新撰讃美歌 [書籍紹介・リスト]
岩波文庫から2017年に『新撰讃美歌』が出たのを機に、『新撰讃美歌』の覆刻、翻刻などの情報のまとめ。
『新撰讃美歌』は
- 出版年:1890年(明治23年)。
- 植村正久、奥野昌綱、松山高吉編。
- 出版社は原本に明記されていないが、ほぼ確実に警醒社と考えられている。
- 歌詞のみのもの、楽譜付きのもの、ソルファ譜(階名をアルファベットで記すなどによる文字譜)などの種類がある。
- 全289曲。ただし、264~274は頌栄、275~286は詩編など、287~289は十戒、主の祈り、使徒信経。
1.写 真
国立国会図書館デジタルコレクション『新撰讃美歌』(明治23年12月)で、楽譜付きの原本を見ることが出来る。
2.覆刻・影印
(1)秋山憲兄編『覆刻 明治初期讃美歌 神戸女学院図書館所蔵オルチン文庫版』、新教出版社、1978年。
この中に譜附版が収録されている。解説:齋藤勇、原恵、辻橋三郎、茂洋、高道基。
(2)手代木俊一監修、『明治期 讃美歌・聖歌集成』全42巻、大空社。
- 第22巻(1996年発行):『新撰讃美歌』明治23年
- 第23巻(1996年発行):『Shinsen sambika』明治23年
- 第24巻(1996年発行):『新撰讃美歌』[トニック・ソルファー譜附]明治24年
3.翻 刻
(3)尾崎安編『近代日本キリスト教文学全集15 讃美歌集』、教文館,1982年。
この中のpp.313-422が讃美歌委員編『新撰讃美歌』1890(明治23)年12月。
- 歌詞のみ。
- 序、目次および末尾の英文による序、目次、Index of Subject、Index of Tunesなどは省略。
(4)『新体詩 聖書 讃美歌集』(新 日本古典文学大系 明治編12)、岩波書店、2001年。
この中の「讃美歌集」が『新撰讃美歌』(明治23年12月)。
- 楽譜は19曲のみを抜粋:4、15、21、38、41、60、63、68、74、81、97、132、160、169、172、208、214、219、274。
- 英語の目次や各種のindexは省略。
- 下山嬢子校注、解説。
- p.538-552に補注あり。
- p.585-598に解説あり。
(5)植村正久、奥野昌綱、松山高吉編、『新撰讃美歌』(岩波文庫青116-2)、岩波書店、2017年、270頁、780円+税。
「新 日本古典文学大系 明治編12」との異同:
- 英語の目次・各種indexの省略は同じ。
- 収録されている楽譜は異なる。文庫版に収録されているのは30曲:1、4、7、8、10、12、15、19、21、31、38、41、60、63、68、74、81、97、115、126、132、152、160、163、169、172、177、206、208、243。 (「新 日本古典文学大系 明治編12」に収録されていた19曲のうち、文庫版に収録されていないのは214、219、274の3曲。)
- 注は全面的に簡略に書き改められて、巻末に置かれている。
- 解説も新たに記されている。
というわけで、(1)~(4)が図書館でお目にかかるような本であるのに対し、岩波文庫版は、注も解説もしっかりしているし、何と言っても、活字になっているのでちゃんと読めるし、廉価なので、賛美歌集の歴史を学んだり、歌詞の変遷を調べたりするのに、必須アイテムである。
4.その他の情報
(1)『新 日本古典文学大系 明治編12 新体詩 聖書 讃美歌集』(岩波書店、2001年)の中の「聖書」とは
「旧約聖書――詩篇(抄)・雅歌」となっている。これは、山梨英和短期大学図書館山脇文庫所蔵の『舊約全書』(1888年(明治21年)、米国聖書会社)の復刻版『近代邦訳聖書集成7,8』(ゆまに書房、1996年)から、詩篇の抜粋54編と雅歌全文である。
- 松田伊作校注、解説。
- 篇・章、節は、『新共同訳聖書』に合わせられている。
- 適宜区切りや改行を入れ、引用文は括弧で括られている。
- 雅歌では単元ごとに一行空けられている。
- p.537-538に補注あり。
- p.578-584に解説あり。
(2)下山嬢子について
『新 日本古典文学大系 明治編12 新体詩 聖書 讃美歌集』、及び、岩波文庫版の、校注・解説の下山嬢子(しもやま・じょうこ)について。
著書の『島崎藤村――人と文学』(日本の作家100人)(勉誠出版、2004年)の奥付によると、
- 1948年秋田県生まれ。
- 東京女子大学文理学部卒、同大学院修士課程修了。
- 現在、大東文化大学文学部教授。
- 日本近代文学専攻。
- 著書:『島崎藤村』、宝文館出版、1997年。
- 編著:『日本文学研究論文集成30 島崎藤村』、若草書房、1999年。
