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礼拝の構造(4) [礼拝]

6.いろいろ考えさせられたこと

(1)
従来、「神から人へ」「人から神へ」という観点で礼拝の要素や流れを捉えようとする考え方があったが、それでは礼拝の構造を捉えきれず、流れも明確に示すことができない。

また、礼拝の一つひとつの要素は、必ずしも「神から人へ」と「人から神へ」のいずれかに区分けできるものではない。例えば、讃美歌は、神に賛美をささげるものでもあるし、歌われている歌詞を通して福音が示されるものでもある。祈りも、神に感謝や願いなどを申し上げつつ、祈りを通して聖霊が働いてくださり慰めや励ましなどをいただくものである。

(2)
聖餐を感謝の部に入れる例があるが、聖餐は感謝ではない。

ユーカリストというのは、典礼の一部分を取り上げて名付けられたものであって、集いの終わりの言葉「イテ・ミサ・エスト」から礼拝自体が「ミサ」と言われるようになったのと同じようなものである。名称の意味がそのまま事柄の本質を表すのではない。

(3)
上で述べたように、礼拝の要素は「神から人へ」と「人から神へ」のいずれかというようには割り切れないものであるが、礼拝の構造の名称の実践例としては、「招き」や「祝福」のように神からのものと、「感謝」や「悔い改め」のように人からの応答の意味合いが強いものとが混在している。

そこで、礼拝が、人間が参与しつつも主なる神の主権の元にあることを強調した名称で整えてはどうか。

(4)
新来会者などのために分かりやすくするという観点では、あまり細かく構造を分けるよりも、3部くらいに分けておくのが分かりやすい。

(5)
以上のことから、たとえば、次のような3部構成を試みてみてはどうだろうか。

    1.神の招き 2.神の御言葉 3.神の祝福

  (もちろん、「招き」の中には招きに対する応答としての「悔い改め」もある。もちろん、聖餐は「神の御言葉」に含まれる。もちろん、「祝福」の中には「派遣」の意味も込められている。)


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