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宮田光雄、放蕩息子の精神史 [書籍紹介・リスト]

宮田光雄『放蕩息子の精神史』宮田光雄、『≪放蕩息子≫の精神史――イエスのたとえを読む』(新教新書271)、新教出版社、2012年、192頁、1470円。


宮田光雄『放蕩息子の精神史』扉絵カバーの絵は、渡辺総一「来なさい、休ませてあげよう」(2009年)
扉の絵は、渡辺総一「息子の帰還」(1997年)

このふたつは似たような絵であるが、「来なさい、休ませてあげよう」は背景が緑、扉の印刷は白黒だが「息子の帰還」の背景は黄色である。



第1部「キリスト教美術の中の≪放蕩息子≫」と第2部「≪放蕩息子≫の精神史」の二本立て。




 第1部の「キリスト教美術の中の≪放蕩息子≫」は、『宮田光雄集<聖書の信仰>』第Ⅶ巻(岩波書店、1996年)のために書き下ろされた文章に加筆したもの。

 放蕩息子のたとえを描いた美術作品に表された解釈史を通覧する。中世の寓意的解釈から宗教改革時代、特に、アルブレヒト・デューラーとヒエロニムス・ボスの作品、そして、レンブラントが放蕩息子を描いたいくつもの作品、その他、ルーベンス「放蕩息子の後悔」、ロダン「放蕩息子」、放蕩息子ではないが関連でバルラッハの木彫「再会」に注目、さらに、シャガールのいくつかの作品、中国の切り絵である「剪紙」(せんし)の作品を紹介する。

 最後に、渡辺総一の作品群とそれに対するズンダーマイヤーの解釈を通して、議論は宣教論に及び、土着化(indigenization)から文化内開花(inculturation)そして文脈化(contexualization)の流れに着目する。

 聖書の福音は現実の政治的・社会的・文化的な状況に深く関与するものとして捉えるべきであるが、しかし、既成の現実に埋没するのではなく、土着の文化に対しても既存の現実に対しても、天に国籍を持つ者として、地上には永遠の都は決して存在しないという終末論的な展望をもって関わることが大切である。そのようにして新しい歴史形成に関わる可能性があることを忘れてはならない。(p.109-110)




宮田光雄『新約聖書をよむ』岩波ブックレット.JPG 第2部「≪放蕩息子≫の精神史」は、宮田光雄『新約聖書を読む 『放蕩息子』の精神史』(岩波ブックレットNo.337、岩波書店、1994年)に加筆訂正したもの。

 まず、このたとえ話の流れとポイントを解説した後、その解釈史として、古代教会から宗教改革の時代のエイレナイオスやテルトゥリアヌスからルターとその後の解釈を紹介、次に、近代文学の中での放蕩息子のたとえの解釈としてジイド、リルケ、カフカを紹介、そして精神分析学的解釈を試み、最後に、啓蒙主義と合理主義による消費文明への警鐘を読み取り、東日本大震災を契機とするフクシマ原発事故の問題を重ね合わせる。




放蕩息子関連本.JPG放蕩息子関連の本:
■ ヘンリ・ナウエン(片岡伸光訳)、『放蕩息子の帰郷――父の家に立ち返る物語』、あめんどう、2003年。
■ シュニーヴィント(蓮見和男訳)、『放蕩息子』(新教新書)、新教出版社、1961年(写真は1997年復刊のもの)。



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