩編91:6)の中でも勇敢に堂々となされる生き方。
第2章「感謝 報告的ほめ歌」
(1)分 類
- 感謝の歌は個人の感謝の歌と集団の感謝の歌に分類される。
- 個人の感謝の歌 18, (21), 22:22ロ~32, 30, 32, 34, 40:1~12, 66:13~20, 103, 116, 118, 138. (このうち、戦いと勝利:18, 20, 118。病気:30, 116 人生の悩み:34, 40:1~12, 138, 22:22ロ~32, 32 救済史に関わるもの:66:13~20)
- 集団の感謝の歌 65, 67, 68, 75, 107, 124, 129, 136. (このうち、勝利の歌:68, 124, 129)
- 個人の感謝の歌も、人々が集まっている礼拝の中などを想定していることが多いので、個人の感謝の歌と集団の感謝の歌とを厳密に分類することは難しい。
(2)特 徴
- 神がわたし(たち)を救ってくださったという報告的一文が、感謝を込めて告白される。
- 歎きの歌と構造上、対応・対照関係がある。
- 神の救いの御業に対して、「ほめたたえの誓い」がなされる。「満願の献げ物を主にささげよう」(詩編116)、「主の御業を語り伝えよう」(詩118)、「とこしえにあなたに感謝をささげます」(30:13)
- 歎きの歌における現在の苦しみの歎きとそこからの神への救いの訴えと対照的に、感謝の歌においては、過去の苦しみの回顧とそれからの解放の報告がある。
- 特に個人の感謝の歌の大きな特色として、死の力からの解放を報告する詩編がある。死の支配に対して神が立ち上がり、迫り、屈服させ、撃ち、助け出される。
第3章「賛美 描写的ほめ歌」
(1)特 徴
- 「ほめたたえ」で始まる。
- (あなたがたは)~せよ(喜び踊れ、喜びの声を上げよなど)という二人称複数命令形の場合と、「わたしは~します」(感謝をささげます、御名をほめ歌うなど)という一人称単数未完了形の場合(104、146など)とがある。二人称複数命令形の場合が圧倒的に多い。
- 「ほめたたえ」で始まる導入部の後、賛美の理由を叙述する部分があり、神のほめたたえへの新たな勧めで結ばれる(145編など)。
- 賛美の理由としては、創造主の御業やその偉大さをたたえるもの(いと高き神をたたえる)と、歴史の主あるいは救済の神のイスラエルに対する慈しみやまことをたたえるもの(低きに降りたもう神をたたえる)とがある。
- 旧約聖書では、いと高き神が歴史の中に降ってくださったというダイナミックな神の業に対して、民の側もさまざまな楽器を用いたり、踊りや手を打ち鳴らすなどによって集団で喜びを表現して賛美がなされる。
(2)分 類
- 導入と結びで同じ語句が繰り返されて囲い込み構造になっているもの:8、104、113、135、146~150。
- 96、98、100などは特別な構造になっている。
- 祝福や祈願で終わるもの:29、33、(95)、105、(111)、134。
(3)自然と救済の御業をたたえる
- 「賛歌の究極の主題は、高きにいます偉大な神と、低きにくだる慈しみの神の結合にある。」(p.164)
- 自然における神の御業をたたえる詩:8、19:2-7、29、104。
- 自然における創造の御業と歴史における救済の御業を結合した詩:33、66:1-12、89:6-19、95、96、100、135、145、146、147、148など。
- 歴史における救済の御業をたたえる詩:105、111、114、117、135、149など。114編において、自然は、救いの出来事の前に屈服している。
- 「歴史の詩編」:78、105、106、114、135、136など。
- ヤハウェの即位式の詩編(終末論的詩編) 47、93、(95)、96、97、98、99。「主こそ王」「偉大なる主」「王なる主」などの言葉で、世界と諸国民、さらに自然まで含めて、被造世界全体を統治されている王なる主をたたえている。(これらのうち、47、97、99はイスラエルの民と聖なる山シオンの関係に言及している。)
第4章「典礼歌 王の歌とシオンの歌」
- 典礼歌は、人称の交替や託宣の引用、問答形式などによって、明らかに礼拝における劇的展開や役割の変化が想定できる詩編。
- 15(聖所入場)、24(聖所入場)、50(契約更新)、78(ダビデ契約)、81(契約更新)、89(ダビデ契約)、132(神の箱搬入を伴う儀礼)。
- 「王の詩編」:2(王の即位式)、18,20,21,45(王の婚礼),72,101,110(王の即位式),144。
- 「シオンの歌」: 46、48,76,84,87,122。
- 「巡礼歌」(「都に上る歌」という表題が付いている):120~134。
第5章「知恵の詩編とトーラー詩編」
