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ペトロの涙の意味 [聖書と釈義]

マルコ14:72 επιβαλων εκλαιεν

1.エピバローンが他の語になっているとか、エクライエンが別の時制になっているとかいくつかの異読があるが、写本の状況からこれを本文として採用できるだろう。アオリストになっていないとすっきり来ないとかいろいろあるかもしれないが、マルコのギリシア語があまりこなれたものでないことを考慮すればそう問題ではない。

2.古来、さまざまな解釈がなされ、いろいろな翻訳がなされてきたようだが、マルコがつたないなりに一生懸命活き活きとした描写に努めている(「艫の方で枕をして」4:38とか、「この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど」9:3とか)ことを思えば、あまり突飛な訳をあてがうよりも、エピバローの普通の意味を念頭に置いて、ここでもマルコが何か劇的な光景を記そうとしているのではないかと考えるほうがよい。
 そうすると、ここの意味は、「くずおれて泣いた」とか「泣き崩れた」という感じがよいのではないか。RSVをはじめNIV、ESVなどの"he broke down and wept"が良い訳。

3.ということは、この箇所について“泣いて悔い改めた”というような注解や説教があるかもしれないが、それどころではない。ペトロは、自らのふがいなさに打ち崩れ、挫折し、打ち倒れたのである。31節のような勇ましい思いは完全に敗北し、主が言われたとおりになって主との関係はもはや取り返しがつかない事態に陥り、絶望に落とされたのである。

4.しかしそれは、やがて、ただ復活の主によって立ち上がるためであった。絶望の淵から立ち上がるのは、主に従おうという自らの確固たる決意でもなければ、信仰の激しい情熱でもなく、このお方こそ主だとの冷静な判断によるのでもない。ペトロは、ただただ、死を打ち破って復活された主によって、決して損なわれない主との新たな結びつきへと変えられるのである。

5.きちんと本文批評に取り組むことで見えてくる使信がある。もっとも、いつも本文批評をしている余裕はないのだが。


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