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自殺と自死者について――最近の報道などをきっかけにしたまとめ [教会と社会]

1.統計
自殺者は1998年から12年連続で年三万人超。2009年は32,753人(前年+504人)。

追記:2010年5月13日の警視庁の発表によると、この速報値より92人多い32,845人。

一方、交通事故死者数は、ここ30年間では80年代に増加傾向で年間8千人台から1万人を突破。しかし、1992年の11,451人をピークにその後減少傾向。特に、2000年からは9年連続減少。2009年は4914人で57年ぶりに4千人台に。

自殺者数は、交通事故死者数の6.7倍。

2.自殺ではなく「自死」
「自殺」に対する偏見をなくし、その人たちの人格の尊厳と名誉を守るために、「自死」という言葉が使われることが多くなってきている。彼らは、自ら命を絶たざるをえない状況に追い込まれてしまったのである。

2009年に「自死者の名誉回復宣言委員会」が「自死者の名誉回復宣言」を発表した。
たとえば、ブログ「のらくら者の日記」の2009.8.15の記事で紹介されている。
この「宣言」の中に、
「わたくしたちは、自死者はいのちを大切にしなかったわけではなく、それぞれのかかえる問題でやむにやまれず、みずからの命を絶たざるえない状況に追い込まれたのだと考えます。」
とある。

3.自殺は罪か
そこで出てくるのが、自殺は罪という考えの問題である。そもそも、キリスト教は自殺を罪としてきたのか。これについて、朝日新聞2010.4.10(土)の「自殺と宗教 下」の記事がある。
土井健司(関西学院大学神学部教授)によると、アウグスティヌスは、非常に特殊な状況下で社会から死を迫られる者に対して、「自殺は殺人」とまで訴えることで「死ぬ必要はない」と慰めようとして、「自殺は神の律法で禁じられている」とした。

4.「いのちへのまなざし」
この朝日新聞の記事は、日本カトリック司教団のメッセージを紹介している。これは、日本カトリック司教団編『いのちへのまなざし――二十一世紀への司教団メッセージ』、カトリック中央協議会、2001年、132頁、315円。

新聞紙面でも引用されている部分を若干前後を含めると、
「しかし残念なことに、教会は『いのちを自ら断つことは命の主である神に対する大罪である』という立場から、これまで自殺者に対して、冷たく、裁き手として振る舞い、差別を助長してきました。今こそその事実を認め、わたくしたちは深く反省します。この反省の上に立って、これからは、神のあわれみとそのゆるしを必要としている故人と、慰めと励ましを必要としているその遺族のために、心を込めて葬儀ミサや祈りを行うよう、教会共同体全体に呼びかけていきたいと思います。」

自殺と自死者についてカトリック教会は『カトリック教会のカテキズム』で次のように教えている。
2280「わたしたちは神が委ねてくださったいのちの管理者であって所有者ではありません。それを自分の意のままにはできないのです。」
2283「自殺した人々の永遠の救いについて、絶望してはなりません。神はご自身だけが知っておられる方法によって、救いに必要な悔い改めの機会を与えることができるからです。教会は自殺した人々のためにも祈ります。」

5.まとめ
(1)命は神によって与えられ、わたしたちは神によって造られた。わたしたちは神の御心にかなうようにこの命を取り扱わなければならない。命を自ら絶ってはならない。
(2)どんなに死にたいほどの苦悩も、イエス・キリストの十字架によって担われている。このことを危機に陥る前から学ばなければならない。そして、そのようなイエス・キリストの救いがその人の現実、我々の現実となるべく、礼拝における聖霊の働きを願わなければならない。
(3)しかし、自ら命を絶った者を断罪してはならない。彼らは自ら命を絶たざるえない状況に追い込まれたのである。
(4)神は、それほど苦しんだ者にも憐れみを注ぎたもうお方であるはずである。それゆえ教会は、自死者が神の御許に安らぎを得て、御国に入れられるように祈る。
(5)また、教会とキリスト者は、自死に追い込まれる人がなくなるように祈り、神からの示しに応じて、社会に働きかけていく。

参考ページ
六甲カトリック教会の「自殺とキリスト教」

坂本堯「自殺について――カトリックの立場から」、『平和と宗教』24号、庭野平和財団、2005年。

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