フォン・ゾーデン逝去100年 [その他]
Hermann Freiherr von Soden
ヘルマン・フライヘル・フォン・ゾーデン
1852.8.16-1914.1.15
今年は、フォン・ゾーデン逝去100年だ!
ちなみに、フォン・ゾーデンが死んだ年に蛭沼寿雄が生まれている。
ということは、今年は、蛭沼寿雄生誕100年でもある!
フォン・ゾーデンについて紹介した日本語のWebページがほとんどないので、簡単に作ってみた。
■経 歴
ドイツの新約聖書学者、本文(ほんもん)批評家。
アメリカ、オハイオ州シンシナティ生まれのドイツ人。
チュービンゲン大学で学び、
ベルリンのエルサレム教会牧師などを務めた後、
1889年ベルリン大学の新約学私講師(privatdozent)、
1893年ベルリン大学神学員外教授(extraordinary professor of divinity)、
1913年ベルリン大学正教授(ordentlichen Professor)。
ベルリンの地下鉄事故で死去。
息子のハンス・フォン・ゾーデン(Hans von Soden, 1881.11.4-1945.10.2)は教会史家、新約聖書学者。
孫のヴォルフラム・フォン・ゾーデン(Wolfram von Soden, 1908.6.19-1996.10.6)は、古代オリエント学者、アッシリア学者。
■業 績
新約聖書の膨大な数の写本を調査し、ギリシア語の大文字と小文字の写本を区別する新しい表記法を考案した。それは、各写本の年代や内容、形態を表すという画期的なものであったが、あまりにも複雑すぎて、彼の後ほとんど用いられなかった。
福音書の本文の型を、K(コイネー)、H(ヘシキオス)、I(エルサレム)の三つの校訂版に分類した。そして、これら三つの校訂版から、失われた一つの原型にさかのぼれると考え、それをI-H-K(イーハーカー)本文と名付けた。
この考え方は、現在では他の形から派生したとされているコイネー本文型が重視されすぎていたり、全体的に正確性に欠けるなど欠陥が多い。
しかし、彼の業績は広範囲の研究と異常なほどの勤勉によるものであるゆえに「記念されるべき金字塔」であり、「大いなる失敗」とも言われている。
■気になる記事
マタイ18:20の聖句を「あたかも自覚的キリスト者が二~三人集まると、そこにキリストが(あたかも第三の、または第四の兄弟として)来てくださるかのように理解する教会理解が、H・F・フォン・ゾーデンなどによって広められました。」
日本基督教団宣教研究所編、『信仰の手引き――日本基督教団信仰告白・十戒・主の祈りを学ぶ』、日本基督教団出版局、2010年、p.184。
ほんとうか? 少なくともLuzのEKKの当該箇所には言及がないようだ。
■参考文献
B.M.メツガー(橋本滋男訳)、『新約聖書の本文研究』、日本基督教団出版局、1999年、150-153頁。
蛭沼寿雄、『新約本文学史』、山本書店、1987年、190-194頁。
『キリスト教人名辞典』、日本基督教団出版局、1986年、828頁の「ゾーデン,ヘルマン・フォン」などの項。
『キリスト教大事典』(改訂新版)、教文館、1968年、668頁の「ゾーデン」の項。
ヘルマン・フライヘル・フォン・ゾーデン
1852.8.16-1914.1.15
今年は、フォン・ゾーデン逝去100年だ!
ちなみに、フォン・ゾーデンが死んだ年に蛭沼寿雄が生まれている。
ということは、今年は、蛭沼寿雄生誕100年でもある!
フォン・ゾーデンについて紹介した日本語のWebページがほとんどないので、簡単に作ってみた。
■経 歴
ドイツの新約聖書学者、本文(ほんもん)批評家。
アメリカ、オハイオ州シンシナティ生まれのドイツ人。
チュービンゲン大学で学び、
ベルリンのエルサレム教会牧師などを務めた後、
1889年ベルリン大学の新約学私講師(privatdozent)、
1893年ベルリン大学神学員外教授(extraordinary professor of divinity)、
1913年ベルリン大学正教授(ordentlichen Professor)。
ベルリンの地下鉄事故で死去。
息子のハンス・フォン・ゾーデン(Hans von Soden, 1881.11.4-1945.10.2)は教会史家、新約聖書学者。
孫のヴォルフラム・フォン・ゾーデン(Wolfram von Soden, 1908.6.19-1996.10.6)は、古代オリエント学者、アッシリア学者。
■業 績
新約聖書の膨大な数の写本を調査し、ギリシア語の大文字と小文字の写本を区別する新しい表記法を考案した。それは、各写本の年代や内容、形態を表すという画期的なものであったが、あまりにも複雑すぎて、彼の後ほとんど用いられなかった。
福音書の本文の型を、K(コイネー)、H(ヘシキオス)、I(エルサレム)の三つの校訂版に分類した。そして、これら三つの校訂版から、失われた一つの原型にさかのぼれると考え、それをI-H-K(イーハーカー)本文と名付けた。
この考え方は、現在では他の形から派生したとされているコイネー本文型が重視されすぎていたり、全体的に正確性に欠けるなど欠陥が多い。
しかし、彼の業績は広範囲の研究と異常なほどの勤勉によるものであるゆえに「記念されるべき金字塔」であり、「大いなる失敗」とも言われている。
■気になる記事
マタイ18:20の聖句を「あたかも自覚的キリスト者が二~三人集まると、そこにキリストが(あたかも第三の、または第四の兄弟として)来てくださるかのように理解する教会理解が、H・F・フォン・ゾーデンなどによって広められました。」
日本基督教団宣教研究所編、『信仰の手引き――日本基督教団信仰告白・十戒・主の祈りを学ぶ』、日本基督教団出版局、2010年、p.184。
ほんとうか? 少なくともLuzのEKKの当該箇所には言及がないようだ。
■参考文献
B.M.メツガー(橋本滋男訳)、『新約聖書の本文研究』、日本基督教団出版局、1999年、150-153頁。
蛭沼寿雄、『新約本文学史』、山本書店、1987年、190-194頁。
『キリスト教人名辞典』、日本基督教団出版局、1986年、828頁の「ゾーデン,ヘルマン・フォン」などの項。
『キリスト教大事典』(改訂新版)、教文館、1968年、668頁の「ゾーデン」の項。
タグ:神学者
2014-03-27 21:00
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