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『憲法の想像力』と聖書 [読書メモ]

奥平康弘『憲法の想像力』.jpg奥平康弘『憲法の想像力』、日本評論社、2003年。

さまざまな雑誌や新聞などに発表・掲載された、『憲法の眼』(悠々社、1998年)以来の論考・随想集。1995年~2002年7月までの『法学セミナー』、『書斎の窓』、『法律時報』や朝日新聞の記事などから選択された19編を、書き下ろしの「法と想像力――なぜ「想像力」か」をプロローグにして収録。


奥平康弘は、1929.5.19 - 2015.1.26。


だいたい引用しつつも、私なりに文章を整理して再構成、また、漢字表記などを改めた。


憲法の「想像力」について
たとえば「死刑は廃止すべきだ」という現状変革的な考えには、「想像力」を働かせなければならない。既存の制度の存在理由に、「反省的」(reflective)な契機をともないながら「想像力」を働かせること自体、並々ならぬエネルギーがいる。

「想像力」をかもし出し、誘い、それへの同調の輪を広げてゆくのには、理論作業だけではとても無理である。「想像力」は、認識した諸事実を積み重ねて有無を言わさぬ形で論証する種類の精神作用であるよりも、より多く感性に訴え、そのレベルから納得へと迫ってゆく心の働きだからである。
(p.4-5)

テクストの実践としての憲法
どんな成文憲法も、現実の社会関係に適用するためにあるのであり、そして適用するためには現実のコンテクストと憲法上のテクストと睨み合わせながら解釈しなければならない。つまり、テクストとしての憲法とは別にプラクティスに基づく憲法(あるいはプラクティスとしての憲法)があるのであって、この意味で憲法とは、解釈と実践を通して現実のコンテクストに適合的なものとして鋳直されたものである。
(p.75-76)

憲法は世代を越えた"未完のプロジェクト"
したがって、「成文憲法としての日本国憲法は、それを起草制定した者たちが属する世代と、その憲法を解釈し自分たちのために活かそうとする現代の人びとの世代とのあいだに取りかわされる高い感度を要する共同作業がもとめられる、世代を越えたプロジェクトなのである。」
(p.40、85)

憲法は実践を通して選びとったもの
そうすると、文書に過ぎない成文憲法を人間の営為・実践の中でどう生かすかが重要である。憲法というものは、実定的なるものとして日々解釈され適用される。その意味で常に「選び直されてきている」。憲法はいかなる意味でも「押しつけられ」たものではなく、市民が日々の実践を通じて「選びとったもの」である。
(p.27、66)

表現の自由について、シフリン(Steven H. Shiffrin)という憲法学者の説の紹介として、
「表現の自由なるものは、19世紀中葉以降の詩人R.W.エマソンやウォルト・ホイットマンなど個人主義的・反抗的・反権威主義的な人たちに象徴されるような性格のロマンティックな傾向を持つ者たちにこそ保障されるべき・・・。こういった人たちの言説は、反体制的・革新的・創造的であって、少数派であるがゆえに、政府や社会によって抑圧されるのが常である。けれども、こうした思潮こそが、社会に活力を与え、、人々を生き生きとさせ、民主主義を推し進めるものなのであって、そうだから、こういった傾向の意見表明を自由闊達におこなわせるためにこそ、表現の自由の憲法保障はあるのだ」(p.22-23)

ハンセン病患者の処遇に関してあげている文献:
藤野豊『「いのち」の近代史』、かもがわ出版、2001年。
小畑清剛『法の道徳性(下)』、勁草書房、2002年。
(p.12)

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


感 想

憲法が常に解釈され、選び直されていくという点は、聖書が決して固定化したテキストではなく、生きた御言葉として解き明かされていくものであり、66の文書を正典として受け取るのも所与のこととして機械的に過去から受け取るのではなく、その歴史の中で現代のわたしたちも確かにこれらこそ神の言葉だとして常に受け取り直されていくことと似ているなあ。



タグ:憲法・人権

佐藤優『神学の履歴書』 [読書メモ]

佐藤優『神学の履歴書』佐藤優、『神学の履歴書――初学者のための神学書ガイド』、新教出版社、2014年、265頁、1900円+税。

「神学書ガイド」という言葉につられて読んでみたけど、神学の入門書ではなく、佐藤優の思考形成に影響を与えた神学書の紹介。

 いや、本の紹介というより、著者が影響を受けた点や、影響を受けて主張したいことを述べている。さらに言えば、その本からの影響を受けたと言うよりも、フロマートカの『なぜ私は生きているか』などに見出すことが出来る、その書籍の内容を乗り越えるような神学や思想を紹介している。

 全体的な意図は、現下の日本の政治エリートたちが失っている存在論的な思考を学び取って21世紀に生かすことができる20世紀プロテスタント神学を紹介する、ということのようだ。

 ただし、紹介されている本は、マクグラス『キリスト教神学入門』を除きすべて新教出版社からのもの。まあ、もともと新教出版社の『福音と世界』の連載記事だから仕方がないか。


全21章。


紹介されている神学書は、
バルト『教会教義学 創造論Ⅳ/1、Ⅳ/4』
ロマドカ『無神論者のための福音』
フロマートカ『なぜ私は生きているか』
トレルチ『アウグスティヌス――キリスト教的古代と中世』
ツァールント『20世紀のプロテスタント神学(上)』
コックス『神の革命と人間の責任』
ゴンザレス『キリスト教史(下)』
ボルンカム『新約聖書』
ゴーガルテン『我は三一の神を信ず――信仰と歴史に関する一つの研究』
ニーゼル『神の栄光の神学』
マクグラス『キリスト教神学入門』
ブッシュ『バルト神学入門』
ユンゲル『死――その謎と秘義』

注1:ロマドカとフロマートカは同じ。
注2:トレルチ『アウグスティヌス』の紹介は、佐藤優自身がトレルチから影響を受けたと言うよりも、ハイデルベルク時代にトレルチに大きく魅了されたがしかし後にトレルチの限界を指摘しその先へ進もうとしたフロマートカの神学に感化されたという感じ。コックスとかも同様。


●現代社会の中でのキリスト者としての生き方について

一人ひとりの人間が孤立し、個体間の競争と均衡で世界が成り立っているというアトム的世界観が支配する近代には、神は存在せず、新自由主義的な市場原理主義が社会全体を蔽っている。現在の日本に出現しつつある殺伐とした市場万能社会は、そのような近代が完成した状況の一類型であり、キリスト教の信者の減少や礼拝出席者の減少も、アトム的世界観によって個体の自立性が重視される発想が蔓延して、同胞意識を失い、神がいなくては生きていけないという感覚を失っていることによる。
(p.13~14より)

人間の現実の行動は、時間、場所ともに限定されている中で行われている。人間の倫理はこのような制約の中において、はじめて問われる。したがって、具体的な人間の救済という視座から考えるキリスト教倫理は、いかなる時代、いかなる場所においても通用するような倫理ではない。(p.25より)

神はその独り子であるイエス・キリストを、人間の側からの見返りは何も求めずに贈ってくださった。その現実の類比(アナロジー)で、我々キリスト教とは行動する。「受けるよりは与える方が幸いである」(使徒20:35)という姿勢で、社会主義国家にもその中の無神論者にも接する。他者に「与える」ことは追従とは異なる。(p.57より)

教会は困難な時代状況から逃避する場所ではない。「キリスト教徒は、旧新約聖書の使信を携えて社会の中央に進んで行かなくてはらならない。」(p.91~92)


●バルトに関して

「筆者が、バルトよりもフロマートカに依拠するのは、フロマートカの方が、「コルプス・クリスチアヌム」が崩壊した後のキリスト教会の可能性についてより真摯に思索し、行動したからである。」
(p.16)

「神あるいはキリスト教について語る有識者がバルトの『教会教義学』を通読していないことは、怠慢以外の何者でもないと思う。」(p.22)

「主著『教会教義学』を通読せずにバルトについて云々する人を、筆者は知的に不誠実であると考える。」(p.213)

「ドイツ語圏の神学は、19世紀のドイツ観念論の遺産を踏まえた上で書かれている。・・・またバルトは、20世紀初頭にドイツで流行した表現主義の影響を強く受けて『ローマ書講解』を書いた。・・・この表現方式は、『教会教義学』にも引き継がれていると筆者は考える。」(p.214~216)


●チェコのプロテスタンティズムについて

チェコにおいてプロテスタンティズムはドイツ文化と結びついていたが、フロマートカたちは、16世紀の宗教改革より100年前のフス派の運動を自らの信仰の出発点とすることで、信仰の土着化の問題を解決した。(p.61より)

チェコ(ボヘミアとモラビア)は、イングランドとスコットランドのキリスト教と歴史的に深い関係がある。14世紀のウィクリフの宗教改革が15世紀のフスの宗教改革運動に強い影響を与えた。また、フロマートカが生まれたモラビア北部から、ヘルンフート兄弟団との関係が深いモラビア兄弟団(長老派)を生み出している。(p.83より)

「カトリックは、チェコのプロテスタントにとって抑圧者であったため、共産主義政府がすべての教会を平等に位置づけたことは、チェコ人プロテスタントには解放の意味あいを持っていた。・・・そこでフロマートカたちは、信仰を放棄することなしに、マルクス主義政権に積極的に対応したのであった。・・・〔しかし〕キリスト教徒はマルクス主義の無神論に惑わされるべきではない・・・。マルクス主義は、人間によって創作された神を否定しているにすぎない・・・。真の神はそうしたものとは違い、マルクス主義の主張する空虚な無神論などとうてい及ぶことのできない唯一の神である。」(p.112~113のフスト・ゴンザレス『キリスト教史(下)』からの引用より)


●歴史について

「歴史には始まりと終わりがある。この限界の中で歴史は営まれている。・・・この制約を知らずに歴史に埋没すると、われわれは歴史の力に飲み込まれてしまう。」・・・イエス・キリストによって与えられた終末における救済の希望によって、我々は歴史の限界と制約を超えて、自由を得ている。(p.139~140あたりより)


●資本主義について

「マモン(富・財産)に固執することも悪の起源の一つである。資本主義社会は、商品経済が社会全体をおおう社会だ。従って、貨幣で商品を購入して生活するというスタイルからわれわれは離れることができない。・・・われわれは、信仰の問題として貨幣の誘惑を斥けなくてはならない。・・・経済システムは、性悪説にもとづいて組み立てる必要がある。現時点においては、国家の介入によって富者から貧窮者に対して再分配を行う以外に、資本主義が生み出す絶対的貧困を緩和する方策はない。・・・カルバンは、資本主義に対してはきわめて批判的なのだ。」(p.181~185)


●その他

p.116~118に、著者が2009年に紀伊國屋書店新宿本店で行った「佐藤優が選んだ神学書100点」のリストがある。ただし、これは新教出版社から刊行されたものに限定されている。


過去の関連記事: 佐藤優『神学部とは何か』の読書メモ


タグ:佐藤優

つまらない説教を耐え抜くために [読書メモ]

「現代におけるプロテスタンティズムの危機も、もはや家庭において聖書が日々読まれることがなく、朝晩の祈りと食卓での祈りが行われなくなってしまったことと関連している。 ・・・ 家族関係の中で神への奉仕の生活を守ることによって、直ちに信仰に絶望せずに、ひどい説教にも耐え抜く力が与えられる。」

