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バルト『ローマ書』の序文を読み直す(1) [読書メモ]

カール・バルト『ローマ書講解』の序文から、気になる言葉のメモ

引用はすべて、小川圭治、岩波哲男訳『ローマ書講解』上(平凡社ライブラリー)、平凡社、2001。

(1)第一版の序文から
「第1版への序文」の有名な書き出し
 「パウロは、その時代の子として、その時代の人たちに語りかけた。しかしこの事実よりもはるかに重要なもう一つの事実は、かれが神の国の預言者また使徒として、すべての時代のすべての人たちに語りかけていることである。昔と今、あちらとこちらの区別には、注意しなければならない。しかしこのことに注意するのは、この区別が事柄の本質においては何の意味も持たないと知るためでしかありえない。」
「第一版への序」、p.13。

歴史批評学と霊感説について
 「聖書の歴史批評学的研究法は、それなりに正当である。むしろ聖書の理解のために、欠くことのできない準備段階を示している。だが、もしわたしがこの方法と、古めかしい霊感説とのどちらかを選ばなければならないとすれば、わたしは断然後者を取るだろう。霊感説は、はるかに大きく、深く、重要な正当さを持っている。なぜなら、霊感説は、理解の仕事そのものを示しており、それなしでは、すべての装備は価値を失ってしまうからである。もちろんわたしは、この二つのどちらかを選ぶ必要のないことを喜んでいる。」
「第一版への序」、p.13。

パウロと向かい合って立つのではなく、「パウロと並んで立つ」。
「第一版への序」、p.14。

「この書物が発見者の喜びに溢れつつ書かれていることに、だれしもが気づくであろう。」
「第一版への序」、pp.14-15。

「予備的著作」、「待っている」
 この著作は、多くの人たちが同じ場所にまだ発見されずに残っている「水脈を掘り当てる」ように協力してくれることを求めるための「予備的著作」でしかない。しかし、もしそのような期待が「考え違い」(吉村訳『カールバルト著作集14』p.4では「裏切られた」)なら、「この書物は、時が来るのを待たねばならない」。「ローマ書そのものも、時の来るのを待っている」。
「第一版への序」、p.15。

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