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寛容と独自性 [宗教の神学]

「寛容とは、相対立する真理要求に無関心な態度を示すことではない。それと反対に、寛容は、何が真実で規範的なのかということに関する決定に基づいてのみ可能である。・・・人間は、究極的真理をまだ完全に見てはいない。それゆえキリスト教の真理意識は、他者への寛容を要求する。」
「わたしたちの知識は一部分、預言も一部分」 1Cor13:9。
しかしこのことは、キリストにのみ救いがある(Acts4:12)ことを放棄するものではない。「もしもイエスがこの世で唯一の救い主ではないとすれば、われわれはなぜキリスト者とならなければならないのであろうか」。

パネンベルクは、ここから、この真理を主張するために、ただイエス・キリストのうちにのみ唯一の神が臨在している、すなわち、イエスは受肉した神の永遠の御子であるという命題を明らかにするキリスト論の課題を語る。

というわけで、ポイントは、
(1)他者への寛容は、決して、自らの特殊性や具体性、独自性を放棄するものではない。むしろ、絶対的な真理のもとに自らを相対化できていてこそ、他者に寛容であることができる。
(2)究極的真理をまだ完全には見ていないという終末論的観点が、自らを謙遜にし、謙虚にする。

パネンベルク(佐々木勝彦訳)、『組織神学入門』、日本基督教団出版局、1996年、pp.76-77。

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