W.パネンベルク(佐々木勝彦、濱崎雅孝訳)、『なぜ人間に倫理が必要か――倫理学の根拠をめぐる哲学的・神学的考察』、教文館、2003年、p.196。

家庭において御言葉と祈りを継続していることが、子どもに対して、礼拝での退屈な説教にも耐え抜く力を養うのだ。


パネンベルクに関するこれまでの記事:
パネンベルクと「歴史の神学」 (2014.9.26)
寛容と独自性 (2010.5.25)

信仰の継承に関するこれまでの記事:
信仰の継承と家族伝道のために、親子礼拝・家族礼拝を。 (次世代のために その3) (2010.7.26)
地域の子供たちに礼拝を (次世代のために その2) (2010.7.25)
若者たち・子どもたちに、教会を。(次世代のために その1) (2010.7.22)


藤掛明『一六時四〇分』 [読書メモ]

藤掛明『一六時四〇分――がんになった臨床心理士のこころの記録』藤掛明、『一六時四〇分――がんになった臨床心理士のこころの記録』、キリスト新聞社、2012年、174頁、1600円+税。



◆深刻な病にかかったとき、公表するかどうか

わたしは牧師として、教会員は深刻な病も公表したほうがよいと思っていた。それは、教会員が互いに祈り合うためである。

しかし、「みんなが祈ってくれますよ」などと安易に公表するよう求めてはいけないことをこの本から学んだ。

例えば、がんと言っても様々な種類があり悪性度や進行度も多様であるのに、知識のない我々は勝手な先入観で過剰に反応して、自然な関わりができなくなる。病気の受け止め方も人それぞれなのに、表面的な励ましをしてしまったり、病気に触れるのを無理に避けたりして、コミュニケーションがとれなくなる。

病気を公表するかどうか、牧師は本人の意志に従いつつ、事実を知らされた特別な職務にある者として、誠実に祈りに覚えなければならない。


◆ある牧師が自戒されていたこと

「霊的に不調なときほど、霊的に鋭く大胆なことを言ってしまう。」
(p.169)

晴山陽一『すごい言葉』2 [読書メモ]

晴山陽一、『すごい言葉――実践的名句323選』(文春文庫408)、文藝春秋、2004年。

323の「名句」を数行の解説付きで紹介。英文も併記されている。人名索引もあるのがよい。

晴山が出会った言葉の他、英語圏のさまざまな引用句事典から多く引かれているようだ。


前回の記事の続き)


p.152
「オフィスに置いてある植物が枯れているような医者の所には行くな。」
アメリカのコラムニスト、アーマ・ボンベックという人の言葉。"The Macmillan Dictionary of Contemporary Quotations," 3rd ed., 1996より。
教会も、玄関脇の花壇をいつもきれいにしておかなければならないなあ。水やりを怠って、すぐ枯らしてしまうのだが。



p.179
「神は汝の敵を愛せとは言ったが、好きになれとは言わなかった。」
なんと、ラインホールド・ニーバーの言葉とのこと。フォックスによる伝記、Richard Wightman Fox, "Reinhold Niebuhr: A Biography," 1985にあるとのこと。


p.225
「君のオフィスではどれくらいの人が働いているんだい?」
「半分くらいかな」

2011年4月7日の読売新聞「編集手帳」で紹介され、2014年6月6日の朝日新聞「天声人語」でも紹介された。
これをもじって:

「君の教会ではどれくらいの人が礼拝しているんだい?」
「半分くらいかな」

「君の教団ではどれくらいの人が伝道牧会しているんだい?」
「半分くらいかな」

「君の神学校ではどれくらいの人が勉強しているんだい?」
「半分くらいかな」


p.229
「他の人の葬式に出ておいてやらないと、彼らも君の葬式に来てくれんぞ!」
この本の最後を飾るジョーク。
 教会員の葬儀には極力出席しましょう。



晴山陽一『すごい言葉』1 [読書メモ]

晴山陽一、『すごい言葉――実践的名句323選』(文春文庫408)、文藝春秋、2004年。

323の「名句」を数行の解説付きで紹介。英文も併記されている。人名索引もあるのがよい。

晴山が出会った言葉の他、英語圏のさまざまな引用句事典から多く引かれているようだ。



p.33
「人間は、メッセージを忘れたメッセンジャーである。」
(アブラハム・ジョシュア・ヘシェル『人間とは誰か』(1965)より)

ヘシェルの表記は一般には「ヘッシェル」。また、「アブラハム・ジョシュア」は英語だか何だか分からないよう。。。

ヘッシェルはポーランドのワルシャワで生まれ、ベルリン大学に提出したドイツ語の学位論文を、後にアメリカで英訳・改訂して出版した。その邦訳が『イスラエル預言者』(上下2巻、並木浩一監修、森泉弘次訳、教文館、上下とも1992年)で、その邦訳書での表記は英語読みで「エイブラハム・ジョシュア・ヘッシェル」。

人間が伝えるべきメッセージは何であるか。ヘッシェルがユダヤ教の神学者であることからすれば、それは主なる神からのメッセージであろう。



p.43
「生きていくためには、記憶力よりも、その対極にある“忘れる力”のほうが不可欠である。」
(ショーレム・アッシュ『ナザレ人』(1939)より)

アッシュはポーランドの作家。ユダヤ人である彼が「ナザレ人」という小説を書いているのは興味深い。アッシュの作品の邦訳って、戦前を別にすれば、ぜんぜんないようだ。


p.105
「知識の島が大きくなるほど、不可思議の海岸線が長くなる。」
(ラルフ・W.ソックマン)
ソックマンは、米国のメソジスト教会の牧師(1889-1970)とのこと。典拠は、Laurence J. Peter Compiled "Quotations For Our Time," 1977より。おお、あの「ピーターの法則」のローレンス・ピーターが集めた引用句集だ!

ローレンス・J.ピーター、レイモンド・ハル(田中融二訳)、『ピーターの法則 創造的無能のすすめ』、ダイヤモンド社、1970年。
最近は新訳があるようだ。 渡辺伸也訳、2003年。



p.106
「持論を持てば持つほど、ものが見えなくなる。」
ドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダースの言葉とのこと。
自分もそうだが、自分の考え方に固執してしまうと、他者に耳を傾けることができなくなる。逆に、他人が己の考えに固執していてこちらの意見に耳を傾けてくれず、いらだったり失望したりすることもある。日本の総理大臣に対しても。


p.112
「教育は、学んだことがすべて忘れられた後に残る“何か”である。」
心理学者B.F.スキナーの言葉。これも、ローレンス・ピーターの引用句集より。
信仰も、三位一体とか贖罪とか終末論とか、理屈をすべて忘れたときに、いかに主なる神への信頼に生きているかということかもしれない。


(続く)


タグ:一般の新書

人権は「普遍」なのか [読書メモ]

人権は「普遍」なのか(岩波ブックレット).jpg小林善彦、樋口陽一編、『人権は「普遍」なのか――世界人権宣言の50年とこれから』(岩波ブックレットNo.480)、岩波書店、1999年、56頁+世界人権宣言7頁。

1998年12月11~12日のシンポジウムでの、7人の発表の要約。


■内 容
小林善彦、「日本で「人権宣言」が受け入れられるまで」
鵜飼哲、「人権の「境界」について」
増田一夫、「プロセスとしての人権」
坪井善明、「「アジアにおける人権」とはなにか」
ロニー・ブローマン、「人道援助と「悪の凡庸さ」」
辻村みよ子、「「女性の人権」とは何か」
樋口陽一、「人権の普遍性と文化の多元性」


■自分のためのメモ

天賦人権論
1883年(明治16年)に馬場辰猪(ばば・たつい)が『天賦人権論』を書いている。(p.6)

民主主義と人権
民主主義と人権は、どちらかがないときには、どちらも成立しない。(p.8、54)

世界人権宣言の意義
世界人権宣言(1948年)の意義の一つは、国民国家を人権の境界とする考え方に異議を唱える端緒となったことだ。(p.10)

ハンナ・アレント
ハンナ・アレントは『全体主義の起源』(1951年)の中で、近代の人権概念が国民国家の枠の中で、国民である者に限って人権を保障するという原理に基づいている限り、少数民族、難民、無国籍者は人権の埒外に置かれざるを得ないと批判した。(p.6、17にも)

「護る」ではなく「獲得する」
人権は、完成した形で存在していてそれを「護る」というものではない。むしろ、常に「獲得」すべきものである。(p.16)

ある権利が確保されると、その先にさらに獲得すべき権利が姿を現す。人権はに固定された範囲はない。歴史と共に伸張していく。(p.16、20)

悪の凡庸さ
ハンナ・アレント『イェルサレムのアイヒマン――悪の凡庸さに関する報告』(1963年)で、悪を犯すという意図のもとではなく、極端に自らの責任を限定して、自分が置かれている狭い立場以外の立場からはものが考えられなくなってしまい、思考が欠如した中で悪が犯されることが示された。(p.33-36)
(邦訳は大久保和郎訳、『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』、みすず書房、1969年。)

女性の人権
1789年のフランス人権宣言「人および市民の権利宣言」では、権利の主体はオム(人=男性)とシトワイヤン(市民=男性市民)であった。そこで、1791年、オランプ・ドゥ・グージュは、「女性および女性市民の権利宣言」を発表した。(p.38-39)

個人の尊重と人権
最近では、平等を定めた憲法14条ではなく、個人の尊重という原理を明確にした13条を中心に人権を考える傾向が強くなっている。(p.42)

ジレンマと自己決定権の矛盾
人権問題には常にジレンマがある。中絶の権利の主張は胎児の人権を侵害することになる。売春婦は男性支配の例として批判されるべきか、それとも女性の職業選択の自由や、身体の処分についての自己決定権か。しかし、自己決定権の名で人間の尊厳を捨てることは喜ばしいことではないだろう。自己決定というコンセプトそのものに矛盾が内在している。(p.43-44、50-51)

ユニバーサルな人権
人権の無視・侵害がuniversalにゆきわっている。しかし、人権という理念はuniversalな価値を持つものとしてuniversalに追求されるべきものである。(p.52)


池田守男、サーバント・リーダーシップ入門(2) [読書メモ]

池田守男、金井壽宏、『サーバント・リーダーシップ入門』池田守男、金井壽宏、『サーバント・リーダーシップ入門――引っ張るリーダーから支えるリーダーへ』、かんき出版、2007年、254頁、1575円。

その1の続き。


■自分のためのメモ(その2)

Ⅱ サーバント・リーダーの経営改革

社長として、クリスチャンとして
社長として私にできることは、改革の原動力となる社員たちをサーバントとして支え、ゴールに導いていくことだ。(p.2の「刊行によせて」)

私はクリスチャンとして「奉仕と献身」(サービス・アンド・サクリファイス)を生活信条としてきた。

銀座教会の前で、以前そこで見た新渡戸稲造の書「Be just and fear not」」が脳裏によみがえってきた。

社長就任後の記者会見で、「一粒の麦、地に落ちて死なずば一粒にすぎず、されどその麦、地に落ちて死なば、多くの実を結ぶなり」」(ヨハネ傳12:24)を引用して、自らの覚悟を語った。

内村鑑三の『余は如何にして基督教徒となりし乎』と出会い、また、新渡戸稲造の『武士道』に目を開かれた。

ラインホルド・ニーバーの「変えてはならないものを受け入れる心の冷静さと・・・」も、池田守男の好きな言葉。(p.155)
「ニーバーの祈り」参照)

