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佐古純一郎「愛は応答である」(2) [読書メモ]

佐古純一郎『キリスト教入門』(朝文社、1989年初版、1992年新装版)所収の「愛は応答である」から。

わたしなりの関心からの、わたしの言葉でのまとめ。(その2)


社会の形成
わたしたちは、人と人とが応答的関係によって結びついている「責任社会」(responsible society)を形成する責任を負っている。

情報化社会の中で、伝達された情報に対して主体的にのぞみ、自己に対する問いかけとして聞き、誠実な応答をすべきである。そのようにして、わたしたちは責任社会に対して連帯し参加することができる。

人類の自滅を免れるために
自己中心性を原理とする利益社会は、人々をますます利己的にし、世の中を人と人とが互いにかみ合い食い合う世界にし、自然を破壊している。

もしわたしたちが、自己中心性を絶対化して、すべての存在を自己の欲望の充足の前に手段化し、利用するという生活態度から、根本的に生まれ変わらないなら、人類の文化はおそらく自滅を免れないだろう。

わたしたちが今しなければならないことは、クリスチャンになるということよりも、真実に神の前に立って、わたしがほんとうに「わたし」になり、あなたがほんとうに「あなた」になることである。

教育
人格的な応答としての「愛」が、わたしたち日本人の生活の中に欠けている。

まず自らを、何ものにも代え難い、かけがえのない「わたし」として深く自覚できるような教育が必要である。

そのために、わたしたちはまことの「言」(ことば)を聞かなければならない。根源的な「言」(ことば)に立ち帰らなければならない。

そのような真の「宗教」に根を下ろしている教育を真剣に考えなければならない。



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