- 知恵の詩編 1、37,49,73,112,127,128,133。 (ただし、本文中で知恵の詩編として例示されているのは、37、39,49,73,127。)
- トーラー詩編 1、19:8-15,119。
Notes
構造の詳しい解説
- 23編の構造の解説が、p.96~103にある。
- 42~43編の構造の解説が、p.116~122にある。
- 33編の構造の解説が、p.146~148にある。
- 29編の構造の解説が、p.152~157にある。(29:1-2と96:7-9aの類似と比較、「七つの雷の賛歌」、「洪水」(マッブール)の語は創世6-9章とこの詩のみ。)
- 100編の構造の解説が、p.158~159にある。
- 135編の構造の解説が、p.162~163にある。
- 113編の構造の解説が、p.164~168にある。
- 96編の構造の解説が、p.170~175にある。(「新しい歌」とは最後の歌であり、人生と歴史の最後に、最も新しい完成があるという希望の歌である。)
- 24編の構造の解説が、p.179~182にある。
- 132編の構造の解説が、p.184~188にある。
その他
- p.86の「詩編五十一は夏目漱石の『こころ』に引用されて有名になりました」とあるのは、『三四郎』の間違い。なお、漱石はこれを聖公会祈祷書から採ったとみられる(『文語訳新約聖書 詩篇付』岩波文庫の鈴木範久による解説。また、鈴木範久『聖書を読んだ30人――夏目漱石から山本五十六まで』日本聖書協会、2017年)。
- 「裁く」という言葉は「治める」という意味を持ち、主による統治がなされている裁きは、本質的に喜びである(詩編97:8)。(p.174)
「詩篇を愛された先生はいずれ包括的な詩篇注解を書くつもりであられたが、それがかなわなくなった今となってみれば、この小さな書物『詩篇を読む』は掛替えのない宝石となった。」
大野惠正「左近淑先生の生涯と著作」、『本のひろば』第389号、1990年12月、p.1-2。
詩編に関する他の記事:
- 2018.05.02 左近淑の詩篇研究(『詩篇研究』新教出版社、1971年)の読書メモ)
- 2017.10.05 どの詩編を学ぶか(学びのために150編の中からどれを選ぶか)
- 2017.10.12 ルターと詩編(ルターの生涯や信仰と特に関わりのある詩編)
- 2017.11.27 詩編のアルファベット歌(アルファベット歌の特徴と意味)
CGNTV「みことばに聞く」1~28 [説教]
CGNTVの「みことばに聞く」千葉に掲載されているミニ説教というかショートメッセージというか。
10分程度。
これまでの全28回分のまとめ。
No.28 2019.9.4 [540]
No.27 2019.5.26 [534]
No.26 2019.5.16 [527]
No.25 2018.1.2 [495]
No.24 2017.9.20 [486]
ヨハネの手紙一4:9~10 「神の愛によって生かされている」
No.23 2017.9.8 [478]
主イエスの復活
No.22 2016.6.2 [402]
ヨハネ20:16~17 「わたしにすがりつくのはよしなさい。」
主イエスの復活
No.21 2016.5.19 [392]
マタイ27:46、マルコ15:34 「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったですか」
No.20 2016.5.5 [382]
神の国、御国、神の御支配
No.19 2015.9.30 [356]
2テモテ1:9前半 「わたしの人生は神の御計画の中に置かれている」
No.18 2015.9.18 [348]
No.17 2015.5.27 [336]
2テモテ4:18、詩編100:3、1テサ2:12後半、詩編102:19「神を賛美するために造られた」
No.16 2015.5.15 [328]
創世記1:1、ローマ11:36 「神によって造られ、保たれ、神に向かう。」
No.15 2015.1.29 [317]
No.14 2015.1.17 [309]
No.13 2015.1.7 [301]
No.12 2014.9.26 [293]
映画の「アナと雪の女王」では、映画館で主題歌を大合唱するそうですが・・・
No.11 2014.9.13 [284]
使徒9:4~6、9、15、18~20 「パウロの回心と召命」
No.10 2014.9.3 [276]
1歳の赤ちゃんの葬儀を行って。
No.9 2014.5.29 [272]
使徒4:2~3、5:17~18、5:33、7:52、7:57~60、ルカ23:34、46「ステファノの殉教」
No.8 2014.5.17 [264]
ルカによる福音書23:33、39~42「十字架の三人の中央におられる主イエス」
主イエスが他の犯罪人たちと共に、犯罪人たちの真ん中で十字架に架けられた意味は?