ヤマト運輸の元会長、小倉昌男もクリスチャンだった。(p.159)

個人の強調の弊害
企業においても地域社会においても、個人の権利や生き方が強調されるあまり、あるいは利益至上主義や市場原理主義が幅を利かせていて、他の人々のことを思いやったり、公の利益を考えたりすることが疎かにされている。

身近な人間関係の基本
サーバントとして人に尽くす、仕えるとは、対等な人間関係ではないように誤解されるが、決しそうではなく、互助・互恵の精神そのものである。

サーバント・リーダーシップはごく身近な人間関係においても基本となる考え方である。

明確なビジョン、ミッションの共有を 
サーバント・リーダーシップは、ただ仕えるのではなく、明確なミッション、ビジョンがあって初めて実践できる。そして、それを組織のメンバーたちに伝える努力が不可欠である。ミッション、ビジョンの共有が、サーバント・リーダーシップの実践の前提である。

理念・信条・方針はトップダウンで伝え、実践においては現場の仕事が円滑に運営されるようにサーバントとして社員を支える。

一度言っただけでは伝わらない。何度も繰り返し信念を語り続けることが大切であり、メッセージを発信し続けることが、想いを人の心に届ける一番の近道である。

使命感
人間が生きていく上で必要なものの一つは使命感である。与えられた使命が自分が考えている使命と異なる場合でも、まずは与えられた使命をやり遂げることに集中する。そこに自分で使命を見出していくことが必要だ。自らの役割や使命を理解し、それを全うする過程で支える・仕えることに徹することができる人が、サーバント・リーダーだ。

ギブ&ギブ
サーバント・リーダーシップの精神は、「与ふるは受くるよりも幸ひなり」(使徒行傳20:35)に凝縮されている。

世の中がギブ&テイクではなくテイク&ギブになっている。いやそれどころかテイク&テイクになっていると日野原重明と話し、「あなたはギブ&ギブに徹しなさい」と言われた。

「各々の賜物をもって、お互いに仕え合う。」これは聖書の言葉だが、人間本来の姿であると思うし、サーバント・リーダーシップの根底にある精神でもある。(p.250「おわりに」)
(聖書箇所は記されていないが、ペトロの手紙一 4:10 「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。」)


■紹介されている主な文献

・ケン・ブランチャード他(小林薫訳)、『新・リーダーシップ教本――信頼と真心のマネジメント』生産性出版、2000年、223頁。
池田守男が金井壽宏から勧められた本。牧師と教授、そして事業家の対話によって奉仕型リーダーを解説している。

・ロバート・ケリー(牧野昇訳)、『指導力革命――リーダーシップからフォロワーシップへ』、プレジデント、1993年、267頁。

・ジェームズ・ハンター(石田量訳)、『サーバント・リーダーシップ』、PHP研究所、2004年、238頁。
これ以降のジェームズ・ハンターの訳書に、(高山祥子訳)、『サーバント・リーダー――「権力」ではない。「権威」を求めよ』、海と月社、2012年、212頁がある。

・ジョセフ・ジャウォースキー(金井壽宏監修、野津智子訳)、『シンクロニシティ――未来をつくるリーダーシップ』英治出版、2007年(原著1977年)、336頁。
増補改訂版(392頁)が2013年2月に出た。

・ロバート・K・グリーンリーフ(ラリー・C・スピアーズ編、金井壽宏監修、金井真弓訳)、『サーバントリーダーシップ』、英治出版、2008年、576頁。




池田守男、サーバント・リーダーシップ入門(1) [読書メモ]

池田守男、金井壽宏、『サーバント・リーダーシップ入門』池田守男(1936.12.25-2013.5.20)

著書ですぐに検索されるのは次のもののみ。

池田守男、金井壽宏、『サーバント・リーダーシップ入門――引っ張るリーダーから支えるリーダーへ』、かんき出版、2007年、254頁、1575円。

出版当時、池田守男は資生堂相談役、金井壽宏は神戸大学大学院経営学研究科教授。


■目 次

全4章
Ⅰ サーバント・リーダーシップとは何か(金井壽宏)
Ⅱ サーバント・リーダーの経営改革(池田守男)
Ⅲ サーバント・リーダーシップと使命感(対談)
Ⅳ ミッションで支えて組織と人を動かす(金井壽宏)


■自分のためのメモ(その1)

Ⅰ サーバント・リーダーシップとは何か

リーダーシップ現象
リーダーシップは、静態的な個人特性ではなく、リーダーとフォロワーとの間のやりとりの中から自然発生的に生まれてくるダイナミックでインタラクティブなプロセスだ。フォロワーが喜んでついていくようになったとき、そこに「リーダーシップ現象」が生まれたことになる。

サーバント
サーバント・リーダーは、召使いのように相手の言うことを聞くのではなく、ミッションの名の下にフォロワーに尽くす。上に立つ人こそ、皆に尽くす人でなければならない。

ミッション
相手に奉仕すること、尽くすことを通じて、相手を導いていく。当然、導くからには自分なりの考え、哲学、想い、ミッションがいる。サーバントになるとは、召使いのように振る舞うことではなく、ミッション(使命)の名の下に奉仕者となることである。リーダーが信じているミッションに共感して、その実現のために動き出す人をリーダーが支え、奉仕する。サーバント・リーダーシップは、ミッションなしにはありえない。

ビジョン
リーダーが思い描く世界は現状からかけ離れているため、フォロワーたちにはそれが実現可能には見えない。しかし、大きな使命(ミッション)と大きな絵(ビジョン)をしっかり描いて繰り返し語れば、リーダーにしか見えなかったものがしだいにフォロワーにも見えてくる。

信頼(credibility)
信じてついていっていいと思える人に、フォロワーたちが喜んでついていっている現象がリーダーシップという現象である。だから、リーダーシップの鍵となるのは「信頼」である。

リーダーはフォロワーのために存在する
フォロワーはリーダーを信頼し、彼(彼女)が描く大きな絵(ビジョン)に共鳴してリーダーについていく。そのときフォロワーが目指すものはリーダーのそれと同じ、もしくは近いものであり、一緒になって実現するのもフォロワーだ。リーダーはあくまでもその手伝いをする。リーダーはフォロワーのために存在する。
 サーバント・リーダーは、力ずくではなく、ミッションに向かって自発的に歩み始める人を後押しする。それは使命感に基づいてなされる高貴な行動であり、組織やチームに目標を達成させる大きな力になる。

ロバート・グリーンリーフ
サーバント・リーダーシップという考え方は、元AT&Tのロバート・K.グリーンリーフが1977年に提唱した。
グリーンリーフは、ヘルマン・ヘッセ『東方巡礼』に出てくるサーバント・リーダー、レーオに啓発された。
グリーンリーフはクエーカー。

サーバントとリーダー(奉仕と指導)
サーバントとリーダーという二つの役割は融合しうる。サーバントとしてのリーダーシップは、最初は尽くしたい(奉仕したい)という自然な感情に始まる。その後に、指導したいという思いが自覚的に選択されてゆく。

パーソナル・アセッツ
リーダーシップ現象が発生するおおもとはリーダーの言動や発想であり、その言動や発想はその人の持ち味(パーソナル・アセッツ)に支えられている。パーソナル・アセッツには、リードしたいという意識的なイニシアティブ、ビジョナリーなコンセプトを描く力conceptualization、傾聴・受容・共感、一緒にいると心が落ち着くこと、個々人の成長へのコミットメントなど様々な特徴が挙げられる。

リーダーシップの基本哲学
サーバント・リーダーシップは、リーダーシップの類型の一つではなく、リーダーシップのあり方に関わる基本哲学の一つだ。


(続く)


日本思想大系25 キリシタン書・排耶書 [読書メモ]

海老沢有道、H.チースリク、土井忠生、大塚光信校注、『キリシタン書 排耶書』(日本思想大系25)、岩波書店、1970年。

キリシタン書として、
「どちりいな-きりしたん」(H-チースリク、土井忠生、大塚光信校注)
「病者を扶くる心得」(H-チースリク、土井忠生、大塚光信校注)
「仏法之次第略抜書」(海老沢有道校注)
「妙貞問答」(中・下巻)(海老沢有道校注)
「サカラメンタ提要付録」(H-チースリク、土井忠生、大塚光信校注)
「御パシヨンの観念」(H-チースリク、土井忠生、大塚光信校注)
「丸血留の道」(H-チースリク、土井忠生、大塚光信校注)
「こんちりさんのりやく」(片岡弥吉校注)
「天地始之事」(田北耕也校注)
を収録。

「参考」として、1591年国字本と1600年国字本との主要な相違点を対照させた「ドチリナ-キリシタン 本文の異同」がpp.477-489にある。

「解説」として、
海老沢有道「キリシタン宗門の伝来」、pp.515-550。
H・チースリク「キリシタン書とその思想」、pp.551-592。
海老沢有道「排耶書の展開」、pp.593-606。

収録書目解題がpp.607-640。

参考文献、ひらがなで表記されたラテン語やポルトガル語の原綴りと意味の「洋語一覧表」あり。


★「どちりいな-きりしたん」は、ヴァチカン図書館蔵の1591年版国字本。


キリシタン教理書 [読書メモ]

海老沢有道他『キリシタン教理書』教文館海老沢有道、井手勝美、岸野久編著、『キリシタン教理書』(キリシタン文学双書、キリシタン研究第30輯)、教文館、1993年、516頁、本体9000円。


■ 集録されているもの

ドチリナ・キリシタン(1600年刊・ローマ字本)(海老沢有道、岸野久校註)
ドチリイナ・キリシタン(1592年刊・ローマ字本)(海老沢有道、岸野久校註)
吉利支丹心得書(海老沢有道校註)
日本ノカテキズモ(海老沢有道校註)
イルマン心得ノ事(海老沢有道校註)
妙貞問答(井手勝美、海老沢有道校註)
仏法之次第略抜書 他(海老沢有道校註)


■ メモ

ドチリナ・キリシタンの1600年(慶長版)のローマ字本が先にあるのは、この全文翻字がこれまでなされていなかったので、それを主とし、対比のために1592年(天正版)ローマ字本の翻字を収めたとのこと(海老沢有道による解説、p.499)。

解説として、フーベルト・チースリク、「キリシタン宗教文学の霊性」p.461~492
これは「キリシタン文化研究会会報」第十八年第四号に収録の論文に加筆したものとのこと。尾原悟の「あとがき」によれば、海老沢有道の『キリシタン南蛮文学入門』の中の「教理(ドチリナ)文学」をそのまま転載すればこれ以上のふさわしい論文はないが、十年余も前からチースリクから解説をいただくことになっていたとのこと。

海老沢有道による、収録書それぞれの「解題」p.493~514。

尾原悟による「あとがき」(p.515~516)では、キリシタン作品を網羅的に集め、詳細な校註を加えたものを編纂したいという思いが綴られた海老沢有道の『キリシタン南蛮文学入門』の短い「はしがき」全文が引用されている。

海老沢有道は、1910.11.20~1992.1.3。『日本キリスト教歴史大事典』の編集委員長を務めた。


キリシタン南蛮文学入門 [読書メモ]

