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新約でのギリシア文学の引用(3) [聖書と釈義]

「新約でのギリシア文学の引用(1)」、及び、「新約でのギリシア文学の引用(2)」の続き。

ネストレの巻末のLoci Citati vel Allegatiに記されている古代ギリシア文学からの引用箇所のうち、
ネストレ26版(27版も同一、28版ではなくなった)で出典不明とされている6箇所

  ヨハネ7:38
  一コリント9:10
  二コリント4:6
  エフェソ5:14
  一テモテ5:18
  ヤコブ4:5

についてのコメント。


● ヨハネ7:38
「・・・聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」
直接これの引用元と考えられる旧約聖書の箇所はない。ネストレ26~28版の本文も斜体にはしていない。

● 一コリント9:10
「耕す者が望みを持って耕し、脱穀する者が分け前にあずかることを期待して働くのは当然です。」
ネストレ26~28版の本文は斜体にしているが、新共同訳では引用文になっていない。

● 二コリント4:6
「闇から光が輝き出よ」
ネストレ26~28版は斜体にしていない。直接これの引用元と考えられる旧約聖書の箇所はない。

● エフェソ5:14
「眠りについている者、起きよ。死者の中から立ち上がれ。そうすれば、キリストはあなたを照らされる。」
ネストレ26~28版は、斜体にはしていないが、字下げして詩文にしている。
直接これの引用元と考えられる旧約聖書の箇所はない。洗礼の際の賛歌か、他宗教やグノーシスの影響を受けた言葉が元にあるのか、諸説ある。

● 一テモテ5:18
前半の「脱穀している牛に口籠をはめてはならない」は、申命記25:4。
後半の「働く者が報酬を受けるのは当然である」は、旧約には当てはまる箇所がないが、ルカ10:7(並行マタイ10:10)でいいんじゃないの?
すでに福音書が知られていたということか。

● ヤコブ4:5~6
「神はわたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられ、もっと豊かな恵みをくださる。」
ネストレ26~28版は斜体にしていない。
直接これの引用元と考えられる旧約聖書の箇所はない。
どこまでが引用句なのかについて諸説あり、「・・・妬むほどに深く愛している」までとするものもある(口語訳、フランシスコ会訳など)。


「新約でのギリシア文学の引用」
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