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ペテロは初代法王か?(2) [聖書と釈義]

 使徒ペトロを初代教皇とする根拠として挙げられる聖書箇所はマタイ16:13~20。このうち特に16~19節が重要であるが、ほんとうにペトロが初代教皇なのだろうか。

(続き)

4.伝説はいつから?
 それでは、いつからペトロが初代教皇と言われるようになったのだろうか。ルツのEKKによれば、3世紀の監督ステファヌスやキュプリアヌスに見られるようである(ルツ著、小川陽訳、『EKK新約聖書註解Ⅰ/2 マタイによる福音書(8~17章)』、pp.612~614)。
 つまり、「マタ一六・一八をローマ教皇首位権を指すものと解釈することは、三世紀からの新しい解釈である」(同、p.615、「新しい」に傍点)。

5.誤った解釈か?
 聖書のテキストは自由な潜在的力を持っており、新しい状況において新しい意味が発見される。ルツは、このことを指摘して、なんと、J.ラッツィンガー(小川陽訳での表記はラツィンガー。第265代ローマ教皇ベネディクト16世、在位:2005.4.19 - 2013.2.28)がミュンスター就任講演で語った立場とさほど離れていないと注に記している(p.979)。
 したがって、マタイ16:16~19の「教皇的解釈」も、数ある解釈の一つである。そこには、キリスト教信仰の一部の真理が生きている。とはいえ、「教皇的解釈」はテキストからもっとも遠く離れていると言わざるを得ない。(同、pp.616~621)

6.「岩」は何を指すか
 18節の「岩」とは「教会」の土台となるものであるが、それが何を指すのかを考えてみると、「岩」とは「天の父」から示されてなされた信仰告白である。
 石が岩のかけらというか岩を構成する部分であるように、信仰告白という岩を形成するのが石たる信徒一人ひとりなのである。

7.信仰告白による教会の一致
 ペトロは、すべての弟子たちの典型であり、全教会を代表している。すなわち、ペトロは全教会の一致の「化身」である(p.623)。そして、ペトロにおいて全教会、全信徒が代表されているならば、全教会は、信仰の告白において一つとなる。

 この理解は、宗教改革後のプロテスタント教会の主張するところとなったが、オリゲネスやテルトゥリアヌスにこの理解が見られるように東方教会に源を持つ。(pp.616~617)


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