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自然災害の意味(9) [信仰]

後 記

 自然災害についていろいろ記したが、関連する事柄を自分なりに整理してまとめないではいられなかった。その中で記したとおり、まさに、どう主体的に受け止めるかということであろうが、しかし、「わたしたちは、不条理としか思えない事柄に遭遇したとき、そこに理由や意味を見出すと安心する」とも書いたように、このような作業も、事柄を整理することで安心しようとする点で、同じかもしれない。


 十分読み返す暇はなかったけど、参考になると思う文献を二つ。
V.E.フランクル(山田邦男、松田美佳訳)、『それでも人生にイエスと言う』、春秋社、1993年。
 何か客観的な人生の意味を問うても答えはない。そうではなく、意味のある人生をどう送るかが問われている。そのように、自然災害についても意味を問うのではなく、わたしたちの方が問われている。香山リカも新聞で紹介していた(朝日新聞、2011.4.3)。

H.S.クシュナー(斎藤武訳)、『なぜ私だけが苦しむのか――現代のヨブ記』 (同時代ライブラリー 349)、岩波書店、1998年。
 今は、岩波現代文庫で(2008年刊)。地震や事故などに神の意志があるのではない。わたしたちは、この現実の中で生きていくことを学ぶだけである。なぜこんなことが起きたのかという問いを超えて立ち上がり、こうなった今、私はどうすればよいのかという新しい問いに生きることが、わたしたちにできることである。

 執筆中に読んで、考えの参考になったブログ
「大和郷にある教会」という巣鴨聖泉キリスト教会の牧師によるブログの「自然災害と終末論的解釈」という記事。

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