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新島八重愛唱の「いつくしみふかき」 [音楽]

 「いつくしみふかき」と言えば1954年版讃美歌の312番(讃美歌21では493番)だが、かつては違っていた。

 1954年版讃美歌294番(讃美歌21では461番)「みめぐみゆたけき」は、1931年版讃美歌では274番で、その歌詞の第1節は次の通りである(1903年版讃美歌223番も同じ)。

いつくしみふかき 主の手にひかれて
このよのたびぢを あゆむぞうれしき

(をりかへし)
いつくしみふかき 主のともとなりて
御手にひかれつつ 天(あめ)にのぼりゆかん


 では、1954年版讃美歌の312番「いつくしみふかき」は、かつてはどうだったか。
 1931年版讃美歌では539番で、歌詞は1954年版と同じ「いつくしみ深き 友なるイエスは」である。
 さらに、1903年版讃美歌を見ると、歌詞の五十音索引には「いつくしみふかき」は、現在「みめぐみゆたけき」と歌っている上の223番しかない。
 いったい、このJoseph Scriven作詞、Charles Crozat Converse作曲の"What A Friend"は、1903年版ではどうなっているのか。
 調べてみると、243番であった。その歌詞の第1節は次の通りである。

たふときわが友  エスキリストは
つみとがうれひを とりさりたまふ
こゝろの悲歎(なげき)を つゝまずのべて
などかはおろさぬ おへるおもにを


 というわけで、現在の「いつくしみふかき 友なるイェスは」は、かつては「とうときわが友 エスキリストは」と歌われていたのである。


 新島八重の愛唱讃美歌の一つは、1954年版讃美歌で言うと294番「みめぐみゆたけき」だが、おそらく当時は「いつくしみふかき」と歌われていたであろう。この点は、雜賀信行『牧師夫人 新島八重』(雜賀編集工房、2012年)の155頁からは分からない。山下智子『新島八重ものがたり』(日本基督教団出版局、2012年)の135頁ではちゃんとかつての歌詞で記されているが、もう少し説明がないと校正ミスかと思う人がいるかもしれない。

 そうすると、新島八重の愛唱讃美歌として両著で紹介されているもう一つの方も心配になってくる。もう一つは「うつりゆく世にも」である。調べてみると、1954年版讃美歌139番「うつりゆく世にも」は、1931年版讃美歌128番、1903年版讃美歌81番でも、歌詞の第1節は1954年版と同じであった。

うつりゆく世にも かはらでたてる
主の十字架にこそ われはほこらめ



 新島襄の愛唱讃美歌として雜賀信行『牧師夫人 新島八重』146頁で紹介されている「主のまことは ありその岩」(1954年版讃美歌で85番)はどうだろうか。1931年版讃美歌では78番である。

主の眞理(まこと)は 荒磯(ありそ)のいは
さかまく波にも などかうごかん

(をりかへし)
くすしきかな あまつ御神(みかみ)
あな尊きかな とこしへの主


 ここに見られる「あな」は、1954年版では「げに」になり、讃美歌21では消滅している。メロディはユダヤ教讃美歌とされており、Tune NameはLEONIである。

 さて、この讃美歌は1903年版ではどうなっているかと調べてみると、48番でNearer HomeというTune Nameのメロディで歌われている。これは1954年版讃美歌の483番「主とともならん」の曲である(讃美歌21にはない)。
 歌詞の方は、第1節は1931年版と同じだが、それ以降には若干相違がある。

 というわけで、新島襄は「主のまことは荒磯の岩」を少なくとも現在のLEONIで歌ったとはまず考えられず、Nearer Homeで歌っていた可能性の方が高い。



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