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加藤隆『旧約聖書の誕生』 [読書メモ]

加藤隆、『旧約聖書の誕生』(ちくま学芸文庫 カ-30-1)、筑摩書房、2011年。
(2008年単行本の文庫化)


なお、加藤隆によるNHKテレビ「100分de名著」のテキストで、
 『旧約聖書』(2014年5月)
また、
 『集中講義 旧約聖書――「一神教」の根源を見る』(2016年1月) 
が出た。


『旧約聖書の誕生』について、せっかくざっと目を通したので、いくつかメモっておく。


●旧約聖書の中心

聖書はたいへんに複雑な書物である。旧約聖書の中心的な箇所を、無理を承知で挙げるとすると、申命記6:4「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は、唯一の主である」だ。
p.42-43あたり。


●文学ジャンルについて

「エジプト脱出という緊迫した状況の中で、祭りの儀式のあり方についてのかなり詳しい指示が行われているのは奇妙なことではないだろうか。・・・除酵祭とエジプト脱出の結びつきに関しては歴史的事実の報告ではなく、イスラエルがカナンに定着して以降の時期におけるイスラエル民族にとっての出エジプトの出来事の意味づけが問題になっている。つまり聖書のテキストは、表面的な体裁(過去の出来事の報告)と、実際の内容(過去の出来事についての、後の時代における意味づけ)が重なりあっていて、・・・。これはつまるところ文学ジャンルの問題だ・・・。」
p.88-89、93。

「江戸時代を背景にしたギャグ漫画に、学問的な歴史書のような歴史的正確さがないと非難しても、・・・的はずれである。同じように創世記一章の創造物語に科学的正確さがないと非難するのは、文学ジャンルの問題についての理解の欠如からの的はずれな議論である。」
p.101。

江戸時代を背景にしたギャグマンガって、いったい何?


アダムとイヴの「二人が歴史的に存在したかを問うことは、文学ジャンルについてまったく無理解だということになる。・・・すべての人間が根源的にアダムとイヴだということが示されている。」
p.159。



●聖書は環境破壊の元凶か

「環境問題は自然に対する人の科学的アプローチが展開した結果生じてきた問題である。・・・創世記一章のエピソードで人は、「神に似ている」とされている。・・・そのような「神に似た人」による「自然の支配」は、「神による自然の支配」に似たものだ・・・。創世記一章のエピソードにおける神と自然との関係は「神が自然を創造する」ということである。つまり「神は自然を創造的に支配している」。神は、少なくとも、「自分に役立つように自然を利用する」というあり方で自然にかかわっているのではない。とするならば、「神に似た人」は、「自然を創造する」というあり方で「自然を支配」すべきだ・・・、少なくとも、「人が自分に役立つように自然を利用する」ように「自然を支配する」ということにはなっていない・・・。」
p.157-158。


●聖書を理解する

「聖書には相容れない立場が示されていることから、聖書は矛盾しているとして聖書を拒否することは、聖書が理解できなかったことを意味する。」
p.171。



●愛について

「愛とは何か。・・・恋がさめても捨てないのが愛である。・・・完璧な人はいない。相手も人間であり、不完全である。・・・しかし相手を捨てない。・・・愛には人間の理解を超えるところがある。・・・愛は、人間の合理的であたりまえの態度ではない・・・。とするならば、そこには神が働いている・・・。結婚が神の制度とされたりする場合があることも、このように考えると理解が可能かもしれない。・・・結婚は神の愛を二人の関係に制度的に介入させる企てだ・・・。」
p.202-204。


「「愛している」と宣言することは、相手に価値がなくても、相手がいい加減でも、相手を捨てないと宣言しているということになってしまう・・・。したがってみだりに「君を愛している」などと言うべきではない。」
p.205。

大学の授業で毎年、これを言っているのかな(笑)。


●神は岩

「自然科学者は神は岩ではないと考え、・・・このメッセージを無視する。宗教学の専門家は、メモ帳を開いて「聖書には<神は岩>と記されている」と書き込んで、メモ帳を閉じる。・・・しかし「神は岩」という言明がそれを読む者に神との関係のあり方を迫るものとして受け取る者にとっては、この言葉は自分にとっての神とのについての呼びかけになっている。呼びかけを受け入れないと、自分は呼びかけによって拒否されることにもなってしまう。岩を尊重しない者はその岩に自分が打ち砕かれる。しかしその岩に他の者はしっかりとした足場を築く。」
p.529。

けっこう、いいこと言っています。