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ピラトの裁判 [聖書と釈義]

――特にマルコにおいて(マルコ15:1-15)

1.ピラトの裁判は不当なものであったか?

 どの福音書も、裁判の手続きをきちんと記そうなどとは考えていない。裁判の手続きに焦点が当てられているのではない。それゆえ、この裁判は偽りに満ちていたとか、不正であったとかを一生懸命述べている本もあるが、そのことが重要なのではない。
 裁判の正当性よりも、ユダヤの宗教的指導者たちの訴えに対する、ピラトの人間としてのあるいは権力者としての対応の姿が各福音書に描かれている。

2.なぜ使徒信条はピラトという固有名詞を出しているのか?

 各福音書が描いているピラトの姿には、それぞれ特徴がある。マタイは、ピラトの責任回避を強調する(マタイ27:24)。ルカは群衆の求めになびいてしまう日和見主義的な姿を記す(ルカ23:23-24)。ヨハネは「真理」を解さない様を記す。それぞれの福音書で異なるピラトが描かれている。
 それぞれの福音書で異なる姿が描かれているからこそ、この裁判でどう振る舞ったかというピラトの対応あるいは態度が重要である。それゆえに使徒信条において、わざわざピラトの個人名が挙げられて、教会の信仰内容が言い表されているのである。

3.マルコの描くピラトは?

 では、マルコはどうだろうか。マルコ福音書においてピラトは、ユダヤの宗教指導者たちがイエスを訴える理由は「ねたみ」(マルコ15:10)であると知っていた。マタイにもこの記述はある(マタイ27:18)が、マタイではこのことは、群衆に責任を転嫁することにつながっていく。それに対しマルコでは、群衆はあまり前面には出ず、ピラトから満足させられる役目を担うだけである(マルコ15:15"τω οχλω το ικανον ποιησαι")。
 つまり、マルコの描くピラトは、マタイやルカのように群衆の求めに強く判断が影響される人物ではなく、また、イエスとバラバのどちらを釈放しようと、あるいは、イエスがどうなろうと、どちらでもよいのである。
 マルコ福音書におけるピラトにとっては、そもそもこの裁判はユダヤの指導者たちのねたみによるものであったのだから、本腰を入れて関わるような裁判ではなかった。ユダヤ人の王を僭称したからといって、ローマ帝国に反逆するような重大な罪ではなく(そう説明している本もあるが)、ピラトにとってはちゃんちゃらおかしい、一笑に付すようなことであった。
 もちろん、ローマ帝国の権威によって裁判を行うのならば、正当な理由もないのにイエスを死刑に処することはできず、ユダヤの宗教指導者たちの思惑通りに動くわけにはいかないだろう。ローマから派遣されてきている総督として、ユダヤの宗教指導者たちのつまらぬ訴えなど突っぱねることも簡単だが、わざわざそうしようとも思えないほどのつまらない内容の裁判であり、まともに首を突っ込んでもしかたがない裁判である。彼らの訴えを認めてやっても、ユダヤの王を自称しているらしい一人の不思議な(15:5)男が死ぬだけである。群衆の求めにわざわざ逆らう必要も感じられない。
 そのようなわけで、ただ群衆を満足させるために、ピラトは主イエスを十字架へと引き渡すのである(15:15)。

4.マルコにおける焦点はどこか?

 マルコは、他の福音書のようにイエスとバラバを対比させることには、あまり関心がない。群衆の登場も効果的には描かれてなく、ピラトの無関心な様を引き立てるだけである。ユダヤの宗教指導者たちも相談(あるいは協議)して、自分たちの手で処刑せずに、ピラトに委ねてしまっている。結局、ピラトも、群衆も、ユダヤの宗教指導者たちも、この裁判の判決に主体的に関わろうとしていない。今風の言い方で言えばたいへん「ゆるい」仕方でしか主イエスの十字架刑の決定に荷担していない。
 しかし、十字架への「引き渡し」(15:1,15「パラディドーミ」)とは、まさにこのようなものではないだろうか。誰もが刑の宣告への主体的な関わりを避け(「十字架につけろ」という群衆の声が若干強いが、それも祭司長たちに扇動(11節)されたもの)、それでいて、なんとなく皆の思惑どおりに事が進む。これが人間のなすことである。それが、主イエスを十字架へと「引き渡す」のである。
 そのような引き渡しに、主イエスはもはや何も声を発することなく(15:5)従う。言わば、主イエスは十字架への道を引き受けられる。
 それは、「御心に適うことが行われますように」(14:36)とゲツセマネで祈ったとおり、このような歩みが父なる神の意志であると受け止めていたからである。
 ここに、刑の宣告を引き受け、死に至るまで父なる神に従順に(フィリピ2:8)歩まれる主イエスと、主体的な関わりを引き受けず、自分の思惑のままに歩もうとする人間とが対比させられている。

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