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教会の○○周年記念誌の編集 [教会形成]

『教会アーカイブズ入門』いのちのことば社東京基督教大学教会アーカイブズ研究会編(山口陽一、鈴江英一、新井浩文、杉浦秀典、阿部伊作著)、『教会アーカイブズ入門――記録の保存と教会史編纂の手引き』、いのちのことば社、2010年、143頁、1300円+税。


この中の

第2章、鈴江英一「3年あれば、教会史はできる――札幌元町教会40年史を例に」

をもとに、柏教会での経験も加えながら、記念誌(年史)の作り方のまとめ。

というか、柏教会の記念誌作成に当たって、この本に大いに触発された。


1.教会史を製作する意義
①神が教会に下してくださった恵みの確認
②教会の歴史と活動の共有
③なされた伝道の成果の証し
④これからの教会形成や宣教方向を考えるための材料と機会の提供と励まし

2.資料整備なくして教会史なし
執筆に取りかかりたいというはやる気持ちを抑えて、編集の入り口の土台をまず固める。
まして、複数の執筆者による共同作業では、資料の全容を明らかにし、情報を共有することが不可欠。

(私のメモ: 記念誌編纂のための資料: 教会総会議事録、教会総会資料、役員会議事録、月報、週報、配布物綴り、会計の帳簿等、委員会の記録や集会記録など)


3.出典を明らかにしておく
1枚のカードに一つの事項を記録したカード(カード型データベース)を作成する。
こうすることで、教会史にいちいち出典を掲げなくても、元資料に立ち戻ることができる。

(私の意見: この本でも触れられていたかもしれないが、たとえば、ある講演会で実際になされた講演のタイトルが何であったかを知るのは難しい。毎年度の教会総会の資料は他のところから転記してきた二次的なものなので転記ミスがありうるし、役員会議事録にも実際の講演題が正確に記録されていないことがある。事前に作成して配布されたチラシに記されている講演題は仮の題かもしれないし、週報の予告もあくまで予告である。当日のレジメがあればよいが保存されていないこともある。これら全体を総合的に判断して、実際になされた講演題を推定するという作業を行わなければならない。)


4.構成の細部まで刻み込んでから執筆を始める
教会史はボリュームに限度があるはずなので、章、節、項のめやすとなるページ数が決まる。
もちろん、執筆の過程で変わってくるが、あらかじめ分量を設定しておくと、書き過ぎないよう自制が働く。

項は、さらにその細目のレベルまで分解し、そこに何を記すべきか、留意点、出典や資料の箇所を明らかにしておく。この作業を飛び越えて執筆を始めると、どこかで行き詰まることが多い。

全体や細部の構成は、執筆を進めていく中で変わっていってかまわないし、変わっていくのが当然。

5.事実を客観的に書く
資料に裏付けられたことを記す。
文章も、極力客観的な記述を心がける。
原稿は、編集委員会で全体的な統一、整合性を図り、調整する。

(私の意見: この本によると、『札幌元町教会40年史』では、「執筆者の意図を尊重しつつ」文章を調整したとの基本方針を立てたようだ。しかし、初稿の執筆者の意図が必ずしも明確でなかったり、望ましいものではない場合がある。そのような場合、委員会で十分議論して執筆すべき内容を明らかにし、担当者に書き直してもらうか、あるいは委員会で直接文章を練ることになる。その他のこととして、表現などで意見が割れる場合には、元の執筆者の表現を採用するという判断をする場合もある。)


(私の意見: このように、委員会で文章の細部まで調整するため、初稿の執筆者は、自分が執筆した文章が真っ赤に添削されることも受け入れることができる謙虚さと冷静さと客観的な視点を持ち合わせた人が望ましい。というか、そのように鍛えられる。牧師である私が書いた文章も、真っ赤に修正が入ったこともあった。)


「客観的な歴史があり得るかというのは、歴史の書き方に絶えずつきまとう問い」である。それゆえ、「資料に基づいて正確に書くことに努め、執筆者の個人的な評価や感情、感想を加えることなく執筆する」態度が重要である。

「恵みによって」とか「主の導きによって」と言った表現はしない。

6.能動態か、受動態か
能動態で書くか、受動態で書くか。

この本では、「文章の主語を明確にすること、受動態の文章は極力避けること――つまり能動態で書く――ことです」ということを各執筆者に「特にお願いした」とのことである。「たとえば或る問題を提起したのは、牧師か、役員会なのか、教会学校教師会なのか、はっきりさせておくということです」。

私の意見: ケースバイケースであるが、必ずしもそうすべきではなく、むしろ、それは記すべきではないことが多い。それは、礼拝順序の変更にしろ、新たな伝道方策の提案にしろ、行事の見直しにしろ、集会の持ち方にしろ、教会形成の重要な展開にしろ、多くの場合、最初は誰かが提起したのであろうが、取り組むべき教会の課題として役員会が審議に取り上げたのであるからである。たとえば総会での誰かの発言がきっかけで新たな動きが始まっても、その人が言い出しっぺであることが重要なのではなく、総会という主の御心を尋ねる場がきっかけとなったのである。  教会史に記される教会の歩みの主体は教会であるが、それは、すなわち、教会の中の全部門とイコールであり、教会員全員とイコールのものである。したがって、たとえば年表に記すような教会の活動は、基本的にすべて教会がその行為の主体であり、それゆえ、原則として受動態で書くべきである。


私の意見: っと書いてみたが、実際は、文章が全部受動態だったり全部能動態だったりすると、メリハリがなくなる。そこで、柏教会の記念誌では、自然と適宜使い分けることになった。箇条書きにすれば主語を省略してもおかしくならないので、「いついつから、○○するために、○○を行った。」とか、「いついつから、○○のために、○○が行われた。」言った書き方を混在させることになった。


私の意見: 箇条書きにしたのは、何よりも客観的な記述を目指したためで、文章で執筆するとどうしても接続詞などが入ったりして客観性が薄れるので、すべて箇条書きにした。



『創立60周年記念誌 柏教会この十年の歩み 2003年~2012年』こうしてできあがったのが、60周年記念誌編集委員会編、『創立60周年記念誌 柏教会この十年の歩み 2003年~2012年』、日本基督教団柏教会、2014年、A5判、205頁、印刷:シャローム印刷。である。


タグ:読書メモ
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