No.7 2014.5.9 [258]
でも、ヨエル書はそれをひっくり返して「鋤を剣に、鎌を槍に」と言う。なぜか?
No.6 2013.9.6 [213]
主イエスの復活
No.5 2013.5.25 [204]
マタイによる福音書7:7より「探しなさい。そうすれば見つかる」
No.4 2013.5.17 [198]
創世記26:34~35、27:46~28:4、28:10~19「天と地を結ぶ神の祝福があなたにも」
ヤコブの旅路と夢
No.3 2012.9.27 [167]
No.2 2012.9.18 [160]
No.1 2012.9.7 [153]
マタイ4:1~11 「サタンを退かれた主イエスにつながって」
積ん読 バックナンバー2 [まとめ]
読んでいるかどうかは別にして、机の上に積まれている本10冊。2016年春~2018秋 (6回分)
→積ん読バックナンバー1(2010年秋~2015秋)(9回分)
2016.4.1
- ◆リンドバーグ『キリスト教史』(コンパクトながら表面的でない記述)
- ◆半田元夫、今野國雄『キリスト教史Ⅰ』(山川の世界宗教史叢書も古くなったが良書)
- ◆山我哲雄『キリスト教入門』(ジュニア新書としては高度かも)
- ◆久松英二『ギリシア正教 東方の智』(講談社選書メチエ)
- ◆及川信『オーソドックスとカトリック』(とても読みやすい比較)
- ◆コーイマン『ルターと聖書』(古い本だ)
- ◆カウフマン『ルター:異端から改革者へ』(教養人向け。ワイマール版を縦横に引用)
- ◆ポールソン『はじめてのルター』(イラストははたして日本人にはどうか?)
- ◆清水書院人と思想『ルター』(ルター評伝の定番)
- ◆藤本満『聖書信仰』(おもしろかった)
2016.10.3
- ◆石井錦一『教会生活を始める』(甘えた信仰を見直す)
- ◆淵田美津雄『真珠湾からゴルゴタへ』(今でも手に入る小冊子)
- ◆石川明人『キリスト教と戦争』(平和を祈りつつ戦う人間の愚かさ)
- ◆山内進『「正しい戦争」という思想』(キケロからカール・シュミット、ハーバーマス)
- ◆エウセビオス『教会史』(講談社学術文庫で上下2巻)
- ◆近藤勝彦『いま、震災・原発・憲法を考える』(キリスト教信仰が時代の大問題をどう捉えるか)
- ◆徳善義和『マルチン・ルター 生涯と信仰』(とても読みやすい良質の評伝)
- ◆大嶋重徳『若者と生きる教会』(「ひさしぶり」ではなく「いつも祈ってるよ」と声かけを)
- ◆ウェルズ 恵子『魂をゆさぶる歌に出会う』(ムーンウォークやゴスペルのルーツ、岩波ジュニア新書)
- ◆マイケル・マクローン『聖書の名句』(欽定訳に基づく良く知られた英語表現の紹介)
2017.4.4
- ◆説教黙想アレテイア特別増刊号『見よ、この方を!』(各4頁ずつの説教黙想は物足りないなあ)
- ◆竹下節子『ユダ』(各国各時代の伝説や文学、絵画等での多様なユダ像)
- ◆ウィリモン『十字架上の七つの言葉と出会う』(十字架の七言の説教集) ◆藤掛明『人生の後半戦とメンタルヘルス』(人生の後半戦は「絞り込み深める」)
- ◆大嶋重徳『自由への指針』(十戒を指針に現代社会を生きる)
- ◆塩谷達也『ゴスペルのチカラ』(ニグロスピリチュアル、ブラックゴスペルの歴史、人物、代表曲を知る)
