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バルト『ローマ書』の序文を読み直す(3) [読書メモ]

カール・バルト『ローマ書講解』の序文から、気になる言葉のメモ

引用はすべて、小川圭治、岩波哲男訳『ローマ書講解』上(平凡社ライブラリー)、平凡社、2001。

(3)第三版、第四版の序文から
「ローマ書の注解というような、生気に溢れた、責任を伴う仕事が、どうして長く硬直したままでありうるだろうか。」
「第三版への序」、p.41。

ジョーク?
 『ローマ書』初版が出たときに歴史批評学の立場にある神学者たちから厳しい批判を受けたことについて、バルトは「ディオクレティアヌス的迫害」だと言った。
「第三版への序」、p.42。

異なる霊の大合唱の中に「主題の核心」を聞き取る
 「ローマ書において語っているのは、『異なる霊』つまり・・・ユダヤ的、通俗キリスト教的、ヘレニズム的、その他の『霊』だけである・・・。すべては文字(リテラ)であり、『異なる』霊の声であって――そのすべてがまたもしかして『主題の核心』(ザッヘ)との関連において(キリストの)霊(スピリトゥス)の声として理解されるかどうか、またそれがどこまで可能かということ、それが文字(リテラ)の研究に際して問われるべき問題である。」・・・そうであるならば、「その注解者はパウロについての注解を書くのではなく、・・・パウロと共に注解を書くことになるであろう。」
「第三版への序」、pp.43-44。

カトリック神学の側からの本書に対する批評の中で、本書の「主題の核心に即した」(ザッハリッヒ)理解に出会った。
「第四版への序」、p.52。

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