SSブログ

「折々のことば」653 [その他]

「折々のことば」653(鷲田清一、『朝日新聞』2017年1月31日)は、前田護郎訳「新約聖書」からローマ書の一節の紹介。
http://www.asahi.com/articles/ASK1W4CJXK1WUCVL00S.html

「折々のことば」には聖書中の箇所が記されていなかったが、8章24節後半~25節である。

新共同訳だと、
「見えるものに対する希望は希望ではありません。・・・わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」



前田護郎訳の新約

1.前田護郎責任編集、『世界の名著12 聖書』、中央公論社、1968年。
中沢洽樹による「旧約聖書」(部分訳)と前田護郎による「新約聖書」(部分訳)

中沢洽樹による部分訳「旧約聖書」は、創世記、出エジプト記、イザヤ書、伝道の書。
(ただし、創世記は20章、25:1~6、26:1~33などを欠く。
出エジプト記は3:18~22、4:8~9,21~23、35:1~40:33などを欠く。
イザヤ書は5:25を10:4と5の間へ移す他、4:2~6、5:26~30、7:18~25、8:19~9:1aなどを欠く。
伝道の書は7:1~14,19~22などを欠く。)

前田護郎による部分訳「新約聖書」は、ネストレ25版(1963年)を定本とし、
 マタイ福音書
 マルコ福音書
 ルカ福音書
 ヨハネ福音書
 ローマ書
 ピレモン書
の6書のみ。

後に、『世界の名著13 聖書』(中公バックス)、1978年。

1968年版で12巻目だったのが中公バックスで13巻目になった。それは、続編として出た「中国の科学」が中公バックス化に当たって12巻目に入れられたため。

2.新約の全訳が、中央公論社、1983年。

3.中央公論社版(1983年)が後に『前田護郎選集 別巻』として復刊。教文館、2009年。


前田護郎訳に対する批判

簡単に見つかるのは、
川村輝典「「聖書の翻訳」の検討 前田護郎編「聖書」(世界の名著12) 新約聖書(四福音書、ローマ、ピレモン)の批判」、日本キリスト教学会編『日本の神学』No.8、1969年、pp.20-27。


まあ今となっては、前田護郎訳は、特に参照すべき訳ではない。


関連する聖書箇所

ヘブライ11:1「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」

2コリント4:18「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。・・・」

ヨハネ20:29「・・・見ないのに信じる人は、幸いである。」
など。


星の王子さま

サン=テグジュペリの『星の王子さま』(Le Petit Prince)の中の有名な言葉は、
仏:Le plus important est invisible.
英:What is essencial is invisible to the eye.
内藤濯訳:「かんじんなことは、目には見えない。」
(『星の王子さま オリジナル版』、岩波書店、2000年、p.103。)


宮田光雄

「こころで見ることを知った≪子ども≫の目とは、信仰の目のことでしょう。神にたいする信頼において人間の不安や恐れに打ちかったもの、それゆえに、素直にこころの真実と優しさとにたいして感受性をもつ人は≪子ども≫です。自分の人生を父なる神の愛に全面的に委ねて生きることのできる人は≪神の子≫なのです。」

(宮田光雄、『大切なものは目に見えない――『星の王子さま』を読む』(岩波ブックレットNo.387)、岩波書店、1995年、p.48。)


ついでに、『星の王子さま』に出てくる砂漠や泉などについて、
「夜や砂漠、渇きや泉など『星の王子さま』に出てくるさまざまの象徴は、サン=テグジュペリの生い立ちに影響をあたえたキリスト教的背景なしには理解できないものです。この物語を語る作者の想像力は、これらの象徴の喚起する聖書的な追憶に深く養われたものだ、と言われています。」

(宮田光雄、同書、pp.35-36。)


ちなみにここで宮田は文献として、A.ドゥボォー(渡辺義愛訳)『サン=テグジュペリ』ヨルダン社、1973年を挙げている。


なお、宮田光雄の岩波ブックレットの中に、『新約聖書を読む 『放蕩息子』の精神史』(岩波ブックレットNo.337、岩波書店、1994年)がある。
これを紹介したわたしのブログは、「宮田光雄、放蕩息子の精神史」


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。