- ◆『聖書人物おもしろ図鑑』(カラーのイラスト。人物だけでなくストーリーも。)
- ◆『安藤肇牧師牧会文集』(非売品)
- ◆鈴木崇巨『礼拝の祈り』(著者の礼拝観は合わないが)
- ◆バルト『祈り』(祈りの視点を味わう祈祷集)
2017.10.2
- ◆深井智朗訳『宗教改革三大文書』(講談社学術文庫、ルターの原典からの全訳)
- ◆深井智朗『プロテスタンティズム』(ルターの宗教改革と現代に至る保守主義またリベラリズムとしての)
- ◆倉松功『宗教改革と現代の信仰』(宗教改革には「宗教」になれなかった傍流・分派があった)
- ◆大住雄一『聖書――神の言葉をどのように聴くのか』(十戒・律法と「聖書によってのみ」)
- ◆徳善義和『ルター 生涯と信仰』(岩波新書『ことばに生きた改革者』とともにルターを知る必読書)
- ◆『新撰讃美歌』(岩波文庫に登場)
- ◆ルター研究所編『「キリスト者の自由」を読む』(相互排他的な二つの命題を掲げるルターの思考回路への手引き)
- ◆ルター『エンキリディオン』(ルター研究所による全訳)
- ◆左近豊『祈り』(手引きを超えた深い文章)
- ◆ブルッゲマン『詩編を祈る』(順境、逆境、そして新境地に至る詩編の言葉の情熱)
2018.4.4
- ◆デュマ『三銃士』(岩波文庫、上・下)(17世紀前半のフランスのカトリックとプロテスタント(ユグノー)の確執が背景にある)
- ◆『日本聖書協会「宗教改革500年記念ウィーク」講演集』(H=M.バルトと江口再起の講演録)
- ◆『聖書事業懇談会講演録1』(「聖書は定期的に耕されなければならない」石川立)
- ◆左近淑『詩編を読む』(詩編の類型に従った特徴の実際的な学び)
- ◆金子晴勇・江口再起編『ルターを学ぶ人のために』(これを読むためにはかなりの程度の知識が必要)
- ◆久野牧『あなたの怒りは正しいか』(ヨナ書を12回に分けた講解説教)
- ◆バルト『福音主義神学入門』(神学するとはいかなることか。10数年ぶりに取り出した。)
- ◆藤本満『歴史 わたしたちは今どこに立つのか』(宗教改革の歴史を知るのにこれが分量的に最適かも)
- ◆『新・明解カテキズム』(大人も一緒に学べる)
- ◆渡辺信夫『古代教会の信仰告白』(ローマ信条から使徒信条へ至る経過の学び)
2018.10.1
- ◆左近豊『エレミヤ書を読もう』(2008年度の信徒の友連載記事が10年を経て蘇る)
- ◆『聖書 新改訳2017』(引照・注付を参考に購入)
- ◆嶺重淑『NTJ ルカ福音書1~9:50』(接続助詞「が」を使いすぎ)
- ◆浅野淳博『NTJ ガラテヤ書簡』(逐語訳と自然訳を並べる他にも自由な文章が特徴的)
- ◆ドナルド・ガスリ『ガラテヤの信徒への手紙』(ニューセンチュリー聖書注解)
- ◆宮田光雄『キリスト教と笑い』(岩波新書 赤219)
- ◆長谷川修一『旧約聖書の謎』(中公新書2261)
- ◆ジョエット『日々の祈り』(日野原善輔訳、新版。©日野原重明)
- ◆天利武人『神の哀れみと赦しの中で』(柏市内の日本バプテスト連合第一宣教バプテスト教会牧師の説教集)
- ◆『柏時代の詩人八木重吉』(「八木重吉の詩を愛好する会」編、代表は天利武人)