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テルトゥリアヌス「不条理なるが故に、我信ず」 [その他]

1.「不条理なるが故に、我信ず」あるいは「不合理なるが故に、我信ず」(Credo quia absurdum)はテルトゥリアヌスに帰する言葉として伝えられているが、テルトゥリアヌスの著作には直接は見られない。このことはよく知られている。

2.出村彰『中世キリスト教の歴史』日本基督教団出版局、2005、p.202では、一番これと近い表現として "Credibile est, quia ineptum est. Certum est, quia impossibile est." を挙げている。しかし、出典が記されていない。

3.Quasten, "Patrology Vol.2," Spectrum Publishers, 1953, p.320.に、「キリストの肉体について」("De carne Christi")の5章からの引用(英訳)が記されていた。
 "The Son of God was crucified; I am not ashamed because men must needs be ashamed of it. And the Son of God died; it is by all means to be believed, because it is absurd."

4.そこで、ネットで"De carne Christi"の原文を調べると、その5:4に次のような言葉があった。
"crucifixus est dei filius: non pudet, quia pudendum est. et mortuus est dei filius: prorsus credibile est, quia ineptum est. et sepultus resurrexit: certum est, quia impossibile."

出典はThe Latin Libraryの中のCHRISTIAN LATINの中のTertullianusのページ。

ineptusは、愚かしい、不合理な、不条理なといった意味。

5.「キリストの肉体について」("De carne Christi")の邦訳は、教文館の『キリスト教教父著作集』の第15巻に入る予定だが未刊である。

6.その他、この語に関して、The Tertullian Project"De carne Christi"のページの"Other Points of Interest"のところを参照。

(2010.11.27 ラテン語の部分を修正)
タグ:歴史
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コメント 2

匿名

テルトゥリアヌスの言葉とされながら出典は不明とのこと。何ゆえ彼の言葉だとわかっているのでしょうか?通説に過ぎないということ?他の教父の言葉である可能性もあるってことでしょうか?
by 匿名 (2012-01-22 15:31) 

通りすがりの豚

板垣死すとも自由は死せずみたいなもんじゃないでしょうか
本人の回想録ではアッと思うばかりで声も出なかったとなっていますが今や彼のキャッチコピーになっています

後世、テル氏の思想を知る人々からは彼の著作よりもテル氏らしい響きがあり、テル氏のものとされたのではないかと想像しています
もちろん検証しようもない与太話ですが

by 通りすがりの豚 (2014-01-20 15:37) 

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