- 共著:『文学者の日記4 星野天知』(翻刻・解説)、博文館新社、1999年。
(3)国会図書館所蔵の讃美歌の目録
栁澤健太郎、「国立国会図書館所蔵讃美歌目録(和書編)」、国立国会図書館主題情報部編『参考書誌研究』第71号(2009.11)。(pdf)
- 五十音順のリスト
- 上の秋山憲兄編『覆刻 明治初期讃美歌 神戸女学院図書館所蔵オルチン文庫版』(新教出版社、1978年)は281番。収録されている内容も列挙されている。
- 上の手代木俊一監修『明治期 讃美歌・聖歌集成』全42巻(大空社)は、239~280番。
- この目録が、復刻版については、活字化した「翻刻」は原則として収録しないという方針のため、尾崎安編『近代日本キリスト教文学全集15 讃美歌集』(教文館)と岩波の『新体詩 聖書 讃美歌集』(新 日本古典文学大系 明治編12)は含まれていないが、尾崎安編『近代日本キリスト教文学全集15 讃美歌集』(教文館,1982年)は、281番のところで触れられている。
詩編のアルファベット歌 [聖書と釈義]
詩編のアルファベット詩とかアルファベット歌と呼ばれる作品の特徴と詩編の中での意味について。
1.旧約聖書のどこにアルファベット歌があるか
詩編9~10、25、34、37、111、112、119、145、
哀歌1、2、3、4、
箴言31:10~31。
- 詩編9と10は、あわせて一つのアルファベット歌。
- 新共同訳聖書の古い版では、詩編112のところに(アルファベットによる詩)と入っていないが、後に訂正された。111編と112編はそれぞれがアレフからタウまで揃ったアルファベット詩である。
- ナホム1章もアルファベット詩っぽいが、ダーレトがないしカフで終わっちゃってる。ナホム、がんばっぺ!
- ちなみに、哀歌5章は、アルファベット歌になっていないのに、節の数だけ22にあわせている。哀歌、どうしたんだ?
2.アルファベット歌の意義
- 文字自体が力を持っていると考えられていた。
- 暗記を助けるため。
- 思想的な全体性を表現している。
などの諸説がある。
詩編のアルファベット歌の内容から、信仰生活と律法の教育のためと考えられる。
- 文 献:
- 太田道子「詩編 序論」、『新共同訳旧約聖書注解Ⅱ』p.91。
3.完全なアルファベット順か?
詩編のアルファベット歌も全部が完全であるわけではなく、途中、抜けがあったり、順番が入れ替わっていたりする。
- 詩編9~10編:ダーレトがない。メーム、ヌン、サーメクもない。アインとペーが逆。ツァーデーもない。
- 詩編25編:ベートが節の頭にない。ワウがない。コフもない。
- 詩編34編:ワウがない。
- 詩編37編:アインがない。
- 詩編111編:完璧。
- 詩編112編:完璧。
- 詩編119編:完璧。
- 詩編145編:ヌンがない。
4.詩編の中の特徴
特徴(1)
- 詩編の中のアルファベット歌は、五部に分けられる詩編の第一部(1~41編)と第五部(107~150編)に出てくる。間の第2~4部にはない。
- 詩編が5部に分けられるのは、律法(モーセ五書)にちなんでいる。
- ということは、詩編の最初の部と最後の部にアルファベット歌が出てくるのは、律法や神の御業の完全さを印象づけるためと考えられる。
特徴(2)
- 詩編第一部に含まれるアルファベット歌はどれも不完全である。
- それに対し、詩編第五部に含まれるアルファベット歌は、ほぼ完璧である。
5.詩編第五部の中で
- 111と112のアルファベット歌の後に、113~117編のハレルヤ詩編が続いている。
- 119編の長大なアルファベット歌の後、120~134編の長い「都に上る歌」で都に上ってゆき、135編のハレルヤ詩編に至る。
- 145編のアルファベット歌の後に、146~150編のハレルヤ詩編が続いている。
というわけで、アルファベット歌は、律法や神の御業の完全さを印象づけて、ハレルヤという賛美を導いている。
- 参考文献:
- 大住雄一「『詩篇研究』への補遺――アルファベットうたをめぐって」、『果てなき探究 旧約聖書の深みへ――左近淑記念論文集』、教文館、2002年、pp.186-206。
佐々木潤 Blessing Life [音楽]
佐々木潤のCDの紹介とデボーション用のCD・音楽について。
"Blessing Life : Devotion Music vol.1"、RMJ Records、RMJ0008?。
レインボーミュージックジャパンRainbow Music Japanの佐々木潤による、静まって、聖書を読み祈るデボーション・タイムのためのインストロメンタル・ピアノ曲集の第一弾。全7曲。
- Prologue 「詩篇62編5、6節」 5:10
