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十字架刑 [信仰]


主イエスの十字架刑について

1.残酷な十字架刑

ローマ帝国の処刑方法

犯罪人を十字架にはりつけにする処刑方法は古代の諸民族に多く見られるようですが、ローマ帝国は、奴隷などが大きな罪を犯した際に十字架刑を行いました。ローマの市民権を持つ者には十字架刑は用いられなかったほど、厳しい刑罰でした。

はりつけの木の形

はりつけにする木の形にはX型、T型などがありましたが、主イエスが掛けられたのは十字型のものでした。それは、罪状書きが上に掲げられた(マタイ27・37、ルカ23・38、ヨハネ19・19)ことからも分かります。

横木は背負わされて

十字架刑は、犯罪人を付けてから地上に立てる場合と、十字架を立ててからそこに犯罪人を付ける場合とがありました。主イエスの場合は、十字架の横木を背負わされて町の外の刑場まで歩かされ、そこにはすでに十字架の縦木が立てられていました。

釘は掌か手首か

十字架への付け方は、犯罪人の手首に釘を打ち込むか、縄で縛るのが通常だったようです。主イエスの場合はヨハネ20・24~29から、手のひらに釘を打たれたと見なされています。

すぐに絶命したのか

十字架刑に掛けられると、通常1~2日かけて死に至りました。しかし主イエスの場合は、わずか6時間ほどでした(マルコ15・25、34~。44節も参照)。

そのまま晒された死体

十字架刑は、人前で見せしめに行われ、また、すぐに絶命するのではなく時間をかけて死に至らされ、さらに、死後もそのままに晒されて猛禽の餌食とされました(主イエスの場合はアリマタヤのヨセフがその日のうちに遺体を引き取った。マルコ15・42~45ほか)。それゆえ、十字架刑はきわめて屈辱的で残酷な刑罰でした。

2.ローマ帝国による刑罰

ポンテオ・ピラトの判決

主イエスはローマ帝国の裁判によって十字架刑の判決を受けました(ヨハネ19・10)。その判決を下したのが、ローマ帝国から任命されてローマの属州ユダヤの総督になっていたポンテオ・ピラトでした。

世俗の裁判の意味

ユダヤ教の宗教裁判ではなく、世俗の裁判で死刑判決を受けたことが重要です。それは、主イエスの十字架刑による刑死が、世俗の全領域に及ぶことを意味しています。わたしたちの日常生活のすべてのみならず、国家や政治にも、主イエスの十字架の死の支配が及んでいます。

3.神の呪い

「木にかけられ者」の意味

旧約には十字架刑は出て来ませんが、申命記で、木に掛けられた者は神に呪われたものとされています(申命記21・22~23)(なお、この箇所の新共同訳の「木にかけられた死体」という訳は「木にかけられた者」に訂正されています)。おそらく、死体が晒されて猛禽の餌食となったむごたらしさが、神の呪いを受けたと理解されたのでしょう。

この言葉はガラテヤ3・13で、主イエスがわたしたちのために呪いとなってくださって、律法の実行によって義とされようとする呪いから信仰による義へとわたしたちを贖い出してくださったのだと受け止められています。

神への全き従順

主イエスの十字架刑は、「自らその身にわたしたちの罪を担ってくださった」ものであり(一ペトロ2・24)、主イエスがこのような十字架につけられたことは、神への全き従順によるものでした(フィリピ2・8、ヘブライ12・2)。

4.十字架の愚かさと伝道

十字架のつまずき

主イエスが残酷な十字架刑に処せられたことは、一般の人からすればまことに目を覆いたくなる忌まわしいものでしたが、しかしそれがわたしたちのためであったと受け止める者にとっては救いの出来事です。

現代においても、十字架は人々にとってつまずきとなるものですが、信仰者へと召された者にとっては神の力がそこに現されているものです。十字架のキリストは、「召された者には、神の力、神の知恵」(一コリント1・24)です。

十字架を誇りとする

それゆえ、世の人々にとってはまったくつまらぬものに見える十字架を、しかしわたしたちは誇りとします(ガラテヤ6・14)。それは、十字架につけられたキリスト以外は何も知るまいと心に決めるほどです(一コリント2・2)。

神の救いの力

わたしたちは、このようなキリストの十字架を宣べ伝えます。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、私たち救われる者には神の力」(一コリント1・18)なのです。

(初出:『柏教会月報』、第405号、2017年3月号、p.1。)


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