SSブログ

エウセビオス『教会史』2 [読書メモ]

エウセビオス(秦剛平訳)、『エウセビオス「教会史」』(上、下)、講談社学術文庫、2010年。

前回のブログ「エウセビオス『教会史』1」で書誌的な面から紹介した。今回はわたしにとって関心のある箇所のメモ。

主な箇所
(特に、正典成立史への関心から)

● Ⅰ,3,8(p.43)
(キリストの三職)
「預言者たちの中にも聖油を受けて型においてキリストになった者がいる(列王紀上19:16参照)。この者たちはみな、全〔世界〕の唯一の大祭司、全被造物の唯一の王、父の預言者たちの中の唯一の主預言者である神的にして天のロゴス、真のキリストを予示するものにすぎない。」

「キリストの三職は、エウセビオス「教会史」第1巻第3章9節で言及されて以来、多くの人が論じて来た。」
(カルヴァン(渡辺信夫訳)、『キリスト教綱要 改訳版 第1篇・第2篇』、新教出版社、2007年、p.538。)


● Ⅱ,15,1~2(p.113-114)
(マルコ福音書の成立)
「神への敬虔の光は、ペテロの〔言葉〕を聞く者の精神〔の内奥〕をかくも〔深く〕照らした。そこで彼らは、神からの教えを一度聞くだけでは、あるいは書かれていないその教えだけでは満足せず、ペテロの同伴者だったマルコに――その福音書は現在残されている――、言葉を介して自分たちに伝えられたその教えの要約を文書にして残してくれるようあらゆる手だてを尽くして頼み、その嘆願をマルコが承知するまでやめなかった。・・・使徒〔ペテロ〕は、霊の啓示を受けて〔マルコの〕業を知るや、・・・その文書が教会で朗読されるのを承認したと言われる。クレメンスは『ヒュポテュポセイス』の第6巻でこの話を引き、そしてヒエラポリスびとの監督でパピアスという者も同じくそのことを証ししている。」

● Ⅱ,25,5~8(p.138-139)
(パウロとペトロの殉教)
「彼〔ネロ〕の時代にローマでパウロが斬首され、ペトロも同様に串刺しの刑にされたと言われる。・・・二人が同じときに殉教したことは、コリントびとの監督のディオニュシウスがローマ人に〔送った〕説教文書の次の一節によって知ることができる。・・・この二人は、・・・イタリアでも同じ所で一緒に教え、同じときに殉教した。」

● Ⅲ,2(p.143)
(第二代教皇リヌス)
「パウロとペテロの殉教の後、リヌスがローマ人の教会の監督職に任命された最初の者になった。」

「誰がペトロの後継者であるかについて、・・・或る者はリヌスだと言い、或る者はクレメンスだとする。」
(カルヴァン(渡辺信夫訳)、『キリスト教綱要 改訳版 第4篇』、新教出版社、2009年、p.120。)


● Ⅲ,3,1~2(p.143)
(ペテロの第二の書簡)
「わたしたちは、第二の書簡と呼ばれるものが正典には含まれないと教えられてきた。だが、それは多くの人びとに有益であると思われたし、〔事実、〕他の文書とともに熱心に読まれてきた。」

(ペテロの他の文書)
「しかし、わたしたちは、彼の名を冠した『事蹟』や、ペテロによる福音書とされるもの、彼の作とされる『教え』、『黙示録』と呼ばれるものなどが公認された〔文書の〕中で伝えられてきたことを全く知らない。なぜならば、初代の教会著作家や現在の教会作家の中には、それらの証言を使用した者が一人もいないからである。」

● Ⅲ,23,1~2(p.176)
(使徒ヨハネ)
「この頃、イエスの愛した使徒であり福音伝道者だったヨハネは、アジアでまだ生きており、そこの教会を監督していた。・・・ヨハネがその頃まで生きていたことは、二人の証人の言葉によって十分に証明されるだろう。その二人とは他ならぬイレナイウスとアレクサンドリアびとのクレメンスである。」

