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ダビデとゴリアト(1) [聖書と釈義]

1.2010年サッカーワールドカップ南アフリカ大会で、日本が6月14日のカメルーン戦に1-0で勝利した後、イビチャ・オシム(Ivica Osim)前日本代表監督は次のように語ったという。
「巨人ゴリアテの役割をカメルーンが担い、小柄なダビデを日本が担っていた。」
(この訳は読売新聞より。)

原文は、
"Cameroon played giant Goliath and Japan played tiny David."
TimesLIVEのサイトより。)

2.ダビデとゴリアト(日本で言い習わされている表記はゴリアテ。英語ではゴライアス。最後のスはthの発音)の話は、旧約聖書のサムエル記上17章にある。
 旧約聖書の民であるイスラエルにとって、ペリシテ人はことあるごとに敵対関係にあった(なお、カナンの地がパレスチナと呼ばれるようになったのは、ペリシテという地名に由来している)。
 イスラエルがサウル王の時代、ペリシテ人の中からゴリアテという身長約3mの巨人が一対一の一騎打ちを望んでイスラエル軍に呼ばわった。
 サウルとイスラエルの軍隊は恐れおののいたが、羊飼いで、姿の美しい紅顔の美少年であるダビデは、「獅子の手、熊の手から私を守ってくださった主は、あのペリシテ人からも、わたしを守ってくださるに違いありません。」と言って、結局鎧も兜も身に着けず、ただ小石を石投げ紐で飛ばしてゴリアテの額を打ち、ゴリアテを倒した。
 それ以降、ダビデは戦いに派遣されるようになり、そのたびに勝利を収めた。ダビデが町に帰還すると、女達は「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」と言って迎えた。このことがサウルを激怒させ、ダビデの命が狙われることとなったが、このことは、やがてサウルからダビデへと王位が移るきっかけとなった。また、ペリシテ人を退けることでイスラエルはパレスチナにおける国家的主権を確立することとなった。

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