海老沢有道『キリシタン南蛮文学入門』教文館海老沢有道、『キリシタン南蛮文学入門』、教文館、1991年、276+索引9頁。

■ 目次

前篇 総 論
 Ⅰ 序説
 Ⅱ キリシタン南蛮文学の分類
 Ⅲ キリシタン文学の成立基盤
 Ⅳ イエズス会士の日本語研究
 Ⅴ キリシタン文学の用語
後篇 各 論
 Ⅰ 教理(ドチリナ)文学
 Ⅱ 祈祷(オラシヨ)文学
 Ⅲ 典礼・秘跡(サカラメント)文学
 Ⅳ 聖書(スキリツウラ)文学
 Ⅴ 観想(メヂタサン)文学
 Ⅵ 護教(アポロヂヤ)文学
 Ⅶ 殉教(マルチリヨ)文学
 Ⅷ 書簡(カルタス)文学
 Ⅸ 日本文学研究と創作文学
 Ⅹ 反キリシタン文学
 ⅩⅠ南蛮文学
人名索引
書名索引


■ メモ

この本では、フランシスコ・ザビエル(Francisco Xavier)は、シャヴィエルと表記されている。

青年時代にカルヴァンやエラスムスに傾倒してたシャヴィエルは、「より大いなる神の栄光のために」(Ad majorem Dei gloriam)をモットーとしたイエズス会の創立に参加し、イエス・キリストの伝道命令に従って地の果ての日本にまで神の栄光のために渡った。

「世界のすべての人類が、神による同じ被造物として霊性を与えられた存在であり、救いに与るべき価値と権利とを持つものであり、しかもその一個の霊性・人格は、全世界の一切の自然的価値、一切の権力の掌握にもまさる尊い存在」であることをシャビエルは認識した。

「ここにキリスト教の本質的な世界性と人間観とが統一的に再生され、初代教会以来最大の世界布教としてシャビエル自身によって実践的に示されることとなった」。「近世的用件の一つである人間観の確立・世界的視圏の拡大、そして世界史的統一の過程は、まさしくイエズス会によって、というよりシャヴィエルによって教会にもたらされたのであり、日本にもたらされたのであった。」(p.38)

1563年にトリエント公会議で「ローマ・カテキズム」(Catechismus Romanus)が制定されるよりも前に、シャヴィエルはインドや南洋各地における布教体験を踏まえて、1546~47年にクレドによるカテキズモを作成した。鹿児島の青年ヤジロウが彼のもとに至って日本語に翻訳したのはこのカテキズモである。(p.93)


雜賀信行『牧師夫人新島八重』 [読書メモ]

牧師夫人 新島八重.JPG雜賀信行、『牧師夫人 新島八重』、雜賀編集工房、2012年、302頁、1470円。

「雜」は「雑」の異体字(シフトJIS:E8B6)

読み方は、さいか・のぶゆき。

 著者は『生きかたを変える聖書のことば60』(いのちのことば社フォレストブックス、2005年)を出している(著者名の表記は「雑賀」)。2013年中に全面改訂版が出る予定のようだ。


第1章が「八重」、第2章は「捨松」、第3章は「蘆花」。

 新島八重を、他の文献にはほとんどない牧師夫人としての視点から描いたという点で貴重だが、それ以上に、八重や捨松の紹介を前座に据えつつ、最後の章で突如として徳富蘆花の小説『不如帰』(ほととぎす)のモデルを、定説を覆して明らかにしていくノンフィクションとして、おもしろかった。


■ 会津戦争と「荒城の月」

 なぜ会津の人は長州や薩摩の人に(いまでも?)怨みを持っているのか?(p.18~36あたり)

 大山捨松は、会津戦争(1868年)のとき8歳だったが、八重らと共に家族で鶴ヶ城に籠城した。後に、津田梅子らと共にアメリカに渡った日本初の女子留学生のひとりで、帰国後に陸軍大将の大山巌(会津戦争のとき薩摩の砲兵隊長として城を落とすべく砲撃した)と結婚し(つまり、敵の藩士と結婚した)、その美貌と流暢な英語によって社交界で活躍し、「鹿鳴館の花」と呼ばれた。(p.27、164、170)

 後に牧師となり、ヘボンの後を継いで明治学院の第2代総長となった井深梶之助も、会津戦争当時13歳で、籠城して戦った。(p.32)

 土井晩翠(1871年生まれ)は、会津戦争を間近に見てきた父親から繰り返し鶴ヶ城悲話を聞かされおり、その光景を思いながら「荒城の月」を作詩した。(p.37)


■ 新島襄

 襄の本名は七五三太(しめた)だが、アメリカでジョセフと呼ばれた。帰国後、「翰夫」(ジョセフ)と書いていたが、やがてそれを「襄」とした。(p.58)

 1874年、襄は按手礼を受け、日本人で最初の牧師となり、アメリカン・ボードの宣教師としてアメリカから日本に派遣された。(p.65) ちなみに、日本で最初に按手を受けたのは小川義綏(おがわ・よしやす)と奥野昌綱(おくの・まさつな)である(1877年)。(p.223)

 襄が同志社を設立したのが東京や安中ではなく、襄にとって不案内な関西だったのは、アメリカン・ボードの活動拠点が神戸や大阪だったからである。(P.70)

 1876年、1月2日に八重が洗礼を受けて、その翌日の1月3日、襄と八重は結婚式を挙げた。これは日本で最初のプロテスタントの結婚式だった。(p.94~96)八重は日本で最初の「牧師夫人」となった。

 襄の「自責の杖」事件(1880年)。(p.116~119)

 1890年1月23日、襄は聖書を読んでほしいと言った。箇所はエフェソ3章であった。その後、息を引き取った。(p.145~146)


■ 襄と八重の愛唱讃美歌

 襄の愛唱讃美歌は「主のまことは有磯の岩」だった。(p.146)

 八重の愛唱讃美歌は「移りゆく世にも 変わらで立てる」と「御恵み豊けき主の手に引かれて」。(p.154~155)
※ただし、現在と同じメロディ、同じ歌詞で歌っていたかどうかはわからない。異なる可能性がある。後日調査予定。


■ 日本で最初の女子留学生は「負け組」のリベンジだった!?

 梅子や捨松ら5人の女子留学生の家はみな、薩長を中心とした新政府軍と戦って負けた側だった。彼女たちの父は江戸幕府に直接仕えた幕臣であったので、維新後、薩長閥の役人が牛耳るところで屈辱を感じていただろう。そのリベンジの可能性を娘たちに託したのかも知れない。(p.167~168)

 アメリカに渡った五人、上田悌子(16歳)、吉益亮子(14歳)、山川捨松(11歳)、永井繁子(9歳)、津田梅子(6歳)のうち、年長の悌子と亮子はアメリカで病気を患ったこともあり、一年を経ずして帰国した。アメリカに残った三人は皆――梅子は1873年(8歳)、繁子は1875年(13歳)、捨松は1876年(16歳)のとき――洗礼を受けた。(p.215、222)


■ 徳富蘆花『不如帰』

 徳富蘆花が小説『不如帰』で主人公の浪子の継母を憎々しげに描いたのは、いったい誰を投影してだったのか。蘆花の性格、新島八重の兄山本覚馬の娘久栄との恋愛問題と、覚馬の妻時栄の不貞事件から明らかにする!



松本仁志『筆順のはなし』 [読書メモ]

松本仁志『筆順のはなし』松本仁志、『筆順のはなし』(中公新書ラクレ435)、中央公論新社、2012、270頁。

久しぶりに、読み終えて「面白い!」と叫んでしまった本。
松本人志ではない。念のため。



1.「正しい筆順」というものはない。
 国が筆順の基準を示した最初は、昭和16年(1941年)から国民学校で使用された第5期国定国語教科書の教師用書である。これにはどのように筆順を定めたかの原則に関する記述はなく、複数の筆順を示した漢字が少なからずある。

 戦後、「当用漢字表」(昭和21年)による字体整理が行われると、新字体に沿った筆順を整備する必要が説かれるようになり、『筆順指導の手引き』(文部省、昭和33年)の出版に至った。しかし「正しい筆順」を示すのではなく、「学習指導上に混乱を来さないようにとの配慮から定められたもの」であって、他の筆順を「誤りとするものでもなく、また否定しようとするものでもない」

 現在の教科書検定基準でも、「漢字の筆順は、原則として一般に通用している常識的なものによっており」とされている。

 したがって、筆順について一つの正解があるわけではなく、学校教育で習得する筆順はあくまで目安としての基準に過ぎない。
(p.4~6、38、77~78)

2.筆順学習の必要性と筆順の意義
 しかし、小学生、特に低学年の場合は複数の許容をこなせる年齢ではないので、学校教育で便宜的に一つの基準を設定して指導する必要性はあるだろう。(p.6)

 筆順には、スムーズに書ける「書きやすさ」と字形が整う「整えやすさ」という意義がある。(p.21~23)

3.では、どのように基準を決めるか(筆順根拠)
 日本の楷書筆順には、歴史的に次の三つの筆順根拠がある。
  A 機能性(書きやすさ、整えやすさ、読みやすさ、覚えやすさ)
  B 字源
  C 行書・草書の運筆。
(p.33)

 今日いわゆる筆順と言えば、機能性を根拠とする楷書筆順のことであって、文字の変遷過程、手書きの技術・環境の進歩などが相互に影響し合いながら、「書きやすさ」や「整えやすさ」などを経験的に追求してきたものである。(p.116)

4.ところが、実際、小学生は
 筆順を学ぶ理由は「テストに出るから」であって、
「テスト以外では自分の筆順で書いている」。
 この事実は、筆順の有効性を子どもが実感できていないという点で、筆順指導の敗北を意味している。(p.168)

 一度身についた筆順を修正するのは困難である。筆順指導は文字を習い始める低学年が勝負の時だ。(p.222)
 小学校入学前に仮名や自分の名前の漢字を自己流の筆順で覚えてしまっているとやっかいだ。(p.223)

5.学校で習うのとは違う筆順が身についてしまっている大人は?
 一通り文字が書けるようになった大人は、いまさら基準の筆順に直す必要はないと思います。ただし、文字を各場面を小・中学生に直接見せる機会がある人や小・中学生の親は、気をつけてほしい。(p.206~207)

6.たとえば「上」について
 「上」という漢字の第一画は、縦棒か横棒か? 答えは「どちらも正しいとは言えないが、誤りでもない」(アンダーラインは原文どおり)

 『筆順指導の手引き』では縦棒が第一画が示されているが、昭和16年から国民学校で使用された教師用の指導書では、両方の筆順が示されている。
(以上、p.3~6)

 「上」は、横棒を第一画とする筆順は「書きやすさ」により(筆路が最短)、縦棒を第一画にするのは「覚えやすさ」による(正、足、走などと同じ)と言える。(p.36)

7.そのほかいろいろ
 中国では「右」も「左」も「一 ノ」の順に統一している。(p.8、59)

 カタカナの「ヲ」は、源字の「乎」が変化してできた形なので、「一一ノ」と書く。(p.55)

 「川」は、小さな流れとやや大きな流れとが合わさったという字義から、真ん中を先に書くという筆順解釈がある。(p.93~94)

 ある書家は「土」の字を、地中から萌え出ずる生命を表現するためと言って、「二」を書いてから下から上に「|」を書くと主張したらしい。(p.165~166)

