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ヴァイツゼッカー『荒れ野の四十年』(2)――いくつかの言葉 [読書メモ]

「心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを誠実かつ純粋に思い浮かべる(ゲデンケン)こと」(永井訳、岩波ブックレット新版、p.6)。

「思い起こすとは、ひとつの出来事を正直に、混じり気なしに思い起こし、その出来事が自分の存在の内部の一部になってしまうほどにするということ」(加藤訳、『想起と和解』、p.11)。

「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。」(永井訳、新版、p.11)

「罪責があろうがなかろうが、年を取っていようが若かろうが、われわれはすべてこの過去を引き受けなければなりません。・・・過去をあとから変更したり、なかったことにすることはできない・・・しかし、過去に対して目を閉じる者は、現在に対しても目を閉じる」(加藤訳、『想起と和解』、p.18-19)。

「心に刻むことなしに和解はない」(永井訳、新版、p.12)

「思い起こすことなくして和解は起こりえない」(加藤訳、『想起と和解』、p.19)。

「心に刻む(エアインネルン)というのは、歴史における神のみ業を目のあたりに経験すること」(永井訳、新版、p.12)

「想起とは神の歴史における働きを経験すること」(加藤訳、『想起と和解』、p.20)。

「もしわれわれが、現在の行動とわれわれに課せられている未解決の課題へのガイドラインとして自らの歴史の記憶を役立てるなら、この四十年間の歩みを心に刻んで感謝することは許されるでありましょう。」(永井訳、新版、p.23)

「われわれがこうしたわれわれ自身の歴史的な思い出を、現在における自分の態度を定める基準とし・・・まだ解決していない課題に向かう手引きとして用いることができるならば、この四〇年間の歩みに感謝することもゆるされるでありましょう。」(加藤訳、『想起と和解』、p.36)

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