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佐藤優『神学の履歴書』 [読書メモ]

佐藤優『神学の履歴書』佐藤優、『神学の履歴書――初学者のための神学書ガイド』、新教出版社、2014年、265頁、1900円+税。

「神学書ガイド」という言葉につられて読んでみたけど、神学の入門書ではなく、佐藤優の思考形成に影響を与えた神学書の紹介。

 いや、本の紹介というより、著者が影響を受けた点や、影響を受けて主張したいことを述べている。さらに言えば、その本からの影響を受けたと言うよりも、フロマートカの『なぜ私は生きているか』などに見出すことが出来る、その書籍の内容を乗り越えるような神学や思想を紹介している。

 全体的な意図は、現下の日本の政治エリートたちが失っている存在論的な思考を学び取って21世紀に生かすことができる20世紀プロテスタント神学を紹介する、ということのようだ。

 ただし、紹介されている本は、マクグラス『キリスト教神学入門』を除きすべて新教出版社からのもの。まあ、もともと新教出版社の『福音と世界』の連載記事だから仕方がないか。


全21章。


紹介されている神学書は、
バルト『教会教義学 創造論Ⅳ/1、Ⅳ/4』
ロマドカ『無神論者のための福音』
フロマートカ『なぜ私は生きているか』
トレルチ『アウグスティヌス――キリスト教的古代と中世』
ツァールント『20世紀のプロテスタント神学(上)』
コックス『神の革命と人間の責任』
ゴンザレス『キリスト教史(下)』
ボルンカム『新約聖書』
ゴーガルテン『我は三一の神を信ず――信仰と歴史に関する一つの研究』
ニーゼル『神の栄光の神学』
マクグラス『キリスト教神学入門』
ブッシュ『バルト神学入門』
ユンゲル『死――その謎と秘義』

注1:ロマドカとフロマートカは同じ。
注2:トレルチ『アウグスティヌス』の紹介は、佐藤優自身がトレルチから影響を受けたと言うよりも、ハイデルベルク時代にトレルチに大きく魅了されたがしかし後にトレルチの限界を指摘しその先へ進もうとしたフロマートカの神学に感化されたという感じ。コックスとかも同様。


●現代社会の中でのキリスト者としての生き方について

一人ひとりの人間が孤立し、個体間の競争と均衡で世界が成り立っているというアトム的世界観が支配する近代には、神は存在せず、新自由主義的な市場原理主義が社会全体を蔽っている。現在の日本に出現しつつある殺伐とした市場万能社会は、そのような近代が完成した状況の一類型であり、キリスト教の信者の減少や礼拝出席者の減少も、アトム的世界観によって個体の自立性が重視される発想が蔓延して、同胞意識を失い、神がいなくては生きていけないという感覚を失っていることによる。
(p.13~14より)

人間の現実の行動は、時間、場所ともに限定されている中で行われている。人間の倫理はこのような制約の中において、はじめて問われる。したがって、具体的な人間の救済という視座から考えるキリスト教倫理は、いかなる時代、いかなる場所においても通用するような倫理ではない。(p.25より)

神はその独り子であるイエス・キリストを、人間の側からの見返りは何も求めずに贈ってくださった。その現実の類比(アナロジー)で、我々キリスト教とは行動する。「受けるよりは与える方が幸いである」(使徒20:35)という姿勢で、社会主義国家にもその中の無神論者にも接する。他者に「与える」ことは追従とは異なる。(p.57より)

教会は困難な時代状況から逃避する場所ではない。「キリスト教徒は、旧新約聖書の使信を携えて社会の中央に進んで行かなくてはらならない。」(p.91~92)


●バルトに関して

「筆者が、バルトよりもフロマートカに依拠するのは、フロマートカの方が、「コルプス・クリスチアヌム」が崩壊した後のキリスト教会の可能性についてより真摯に思索し、行動したからである。」
(p.16)

「神あるいはキリスト教について語る有識者がバルトの『教会教義学』を通読していないことは、怠慢以外の何者でもないと思う。」(p.22)

「主著『教会教義学』を通読せずにバルトについて云々する人を、筆者は知的に不誠実であると考える。」(p.213)

「ドイツ語圏の神学は、19世紀のドイツ観念論の遺産を踏まえた上で書かれている。・・・またバルトは、20世紀初頭にドイツで流行した表現主義の影響を強く受けて『ローマ書講解』を書いた。・・・この表現方式は、『教会教義学』にも引き継がれていると筆者は考える。」(p.214~216)


●チェコのプロテスタンティズムについて

チェコにおいてプロテスタンティズムはドイツ文化と結びついていたが、フロマートカたちは、16世紀の宗教改革より100年前のフス派の運動を自らの信仰の出発点とすることで、信仰の土着化の問題を解決した。(p.61より)

チェコ(ボヘミアとモラビア)は、イングランドとスコットランドのキリスト教と歴史的に深い関係がある。14世紀のウィクリフの宗教改革が15世紀のフスの宗教改革運動に強い影響を与えた。また、フロマートカが生まれたモラビア北部から、ヘルンフート兄弟団との関係が深いモラビア兄弟団(長老派)を生み出している。(p.83より)

「カトリックは、チェコのプロテスタントにとって抑圧者であったため、共産主義政府がすべての教会を平等に位置づけたことは、チェコ人プロテスタントには解放の意味あいを持っていた。・・・そこでフロマートカたちは、信仰を放棄することなしに、マルクス主義政権に積極的に対応したのであった。・・・〔しかし〕キリスト教徒はマルクス主義の無神論に惑わされるべきではない・・・。マルクス主義は、人間によって創作された神を否定しているにすぎない・・・。真の神はそうしたものとは違い、マルクス主義の主張する空虚な無神論などとうてい及ぶことのできない唯一の神である。」(p.112~113のフスト・ゴンザレス『キリスト教史(下)』からの引用より)


●歴史について

「歴史には始まりと終わりがある。この限界の中で歴史は営まれている。・・・この制約を知らずに歴史に埋没すると、われわれは歴史の力に飲み込まれてしまう。」・・・イエス・キリストによって与えられた終末における救済の希望によって、我々は歴史の限界と制約を超えて、自由を得ている。(p.139~140あたりより)


●資本主義について

「マモン(富・財産)に固執することも悪の起源の一つである。資本主義社会は、商品経済が社会全体をおおう社会だ。従って、貨幣で商品を購入して生活するというスタイルからわれわれは離れることができない。・・・われわれは、信仰の問題として貨幣の誘惑を斥けなくてはならない。・・・経済システムは、性悪説にもとづいて組み立てる必要がある。現時点においては、国家の介入によって富者から貧窮者に対して再分配を行う以外に、資本主義が生み出す絶対的貧困を緩和する方策はない。・・・カルバンは、資本主義に対してはきわめて批判的なのだ。」(p.181~185)


●その他

p.116~118に、著者が2009年に紀伊國屋書店新宿本店で行った「佐藤優が選んだ神学書100点」のリストがある。ただし、これは新教出版社から刊行されたものに限定されている。


過去の関連記事: 佐藤優『神学部とは何か』の読書メモ


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