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「愛」は自己本位的 [読書メモ]

山浦玄嗣『イエスの言葉 ケセン語訳』(文春新書839)(文藝春秋、2011年)のpp.112-119あたりから、私なりの言葉でのまとめ。


「愛」という語について


日本語の「愛」は自己本位的
愛とは相手を好きになることで、特に今の日本語では、男女の恋愛感情について言うのがほとんどである。このような愛においては、自分の気に入ったものは愛するが、気に入らないものは愛せない。すなわち、愛とは自己本位的な感情である。


「愛する」とは上の者が下の者に言う言葉
もともと、愛という言葉は上の者から下の者に対して使われた。主君は臣下を愛すると言うが、臣下が主君を愛するとは言わない。下の者が上の者に対していだく好意は「慕う」と言う。臣下は主君をお慕いするのである。これが元来の日本語の使い方である。


敵を大切にする
ドチリイナ・キリシタンでは、アガパオーを「大切にする」と訳した。「大切にする」なら、上下関係も好き嫌いもない。上杉謙信は、塩不足で困窮していた宿敵武田信玄に塩を送って助けた。これが「敵を愛する」、いや「敵を大切にする」ということだ。          


愛とは大事にすること
大事なことは、憎い相手に対しても、あいつも人なのだと思って大事にすることだ。大事にするということは、自己本位の感情とは関係がなく、あくまでも相手本位の行動を指す言葉である。

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