- はじめに Genesis「創世記」 4:05
- ともに Judges「士師記」 5:01
- いのり Samuel「サムエル記」 2:55
- ことば Micah「ミカ書」 3:35
- 約束 Joshua「ヨシュア記」 3:58
- Epilogue 3:14
全部で28分ということはジャケットに記されているが、各曲の時間は記されていない。
メロディ・ラインがややはっきりしている面があるが、全体をリピートし続けても十分、聖書や祈りに集中できる。
個人的には、メロディ・ラインをもっと抑制して、連続1時間くらいの黙想・静思の時間に使えるCDがあったらと感じる。
ところで、レインボーミュージックジャパンのCDの品番は、どうもめちゃくちゃ。大丈夫か、RMJ。
既に2009年に発売されたJun Sasaki, "Gentle Breeze: piano instrumental"の品番がRMJ-0008とCDのレーベル面に書いてある。今回の"Blessing Life"は同じ番号になっちゃってる。
さらに、2009年のRainbow Music Japan, "Over the Rainbow"は、CDとケースの背はRMJ0007なのに、ケース裏ジャケットはRMJ-0006になっている。RMJ0006は、SIZUKA, "フォロー・ユー すべてをゆだね"が2006年にRMJ0006で出ているので、"Over the Rainbow"は0007が正解。
ということなので、"Blessing Life"はRMJ-0009になるはず。
PBA太平洋放送協会のWeb番組What The Pastors!!に、最近、佐々木潤が出演した回:
わたしがRMJのCDを紹介した前回のブログ記事は、「オーバー・ザ・レインボー」(2010年4月2日付)
ワーシップソングのピアノ・インストCDなら、これまでにもいくつかあった。
- 『ミクタム・インストルメンタル・ワーシップⅡ ピアノプレイズ』(ピアノは柳瀬佐和子)
- 『ピアノリビングプレイズ1 I Will Praise』(ピアノは澤崎真理)
- 『リビングプレイズインストゥルメンタルシリーズ 朝ごとに新しく』(ピアノの他にクラリネットやホルン、サックスなどが入る)
- 『In His Hands: Acoustic Piano for Healing Moments (Piano Living Praise 2)』(ピアノはJeff Nelson)
など。しかし、やはり知っているメロディなので、音楽の方が主になって黙想を導くという感じになってしまう。
デボーション用ピアノインストCDには、次のものがある。
Jeff Nelson, "Prayer Songs vol.1&2," Wholehearted Worship, 1999.
"Prayer Songs vol.3&4," 2005.
しかし、メロディラインがはっきりしすぎており、テンポも速め、音数も多く、時々盛り上がりすぎ。
通常の音楽では聞く人をいかに惹きつけかが大切だと思うが、デボーション用の音楽は、人を音楽に向かわせるのではなく、神へと向かわせ、御言葉と祈りに集中させなければならない。じゃまをしてはならないので難しい。
というわけで、レインボーミュージックジャパンの今後に大いに期待する。
なお、YouTubeでsoaking worshipなどのキーワードで検索すると、1時間とか3時間のデボーションミュージックがいろいろ出てくる。
(2017.11.23,29、12.1加筆修正)
『礼拝と音楽』2016・2017 [音楽]
『礼拝と音楽』の2016~2017年に発行されたNo.168~175の8号分から、わたしにとって興味関心のある記事のメモ。
■No.168、2016年冬号
「説教塾や神学校で若い人と触れる機会がありますが、最初に「好きな説教者は誰ですか」と訊きます。そうすると、ほとんど挙がらないんです。でも、好きな画家のいない美大生はいないはず。好きな作曲家のいない音大生はいないはず。好きなギタープレイヤーのいないバンドはないはず。」
平野克己(平野克己と荒瀬牧彦の対談「「説教」か「礼拝」か 説教学と礼拝学の共働をめざして」、p.4)- 「説教者と奏楽者――それぞれの立場から礼拝を考える」pp.34-39。特に、この中の末次かおりによる「奏楽者の立場から――理想と現実の狭間で」
- 宮越俊光「礼拝とシンボル 第7回 オランス・説教壇」、p.54-57。
■No.169、2016年春号
- 辻学「聖書の中の身体表現」、pp.4-8。按手と聖霊賦与の正統性に関する部分が興味深い。
- 山本有紀「礼拝の中の身体の「居場所」」、pp.22-26。平和の挨拶に関する記述あり。
