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幼子イエスを東方から拝みに来た者たちは何者か(1) [聖書と釈義]

マタイ2:1~12

1.ギリシア語のmagosは、学者とか博士とか知者とか賢者とか占星術の学者とかいろいろに訳されている。いったいどう訳すのがよいだろうか。

2.彼らは、a)東方の者で、b)星の動きを観察する者(バビロニアを思わせる)であって、c)黄金、乳香、没薬(アラビアを思わせる)を持ってきた(イザヤ60:6、『旧約新約聖書大辞典』の「博士」の項を参照)。これらのことから彼らは異邦人であったことが分かる。

3.彼らは、星の動きを専門的に観察する者であったからこそ、不思議な星を発見し、その星のただならぬ不思議さに気づくことができた。しかも彼らは、その星がユダヤ人の王となる方の誕生を告げていることを知った。ということは、彼らは、ユダヤ人たちの聖書も占星術の参考資料に加えていて、聖書の中の星や天体に関する記述も調べていたのではないか(特にここでは民数記24:17)。さらに、ユダヤ人の王として誕生された方は、ユダヤ人のためのみならず自分たちにも関わるお方であることを、彼らはその星の観察を通して気づかされた。もちろんこれらのことはすべて、神がそのように導かれたと言えるだろう。

4.彼らは、単に学者とか博士であったのではない。学者とか博士では、なんだか、学問のある人たちだったからユダヤ人の王となる方の誕生を知り得たみたいになってしまう。知者とか賢者と言ってはなおさらである。
 ギリシア語のmagosは、もともとペルシアで天文学ないしは占星術に携わっていた人たちの名前であったという(『ギリシア語新約聖書釈義事典Ⅱ』)。その地の宗教の祭司の職務と結びついていたようなので、彼らは社会的に重要な役割を果たす者たちであったといえる。そうであるならば、やはりマタイ2章の彼らも、当時の占星術というある意味で学問的な営みに携わる人たちであったとしてよいだろう。すると、やはり「占星術の学者」とするのがよいか。
 あるいは、もともとギリシア語で一語であるので、そのことを考慮して「占星術師」とするのがよい。「師」とすることで、社会から重んじられた指導的な地位にある者という意味合いを持たせることができる。「占星術家」では特殊技能を持った個人であることが強調された感じだし、「占星術者」では単に占星術をする人という程度で、星のただならぬ不思議さに気づいても行動を起こしそうもない。

5.というわけで、結論: 彼らは異邦人で、「占星術師」であった。

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