 文部省で『筆順指導の手引き』を編纂する話が出たとき、担当者は専門家から“正しい筆順”を聞き出せばそれですむと踏んだ。ところが、大学教授、学識経験者、現場の先生などを集めた会議は、第1回から荒れに荒れ、「上」も「耳」も「馬」も「書」も「感」も・・・と、議論百出。ある書道の大家は
「私の流派の書き順を認めないなら、切腹する」
と言って大臣室の前に座り込んだ。(p.201~202)


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マクベス [読書メモ]

福田恆存訳『マクベス』.JPGシェークスピア(福田恆存訳)、『マクベス』(新潮文庫)、1969年。

高校1年の時の読書メモ。

同新潮文庫版(2010年第83刷改版)(写真)で確認した。



おお、そのお顔、まるで不思議なことが書いてある本のよう。
マクベス夫人、第1幕第5場


やってしまって、それで事が済むものなら、早くやってしまったしまったほうがよい。
マクベス、第1幕第7場


何ということだ、この手は? ああ! 今にも自分の眼玉をくりぬきそうな! 大海の水を傾けても、この血をきれいに洗い流せはしまい? ええ、だめだ、のたうつ波も、この手をひたせば、紅一色、緑の大海原もたちまち朱と染まろう。
マクベス、第2幕第2場


私の手も、同じ色に、でも心臓の色は青ざめてはいない、あなたのように。
マクベス夫人、第2幕第2場


王に対する敬愛の念、その逸る心が、留め役の理性を乗り越えてしまったのだ。
マクベス、第2幕第3場


その手は食わぬぞ、運命め、さあ、姿を現わせ、おれと勝負しろ、最後の決着をつけてやる! 誰だ?
マクベス、第3幕第1場


不自然な行為は不自然な煩いを生むものだ。
侍医、第5幕第1場


人の生涯は動きまわる影にすぎぬ。あわれな役者だ、ほんの自分の出場のときだけ、舞台の上で、みえを切ったり、喚いたり、そしてとどのつまりは消えてなくなる。
マクベス、第5幕第5場



リンカーン(10) リンカンがひげをはやしたわけ [読書メモ]

『リンカンがひげをはやしたわけ』、偕成社フレッド・トランプ(宮木陽子訳)、『リンカンがひげをはやしたわけ――開拓期を生きた少女の話』、偕成社、1997年、198頁、1600円+税。



リンカーン(訳者は「リンカン」と表記)にひげをはやすように勧める手紙を書いた「リンカンの小さな女の子」として知られるグレイス・べーテルの、丹念な調査による史実に基づいた伝記。

リンカンはアメリカ史上最初の「ひげの大統領」となった。

小学校高学年以上向けの感じの本だが、大人が読んでも興味深く、面白い。


原著: Text by Fred Trump, illustrations by Kit Wray, "Lincoln's Little Girl: A True Story," Boyds Mills Press, 1993.

原著にはグレイスの夫についてだけの記述がかなり多く、また、時代が前後したり急に時代が飛んだりする箇所があるので、訳者の独自の取材に基づいて加筆、削除して編集しなおされている。写真も原著にはないものが多々ある模様。

参考資料として、当時の新聞記事や手紙が7つ、要所要所に挿入されている。


グレイスは、8歳の時、礼拝の説教でマタイ4:6を聞き、天使が現れるのを期待して、2階から飛び降り、両足骨折をした。(p.19あたり)

1860年の大統領選挙は、共和党からの候補はウィリアム・シュワードを破ったリンカン、民主党からの候補はスティーブン・A・ダグラスで、国中が熱気に包まれていた。その様子がよく分かる(pp.27~40あたり)。選挙権のない11歳のグレイスも選挙戦の熱狂の渦に巻き込まれていた(ただし、当時、婦人参政権はなかった)。

グレイスがリンカンに宛てた手紙は41~43頁。綴りの間違いや文法の間違いなども記されている。リンカンからの返事はp.54~55。

第9章までがグレイスとリンカンの話で、南北戦争とリンカンの死まで。第10章以降はグレイスの結婚後の西部開拓の物語。

最後の18章では、リンカンとグレイスのそれぞれの手紙のその後の行方はいかに?



リンカーン(9)『三分間』5 [読書メモ]

ゲリー・ウィルズ『リンカーンの三分間』共同通信社ゲリー・ウィルズ(北沢栄訳)、『リンカーンの三分間――ゲティズバーグ演説の謎』、共同通信社、1995年、口絵4+376+索引5頁。

原著:Garry Wills, "Lincoln at Gettysburg : The Words That Remade America," Literary Research, Inc., 1992.
1993年ピュリツァー賞受賞作。

(続き)


■ 付録Ⅰ
 「リンカーンが話したこと――テキスト」として、ゲティスバーグ演説のテキストの様々な版について。
 リンカーンは演説原稿からやや離れて語ったところがある。演説を速記して掲載されたいくつかの新聞記事は信頼できるか。演説の後に求められて作成された少なくとも四つある自筆原稿は、どれがよいのか。

 議会図書館にあるニコレイのテキスト(「第一草稿」と呼ばれる)、「リトル・ブラウン」社によって印刷されたテキスト、ヘイの「第二草稿」(これはそれほど重要ではない)、スプリングフィールド・テキスト(エヴァレットの写し)、そして、ボルティモア・フェアのテキスト(バンクロフト版とブリス版)。このブリス版がリンカーンの自筆の最後のものである。

 すべての原稿に相違がある。リンカーンは、短いスピーチを終えた後も最後まで訂正を加え続けたのだ。

■ 付録Ⅱ
 「演説の場所」。

■ 付録Ⅲ
 「四つの追悼演説」として、エヴァレットの演説の全訳、古代ギリシャのペリクレスとゴルギアスの追悼演説、そして、リンカーンのゲティスバーグ演説の実際に語られたものに最も近いと考えられるもの(リトル・ブラウン版)の英語と日本語、及び、最終テキストとされるもの(ブリス版)の英語と日本語。


リンカーン(8)『三分間』4 [読書メモ]

ゲリー・ウィルズ『リンカーンの三分間』共同通信社ゲリー・ウィルズ(北沢栄訳)、『リンカーンの三分間――ゲティズバーグ演説の謎』、共同通信社、1995年、口絵4+376+索引5頁。

原著:Garry Wills, "Lincoln at Gettysburg : The Words That Remade America," Literary Research, Inc., 1992.
1993年ピュリツァー賞受賞作。

(続き)


「エピローグ――その他の演説」から

■ 戦争指導者としてのリンカーン

 「戦争指導者としてのリンカーンは、ほとんどの場合、非暴力主義を貫いた。彼は、暴力がいかに人々を本来の意図から逸脱させるかを知っていた。・・・戦争は長引けば長引くほど、いかなる理性的な目的をも逸脱していく。そうなると、高貴な熱望さえも、蛮行を助長しかねない。」(p.214、217)

 「戦争が勃発すると、熱く血がたぎり、そしてこぼれる。思考は従来の回路から混乱の中へと追いやられる。詐術が横行し、信頼関係が崩れ、そして疑心暗鬼を生ずる。人は皆、先に殺されないうちに隣人を殺そうとする衝動を抱く。そして復讐と仕返しが後に続く。」(p.216、SW 2.523)

 「戦時リーダーシップ史上、ユニークと言ってよいリンカーンの特徴は、彼が自己の絶対視や正当化、敵の中傷に耽ることを一切拒否したことである。」(p.220)

■ 第二次大統領就任演説

 リンカーンがゲティズバーグで奴隷制について言及しなかったのは、独立宣言国家としてのアメリカの理念の方が優先されるからであった。しかし、この戦争で奴隷制を無視することはできない。それは、第二次大統領就任演説によって補足されなければならない。(p.211)

 リンカーンは、第二次大統領就任演説で、ルカ18:7「この世はつまずきあるゆえ、わざわいなるかな。つまずきは必ずきたらん。されどつまずきをもたらす者にわざわいあれ」を引用し、アメリカの奴隷制は国家全体のつまずきであって、北部と南部の双方に戦争という災いが下されたのだとする。しかし、つまずきをもたらした者に災いを下されたのは、神がこのつまずきを取り除くことを欲したもうたということであり、ここに神の摂理を見る。
 北の祈りも南の祈りもどちらも聞き届けられなかったが、しかし今や、双方が共に「この戦争という強大なる天罰が速やかに過ぎ去らんこと」を切に祈らなければならない。
 ただそのために、「つまずき」をもたらしたことに対する代償を支払わなければならない。それは、「主の裁きは真実であってことごとく正しい」(詩編19:9、新共同訳では19:10)からである。(p.223-226)

 リンカーンは、「今、携わっている偉業を成し遂げよう」と呼びかける。それは、「われわれの前に残されている大いなる事業」(ゲティズバーグ演説)なのである。
 この声明が、ゲティズバーグ演説を補い、完全なものにする。ゲティズバーグ演説と肩を並べるに値するのは、この第二次大統領就任演説のみである。(p.228)


リンカーン(7)『三分間』3 [読書メモ]

ゲリー・ウィルズ『リンカーンの三分間』共同通信社ゲリー・ウィルズ(北沢栄訳)、『リンカーンの三分間――ゲティズバーグ演説の謎』、共同通信社、1995年、口絵4+376+索引5頁。

原著:Garry Wills, "Lincoln at Gettysburg : The Words That Remade America," Literary Research, Inc., 1992.
1993年ピュリツァー賞受賞作。

(続き)


「第4章 思想の革命」から

 ゲティズバーグの戦いと同年になされた奴隷解放布告にリンカーンが言及しなかったのは、奴隷解放は単なる軍事的手段にすぎず、リンカーンは戦争を超え、「われわれの前に残されている大いなる事業」に目を向けていたからだ。それは、国家が自らを身ごもったヴィジョンにふさわしく邁進するためである。

 南北戦争まで、「合衆国」は一貫して複数名詞であった。"The United States are a free government." ところがゲティズバーグの戦い以降、「合衆国」は単数名詞として使われるようになった。"The United States is a free government."

 リンカーンが演説の終わりで「人民の、人民による、人民のための」政治と語ったとき、彼は単にセオドア・パーカーのような超絶主義者として「民衆政治」を称賛したのではなく、むしろウェブスターのように、アメリカは独立宣言の中で認められた偉大なる任務にとりかかる一つの人民であると述べたのである。この人民は、一七七六年に「身ごもり」、独立した存在として「打ち立て」られ、その誕生は「八十七年前」にさかのぼり、「この大陸」に位置づけられ、「自由の新たな誕生」を受けるべき存在なのであった。

(以上、p.170-171)


「第5章 文体の革命」から

 リンカーンは将軍たちとの連絡に電信を用い、電報文にふさわしい簡潔で明瞭な言葉を操った。ゲティズバーグ演説は、電文に似た、言葉の無駄をそぎ落とした文章になっている。特に、連結語を省略した連辞省略と呼ばれる表現で、andやbutに勢いをそがれることなく三つの文を響かせた。
 we are engaged...We are met...We have come...
 we can not dedicate...we can not consecrate...we can not hallow...
 that from these honored dead...that we here highly resolve...that this nation, under God...
 government of the people...by the people, for the people...

