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鈴木崇巨『礼拝の祈り 手引きと例文』 [読書メモ]


鈴木崇巨『礼拝の祈り』.JPG鈴木崇巨(すずき・たかひろ)、『礼拝の祈り 手引きと例文』、教文館、2014年、164頁、1400円+税。

特 徴

  • 祈祷や祝祷の「祷」の字はすべて、異体字であるunicode:U+79B1(示偏に壽)が用いられている。
  • 著者は、礼拝の中で司式者が聖霊の導きのままに即席の祈りをすべきであるという伝統の中で育ってきた。(p.3)
  • しかし、礼拝をより豊かにするために、祈祷文の準備をしておくことも決して悪いことではないと思っている。(p.3)
  • 牧会祈祷の例文も招詞の聖句箇所も、教会暦にしたがって掲載されているが、この本での教会暦は、
    • 待降節
    • 降誕節
    • 顕現節
    • 受難節
    • 復活節
    • 聖霊降臨節
    • 王国節(8月最終主日から待降節前)
    という区分である。(p.24)
  • 「日本的な祈りからの決別」を訴えている。(p.10,13-14など)
  • イエス、キリスト、聖霊に「さま」を付ける場合と付けない場合とがある。慣れ親しんでいない表現には違和感を覚えるかもしれないが、「日本の教会の現状を考慮して、両方の表現を採用しました」とのこと(p.23)。

内 容

1.「礼拝の祈りについて」

礼拝での祈りについて、8~24ページで解説。

  • 「聖霊に向かって祈ることはあり得ますが、聖霊は祈りの対象というよりも、むしろ私たちが受けて満たされるべきお方、また私たちを祈らしめる神の力ととらえるべきだ」。(p.9)
  • 「日本語の特性から言って、「神がたたえられよ」というような表現はまれですから、日本人クリスチャンの祈りは賛美が少なくなり、感謝が多くなります」。(p.13)
  • 願いが祈りの中心になっていることについて、「日本人特有の神社的な「祈願」」が祈りになっているからだ。「キリスト教の祈りは、神中心の信仰ですから、「賛美」が中心を占めるべきです。」(p.13)
  • 近年は、讃美歌(当然祈りの一種)の終わりに「アーメン」をつけていない歌があったり・・・しています。これは現代の「不確かな時代」「世俗化の時代」の反映ではないかと思われます」。(p.16)

2.「牧会祈祷の例文」

  • 教会暦にしたがった53例
  • ひとつひとつが1見開きに収めてられている。
  • ここでの牧会祈祷とは、「プロテスタント教会の礼拝の中で牧師や長老、執事、役員、信徒などが、会衆を代表して祈る祈祷」のこと。
  • おおむね、賛美(感謝)、懺悔、信仰の表明、祈願の順に構成されている。(p.13)

3.「献金祈祷の例文」

  • 15例
  • 「献金祈祷は、その目的である献身の表明の祈りに絞った方が礼拝そのものを引き締まったものにしてくれる」。(p.134)

4.「招詞の聖句」

  • 教会暦の区分ごとに掲載。それぞれで聖書の順になっている
  • 聖書箇所だけでなくて、聖句の最初の部分とか途中の部分が記されていて、「ああ、この聖句ね」と分かるような配慮がなされている。

招詞と祝祷の理解について

  • ※祝祷を「祈りではない」という理解(p.16~19)はわたしと同じだが、では何であるかというと、「牧師から会衆に発せられる挨拶の言葉」とする点は、わたしと礼拝観を異にする。わたしは、会衆への神の祝福を牧師が取り次いで、会衆を世に送り出すのが祝祷だと理解している。
  • ※招詞についても同様で、著者は「司式者からの挨拶」と記し(p.19)、神が招いているのではなく、司式者が招いているとするが、これはわたしの理解と異なる。わたしは、神が礼拝に招いている言葉が招詞だと考えている。
  • 招詞は聖書朗読ではないので短い聖句がよいという指摘(p.20)は、同感である。なお、著者は触れていないが、説教と関連させて招詞の聖句が選択されることがよくあり、そのような方法は、その日の御言葉への招きのつもりだろうが、礼拝への招きにはなっていない。

関連のわたしのブログ記事

わたしが招詞のリストを洗い出したブログ記事「招詞のリスト4(総集編)」

そのうち、「神が、わたしたちを、礼拝に、呼び集め招く」意味合いがよりはっきりしていると感じられる30箇所ピックアップしたブログ記事「11の使える招詞」


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