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神の恵み――年度末にあたって [信仰]

2009年度が終わった。個人的には、これまでで一番ヘビーな一年であった。この一年の中で一番恵みだと感じることは何かと聞かれても、詰まってしまうだろう。
年末もそうだが、こういう時期に、神の恵みを数えて感謝するということが言われる。これは、信仰の歩みをおくる上で大切なことである。しかし、どういうことが神の恵みなのであろうか。自分が良かった、嬉しかったと思う事柄が恵みだろうか。それとも、決して良かったとは思えないことでも、神は必ず良きものへと変えてくださると信仰によって信じることができるということが恵みだろうか。

わたしたちにはマイナスの出来事に思えても、神は必ずプラスに変えてくださる。しかしそのプラスとは、直接わたしたち人間にとってのプラスとは限らない。もちろん、時が経ってから、自分にとってプラスになる、自分の知らないところで誰かにとって益となるということもあろう。しかし、いくら時が経っても、人間にとってマイナスのままであることもあるのではないだろうか。しかしそれでも、神は、御自身の御計画にとって必ずやプラスに用いてくださる。神にとってのプラスが大切なのであり、わたしたちにとってのマイナスが、わたしたちにとってはマイナスであるそのままに、神はそれを良き実へと結んでくださるのである。

ところで、わたしたちのマイナスの極致は、罪である。しかし、罪というマイナスはマイナスのままではない。神は、わたしたちの罪はそのままで、わたしたちの罪、あるいは、罪あるわたしたちをプラスに用いてくださるのではない。わたしたちの罪は、わたしたちが負うのではなくキリストが負ってくださった。そして、罪の支配を打ち破ってくださった。それで、わたしたちは、罪深いままではなく、罪を赦されて、御国を継ぐ者とされてプラスに用いられているのである。
ただし、完全にプラスとされてマイナスの面は全くなくなってしまったので考えなくて良いというわけではないことに注意しなければならない。世にあってはなおわたしたちは罪人である。しかし、キリストのゆえに罪の赦しをいただいている。罪人にして同時に赦されているのである。

わたしたちは、神の御計画の中に置かれている。やがて御国をもたらす御計画の中に生かされている。わたしたちにとってはマイナスにしか思えないどんな経験があろうと、神はわたしたちを御国へ向かわせる御計画を止めず、確実に進めておられる。わたしたちにとって恵みとはこのことではないか。何があろうと御国が来るということこそ、わたしたちの恵みである。そのために御子をわたしたちのところに遣わし、世にあってはどこまでも罪人のわたしたちに赦しを与えてくださり、御国へ導き入れようとしてくださっていることこそ恵みである。
そうであるならば、なお一層、わたしたちは御国を求めていく。「御国を来たらせたまえ」。必ず来るという確信をいただいて、同時に、節に願い求めて、祈る。「御国を来たらせたまえ」。こう祈るとき、神の恵みがわたしたちに注がれる。

2010.4.1午前記

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