 この演説には、比喩的な言葉や形式ばった装飾が全く使われていない。代名詞や前文を受ける語を使うのではなく、既出の語を何度も繰り返すことで文章につながりを持たせている。

 リンカーンは科学の時代にふさわしく現代的な言葉を使い、産業社会にふさわしくスピーチの内部をうまく「つなぎ合わせ」、うまく作動(傍点)させたのだ。

(以上、p.203-210)


リンカーン(6)『三分間』2 [読書メモ]

ゲリー・ウィルズ『リンカーンの三分間』共同通信社ゲリー・ウィルズ(北沢栄訳)、『リンカーンの三分間――ゲティズバーグ演説の謎』、共同通信社、1995年、口絵4+376+索引5頁。

原著:Garry Wills, "Lincoln at Gettysburg : The Words That Remade America," Literary Research, Inc., 1992.
1993年ピュリツァー賞受賞作。

(続き)


「第2章 ゲティズバーグと死の文化」から

 「霊園」(セミトリー)という言葉は、市街地の中にある教会付設の墓地ではなく、森や小川や泉などの田園風景のある町の境界の外に埋葬することで、死者を命や自然、再生と結びつけたロマン主義的な古代ギリシャの文化にちなんでいる。(p.64-66)

 「霊園は、十九世紀最高の境界値だった。命と死、時と永遠、過去と未来の境となる場所だった。」(p.78)

 リンカーンのゲティズバーグ演説における生と死の対照は、修辞学的であるのみならず、「霊園」のロマン主義的な性格から自ずと出てくるものでもあった。(p.82あたり)


「第3章 超絶主義的宣言」から

■ リンカーンと奴隷制

 ゲティズバーグ演説で語られた「大いなる事業」とは、奴隷解放ではなく民主政治の維持である。此の演説では奴隷制については全く触れられていない。(p.100)

 リンカーンは、奴隷制の問題について曖昧な発言をし、当時の人々と後世の研究家たちを悩ませている。リンカーンが一方で奴隷制反対を明白に打ち出し、他方でそれを曖昧にしているのは、聴衆の人種主義をくすぐろうとする巧みな業であった。(p.101-109)

 当時のアメリカ人は、独立宣言に畏敬の念を持っていたと同時に、奴隷制にも好感を抱いていた。リンカーンは、両方を同時に持つことは不可能だと論じた。独立宣言は、奴隷制を是認している憲法と異なり、時代を超越した極めて一般的な理念である人間の平等を謳って、自由な社会の原則を提示している。それに従えば、誰も人間を所有することはできないし、また、人間の上に立つ“国王”となるべきでもない。この点で奴隷制度は間違っている。(p.113-117)

 「奴隷制は憲法の中でうまく隠されている。それはまさに瘤や癌に侵された人がそれを隠すようなものだ。この人は、多量出血して死ぬことを恐れて、これらをすぐに切ろうとはしないかもしれない。にもかかわらず、時がたてば切らなくてはならないことは決まりきっている。」(p.115-116, SW 1.337-338)

■ アメリカの理念としての独立宣言

 独立宣言はアメリカの理念であり、この理想はすべての経験を超越する。アメリカの政治思想は、経験主義的ではなく超絶主義的である。そして、アメリカという国家が連邦を維持する唯一のよりどころは、独立宣言中に述べられているアメリカの理念である。アメリカがこの理念に生きて民主政治を維持発展させるならば、すべての人の生まれながらの平等の実現への道も開かれる。(p.120-127、140-141)


リンカーン(5)『三分間』1 [読書メモ]

ゲリー・ウィルズ『リンカーンの三分間』共同通信社ゲリー・ウィルズ(北沢栄訳)、『リンカーンの三分間――ゲティズバーグ演説の謎』、共同通信社、1995年、口絵4+376+索引5頁。

原著:Garry Wills, "Lincoln at Gettysburg : The Words That Remade America," Literary Research, Inc., 1992.
1993年ピュリツァー賞受賞作。



著者の日本語表記は、「ギャリー・ウィルズ」とされることもある。たとえば、ギャリー・ウィルズ(志渡岡理恵訳)、『アウグスティヌス』(ペンギン評伝双書)、岩波書店、2002年。

また、Gettysburgもいろんな日本語表記があるが、『リンカーンの三分間』では「ゲティズバーグ」と表記されている。


■ 全体の構成

228頁までの本文は、プロローグ、五つの章、そしてエピローグ。付録が三つ。46ページにわたる詳細な注付き。


「プロローグ」では、ゲティスバーグでの戦死者の遺体とその埋葬のありさまが生々しく記されている。


「第1章 ギリシャ復興の弁論」から

■ エドワード・エヴァレットについて

 エヴァレットは、リンカーンのゲティスバーグ演説の前に2時間の演説をした人。

 エヴァレットはハーバード大で神学を学び牧師になったが、大学に呼び戻され、彼のために新設された古代ギリシャ研究のポストに就き、ゲッティンゲン大学に留学した。エヴァレットは古代ギリシャの雄弁術を身に着けて、優れた演説によって、下院議員、マサチューセッツ州知事、上院議員(途中、ハーバード大学長)、国務長官を務めていった。(p.38-39)


■ 「演説」というものについて

 ゲティスバーグでの式典は国立墓地の奉献式であったが、そこでの演説は単なる挨拶やスピーチではなく、「追悼演説」という古代ギリシャからの伝統に沿ったものであった。

 追悼演説に限らず、演説やスピーチと言われているものは、偉いお方のお話をありがたくお伺いして、終わったらすっかり忘れてしまうようなものではなく、古代ギリシャの雄弁家たちのように、人民の政治的アイデンティティを形成する力であった。(p.47あたり)

 そして、そのような演説では、ギリシャの雄弁術に由来する修辞が駆使されていた。

 また、演説は数時間にわたるのが当たり前で、「長さや調子においては当今のロック・コンサートとさほど変わりはない。」(p.14)

 エヴァレットは特に、そのような演説に長けた人物であった。


■ リンカーンのゲティスバーグ演説の技法について

 リンカーンのゲティスバーグ演説では、古代ギリシャの修辞法のうち、対照法が特徴的に用いられている。中でも生と死の対照が強調されている。(p.53-57)

また、古代ギリシャの弔辞の構成(死者への賛美と生きている者への助言)と語られるテーマ(言葉と行為、儀式、父祖たち、大地からの生誕、存在証明、栄誉など)に、リンカーンもこの演説でたどり着いている。(p.58-62)


リンカーン(4) [読書メモ]

本間長世『正義のリーダーシップ』本間長世、『正義のリーダーシップ――リンカンと南北戦争の時代』、NTT出版、2004年、306+4頁、2310円。

Abraham Lincoln, 1809.2.12-1865.4.15
第16代アメリカ合衆国大統領(在任期間1861.3.4~1865.4.15)
(聖金曜日4.14に撃たれ、翌日土曜日に死去した。)



 はやりのリーダーシップ論ではなく、リンカーン(著者の表記は「リンカン」)の評伝の一つであるが、アメリカ建国以来最大の危機を乗り越えた大統領リンカーンの生い立ちからの生涯と、その時代、そして彼の遺産を振り返ることを通して、政治指導者としての大統領のリーダーシップからアメリカの歴史を捉えようとする試みを目指す。

p.189には、ゲティスバーグ演説(著者の表記は「ゲティズバーグ」)の英語全文が掲載されている。
pp.276-299が注。巻末に4ページの略年表あり。


「参考文献について」で紹介されている文献

■ 第一次史料として、『リンカーン演説集』(岩波文庫)の他、
Abraham Lincoln, "Selected Speeches and Writings," Vintage Books / The Library of America, 1992.
が挙げられている。これは、ペーパーバック版で、ゴア・ヴィダルによる序論付き(With an Introduction by Gore Vidal)。この本で紹介されていないが、ヴィダルはリンカーンの生涯を小説にしている。中村紘一訳、『リンカーン』(上、中、下)(アメリカ文学ライブラリー)、本の友社、1998。

■ 独立宣言の邦訳
・斎藤真、『アメリカとは何か』、平凡社ライブラリー、1995年。

■ アメリカ合衆国憲法の邦訳
・斎藤真訳が、宮沢俊義編『世界憲法集』(岩波文庫、1983年)に収められている。

■ 伝記
最新の研究に基づいたリンカーンの伝記としてもっとも信頼がおけるものとして、
David Herbert Donald, "Lincoln," Simon & Schuster, 1995.
を挙げている。ただし「詳しすぎるけれども」とことわっている。

■ アメリカ研究の入門書として、
五十嵐武士、油井大三郎編、『アメリカ研究入門』(第3版)、東京大学出版会、2003年。
初版は、斎藤眞・嘉治元郎編、1969年、第2版は本間長世・有賀貞編、1980年。



リンカーン(3) [読書メモ]

『リンカン民主主義論集』角川選書マリオ・M.クオモ、ハロルド・ホルザー編著(高橋早苗訳)、『リンカン民主主義論集』(角川選書232)、角川書店、1992年、301頁。

Abraham Lincoln, 1809.2.12-1865.4.15
第16代アメリカ合衆国大統領(在任期間1861.3.4~1865.4.15)
(聖金曜日4.14に撃たれ、翌日土曜日に死去した。)



 原著はMario M. Cuomo and Harold Holzer ed., "Lincoln on Democracy; His words, with essays by America's foremost Civil War historians," A Cornelia & Michael Bessie Book, Harper Collins Publishers, 1990. で、これにはRoy P. Basler ed., "The Collected Works of Abraham Lincoln," 8 vols., Rutgers University Press, 1953から抜粋された民主主義に関わる140のテキストが掲載されているが、その内さらに53のテキストを選んで翻訳したもの。


 年代順に「国民の権利」、「われわれが神聖視してきたすべてのもの」、「近いうちにまた爆発がおこるはずだ」、「正義は力である」、「試練のとき」、「永久に自由となる」、「生きているわれわれがすべきこと」の7つの章に分けて並べている。各章の冒頭にはそれぞれ異なる歴史研究者による「序論」が置かれている。そして、各文書にはその背景が簡単に付されている。


 目次は、「~演説」とか「~書簡」ではなく、各文書の中の特徴的な文言を使って記されている。たとえば、「フリートモント将軍への書簡」(1861.9.2)は「一人たりとも撃ってはならない」とか、「予備的な奴隷解放宣言」(1862.9.22)は「当日以降、永久に自由となる」など。ゲティスバーグ演説は「自由の復活」、第二次大統領就任演説は「なんぴとにも敵意をいだかず」となっている。


 この本に掲載されているゲティスバーグ演説は、その前置きの記述によると、演説後の数か月間に求められた3回の清書のうち最後のものであり、実際の演説とは多少異なっているとのこと。


 「訳者あとがき」には、特に参考にされた文献として、高木八尺、斎藤光訳『リンカーン演説集』(岩波文庫)の他、

『世界大思想全集25』(第1期)(哲学・文学思想篇第25巻)、河出書房新社、1959年。この中にある斎藤真訳「リンカーン講演書簡集」。

カール・サンドバーグ(坂下昇訳)、『エイブラハム・リンカーン』、新潮社、1972年。これは3巻本。

ベンジャミン・P.トーマス(坂西志保訳)『リンカーン』、時事通信社、1959年。これも3巻本。

深沢正策『リンカーン自叙伝』、万里閣、1951年。

が記されている。


リンカーン(2) [読書メモ]

『リンカーン演説集』岩波文庫高木八尺、斎藤光訳、『リンカーン演説集』(岩波文庫 白12-1)、岩波書店、1957年、191頁。

Abraham Lincoln, 1809.2.12-1865.4.15
第16代アメリカ合衆国大統領(在任期間1861.3.4~1865.4.15)
(聖金曜日4.14に撃たれ、翌日土曜日に死去した。)



