SSブログ

幼子イエスを東方から拝みに来た者たちは何者か(2) [聖書と釈義]

1.しかし、重要なことは、占星術師か占星術家か占星術者かということよりも、神が異邦人の、しかも神との関係に反する(王下23:5、イザヤ47:13-14、アモス5:26、ゼファニヤ1:5)星占いや星辰礼拝に通じるmagoiを用いて幼子を礼拝させた(マタイ2:11)ことである。

2.異邦人である彼らが幼子イエスを礼拝したことは、イエス・キリストが異邦人の礼拝すべきお方であることを示している。すなわち、「神は我々と共におられる」(マタイ1:23)ということがユダヤ人のみならず異邦人にも及ぶことを意味している。

3.でもそれだけであれば、彼らは異邦人であるだけでよく、占星術師である必要はない。占星術師である彼らが幼子イエスを礼拝したことに、どのような意味があるのだろうか。
 ルツ(EKK)は、異邦人がイスラエルの王を礼拝したことと、そこにある神の導きとが重要であることを指摘しているが、イエスを礼拝した彼らが占星術師であったことにはあまり着目していない。
 神との関係に反する占星術師である彼らが幼子イエスを礼拝したことは、罪深い者が礼拝へと導かれることを意味している。神を礼拝するにふさわしくない罪深い者が、しかし、礼拝へと導かれるのである。

4.いったいどのようにして、罪深い者が神礼拝へと導かれるのか。それは、この幼子が異邦人をも「自分の民」として「罪から救う」ことによって実現される(1:21)。

5.したがって、占星術師たちが幼子イエスを礼拝したことは、神礼拝が異邦人にも開かれ、神は異邦人とも、共にいてくださるということを意味しているだけでなく、それ以上に、神との関係に反する罪が赦されるということがあるのであり、そのような罪の赦しの救いによって、神の民へと加えられることを意味している。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。