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「愛します」と歌うワーシップソング2 [音楽]

Geoff Bullockが"The Power Of Your Love"や"Just Let Me Say"の歌詞を変えたことを紹介した前回のブログの続き。


ワーシップソングは、カリスマ運動の中で発展してきた(もちろん、ワーシップソングに影響を与えているのはそればかりではないが)。

特に、神に愛されていることよりも、神を愛しますと歌うことをやたら好むのは、神との個人的な親密さを強調するカリスマ運動の影響であろう。

たとえば、ミクタム・プレイズ&ワーシップの赤本(M赤)、青本(M青)からざっと拾ってみると:
M赤62「主よあなたを愛します」(リビングプレイズ47)
M赤69「神さま感謝します」(リビングプレイズ78)
M赤178「愛します救い主」
M赤180「愛します」
M青49「あなたの愛は」(小坂忠のとてもきれいな曲。神の愛を歌って「わたしはあなたを愛します」と結ぶ)
M青76「心を尽くし」(小坂忠のポップな曲)
M青91「ラブユーソーマッチ」(Hillsongの曲)
M青116「I Love You, Jesus――ここに愛がある――」(せっかく1ヨハネ4:10を歌っておきながら、「愛してる~」)
M青118「愛します主よ」(「愛します」の連続)
などなど。

神の愛を歌った後に「愛します」と歌っている曲もあるが、どうしても後半を繰り返すので、「愛します」の方が強調されてしまう。


(1)人間の側から神に向かって「愛します」と言うことが聖書的でないわけではない(申命記6:5、詩編116:1、マルコ12:30、1コリント16:22など)。
むしろ、マルコ12:30及びその並行箇所があるように、キリスト教信仰にとってきわめて重要である。


(2)その点で、ワーシップソングは、「主、我を愛す」ばかりでなく、「我、主を愛す」と歌うことにも強く関心を向けさせた。

もちろん、従来の讃美歌にも、『讃美歌』321、354の4節、526(聖歌601)"My Jesus, I love Thee"、第2編163などで、主を愛すと歌われていた。しかし、従来の『讃美歌』などでは、三人称的に「主を」愛すと歌われていたのに対し、ワーシップソングでは、主に対して直接「あなた」と呼び掛けている。

従来の讃美歌では畏れ多くてか、恥ずかしくてか、格式に合わなくてか、歌えなかったことを歌ってしまうのは、歌詞に文学性を全く求めないという特徴にも基づいて、ワーシップソングの一つの重要な貢献である。


(3)しかし、それでも、「わたし」が中心になることを退けて、主なる神を信仰と生活の中心とすることが軽視されてはならない。これは、自己中心よりも神中心だとしてよく語られることである。


(4)カリスマ運動やワーシップソングを好む教会が神中心を軽視するつもりはないだろうけれども、「愛します」を強調し、これを繰り返して高揚感を増していくスタイルは、やはり熱狂主義的であり、神の無条件の愛が損なわれてしまっている感が否めない。 (申命記7:8、1ヨハネ4:10)



結 論
以上のことから考えると、Geoff Bullockが歌詞を変えたのは(Geoff Bullock自身の内面的、信仰的な変化もあるだろうけれども)、「愛します」と歌うことを好む傾向に懸念すべき課題があることを示しており、このことは、カリスマ運動の中で発展してきたワーシップソングの流れのなかで、重要な意義あることである。すでに最初の歌詞で知れ渡っていることもあって、浸透しにくいだろうけれども。




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