自叙伝、書簡、演説等、24の文書。一つひとつについての解説付き。年表もあり。高木八尺(たかぎ・やさか)が選択したものをまず斎藤光が訳し、両者がこれを研究訂正したとのこと(「あとがき」、p.190)。元は、おそらく『リンコーン演説選』(英米名著叢書)、新月社、1948年で、これを改訂・増補した。


「この偉大な人物と思想、また民主主義の神髄は、本書に収められた演説、教書、書簡で余すところなく示されている。」(カバー(ジャケット)の言葉))


「本書に網羅されていると思われるリンカーンのもっとも典型的な言明や書き物などが、恐らくはリンカーンその人とその思想を知るもっともよい資料として役立つと思われる。」(高木八尺による「序」、p.5-6)


リンカーン(1) [読書メモ]

エイブラハム・リンカーン 自由という遺産米国大使館レファレンス資料室編、『エイブラハム・リンカーン 自由という遺産』、米国大使館レファレンス資料室、2009年、64頁。26.6×20.3cm。


Abraham Lincoln, 1809.2.12-1865.4.15
第16代アメリカ合衆国大統領(1861.3.4~1865.4.15)
(聖金曜日4.14に撃たれ、翌日土曜日に死去した。)



リンカーンについて書かれた本は1万4000冊以上にのぼる。(p.2,7)


リンカーン人気

 リンカーン直筆の文書は、現在数万ドルで売られている。1930年代、有名な詐欺師ジョセフ・コージーがリンカーンの手紙を偽造したが、そのような偽物でも2500ドルの値段が付く可能性がある。
 これについて、あるコレクターが言った。「ただし、それが本当にコージーが偽造したものかどうか鑑定が必要だよ。偽物が多く出回っているからね。」
(p.11あたり)。


いくつかの名言

「わたしは国民を固く信じている。国民は真実を伝えていれば、いかなる国家的危機にも対応してくれると当てにしてよい。重要なことは、国民に真相を伝えることだ。」(p.7)

「敵を滅ぼす最善の方法は、敵を友人にすることだ。」(p.61)

「人間から自発性と独立性を奪ってしまっては、人格と勇気を育てることはできない。」(p.61)



巻末で紹介されているWebサイト

■ Government

Abraham Lincoln Bicentennial Commission(本に掲載のURLは消滅)



■ Academic and Private




University of Virginiaの中のMiller Centerの中のAmerican President: Abraham Lincoln (1809–1865)(組織とURLが変更されている)

Northern Illinois Universityの中のAbraham Lincoln Historical Digitization Project(名称が少し変更されている)

Presidential Papers of Abraham Lincolnはリンク切れ。一番近いのはPapers of Abraham Lincoln


R.ニーバーについて [読書メモ]

ラインホールド・ニーバーについてのあれこれ抜き書きや、私なりの言い換え。

ここで参考にした本たち主に、ホーダーン(布施濤雄訳)、『現代キリスト教神学入門』、日本基督教団出版局、1969年。の第7章「アメリカ新正統主義――ラインホルド・ニーバー」から。

■ ニーバーの父
 ニーバーの父は、毎朝の家庭礼拝で、旧約聖書をヘブル語で、新約聖書をギリシア語で読んだ。
(『現代キリスト教思想叢書8』(白水社、1974年)の大木英夫による「解説」、p.493)

■ ネオ・オーソドクシー
 伝統的に楽観主義的な自由主義神学(リベラリズム)の支配的なアメリカにあって、人間の罪(原罪)を重視する人間観に立って歴史の中の「悪」の問題を鋭く説くニーバーの立場はネオ・オーソドクシーとよばれ、また、彼の思想は、保守的なキリスト教信者からは、ラディカルすぎると危険視さえもされていた。
(武田清子訳『光の子と闇の子』(聖学院大学出版会、1994年)の訳者による「あとがき」、p.204-205。)

■ 「神話」について
 人と神、有限と無限との関係は、理性とか論理でもって言いあらわすことはできない。神はこの世を超越しているゆえに、どのように表現してもそれは適切ではない。しかし、かといって神は単にこの世を超越しているのではなく、この世に内在し、この世において活動しておられる。それで、神学は神について何かを語ることができるし、適切ではないとしてもこの世の論理でもってある程度は神を語ることができる。
 そのようにして神を語る場合、この世における思考形式に従って語るしかない。「神話」はそのための表現形式である。
(ホーダーン、p.219-220)

 神話は常に「真剣に、しかし文字通りにではなく」理解されなければならない。
(A.リチャードソン、J.ボーデン編『キリスト教神学事典』(教文館、2005年)の「神話」の項、p.363)

■ 人間社会の悲劇性
 ニーバーがデトロイトで牧師をしていたとき、日曜学校のクラスで「山上の教え」の話しをしていた。「他の頬をも向けよ」と話したとき、一人の少年が語り出した。彼は新聞売りをしていて、母や他の年行かぬ弟妹を養っていた。毎朝、誰が一番売れ行きの良い街角に立つかで大戦争をしていた。もし、他の頬を向けて、他の売り子に自分の受け持ちを渡してしまったら、家族を養うための収入が減ってしまうではないか。ニーバーはこの問いに対する答えを見出すことができなかった。

 社会問題は、あれかこれかという単純な形では解決されない。二つの悪の中からより小さな悪を選び取ってゆくほかない。
 道徳を絶対視して文字通りそれに従ってゆこうとする人、自分は正しいのだという立場をとることができる人は、社会的悪に対して、何ら力ある解決をしていない。

 与えられた状況の中で最善を尽くしていく中に、まったく悲劇的ではあるけれど、我々の生き方があるのではなかろうか。
(ホーダーン、p.231-232)

■ 民主主義
 民主主義は、人間は本来理性的でありしかも正しいがゆえに自らを治めることができるという立場に立っている。これはとんでもない考え方である。我々が民主主義を必要とするのは、実は、人間が罪人であるからにほかならない。民主主義は、人は正しくありえず、他人に対しても力をほしいままにしがちであり、それを阻止するために必要なのである。
(ホーダーン、p.234)

■ 「不可能の可能性」impossible possibility
 イエスは完全な倫理を教えられた(例えば、マタイ5:48)。それだからこそ、わたしたちにとっては実行不可能なもので、この世にあっては誰もそれを実行することはできない。

 理想的な社会を実現することは不可能である。自由主義が、人は本質として善であると確信に基づいて、社会の欠陥は制度を変えたり教育によって取り除くことができるのだと考えていることは、大きな誤りである。社会の不完全さのゆえに罪が生じるのではなく、罪こそ社会の不完全さの原因であり、しかも、搾取する者が消え去ったとしても、第二の搾取者が必ず現れるのである。

 しかし、イエスが教えられた倫理は、見当違いの倫理でもない。キリスト者は、歴史を越えたところにある希望を見つめる。もちろん、歴史を否定するのではなく、この歴史は完成される。人間には完成に近づけることはできないが、神が完成される。人類の歴史は、歴史の彼方における究極的な完成に向けて、悪に対する神の勝利を記録していく。

 したがって、キリスト者は、この地上に神の国が実現されるとか、完全に理想的な社会秩序が打ち立てられるということを期待していない。にもかかわらず、キリスト者は決して絶望しない。それと同時に、なし得ることはどんな小さなことでも、究極的なこの歴史の完成に重要な意味を持っていることを知っているので、キリスト者はできる範囲で行動に移せるのである。

 楽観主義でも悲観主義でもなく、その両者の間をぬって行くところにこそ福音の道がある。
(ホーダーン、pp.234-238あたり)

■ 社会との関わり方の異なるいくつかの務め
a)この世との妥協を否み、絶対的な規準によって生きて行く完全主義者。彼らもこの悪しき社会に依存してしか生活できないが、にもかかわらず、他のキリスト者に対して悪と妥協してしまっていることを認識させる役割を持っている。悔い改めを促すのが彼らの務めである。

b)キリストの求めた完全な要求を社会に対して語って行く預言者。彼らは、社会がどうしてもなさなければならない妥協に対しても、それを糾弾する。人々の罪を糾弾する彼ら自身も、その人たちと同じ罪人であるのだが、ぬぐい去ることのできない罪を焼き付けられていることに目を覚まさせることが彼らの務めである。

c)妥協を余儀なくさせられている大多数のキリスト者。彼らとて妥協は好まないが、しかし、もし妥協せずにより小さな悪のために働かないならば、より大きな悪が勝利を治めてしまう。それで、たえず神の赦しを求めつつ、複雑な状況の中でなし得る最善を実際に行ってゆく。それゆえ、妥協というのも単なる妥協ではなく、悲しみと悔い改めの心をもって、やむを得ず妥協するのである。
(ホーダーン、pp.239-241あたり)


奥田知志『助けてと言おう』その2 [読書メモ]

「助けて」と言おう.jpg奥田知志、『「助けて」と言おう』(TOMOセレクト 3.11後を生きる)、日本基督教団出版局、2012、78頁、840円。

日本基督教団西東京教区の全体研修会での講演「「助けて」と言おう――ホームレス支援から見た無縁日本」と「出会いが創る、心の絆」の二本。

以下、気になる言葉について、そのままの抜き書きだったり、わたしなりの言い換えだったり。

その1の続き。

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「助けて」を取り戻す
 「自己責任論」の社会は、「助けて」という一言をわたしたちから奪った。自立した人とは自己責任を取ることができ、人に助けを求めないと思い込んでしまっている。また、言いそうな人の前では、なるべく道の向こう側を通り過ぎてきた。しかし、「助けて」と言える関係を取り戻さなければならない。(p.37~41あたり)

信仰は、イエス・キリストに救いを求めることである。神に向かって「助けて」ということは信仰告白である。その時、神は働いてくださる。「助けて」と言った時が助かった日である。神の力は弱さの中に働く。(p.38、40~41、48あたり)


「助けて」と言える牧師
 牧師というのは、人を援助するのは得意な人が多いが、そんな人に限って、助けてとはなかなか言えない。人の話は二時間でも聞くが、自分のことは二分も話さない。「傾聴の技術を持っている」とか「配慮が行き届いている」とは、おおむね他者を愛する技術に関することである。しかし、愛することは得意でも、愛されることが苦手である。人から愛してもらうという学びを一切ないまま牧師になることは大変危険なことだ。(p.42~43あたり)


クリスチャンこそ示せる絆
 自己責任論社会、非常に薄っぺらな絆ということが言われている社会の中で、クリスチャンこそ示せる絆がある。それは、傷を含んだ絆だ。その打たれし傷によりて我らは癒されるという希望の十字架を今こそ示し続けなければならない。(p.55)


罪人の業
 どんな良い活動でも所詮は罪人の業である。単純に困っている人を助けるということでは済まない。その罪を引き受ける覚悟をしなければならない。(p.75~78あたり)


支援とは、罪人同士の支えあい
 子育てでは、親が子どもを育てている面とともに、子どもによって親が育てられる面もある。そのように、支援する側もその活動を通して自分のアイデンティティが与えられている。(p.72~73あたり)

 支える側と支えられる側が固定化されていく時に、人間は元気がなくなる。本来、絆とは相互性があるものであって、おたがいさまというのが絆だ。(p.17、62あたりにも)

