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証し、殉教、神学生 [信仰]

神学校日関連で、考えたこと、聞いたことのメモ。


証し

他の人の証しを聞いて、「ずいぶん大変な経験をされたのね。知らなかった」と思って終わりでは意味がない。

他の人の証しは、神の恵みの具体的実例である。そこに人間の思いを越えた神の導きや偉大さを見出すのである。


殉教者

殉教者が命を賭して証しした信仰も、その人の信仰がすばらしかったとか、我々の理想だとかするだけでは意味がない。

殉教者の生き様を知って、それほどまでに信頼すべきキリストの真実に触れたい。そうしてこそ、「キリスト者の血」が「種」となるだろう。

(もっとも、テルトゥリアヌスは違う意味で "semen est sanguis Christianorum"「キリスト者の血は種である」(『護教論』、50:13)と言ったと思うが。)


すべての信仰者

殉教者が出るような時代でなくても、信仰者がここに集められているという事実が、神の選びの恵みの具体的実例である。


神学生

神学生が教会にいる意義は、教会員にとって、主の召しの具体的実例に日々触れることができるということである。

(この趣旨のことをある先輩牧師から伺った。)



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