- 宮越俊光「礼拝とシンボル 第8回 按手・塗油」、p.54-57。
- 「主に向かって“新しく”うたおう! <3>」"God, Be the Love to Search and Keep Me" (詞・曲:Richard Bruxvoort Colligan) → YouTubeで検索
■No.170、2016年夏号
- 橋本祐樹「現代ドイツ・プロテスタント教会礼拝事情――種々の新しい試みと『プロテスタント礼拝式文』(UEK/VELKD, 1999)に触れて」、pp.44-47。UEKとVELKDの紹介と、"Evangelisches Gottesdienstbuch," UEK/VELKD, 1999の紹介あり。
■No.171、2016年秋号
- 宮越俊光「子どもの祝福――祝福式に基づく七五三の祝いの可能性」、pp.10-13。p.11に、子どもへの祝福の祈りの例が2つあり。
- 岩田昌路「祝福を受け継ぎ、祝福を告げる教会」、pp.20-23。高齢教会員の牧会に関する取り組みの紹介。小見出し:狛江教会の創立と特徴、信仰宣言、具体的改革のための心得、三回の主日礼拝、平日の聖餐礼拝、送迎システム、第一礼拝における聖餐執行。
- 「「堅信礼」をどうとらえるか――カトリック、聖公会、ルター派、改革派、メソジストの例から」、pp.28-37。カトリック:アンドレ・ヴァン・カンペンハウド、聖公会:吉田雅人、ルーテル教会:乾和雄、アメリカ改革派教会:ウェイン・ジャンセン、メソジスト:林牧人。
■No.172、2017年冬号
- 特になし。
■No.173、2017年春号
- 山本美紀「「共にうたうこと」から考える「うたの力」――キリスト教のうたう文化としての「賛美」と近代以来の日本の「合唱」」、pp.10ー14。1937年の日中戦争勃発を契機に、国民の不満を解消しつつ体制に組み込んでいくための厚生運動として、合唱運動が国家的規模で拡大した。合唱は職場をまとめ、戦争遂行のための生産力向上を目指すツールであった。 誰もが小学校や中学校で経験した合唱コンクールが発表会ではなくコンクールであるのは、合唱が、戦前から、所属する集団を意識させ、結束を固め、一つの目標に向かって教化し、望む方向に質を高めるものだったからだ。
- 高橋牧、飯靖子「礼拝の中での聖歌隊の役割と可能性」、pp.28-34。
- 志村拓生「『讃美歌21』刊行までのあゆみ――日本の賛美歌集編纂の歴史をふりかえる」、pp.46-49。
「ブライアン・レンは、説教に合う賛美歌が既存の賛美歌集に見つからなかったために、よく知られた曲で歌える新しい詞を書いた」。
p.53。- 宮越俊光「礼拝とシンボル 第12回 座る・沈黙」、pp.54-57。
■No.174、2017年夏号
「賛美歌は専門家によって教会の制度の外からもたらされるものでもない。また個人の敬虔が教会の賛美歌を生み出すのでもない。賛美歌を生み出すのは教会の礼拝の現実であり、神の現臨のリアリティーであり、礼拝共同体の応答ではないのか。」
深井智朗「1717年から2017年へ――神学と賛美歌について」、p.8。- 「主に向かって“新しく”うたおう! <8>」"Love divine, all loves excelling" 詞:Charles Wesley、曲:W.P.Rowlands(tune name:BLAENWERN)詞は「あめなるよろこび」(『讃美歌21』475、476)。日本語の「あめなるよろこび」とBLAENWERNとの組み合わせは『教会福音讃美歌』328にある。ウィリアム王子とキャサリンの結婚式で歌われた讃美歌。→ YouTube
■No.175、2017年秋号
- 伊藤節彦「ルター周辺の改革者たち――礼拝における影響」この中に、ローマ・カトリック、フォーミュラ・ミサ(1523年)、ミュンツァーのドイツ語ミサ(1523年)、ルターのドイツ語ミサ(1526年)、ブツァー(1539年)、カルヴァン(1545年)の比較一覧表あり(p.18)
- 井上義「”コンテンポラリー”を識る」連載1(pp.57-54、横書き) ついに『礼拝と音楽』もプレイズ&ワーシップに関心を持ち始めたのか。
- 「主に向かって“新しく”うたおう! <9>」"O For a Thousand Tongues to Sing" 詞:Charles Wesley、曲:Mark A. Miller 『讃美歌21』4番をコンテンポラリーな8ビートで歌う。→ YouTubeで検索
- "O God, You Search Me" 詞・曲:Bernadette Farrell 詩編139編をモチーフにした賛美歌。→ YouTubeで検索