 一方、私たちは、赦された罪人である。つまり、ホームレス支援は、赦しを必要としている罪人同士の支えあいに過ぎない。強い人が弱い人を助けているのではない。彼らもわたしも共に赦されて生きているという現実に気がついてこそ、関係を築くことができる。(p.72~73あたり)


奥田知志『助けてと言おう』その1 [読書メモ]

「助けて」と言おう.jpg奥田知志、『「助けて」と言おう』(TOMOセレクト 3.11後を生きる)、日本基督教団出版局、2012、78頁、840円。

日本基督教団西東京教区の全体研修会での講演「「助けて」と言おう――ホームレス支援から見た無縁日本」と「出会いが創る、心の絆」の二本。

以下、気になる言葉について、そのままの抜き書きだったり、わたしなりの言い換えだったり。

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「震災のような極限状況への対応は、その日が来てからでは遅い・・・。日常において「試みに遭わせず」という呻きに傾聴し、その祈りを共にしていた教会や活動団体は、その日当然のように動き出した。」(p.8)


つまずきから始まる
わたしたちはいつしか勝手な期待を持って神という像を自らの想像の延長線上に描き、描いた神を見いだせなくなったその日、「神に裏切られた」「神は隠れた」と言った。

 しかし、こんなはずではないというつまずきから、キリスト教信仰は始まったのではなかったか。イエスが十字架にかけられたとき、皆、こんなはずではないと思って逃げてしまった。つまずいて泣きながら立ち去ったそのペトロが、キリスト教信仰の礎となっていった。

 だから今、わたしたちは、きちんとつまずかなければならない。きちんと傷つかなければならない。「こんなはずではない」という現実の中で聖書を読まなければならない。躓いたから、本当の希望が始まる。(p.12~13あたり)


「絆」には「傷」が含まれる
 出会いというものは、こちらの想定通りにはいかない。出会ったがゆえにリスクも背負う。自分の安心安全だけでなく、相手の安心安全を確保するためにあなたは何かを失わなければならない。人と出会うとき、そういう危険を覚悟しなければならない。それが出会うということだ。その覚悟なしで出会うというのは、少々都合が良すぎる。人と人と出会いには、出会った責任が必ず発生する。出会いの責任は相互的だ。

 絆という言葉には、「きず」(傷)が含まれている。傷つくことを回避して絆を結ぶことはできない。(p.21、26、28~29あたり)
 イエス・キリストは、わたしたちと絆を結ぶために、十字架において傷を引き受けられたその打たれた傷によってわたしたちは癒された。(p.48~49あたり)


「自己責任論」は社会を崩壊させる
人は一人では生きていけない。「私事」(わたくしごと)に関わってくれる赤の他人を必要としている。私事に関わってくれる他人の存在、それを仕組みとしたものが社会だ。社会というものは、わたしが生きていくうえで、わたしのために動いてくれる他人がいることによって成り立っている。

 これに対し、自己責任論は、困窮状態に陥った原因も、そこから脱するのも、本人の責任ですよと考える。これでは社会が崩壊する。そして、「自己責任論」こそ、自分が傷つかないための最大の武器だ。(p.29~30、32~33あたり)

 十字架に架かったイエスを祭司長や律法学者たちは嘲弄した。「他人を救ったが、自分自身を救うことができない」と。他人のために傷つくのはアホやと笑うのが、自己責任論だ。この世界は、二千年前から自己責任論社会だった。(p.49~50あたり)


自己責任を取れる社会を
 自己責任自体は大事である。「あなたの人生じゃないですか。あなたが選ぶしかないんですよ。そして、選んだあとはあなた自身が責任を持ってくださいね」。ただ、住所のない人がハローワークに行っても職を探すことはできない。今の日本の社会では、住居や住民票が社会システムの基盤となっている。その基盤がないと、社会への入り口そのものがなくなってしまう。

 その時に、社会、行政も含めた周りの人が、住むところ、着るものを提供し、お風呂に入ってひげも剃ってくださいと支援の手を差し伸べる。そのような環境が整ってはじめて、自己責任を問える状態となる。これでハローワークに行かないんだったら、それはあなたの責任ですよと。

 自己責任を追及している社会が、自己責任を取れなくしてしまっている。自己責任を取れる社会を作らなければならない。(p.35~36、63あたり)


 その2に続く。


『わたしの伝道』 [読書メモ]

『わたしの伝道』日本基督教団伝道委員会(A5版)伊藤瑞男、東岡山治、西原明、石井錦一、『わたしの伝道』、日本基督教団伝道委員会(発売:日本基督教団出版局)、2010、110頁、1050円。

日本基督教団伝道委員会主催の連続伝道講演会の記録。

  伊藤瑞男 「どのような教会をつくるのか」
  東岡山治 「「天のお父様、あなたの出番です」」
  西原 明 「遣わされた地を神のまなざしで」
  石井錦一 「信徒によって育てられた」
の4講演。

このうち、西原明は1929.3.12-2009.4.18。石井錦一は1931.2.25-2016.7.4。


気になる言葉のメモ(そのままの引用だったり、わたしなりの言い換えだったり)。


求道者との対話の挑戦
 教会がある程度大きくなると、牧師一人で牧会的配慮を行き届かせることは難しい。当然、教会全体でなすべきだが、求道者に対しては、牧師がその第一の責務を負うことは普通であろう。
 その際、その求道者がなぜ礼拝に来ているのか、礼拝出席を続けてきてどのように変化しているかを知るために、対話が必要である。
 しかし、それは一種の挑戦になる。受洗しないと礼拝に来てはいけないのかと思われ、来なくなった例を何度も経験した。伝道の基本の一つは、挑戦を含めた自由な対話ができるよう努めることである。
 教会学校とその親に対しても、信仰告白や受洗へと導く挑戦が大切である。
(伊藤瑞男、p.19、22あたり)


裾野つくり
 現住陪餐会員の周りに未陪餐会員がおり、不在会員がおり、別帳会員がいる。教会員の家族もいる。教会という山は、裾野を大きくしないと、高い山にならない。教会学校も裾野つくりの大きな業である。
(伊藤瑞男、p.22あたり)


教会暦
 聖書日課は教会暦に沿って作られている。聖書日課に従った説教がなされ続けるうちに、自然に、教会の暦、信仰の暦が生活の中で身についていく。このことは、目的をもってそうしたわけではなく、やってみてた結果気がついたことである。
 日本人の信徒は、牧師が思うよりももっと平気で初詣に行ったりしている。教会の暦によって聖書の信仰に基づく生活へと導くことが大切だ。
(西原明、p.79あたり)


決まった席に座る「奉仕」
 「わたしには何も奉仕ができません」と言う人がいる。わたしは、「それだったら、教会の礼拝で座る席を決めなさい」と言うようにしている。決めた席に必ず座るためには、礼拝開始の十五分前、二十分前に来なくてはならない。「その場所に座るために、必ず礼拝前に来て、十分、二十分の間じっと座って確保しなさい。そうしたら、『あの人は、きょうはちゃんと来ている』とわかる。それも奉仕だから。」
 あるいは、もしわたしが行かなかったら、教会のあの席が空席になるという責任。そのような奉仕ならできるだろう。
(石井錦一、p.106あたり)


最前列に座る恵み
 ある役員は、いつも礼拝堂の一番後ろにいて、きょうは誰が来ている、もうそろそろあの人が来るのではないか、と案じていた。ところが、そんなことをしていたら礼拝の間気が散って、説教を聞くのも疎かになってしまう。
 そこで彼はあるとき決心した。一番前の席に座ることにした。そして絶対後ろを見ないで礼拝した。礼拝が終わってからはじめて後ろを見て、「ああ、あの人が来てくれた。この人も来てくれた」と感謝に溢れるようになった。
(石井錦一、p.106-107あたり)


リュティ『あなたの日曜日』 [読書メモ]

リュティ『あなたの日曜日』新教出版社(157×207mmほぼA5サイズ)ヴァルター・リュティ(宍戸達訳)、『あなたの日曜日』、新教出版社、2002、123頁、1995円。

原著は"Dein Sonntag"で、発行年が記されていないが、「訳者あとがき」によると、調査の結果1949年と判明したとのこと。

 現代においてなお日曜日を礼拝の日とすることに関する19の短編集。

気になる言葉のメモ(そのままの引用だったり、わたしなりの言い換えだったり)。



 ノコギリは、使った後にはゆるめておく。ヴァイオリンもケースに納める前に。ゆるめておく。機械を動かしていたベルトは、土曜日の午後、歯車からていねいに取りはずして休ませる。人間だけが休息をなくしている。休息は、ぜいたくではなくて、労働と結び付いた必要な事柄だ。
 ところが、現代人は、日曜日になっても週日の労働感覚に突っつかれて、歩いたり、乗ったり、泳いだり、飛んだり、転がったり、滑ったり、その他、このようなことしかできなくなっている憐れな人間になっている(チャップリンが「モダン・タイムス」で描いたように)。
(pp.10-11、30あたり)


 神の休息は、造られたものが極めて良かったために、造り主として喜びをもってそれを顧みられることである。同時に、神の休息は、この造られたものが完成すること、すなわち、自由と喜びをもって顧みられて完成に至ることである。
 しかし、それでも十分に言い尽くせていない。結局わたしたちは、「神の休息とは、まさに神の休息なのだ」としか言いようがない。
 そして、神は、御自身のこの休息の中に、わたしたちをも参加させようとなさっている。神は、その休息をわたしたちと共に過ごそうとなさる。わたしたちは、神と共に過ごすことを許されている。
 日曜日は、単なる休息の日ではなくて、神を礼拝する日であり、交わりの日である。
(p.24あたりとpp.98-99あたり)


 「祝福」を意味する聖書の言葉「ユーロギア」は「好ましい知らせ」、「好ましい言葉」という意味を持ち、神は日曜日を特別に祝福された。しかし、「好ましい知らせ」は、日曜日だけでなく、どの日にも注がれている。
 日ごとに御言葉の祝福に出会うには、朝のわずか15分でよい。日ごとにわたしたちが神に立ち戻ることこそが大事であって、人間は神に立ち戻って初めて、隣人に対しても立ち戻れるようになる。
(p.43とp.71あたり)


 わたしたちの礼拝は、ひどくみすぼらしいと思わずにはいられない。日曜日ごとに行われていることがいかに首をかしげざるを得ないものかと思うと、とても不安で落ち着いていられない。
 しかし、地上で礼拝するわたしたちがどんなに首をかしげざるを得ないものであるとしても、日曜日は地上で始められて天上に至るのではなく、逆に、天上でまず起こり、ここ地上のわたしたち人間のもとに降ろされてくるのだ。
 天使や聖徒たちが神の御前で献げる礼拝こそが本来の礼拝である。地上での礼拝は、うまくいってしるしのようなものか、神の永遠の安息日がちょっぴり顔をのぞかせたようなものである。
(pp.103-104あたり)
(ということは、礼拝を執り行い、整え続けることはわたしたちに与えられた重要な務めではあるが、しかし、地上での礼拝はそのようなものであるゆえ、礼拝のことで不要に神経をすり減らす必要はなく、また、あるべき論を振りかざすべきでもない。うまくいかなくても失望したり落胆しなくてよい。)


 日曜日が神の日曜日であることは、週日にも及んでいる。恵みによってのみ生きる人、そういう人に日曜日があり、そういう人にだけ、もはや、日曜日を特別に区別しなければならないような「仕事日」などはない。
(pp.117-118あたり)

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