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新約でのギリシア文学の引用(4) [聖書と釈義]

「新約でのギリシア文学の引用(1)」「新約でのギリシア文学の引用(2)」、及び、「新約でのギリシア文学の引用(3)」の続き。

ジョン・ミルトン『アレオパジティカ』の中で、
「パウロは一人の悲劇詩人を含め、三人のギリシャ詩人の格言を聖書に入れるのは、神の冒涜ではないとしました。」
と記されている。
(原田純訳『言論・出版の自由 アレオパジティカ 他一篇』、岩波書店、2008年、p.24。)

訳者の注によると、この3人とは、使徒17:28のアラトス、一コリント15:33のエウリピデス、テトス1:12のエピメニデスであるとあるが、これについて。


●使徒17:28
ここをアラトスとするのは、まったく問題ない。

●一コリント15:33
ここは、多くの注解書でメナンドロス(英語形はMenander)とされている。が、ネストレにはエウリピデスも記されているし、その他にもいろいろ出てくるらしい(たとえば、NIGTCのA. C. Thiseltonによる第一コリント注解のp.1254と、脚注249参照)。

そういうわけで、一コリント15:33をエウリピデスとするのは、間違いではない(メナンドロスも書いておいてほしいところだが)。

また、おそらくそういうわけで、岩波文庫の旧訳の上野・石田・吉田訳『言論の自由――アレオパヂティカ』(岩波文庫4943、1953年)の注は、「ユーリピディーズまたはメナンダーから」とされているのであろう(海外の『アレオパヂティカ』やその研究書を参考にしたのだろうが)。

●テトス1:12
ネストレ28版ではギリシア文学のどこに見られるかの記載がなくなったが、ネストレ26版、27版ではエピメニデスとされていた。
したがって、テトス1:12をエピメニデスとするのは間違っていない。

逆に、ネストレ28版しか見ていなかったら、パウロが引用したギリシア詩人の格言として、何でテトス1:12が挙げられるのか、もとになっているギリシア詩人は誰なのか、分からない。


というわけで、結論:
1.原田純訳『言論・出版の自由 アレオパジティカ 他一篇』(岩波文庫)のこの箇所の注は、まちがっているとは言えません。

2.ネストレは、古い版もちゃんととっておいて、参照しましょう。



なお、ミルトンの『アレオパジティカ』については、
 2015年5月13日のブログ記事
 2015年5月14日のブログ記事
を参照。


「新約でのギリシア文学の引用」
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