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『目で見る聖書の時代』と『旧約聖書の世界と時代』 [書籍紹介・リスト]

月本昭男『目で見る聖書の時代』B5版 月本昭男、『目で見る聖書の時代』、日本基督教団出版局、1994、128頁、1680円。

 これまでの聖書考古学の成果の中から、親しみやすい主題36項目を選んで紹介。新約の時代まで含む。索引あり。写真は横山匡。

 単に考古学的な知見を記すのみならず、

「聖書の記述が、豊かな水に潤されるエデンの園(創世記2章10節)に始まり、「命の水」が流れる新しいエルサレムの幻(ヨハネの黙示録22章1節)で終わっているのも、偶然ではありません。」(p.18)とか、「聖書は、しばしば人間をこのような土器にたとえます。土器と同じように地の塵(=粘土)によって造られた人間は、ついには地の塵に帰る存在だ、と言われます。と同時に、わたしたちは土の器のような存在でありながら、その土の器の中に、はかり知れない宝を持っている、とも言うのです。」

などと、信仰的な聖書理解を語るのが特徴的。

 第1章と第2章は遺跡や出土品から、山の上にある町は隠れることができない遺跡丘(テル)の話、古代イスラエルの起源と成立、城壁と城門、飲み水と水道、家屋、墓、土器、パン、オリーブ油とぶどう酒、古代ヘブライ文字、印章、楽器。第3章は『考古学資料と歴史の再発見」として、エリコ攻略の史実性とカナン征服の意味、エルサレム神殿の姿、ソロモンの厩舎・貯蔵庫、王国時代のエルサレムの町、アッシリア彫刻に描かれたイスラエル、ユダ王国の滅亡。第4章は「イエスから初代教会へ」で、ガリラヤ湖の漁師、町や村、新約時代のエルサレム、死海文書、エルサレム教会の成立とその後、シナゴーグ。第5章は周辺民族について、エジプト文明、アラム人とアラム語、フェニキア人、ペリシテ人、モアブ・アンモン・ヨアブ、サマリアとサマリア人。第6章は命の木、ケルビム、洪水物語、バベルの塔、カナンの神々、祭壇。


長谷川修一『旧約聖書の世界と時代』B5版 長谷川修一(月本昭男監修)、『ビジュアルBOOK 旧約聖書の世界と時代』、日本基督教団出版局、2011、96頁、2310円。

  『目で見る聖書の時代』の姉妹版。こちらは旧約に限定し、『目で見る聖書の時代』出版以降の考古学的発掘の成果や研究動向を踏まえているとのこと。こちらもカラー。分量的に、『目で見る聖書の時代』に比べてやや少なめの感じ。

 洪水伝説(ノアの洪水物語とメソポタミアの洪水物語の類似を表にして比較)、バベルの塔とジックラト、父祖たちとラクダ、衣服と装身具、住居(仮庵、天幕など)、周辺民族(ペリシテ、アラム、モアブ・アンモン、エドム、フェニキア)、周辺世界の宗教と偶像(カナンの神々と偶像など)、宗教施設(幕屋、燭台、ソロモンの神殿など)、町(城壁、門など)、埋葬と墓地、碑文、世界帝国アッシリア、交易、食物(パン、骨、ワイン、オリーブなど)、戦いと武器、音楽(竪琴、太鼓、笛、角笛など)の全16項目。

 五つのコラムを途中に挟む。「旧約聖書と碑文」、「イスラエルの地理と気候」、「古代イスラエルの道」、「古代イスラエルの暦」、「聖書の動物――ライオン」。
 碑文については、本文とコラムの両方に記述があって、構成としてはいまいちの感じが残るか。

 旧約聖書を残した信仰者たちは、特定の教義の枠で信仰を語るのではなく、具体的な「人間模様を物語として紡ぐなかで」、「歴史に働く神の意思を見きわめようとした」。「この民には、ピラミッドや壮麗な神殿のような大建造物を残す財力も技術もなく、アッシリアやバビロニアのように周辺諸民族を支配する軍事力ももたなかった。それどころか、メソポタミアとエジプトの狭間にあって、強大国に翻弄され続け、幾度となく民族存亡の危機にさらされた」。弱小の民である「彼らが苦難の歴史のなかで培ったものといえば、目に見えない唯一の神への確かな信仰のほかにはなかった」。(月本昭男による「本書のすすめ」、p.2)

 旧約聖書は、「歴史的事実を客観的に記述することを主たる目的にしていない」。「逆説的に言えば、「歴史」と聖書記述の狭間にこそ、・・・古代イスラエルの民の信仰と思想を読み取ることができる」。(「あとがき」、p.95)


 新しい考古学の成果はこれからも出て来るだろうから、いずれは、両者を統合し、かつ、最新にした「決定版」が出るといいな。

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