● Ⅲ,24,2(p.181)
(ヨハネ福音書)
「『ヨハネによる福音書』を認められたものとしよう。なぜならば、それが天が下のすべての教会で読まれているからである。初代〔教会〕の人びとがそれを他の二つの〔福音書の〕後の四番目においたのは、それなりの理由があり、・・・。」

● Ⅲ,24,17(p.184)
(ヨハネの書簡)
「第一の書簡が、現在の人びとや初代〔教会〕の人びとによって、議論の余地なく彼の作とされているが、他の二つは否定されている。」

● Ⅲ,25,1~2(p.185)
(新約正典の文書と順序)
「四福音書の聖なる四つ組が最初におかれ、『使徒たちの事蹟』の文書がそれに続く。その後にパウロの書簡がおかれる。さらにその後に、ヨハネの第一〔の書簡〕と呼ばれるものが来るが、わたしたちは〔その次に〕ペテロの書簡を同じように認めねばならない。それらの後に、『ヨハネの黙示録』をおくのが望ましいと思われる・・・。」

● Ⅳ,25
(オリゲネスの旧約、新約正典の目録)
旧約正典目録はⅥ,25,2。新約正典のリストについてはⅥ,25,3~14。
中でも、ヘブライ書についての有名な「一体、この書簡の著者はだれか。真実を知るのは神である。」はⅥ,25,14。

● Ⅳ,26,14(p.272)
(サルディスの司教メリトの旧約正典目録)
エステル記が除外されていることで知られている。

メリトは、「どんな文書が旧約聖書に含まれていたかを知るためパレスチナに旅行し、そこで得た知識をもとにしてエステル記を聖書から除外した。」
(F.V.フィルソン(茂泉昭男訳)『聖書正典の研究――その歴史的・現代的理解』、日本基督教団出版局、1969年、p.7。)


● Ⅵ,14,1~2(p.42)
(クレメンスの正典への言及)
「彼は『ヒュポテュポセイス』の中で、すべての正典文書の内容を簡潔に語り、疑わしい〔文書〕、すなわち、ユダの書簡や他の公同書簡、バルナバ〔の書簡〕、ペテロの作とされる『黙示録』なども素通りしていない。彼は、『ヘブル人への手紙』について次のように言う。すなわち、それはパウロの作であるが、ヘブル人のためにヘブル語で書かれ、ルカが注意深く訳し、ギリシア人のために公刊した。そこで、翻訳の結果、この書簡と『事蹟』(『使徒行伝』)には〔文体上〕同一の色あいが認められる。」

● Ⅵ,25(p.58-64)
オリゲネスの旧約正典目録とヘブル人への書簡などの正典性についての発言。

● Ⅶ,18(p.127)
(長血をわずらった婦人の像)
「わたしたちが聖なる福音書〔の記述〕で知っている、長血をわずらい、わたしたちの救い主によってその苦しみから解き放たれた婦人はこの地の人(カエサリヤ・ピリピ)であったと言われる。そして、彼女の家はこの町にあるとされ、救い主が彼女にされたよき業のすばらしい記念碑がまだ残っている。・・・わたしたちはその市に滞在したときわたしたち自身の目でそれを見ている。」

● Ⅶ,25(p.140-148)
ディオニュシウスがネポスに反対してヨハネ黙示録の執筆者問題について論じた書からの紹介。

黙示録の正典性については、ディオニュシウスは、「わたしは多くの兄弟がこの小冊子を尊重しているので、それを斥けるような大胆なことはしません。ただし、わたしは自分の理解力の乏しさのためにそれに関しての考えを表明するには至らないことを認めます・・・。私は自分の理解できないものを価値のないものとして斥けたりはせず、・・・。」(Ⅶ,25,4-5)(p.140-141)

「わたしはこの二つ(『ヨハネによる福音書』と公同書簡)の性格や、言葉遣い、そしてその小冊子(『黙示録』)の一般的な傾向と呼ばれるものなどから、〔著者が〕同一人物ではない、と判断します。」(Ⅶ,25,8)(p.142)

● Ⅹ,5,2~14(p.289-292)
エウセビオスがラテン語からギリシア語に翻訳した「ミラノ勅令」


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。